帰宅。俺の胃痛と、抑えきれないざわめき
リムジンのドアが静かに閉まり、車影がゆるやかに遠ざかっていく。
その姿が角を曲がって見えなくなるまで、チーフは無意識のうちに立ち尽くしていた。
……今日は、いろいろありすぎた。
深く息を吐いて気持ちを整え、ようやく自分のマンションへ向き直る。
オートロックのドアが開き、静かな廊下を抜け、自室の扉を押し開けた。
しんとした空気が迎えてくる。
鍵を置き、ネクタイを緩めた瞬間──
胸の奥が、不意にざわりと熱を帯びた。
あの光景が、ひどく鮮明に甦る。
ショルダーバッグを振りかざし、
『ご無体な! 何をなさいますの!』
と一喝し──
さらにヒールまで構えて、
『引きませんことよ! わたくしの大切な方に指一本触れさせませんわ!』
そう言って、自分の前に立った姿。
思い返すたび、胸が一瞬だけ息を止める。
「……大切な、方……?」
口にした瞬間、心臓が跳ねた。
意味を深読みするな、とすぐ己を戒める。
衝動的に出ただけだ。
護衛対象に対する責任感かもしれない。
ああいうタイプの令嬢だからこそ、臆さず言葉にしただけだ。
……なのに。
耳の奥に残る声が、どうにも消えない。
「……落ち着け。護衛の仕事の切り替えだ」
ぽつりと呟き、自分を戒める。
そのときだった。
「……っくしゅ……!」
抑えたつもりのくしゃみが部屋にやけに響く。
「……なんだ、今日は。風邪でもひいたか?」
額に手を当てながら、思わず苦笑がこぼれた。
ならず者のせいで散々走り回ったせいか。
それとも──誰かが噂でもしているのか。
馬鹿な、と頭を振る。
だが胸の奥では、
あの令嬢の震える指先も、
自分の袖をつまんだ一瞬の感触も、
…そして、あの言葉も、まだ熱を帯びたまま消えていなかった。




