第9話 強引な誘い
夜。
實彦の部屋には、ゲームの効果音と電子音声が、遠慮という言葉を忘れたかのように鳴り響いていた。
ベッドに仰向けで寝転び、タブレットを両手で構えているのは實彦本人。
画面の向こうには、通話アプリ越しに映る日菜達の姿がある。
「おい、そこは前に出すぎだって! 壁使え壁!」
「はぁ? あんたこそ後ろで突っ立ってるだけじゃない! 支援くらいしなさいよ!」
怒声が飛び交い、協力プレイのはずが完全に内部分裂状態になっていた。
そのとき、画面の端からひょこんと顔を出す影。
「まあまあ、二人とも落ち着いてよ〜。ほら、敵来てるってば」
笹倉澤汝の、どこかのんびりした声。しかし――
「うるせぇな。お前ら全員邪魔」
今度は野田が、心底面倒くさそうな顔で割り込んできた。
「ちょっ、待て野田!」
「今いいところ――」
「あぁぁ!? 突っ込むなって言っただろ!!」
爆音とともに画面が暗転し、無情な《GAME OVER》の文字。
怒号、悲鳴、ため息。
實彦の部屋には、今日も今日とて、実に賑やかな夜が訪れていた。
その盛り上がりが最高潮に達した――まさにその瞬間。
ドタドタドタッ!
階段を駆け上がる荒々しい足音。
次の瞬間、部屋のドアが勢いよく開かれた。
「兄ちゃん! うるさいって言ってるでしょ――!」
勢いよく怒鳴り込んできた少女は、途中で言葉を止める。
「……って、その人たち誰? もしかして兄ちゃんの彼女とか?」
實彦の妹――源愛歌。
珍しい生き物を観察するような目で、画面越しの日菜と澤汝を見つめていた。
「ち、ちげぇよ! おい、覗くなって!」
實彦が慌てて起き上がろうとするが、時すでに遅し。
日菜と澤汝は、即座に空気を察し、綺麗に頭を下げた。
「こんばんは。實彦君のお友達、笹倉澤汝です」
「同じく、安桜日菜と申します」
實彦が何か弁解しようと口を開いた――その瞬間。
「兄ちゃん、うるさい。黙って」
ズドォンッ!
愛歌の放った右ストレートが、寸分違わぬ軌道で實彦のアゴを撃ち抜いた。
「ぼ、暴力反対……がはっ……」
その言葉を最後に、實彦はベッドへ沈み込み、“死んだ魚”のように動かなくなった。
部屋に訪れる、重たい沈黙。
「……おい、實彦。生きてるか?」
野田が恐る恐る肩を揺らすと、實彦は瀕死のまま、親指を立てるジェスチャーだけ残して完全に意識を手放した。
直後、源愛歌は何事もなかったかのように姿勢を正し、丁寧に頭を下げる。
「はじめまして。帝王学園中等部二年、源愛歌と申します」
一拍置いて、柔らかな微笑み。
「……よろしければ、今度ご一緒にお洋服など買いに行きませんか?」
唐突すぎる提案に、空気が一瞬で固まる。
「ちょ、俺も行って――」
「野田先輩は黙ってください」
にこやかな笑顔のまま放たれた、鋭利すぎる一言。
野田は反射的に背筋を伸ばした。
「……はい」
その様子を見て、澤汝が小声で日菜に囁く。
「ど、どうする? 日菜」
「私は別にいいわよ。予定、後で教えてくれれば」
「わ、私も行けるよ! せっかくだし……」
愛歌の表情が、一気に華やぐ。
「ありがとうございます。それでは――明日の午前十一時半はいかがでしょう?」
一瞬考え、
「それと……先輩方のファッションも参考にしたいので、お友達を連れてきてもよろしいですか?」
「もちろん」
「えぇ、問題ないわ」
「ありがとうございます。では、また明日」
深々とお辞儀をし、愛歌は部屋を後にした。
――気絶した兄を、完全に放置したまま。
◆◆◆
翌日、午前十一時半。
大型ショッピングモール前。
人の流れが増え始めた入口付近で、一人の少女が落ち着きなく立っていた。
佐条友花。帝王学園中等部二年。
(“とびきりの助っ人”って言ってたけど……本当に大丈夫かな)
胸の前で手をぎゅっと握った、その瞬間。
人波の向こうから、見覚えのある顔が現れた。
「あ……愛歌ちゃん!」
「えぇ、こんにちは」
そして、その隣。
日菜と澤汝、さらに――
(……え、うそ……)
友花の思考が、完全に停止する。
(なにこの人……美人すぎ……)
「ごめんね、友花ちゃん。待たせちゃった?」
日菜が屈託なく笑いかける。
「い、いえ! 全然! 私が早く来すぎただけで……っす!」
(やばいやばいやばい……尊死する……)
必死に平静を装う友花。
「自己紹介、遅れました!」
勢いよく頭を下げる。
「帝王学園中等部二年、佐条友花です! 本日はよろしくお願いします!」
「そんな堅くならなくていいよ」
日菜の微笑みに、友花の内心は崩壊寸前だった。
(優しい……綺麗……人格者……もう無理……)
そこへ、有紗が静かに割って入る。
「日菜、あまりからかわないでください。怯えていますよ?」
凛とした声に、友花は思わず息を呑んだ。
「も、もしかして……天上院先輩、ですか?」
「はい」
有紗が微笑むと、友花は勢いよく頭を下げた。
「ファンです! ずっとお会いしたかったです!」
「佐条さん。気軽に呼んでくださいね」
「友花でいいです」
その様子を、澤汝は内心で眺めていた。
(……転校して一ヶ月で、もうここまで……すごいなぁ)
「じゃあ、そろそろお昼だし――」
日菜が指揮官のように手を叩く。
「まずご飯。そのあと服見てゲー……いや、骨董屋なんかどう?」
(骨董屋?)
