喫茶店いちゃいちゃ編〈続き:紅茶からコーヒーへ〉
胸のどきどきがまだ収まらぬまま、須磨子は、カップの残り少なくなった紅茶をそっと見つめた。
「……須磨子様。もし、よろしければ──」
チーフが、ふいに店員を呼ぼうと手を上げかけた。
「このあと……コーヒーなども、お試しになりますか?」
「えっ……コーヒー……?」
思わず聞き返してしまった。
チーフはまるで “もっと一緒にいたい” と、そう言っているに感じてしまったからだ。
「はい。こちらの店は、ブレンドも深煎りも評判でして……もしお嫌いでなければ、ぜひ……と」
「……あの……」
須磨子の声が、自然と小さくなっ!た。
「チーフ様と、もう少しだけ……ご一緒できるのなら……わたくし、コーヒーも……いただいてみたいですわ」
言った瞬間、自分で胸が熱くなるのが分かった。
しかし──もっと熱くなっていたのは、チーフのほうだった。
「……そうでございますか。では──」
ほんのわずか、指先が震えている。
紅茶のときと同じように、自分のために何かしてくれるのが嬉しい……そんな想いが伝わってくるようで、胸の波紋はさらに広がっていった。
注文を終えると、しばし、ふたりの間に落ち着いた沈黙が訪れる。
けれど、その沈黙が甘いのだ。
風が窓を揺らし、影が動くたび、なぜか胸がまたざわめいてしまうのだ。
「……須磨子様」
「はい?」
「コーヒーには、お砂糖は……?」
「ええっと……紅茶ではひとつだけでしたけれど……コーヒーでは……どうしたらよいのでしょう」
「では。もしよろしければ……わたしが、お好みに合わせて調えてみます」
「……また、ですの?」
「はい。須磨子様のお顔を見れば……きっと、おいしいと思っていただける程度は分かりますので」
「……!」
胸が跳ねた。
(どうして……この方はいつも……わたくしの心を先に言ってしまうのでしょう……)
持ってきてもらったコーヒーに、チーフは砂糖をひとさじ、ミルクを少しだけ落とし、慎重に、丁寧に、かき混ぜる。
その様子が、まるで儀式のように美しくて。
「どうぞ。お気に召すと……嬉しいのですが」
須磨子はそっと口にふくんだ。
「……あ……」
「お口に……合いませんでしたか?」
「ち、ちがいますの……あの……
さっきの紅茶よりも……もっと……胸の奥が……」
言葉に詰まった須磨子を見て、チーフはわずかに息をのんだ。
そして、紅茶のときよりさらにゆっくりと視線をそらす。耳まで赤くなっている。
「……そう言っていただけると、光栄です」
低い声が胸の奥に落ちていき、須磨子の心は、また甘く揺れた。
カップを置いたとき、店内の時計が静かに時を告げた。
「そろそろ……参りましょうか」
そう言ったのはチーフだった。
「あ……はい……。あの、お会計は──」
須磨子がそう言いかけた瞬間。
「もう済ませてあります。どうぞ、ご心配なく」
チーフはさりげなく立ち上がり、
まるで呼吸するような自然さで、会計票を店員へ渡していた。
「そ、そんな……。わたくし、自分の分は……!」
「お気になさらず。お誘いしたのはわたしの方ですから」
須磨子の胸の奥に、また違う種類の熱がひろがっていく。
“当たり前のように守ってくださる”
けれど“当たり前と思わせない気遣い”。
そのどちらも、須磨子には慣れないもので──
足元がふわりと浮き立つような、不思議な感覚だった。
「……ありがとうございました。大変恐縮ですわ」
「須磨子様が楽しそうで……わたしも救われましたので」
救われた──
その言葉が、紅茶よりも甘く胸に沈んだ。




