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1.




 世の中には色んな癖を持った人間が存在する。

 別に人様に迷惑をかけなければ大抵の趣味趣向は個人の勝手にすれば良い。例え理解できなくたって所詮は他人だ。

 どんなカミングアウトだろうが、僕も社会の歯車の一部であるくたびれた大人として、適当に相槌を打ってみせよう。


 ただし、"姉"だけは別だ。


 全くこれっぽっちも理解も共感もできないが、姉という存在にときめきを感じる人間が、男女問わず一定数いるらしい。弟妹を厳しくも優しくかわいがり、時には友人のように、時には親のような存在となる、そんな姉を。そんな幻想を抱いている人々へ、僕はどうしても相槌を打って流すことができない。


 姉という生き物は、僕たちとはまた違う生命体とすら思う。

 喧しくて、暴力的で、自分勝手で、数年先に産まれたというだけで僕たちを自分の手下のように扱い、しかもそれが一生続く。(勿論穏やかで優しい、弟妹を心からかわいがる姉がいることも存じ上げている。しかしそちらはある種の突然変異だと僕は思っている。)

 弟に産まれたが最後、そいつの人生は一生姉の下になるのだ。その人生のレールから外れるためには、方法は限られている。

 姉から離れる。近づかない。関わらない。距離を取る。三十六計逃げるにしかず。


『ねえ、うちの子しばらく預かってくれない?』


 だから、そんな姉の声を聞くのは、電話越しとはいえ5年振りだった。


「……なんだって?」

『何度も言わせないでくれる? うちの子預かれって言ってんのよ』


 もう疑問系でもなくなっている。

 顔を見たのは更に昔、母さんがぎっくり腰になって手伝いに行って実家で鉢合わせした依頼だから…10年は経っているかもしれない。

 それでも僕の幼い頃に刻み込まれた弟としての本能により、姉がこちらを見下ろす冷めた瞳がすぐさま浮かんだ。嫌な本能だ。


「いや、なに突然。喧嘩でもしたわけ?」

『別に、喧嘩ってわけじゃないわよ。ただ、ちょっと距離を置きたいお年頃ってやつみたい』


 姉さんの旦那さん・義兄さんは数回会ったことがあるくらいだが、気性の荒い姉さんと良く一緒に暮らせるなと感心するくらい穏やかな人だったはず。と、いうことは子供と関係悪くなってるのは姉さんか。まあ、いやだよな、姉さんが自分の親だったら僕もグレるだろうし。


『ちょっと、聞いてる?』

「あ、はい……聞いてるよ」


 むっと不機嫌そうな姉の声に思わず背筋が伸びる。

 こちとらやっと仕事が終わって遅い夕飯を食べていたところだというのに。

 電話をしながら口に運ぶレトルトカレーはいまいち味がしない。


「僕在宅多いし、男の一人暮らしで部屋もそこまで広くも綺麗でもない。普通に無理」

『大丈夫大丈夫、あの子だってもう子供じゃないから』


 いくら姉の命令とはいえ、この部屋に他の人間をあげるつもりはなかった。

 それに、姉の子供の記憶も正直薄い。

 僕は極力実家や姉の家族に近寄らないように生きてきたから、最後に会ったのは本当にあの子がまだ幼稚園生だか小学生だったかのときで。


「……姉さんの子、今いくつだっけ」

『今年21歳、大学三年生』

「うわっ……」


 月並みな表現だが、そりゃあ僕だって三十路になるわ。と時の流れの早さにぞっとしてしまった。

 そして改めて21歳男子大学生を預かる自分が全く想像がつかなかった。というか無理。


「いや、やっぱり無理だよ。あの子たぶん僕のこと覚えてないだろうし」

『生活費は振り込むから。あとで口座送っておいて』

「無理だってば! 実家で預かってもらえば良いだろ!」

『アンタのマンション、あの子の大学から近いのよ』


 知らねえよ。

 この僕の話を聞いてるようで全く聞いてない感じ。僕が三十路ということは勿論姉も同じだけ歳をとっているのだろうが、この横暴加減は大人になっても全然衰えないらしい。

 ここで食い止めないと、いつだって姉の思い通りにことが運んでしまう。僕は自分の人生で身をもって思い知っているのだ。何故なら僕はこの人の弟だから。


「大学近くで部屋でも借りてあげたら良いだろ!? 義兄さん確か良いところ勤めてーー」

『あの子、アンタにちょっと似てるのよね』


 なんで叔父に似るのかしら。

 ぽつりと呟いたそれは、昔実家でよく聞いていた母さんの独り言みたいで。どこか物悲しい響きを感じたそれに何故だか僕の方が一瞬言葉に詰まってしまった。


『気が済んだら帰ってきて良いって伝えてあるから』

「……嘘だろ、まさか本当にこっちに寄越すつもりじゃないだろうな」

『だってもうそっちに向かわせてるもん』

「は!?」


 そこで、まるで漫画か小説みたいなタイミングでインターホンが軽やかな音を奏でて、僕はもう嫌な予感しかしない。

 これが姉さんだったら僕が出るまで連打し続けるのだろうが、どうやら僕の甥っ子はある程度常識があるらしく、1度押したのみでじっとこちらを待っているようだ。


「勘弁してくれよ。本当、いつになったら姉さんの無茶振りから解放されるんだよ」

『仕方ないじゃない、アンタは私の弟なんだから』


 じゃ、あとよろしく。

 無慈悲にも切られた電話とドア前で大人しくしている来訪者と色々な感情で頭やら腹やらが痛い僕。

 放置できるならしたいものだけれど。過ごしやすいとはいえ夜中は少し冷え込むし、成人したばかりの子ーーしかも一応自分の親族ーーをこの物騒な昨今外に放り出せるほど僕は非道ではない。姉のような。


 甥っ子は一体どんな子だっただろうか。

 激しい性格の姉と違って少しぼうっとしたところがあった気がするが、数年経てば別人になっているだろう。


 とっくに電話が切れている携帯をソファに投げつけ、僕は仕方なしに玄関へ向かった。

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