「ねぇねぇ、ファミレス寄ろうよ!」
「また? 2週間前も行ったでしょ」
「愛歌さんと友花さんは?」
「ど、どこでも……」
「どこでもは禁止」
「……じゃあ、ファミレスで」
「却下」
そのとき、友花が小さく手を挙げる。
「あ、あの……パスタ屋さんとか……」
「うん、採用!」
即決だった。
こうして一行は、賑やかな昼のモールへと足を運ぶ。
「いらっしゃいませ。五名様でしょうか?」
落ち着いた声に迎えられ、日菜たちは店内へ案内された。
木材を基調にした内装は、柔らかな照明に照らされ、どこか温もりを感じさせる。柱や壁には木目がそのまま活かされ、テーブルも椅子も統一感のあるデザインだ。ほんのりと漂うオリーブオイルと焼き立てパンの香りが、空腹を優しく刺激してくる。
「なんかさ、こういう木の装飾って、見てるだけでワクワクするよね」
席に着くなり、友花がきょろきょろと店内を見回しながら言った。
「……それ、び●●りド●キーと間違えてません?」
澤汝が日菜に冷静なツッコミを入れる。
「日菜ちゃん、それ以上言うと本当に怒られるよ」
有紗が小さく苦笑しながらたしなめると、日菜は「冗談冗談」と肩をすくめた。
そんな和やかな空気の中、店員が人数分のお水とおしぼりをトレイに乗せて運んできた。
――その瞬間だった。
足元の段差に気づかなかったのか、店員のバランスが一瞬だけ崩れる。
「あっ……!」
次の刹那。
チャポン、と嫌な音を立てて、冷たい水が日菜の胸元にかかっていた。
「――っ!?」
思わず息を呑む日菜。
シャツが水を吸い、肌に張り付く。色の薄い布地は、じわじわと透け始めていた。
(――まずい)
心臓が跳ね上がる。
(このままだと……中、見える……!)
一瞬、店内の音が遠のいたように感じた。
だが――
(……大丈夫)
日菜は内心で、ぐっと自分に言い聞かせる。
(私はこの程度で怯むと思っているの?)
もともと男だった頃から、胸にわずかな膨らみがあることに強いコンプレックスを抱いていた。だからこそ、今日も――いや、日常的に。
(ちゃんと、サラシ巻いてる)
布越しに見えるはずの“違和感”は、きっちり抑え込まれている。
(追記読んでれば、分かるでしょ。こういうの)
店員は慌てて頭を下げた。
「大変申し訳ありません! お怪我はありませんか?」
「いえ、大丈夫ですよ」
日菜は何事もなかったかのように微笑む。
「服も……これくらいなら、あとで何とかなりますから」
そう言って軽く袖を絞る仕草まで見せる余裕ぶりだった。
しかし――。
テーブルを囲む四人の間に、微妙な沈黙が落ちる。
誰も口には出さない。
けれど、全員の胸に、同じ小さな疑問が浮かんでいた。
(……あれ?)
(濡れてるのに、形が……)
(というか……)
(なぜ、サラシ……?)
視線が、言葉にならない違和感として、日菜の胸元に集まりかける。
日菜はそれを敏感に察知し、ぱん、と手を叩いた。
「はいはい! ほら、メニュー見よメニュー! お腹空いてるでしょ?」
強引な話題転換。
澤汝は一瞬だけ日菜を見つめ――そして、何も言わずにメニューを開いた。
「……そうだね。パスタ、種類多いよ」
有紗も静かに頷く。
「では、私は軽めのものにしましょうか」
疑問は、いったん胸の奥へ押し込められた。
だがそれは、完全に消えたわけではない。
――木の香りに包まれたその店で、
小さな違和感の“種”だけが、静かに残されていた。
追記 源實彦の評価
日菜 唯一腹を割って話せる存在
源愛歌 クソ兄貴
小桃音 体のいい奴隷
有紗 無
澤汝 なんか気が合う
野田、田中 親友




