表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
西園寺須磨子は未だ恋を知らない  作者: 天音紫子(著)×霧原影哉(構成・監修)
第5章 恋は試される──午後の小さな嵐のなかで
15/80

ご無体な!わたくし、退きませんことよ!

 お店をあとにして、須磨子とチーフは、ゆるやかな並木道を並んで歩いていた。


 さきほどまでの、あの甘い時間の余韻がまだ胸に残っていて──

 紅茶とコーヒーの香り、カップの音、チーフの横顔。

 それらをひとつひとつ思い返すたび、胸の奥がそっと熱を帯びていく。


(……もっと、この時間が続けばよろしいのに……)


 そんなことを思いながら歩いていた、そのときだった。


 前方から、三人ほどの男たちが、ふらりふらりとこちらへ近づいてくるのが見えた。

 着ているものはくたびれていて、歩き方もどこかふらついている。

 けれど、その目だけは妙にぎらぎらとしていて──須磨子は思わず足を止めてしまった。


「……おい、見ろよ。あのお嬢」


「きれいな服着てるじゃねぇか。アクセも本物だろ、あれ」


「さっきの喫茶でのしゃべり方、聞こえたぞ。育ちのいいお嬢さんってやつだな」


 ひそひそとした声が、並木道の静けさの中でいやに耳に残る。


 どうやら彼らは、須磨子の服や、袖口にあしらわれた控えめな真珠の飾り、

 それから喫茶店での言葉遣いなどから──

 勝手に「お金持ちのお嬢様」と判断したようだった。


(……そんな理由で、ですの?)


 あきれるよりも先に、胸の奥に冷たい感覚が広がる。


 一人が須磨子の前に回り込み、道をふさぐように立った。


「なぁお嬢さん、ちょっとだけでいいからさ──」


 その手が、須磨子の腕へと伸びかけた瞬間だった。


「ご無体な! 何をなさいますの!」


 自分でも驚くほどはっきりとした声が、口をついて出た。


 咄嗟に、肩から提げていたショルダーバッグをぎゅっと握りしめ──

 伸びてきた男の手めがけて、思いきり振り下ろした。


 ぱしんっ──!


