運命のデート、幕が上がる午後
その日、空はどこまでも澄み渡り、風も柔らかかった。
まるで2人のために用意されたかのような午後。
喫茶店で静かに待っていたチーフのもとへ、
控えめな足音が近づいてくる。
「……チーフ様。お待たせいたしました」
振り向けば、そこには胸の奥がきゅうと縮むほど品よく佇む須磨子様。
明るい色のワンピースに、さりげない一歩の緊張。
「いえ。私も今しがた到着したところです」
本当は十五分前から待っていた。
けれどチーフは、それを口にはしない。
並んで歩き出すだけで──
互いの心臓の音まで聞こえてきそうなほど静かな時間が流れる。
「本日は……ご一緒できて嬉しゅうございますわ」
控えめに落とされたまつげの奥で、頬がふんわり染まる。
「私も……お会いできて光栄です」
チーフは、数日前から鍛え直した体が少しだけ軽く感じられた。
それは筋力の問題ではなく……
胸の奥が満ちているせいだと気づかないふりをする。
沈黙が気まずくない。
むしろ、静けさそのものが、優しく2人を包んでいた。
(……今日こそ……)
(……少しでも、お隣を歩けますように……)
ほんの数センチ。
かすかな距離の変化に、彼女は気づく。
チーフもそれに合わせるように歩幅を少しだけ調整していた。
(危険があればすぐに護れる距離……
それでいて、無礼にならぬ範囲……)
仕事として覚えたはずの感覚が、
恋の距離に変わっていくことを、本人だけがまだ知らない。
「チーフ様は……最近、お変わりありませんか?」
その問いに、一瞬だけチーフの眉が揺れた。
「ええ。少し……鍛え直しておりましたので」
「まあ……! そんな、大変なことを……!」
「いえ。必要なことですので」
須磨子様は胸に手を当て、息をのみそうになる。
(わたくしも……あの方のために、鍛えておりますのよ……)
言いたい。
伝えたい。
でも、今はまだ胸の奥でそっと温めておきたい。
並んで歩きながら、
風が2人の髪を同じ方向へそっと撫でる。
「……本日のお召し物、とてもお似合いです」
「えっ……!? あ、ありがとうございます……!」
須磨子様の耳まで赤くなる。
その反応に、チーフも視線を少し泳がせた。
(……かわいらしい方だ……)
本人には聞こえないほど小さな心の声。
「この先に、小さな散策道があります。
人も少ないので……ゆっくり歩けるかと」
「まぁ……素敵ですわ。ぜひご一緒したく存じます」
2人は並んで歩く。
足音がひとつのリズムのように揃っていく。
世界が穏やかすぎて、
この時間が永遠に続くようにすら感じられる。
そう、
──角を曲がるまでは。
散策道の影に差し掛かったとき。
わずかに、空気が変わった。
須磨子様は気づかない。
だがチーフの目が鋭く細められる。
(……嫌な気配……?)
数日前に揉めたならず者。
その影が、木立の奥で蠢いているとはまだ知らない。
「……チーフ様? どうかなさいまして?」
「いえ……少し、風向きが変わったように思いまして」
彼はそっと、須磨子様が気づかないように半歩前へ出た。
次の瞬間、木陰から足音が近づき──




