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西園寺須磨子は未だ恋を知らない  作者: 天音紫子(著)×霧原影哉(構成・監修)
第5章 恋は試される──午後の小さな嵐のなかで
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帰宅。俺の胃痛と、抑えきれないざわめき

 リムジンのドアが静かに閉まり、車影がゆるやかに遠ざかっていく。


 その姿が角を曲がって見えなくなるまで、チーフは無意識のうちに立ち尽くしていた。


 ……今日は、いろいろありすぎた。


 深く息を吐いて気持ちを整え、ようやく自分のマンションへ向き直る。

 オートロックのドアが開き、静かな廊下を抜け、自室の扉を押し開けた。


 しんとした空気が迎えてくる。


 鍵を置き、ネクタイを緩めた瞬間──

 胸の奥が、不意にざわりと熱を帯びた。


 あの光景が、ひどく鮮明に甦る。


 ショルダーバッグを振りかざし、

『ご無体な! 何をなさいますの!』

 と一喝し──


 さらにヒールまで構えて、

『引きませんことよ! わたくしの大切な方に指一本触れさせませんわ!』


 そう言って、自分の前に立った姿。


 思い返すたび、胸が一瞬だけ息を止める。


「……大切な、方……?」


 口にした瞬間、心臓が跳ねた。

 意味を深読みするな、とすぐ己を戒める。


 衝動的に出ただけだ。

 護衛対象に対する責任感かもしれない。

 ああいうタイプの令嬢だからこそ、臆さず言葉にしただけだ。


 ……なのに。


 耳の奥に残る声が、どうにも消えない。


「……落ち着け。護衛の仕事の切り替えだ」


 ぽつりと呟き、自分を戒める。


 そのときだった。


「……っくしゅ……!」


 抑えたつもりのくしゃみが部屋にやけに響く。


「……なんだ、今日は。風邪でもひいたか?」


 額に手を当てながら、思わず苦笑がこぼれた。


 ならず者のせいで散々走り回ったせいか。

 それとも──誰かが噂でもしているのか。


 馬鹿な、と頭を振る。


 だが胸の奥では、

 あの令嬢の震える指先も、

 自分の袖をつまんだ一瞬の感触も、

 …そして、あの言葉も、まだ熱を帯びたまま消えていなかった。

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