 乾いた音が、並木道に響く。


「いってっ……!」


 男が手を払って後ずさり、顔を歪めた。


「てめぇ、いきなり何する──」


 怒鳴りかけたそのとき。


「……危険ですから、お下がりください、須磨子様」


 須磨子のすぐ横から、落ち着いた低い声がした。


 チーフだ。


 須磨子の前に一歩進み出て、

 すっと片腕を横に伸ばし、さえぎるようにして立ちはだかる。


 その横顔は、さきほど喫茶店で見た穏やかなものとは違い、

 静かな怒りを湛えた、鋭い表情をしていた。


「なんだよ兄ちゃん、関係ねぇだろ。ちょっと話すだけだって言ってんだよ」


「……その“ちょっと”が、もう危険なんですよ」


 淡々とした声。けれど、その奥にある温度は冷えきっている。


 須磨子は、その背中を見上げながら──

 胸の奥がぎゅっと縮むような感覚と、

 それでも不思議と温かくなるような感覚を同時に覚えていた。


 ──けれど。


「いいえ、退きませんことよ!」


 気付けば、須磨子はそう口にしていた。


 チーフの背中にそっと触れ、それから一歩、彼の横に並び出る。


「須磨子様……?」


 須磨子は足もとに視線を落とし、

 慣れ親しんだハイヒールを、するりと脱いだ。


 片手にバッグ、もう片方の手にはヒール。

 それをしっかり握って、男たちへ向き直る。


「わたくしの大切な方に、指一本触れさせませんわ!」


 口にしてから、自分で驚いた。


 “わたくしの大切な方”。


 けれど、その言葉はもう、空気の中へはっきりと放たれてしまっていて──

 取り消すことはできなかった。


 男たちは、一瞬ぽかんとわたくしを見つめ、

 そのあと、顔を引きつらせた。


「な、なんだよこのお嬢……」


「ヒール持って構えてるぞ……マジでやる気じゃねぇか……」


「やめとけって。変なのに関わるとロクなことねぇ」


 ひそひそと囁き合い、互いに顔を見合わせている。


 チーフもまた、須磨子の行動に驚いたのか、

 ほんの一瞬だけ目を見開いていたが──

 すぐに、その表情はどこか誇らしげなものへと変わっていった。


 須磨子は、胸の高鳴りを押さえながら、

 男たちをまっすぐに見据える。


「──お下がりなさいませ」


 できるかぎり静かに、けれど強く。


 そう告げると、男たちは露骨に舌打ちをして、肩をすくめた。


「ちっ……ついてねぇな。行くぞ」


「やっぱ関わるんじゃなかったな、ああいうのお嬢ってより戦闘民族だろ……」


「くそ、今日はほんと運がねぇ」


 ぶつぶつと言いながら、三人はそのまま背を向け、足早に去っていった。


 並木道に、再び静けさが戻ってくる。


 男たちの背中が完全に見えなくなったところで──

 ふっと、身体から力が抜けた。


「……っ、はぁ……」


 緊張が解けた拍子に、須磨子はようやく自分の格好に気付いてしまった。


 片手にはヒール、もう片手にはバッグ。

 そして足もとは──


「きゃああああっ……!」


 ストッキングに、くっきりと伝線が走っていた。


 先ほどバッグを振り下ろしたときか、

 あるいは足を踏みしめたときにひっかけてしまったのだろう。


「ど、どうしましょう……っ……!」


 顔から火が出そうになり、

 慌てて片脚を引きかけた、その瞬間──


「須磨子様」


 チーフが、すっと須磨子の前に回り込んだ。


 そして、何も言わず、自分の上着を脱ぎ。


 しゃがみ込むようにして、そっと須磨子の足もとへ掛けてくれた。


「っ……チーフ様……」


「……お足元が、人目に触れるのは好ましくありませんから」


 視線を合わせないように、

 それでいて、とても丁寧な手つきで。


 上着の重みと温かさが、伝線を隠すようにふわりとのしかかる。


 胸が、またどくんと鳴った。


「失礼します」


 そう告げられたと思った次の瞬間。


 身体がふわりと持ち上がった。


「きゃっ……!? チ、チーフ様っ……!」


 須磨子は、チーフの腕の中にいた。


 片腕で背を、もう片方の腕で膝のあたりをしっかりと支えられた──

 まさしく、お姫様抱っこという姿勢で。


「こんな状態で歩かせるわけにはいきません。

 ……どうか、このまま、お許しください」


 低く、抑えた声が耳もとで響く。


 心臓の音が、すぐそばで聞こえた。

 それがどちらのものなのか、もはや判別がつかない。


 そのとき、少し離れたところからあわただしい足音が聞こえてきた。


「須磨子様!」


 西園寺家付きのSPたちが駆け寄り、

 チーフは須磨子を抱いたまま、落ち着いた声で告げる。


「ご安心ください。須磨子様はご無事です。

 お車までの道を、お願いできますか」


「はっ。ただちにリムジンをこちらへ」


 SPたちが先導し、チーフは須磨子を抱きかかえたまま歩き出す。


 並木道を揺れながら進むその感覚は、

 先ほどまでの散策とはまったく違うもので──

 けれど、どこか名残惜しさを伴った温かさに満ちていた。


(……あのならず者たちさえ現れなければ……

 もう少し、チーフ様とご一緒に、歩いていられましたのに……)


 そんな、いささか不謹慎な思いが胸の中に浮かぶ。


 けれどきっと、チーフ様もどこかで──

 少しくらいは、同じことを考えてくださっていたのではないかと。


 須磨子は、勝手にそう思ってしまうのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