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西園寺須磨子は未だ恋を知らない  作者: 天音紫子(著)×霧原影哉(構成・監修)
第1章 胸ざわめく理由を、まだ知らぬままに
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第1話 西園寺家サロンのアフタヌーンティー(後編)

 「ところで須磨子さん。その後、美佳様とはお会いになったのかしら?」


 西園寺夫人が紅茶を口に運ばれながらそう問い、

 須磨子は小さく頷いた。


「はい、数日後に――“すまっち、次は公共交通機関デビューだよっ!”と

 美佳様がお誘いくださって……」


「まあ……相変わらず元気な方ですのね」


「ええ。そしてその日は、“あのお店のチーフ様”もご一緒でしたの。

 美佳様が“すまっち一人で電車は無理だから!”とおっしゃって……」


 西園寺夫人が上品にくすりと笑った。


「そして──PASMOという、前もってお金を入れるカードを買いましたの」


「とうとう買ったのですわね」


「はい。けれど画面に“20,000円”まではあったのですが……

 わたくし、その下に“100,000円”があるものと思って探しておりましたら」


「……あなたは」


「美佳様に “すまっち! チャージは2万円までだから!!” と

 強く止められましたの」


 西園寺夫人の肩がわずかに揺れた。

 笑いを堪えているのが、上品な微笑みの端でわかる。


「ですが、その時……わたくし、お財布を大きく広げすぎてしまって。

 お札が見えるほどぱっと開いてしまいましたの」


「まあ……」


「するとチーフ様がすぐそばで、

 “人前で財布の中を見せるのは危険です。お閉じください、須磨子様”

 と、とても落ち着いたお声で止めてくださって……」


 思い返すたびに胸がすこし熱を帯びる。


「美佳様の大声よりも、その落ち着いた声が……なんと申しますか……

 すとん、と心に落ちてしまいましたの」


 須磨子の胸の内を聞き終え、

 西園寺夫人はそっと紅茶を皿に戻した。


「……須磨子さん、その胸のざわつき。

 あなたは、それがどういう気持ちか……まだお分かりでないのね?」


「……え、ええ。その……分からないのですわ」


 本当に分からないのだ。

 ただ、あの落ち着いた声を思い出すだけで、胸の奥がふわりと熱くなる――

 今まで味わったことのない感覚。


 けれど、西園寺夫人はただやさしく微笑んだ。


「なら、急いで答えを出す必要はありませんわ。

 まずは……その方へ、お礼の文を認めてみるのはいかが?」


「文を……?」


「ええ。あなたの思いを“形”にしてみるのです。

 言葉には、心を整える力がありますもの」


 その言葉は、静かに、けれど確か須磨子の背を押した。


 須磨子は席を立ち、礼をしてサロンを後にする。


「では……書いてまいります、お母様」


「行っていらっしゃい、須磨子さん」


 大理石の廊下から、ふわりと午後の風が吹き込んだ。

 心がすこし高鳴り、須磨子は自室へ向かう。


 ――そして文箱に手を伸ばし、ゆっくりと蓋を開けた、その頃。


 * * *


「……くしゅん!」


 突然のくしゃみに、チーフはハンバーガーショップの厨房で顔をしかめた。


「……なんだ、今日は。風邪でもひいたか?」


 けれど、その声はどこか呆れたようで、

 ほんのわずかに、楽しげでもあった。

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