第8話 映画行こう!
天上院有紗――天上院家の長女。
その立ち居振る舞いは常に凛として優雅、成績は一位の常連。
誰もが認める完璧主義の彼女には、誰にも言えない“日課”があった。
――それは、その日の出来事をこっそり日記にまとめること。
勉学や鍛錬を終え、静寂に包まれた自室でペンを取り、今日の振り返りを書く。
その顔は、家中の誰も見たことがないほど柔らかかった。
パタン、と日記帳を開き、有紗は今日のページに書き始める。
◆7月12日の日記
今日は安桜さんたちと服を買いに行きました。
皆の好みが個性的すぎて、選ぶだけで予想外の体力を消耗。しかし安桜さんが選んだ服を着せられた瞬間、なぜか全員が拍手。……あれは恥ずかしかったです。絶対に家族には秘密。
その日の夕方、有紗のもとに日菜から一通のメールが届いた。
『明日、この映画一緒に見に行きませんか?』
「いいけど……二人で?」
『いいえ、皆と一緒にです』
そんなやり取りを経て――翌日。
實彦は駅のホームに立っていた。そこに、ひょいと手を挙げて野田が現れる。
「よぉ、實彦」
「あれ、田中は?」
「逝った。……テスト駄目だったらしくて、しばらく帰ってこないだろうな」
「そうか……」
会話をしていると、どこか晴れやかな顔で小桃音が近づいてきた。
「誰かと思えば、安桜さんの取り巻きじゃありませんか。ええと……ミ●キーさんだったかしら?」
「一文字しか合ってねぇよ! あとそれ以上言うな、この作品がなくなる!」
「あら失礼。挨拶が遅れました。二年A組・上野小桃音と申します。小桃音でいいですよ」
「同じく二年C組の實彦だ。よろしく」
「野田です」
「えぇ、こちらこそ。それで、安桜さんはどこに?」
「先に待ってるってさ」
そう聞くなり、小桃音は当然のように前へ歩き出した。
「小桃音さん、そっち逆だよ」
指摘された瞬間、小桃音の顔が真っ赤になる。
「もっと早く言いなさい!」
「うわ、逆ギレ……」
そんな小さなドタバタを挟みつつ、一行は大型ショッピングモールへと辿り着いた。
「ようやくですわね」
「小桃音さん、もしかして焦ってる?」
「焦ってません!」
そう言い切った直後、小桃音は引き戸を自動ドアだと勘違いし、そのまま額から激突した。
「イッ……! こういうショッピングモールの扉は普通、自動ドアじゃなくて!?」
その光景に、實彦たちは笑いを堪えきれず、口を大きく膨らませてクスクスと震えていた。
しかし――それが小桃音の逆鱗に触れる。
「……笑いましたね?」
次の瞬間、彼らの鳩尾に小桃音の強烈な拳が吸い込まれた。
「ひ、非暴力……」
「ガ、ガンディー……!」
◆◆◆
「おまたせー!」
日菜の明るい声が響いた瞬間、彼女の視線が實彦たちの悲惨な有様に釘づけになった。服は乱れ、髪は跳ね、生命力がどこか削られたような顔つきで立ち尽くす三人。
「ど、どうしたの? みんな……そんなボロボロになって」
問いかけられた三人は、なぜか息を揃えて真顔になる。
「「「何でもないです」」」
その完璧なハモりに、日菜は余計に首をかしげるのだった。
「で、どんな映画を観るんだ?」
實彦が首を傾げて尋ねると、有紗が驚いたように目を瞬かせた。
「聞いていないのですか? ……まさか、日菜さんがわざと?」
意味深な視線が日菜へ向く。
日菜は口元を不敵に歪めた。
「ふふふ……今から君たちに観てもらう映画は――ホラー映画よ」
「すいません急用できましたので帰ります!」
その瞬間、小桃音が青ざめた顔で踵を返す。まるで何か恐ろしいものを見た猫のように逃げようとしたが、日菜に首根っこを掴まれてしまった。
「急用なんてないでしょ。大丈夫よ、そんな怖い映画じゃないから」
「ひっ……!」
「はいはい、観念しなさい。大丈夫だって皆で見れば怖くないて言うでしょ。さ、行くわよ皆!」
日菜の明るい声に押し切られ、5人は映画館の暗闇へと連行されていくのだった。了解しました!テンポと掛け合いを綺麗に調整し、ライトノベル風に整えます。
實彦たちは、ただ嵐が過ぎるのを待つように座席で身を縮めていた。
小桃音は開始前からすでに青ざめ、震える声で「いや……無理……」と繰り返している。
そんな彼女に、日菜は無慈悲な微笑みを向けた。
「大丈夫大丈夫。みんなで見れば怖くないって言うでしょ?」
――そして映画は始まり、そして終わった。
上映後、小桃音はさらに青ざめ、涙まで浮かべていた。
「もう無理……今日は散々ですわ……」
「やーい、鬼畜~」と實彦が日菜を指さして笑うと、日菜が鋭く振り返る。
「何よあんた。めちゃくちゃ楽しんでたじゃない。特に人間の顔が粉々になるシーンとか」
「そんな悦楽に満ちた顔してた?」と野田が疑わしげに覗き込む。
「ん、すごいしてた」
「マジか」
實彦は心底からの衝撃を受けたように固まった。
◆◆◆
映画館を出たあと、日菜と實彦は、どちらともなく肩を落としながら家路についた。
疲労と静けさが混じった帰り道。玄関に着くと、そこには影山峻の姉――安桜恋菜が立っていた。
「おかえり、日菜」
その声音はやわらかかった。……はずなのに、どこか背筋に冷たいものが走った。
まるで、これから何か取り返しのつかないことが起こる前触れのような。
だがそのときの僕は、その違和感を深く考えずに家へ入ってしまった。
――あの瞬間に気づけなかった自分を、後になって何度も、何度も悔やむことになるともつゆ知らずに。
追記 姉と弟で苗字が違うのは訳ありです。(これ以上はネタバレ)




