ご無体な!わたくし、退きませんことよ!
お店をあとにして、須磨子とチーフは、ゆるやかな並木道を並んで歩いていた。
さきほどまでの、あの甘い時間の余韻がまだ胸に残っていて──
紅茶とコーヒーの香り、カップの音、チーフの横顔。
それらをひとつひとつ思い返すたび、胸の奥がそっと熱を帯びていく。
(……もっと、この時間が続けばよろしいのに……)
そんなことを思いながら歩いていた、そのときだった。
前方から、三人ほどの男たちが、ふらりふらりとこちらへ近づいてくるのが見えた。
着ているものはくたびれていて、歩き方もどこかふらついている。
けれど、その目だけは妙にぎらぎらとしていて──須磨子は思わず足を止めてしまった。
「……おい、見ろよ。あのお嬢」
「きれいな服着てるじゃねぇか。アクセも本物だろ、あれ」
「さっきの喫茶でのしゃべり方、聞こえたぞ。育ちのいいお嬢さんってやつだな」
ひそひそとした声が、並木道の静けさの中でいやに耳に残る。
どうやら彼らは、須磨子の服や、袖口にあしらわれた控えめな真珠の飾り、
それから喫茶店での言葉遣いなどから──
勝手に「お金持ちのお嬢様」と判断したようだった。
(……そんな理由で、ですの?)
あきれるよりも先に、胸の奥に冷たい感覚が広がる。
一人が須磨子の前に回り込み、道をふさぐように立った。
「なぁお嬢さん、ちょっとだけでいいからさ──」
その手が、須磨子の腕へと伸びかけた瞬間だった。
「ご無体な! 何をなさいますの!」
自分でも驚くほどはっきりとした声が、口をついて出た。
咄嗟に、肩から提げていたショルダーバッグをぎゅっと握りしめ──
伸びてきた男の手めがけて、思いきり振り下ろした。
ぱしんっ──!
乾いた音が、並木道に響く。
「いってっ……!」
男が手を払って後ずさり、顔を歪めた。
「てめぇ、いきなり何する──」
怒鳴りかけたそのとき。
「……危険ですから、お下がりください、須磨子様」
須磨子のすぐ横から、落ち着いた低い声がした。
チーフだ。
須磨子の前に一歩進み出て、
すっと片腕を横に伸ばし、さえぎるようにして立ちはだかる。
その横顔は、さきほど喫茶店で見た穏やかなものとは違い、
静かな怒りを湛えた、鋭い表情をしていた。
「なんだよ兄ちゃん、関係ねぇだろ。ちょっと話すだけだって言ってんだよ」
「……その“ちょっと”が、もう危険なんですよ」
淡々とした声。けれど、その奥にある温度は冷えきっている。
須磨子は、その背中を見上げながら──
胸の奥がぎゅっと縮むような感覚と、
それでも不思議と温かくなるような感覚を同時に覚えていた。
──けれど。
「いいえ、退きませんことよ!」
気付けば、須磨子はそう口にしていた。
チーフの背中にそっと触れ、それから一歩、彼の横に並び出る。
「須磨子様……?」
須磨子は足もとに視線を落とし、
慣れ親しんだハイヒールを、するりと脱いだ。
片手にバッグ、もう片方の手にはヒール。
それをしっかり握って、男たちへ向き直る。
「わたくしの大切な方に、指一本触れさせませんわ!」
口にしてから、自分で驚いた。
“わたくしの大切な方”。
けれど、その言葉はもう、空気の中へはっきりと放たれてしまっていて──
取り消すことはできなかった。
男たちは、一瞬ぽかんとわたくしを見つめ、
そのあと、顔を引きつらせた。
「な、なんだよこのお嬢……」
「ヒール持って構えてるぞ……マジでやる気じゃねぇか……」
「やめとけって。変なのに関わるとロクなことねぇ」
ひそひそと囁き合い、互いに顔を見合わせている。
チーフもまた、須磨子の行動に驚いたのか、
ほんの一瞬だけ目を見開いていたが──
すぐに、その表情はどこか誇らしげなものへと変わっていった。
須磨子は、胸の高鳴りを押さえながら、
男たちをまっすぐに見据える。
「──お下がりなさいませ」
できるかぎり静かに、けれど強く。
そう告げると、男たちは露骨に舌打ちをして、肩をすくめた。
「ちっ……ついてねぇな。行くぞ」
「やっぱ関わるんじゃなかったな、ああいうのお嬢ってより戦闘民族だろ……」
「くそ、今日はほんと運がねぇ」
ぶつぶつと言いながら、三人はそのまま背を向け、足早に去っていった。
並木道に、再び静けさが戻ってくる。
男たちの背中が完全に見えなくなったところで──
ふっと、身体から力が抜けた。
「……っ、はぁ……」
緊張が解けた拍子に、須磨子はようやく自分の格好に気付いてしまった。
片手にはヒール、もう片手にはバッグ。
そして足もとは──
「きゃああああっ……!」
ストッキングに、くっきりと伝線が走っていた。
先ほどバッグを振り下ろしたときか、
あるいは足を踏みしめたときにひっかけてしまったのだろう。
「ど、どうしましょう……っ……!」
顔から火が出そうになり、
慌てて片脚を引きかけた、その瞬間──
「須磨子様」
チーフが、すっと須磨子の前に回り込んだ。
そして、何も言わず、自分の上着を脱ぎ。
しゃがみ込むようにして、そっと須磨子の足もとへ掛けてくれた。
「っ……チーフ様……」
「……お足元が、人目に触れるのは好ましくありませんから」
視線を合わせないように、
それでいて、とても丁寧な手つきで。
上着の重みと温かさが、伝線を隠すようにふわりとのしかかる。
胸が、またどくんと鳴った。
「失礼します」
そう告げられたと思った次の瞬間。
身体がふわりと持ち上がった。
「きゃっ……!? チ、チーフ様っ……!」
須磨子は、チーフの腕の中にいた。
片腕で背を、もう片方の腕で膝のあたりをしっかりと支えられた──
まさしく、お姫様抱っこという姿勢で。
「こんな状態で歩かせるわけにはいきません。
……どうか、このまま、お許しください」
低く、抑えた声が耳もとで響く。
心臓の音が、すぐそばで聞こえた。
それがどちらのものなのか、もはや判別がつかない。
そのとき、少し離れたところからあわただしい足音が聞こえてきた。
「須磨子様!」
西園寺家付きのSPたちが駆け寄り、
チーフは須磨子を抱いたまま、落ち着いた声で告げる。
「ご安心ください。須磨子様はご無事です。
お車までの道を、お願いできますか」
「はっ。ただちにリムジンをこちらへ」
SPたちが先導し、チーフは須磨子を抱きかかえたまま歩き出す。
並木道を揺れながら進むその感覚は、
先ほどまでの散策とはまったく違うもので──
けれど、どこか名残惜しさを伴った温かさに満ちていた。
(……あのならず者たちさえ現れなければ……
もう少し、チーフ様とご一緒に、歩いていられましたのに……)
そんな、いささか不謹慎な思いが胸の中に浮かぶ。
けれどきっと、チーフ様もどこかで──
少しくらいは、同じことを考えてくださっていたのではないかと。
須磨子は、勝手にそう思ってしまうのだった。




