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続 蟲避  作者: Rena3
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続 蟲避 聲を喰うもの

続 蟲避 聲を喰うもの


 慎吾がいなくなった。


 それは、あまりにあっけなくて、現実味のない警察からの報せだった。友人と山へ入り遭難した、と地元の新聞には書かれていた。でも俺は知っている。あいつのスマホに残っていた動画に、“あれ”が映っていたことを。


 最初にその動画を見たのは、皆と別れた後の夜だった。慎吾のお父さんやケイコさんから見ない方が良いと言われたが、好奇心が勝った。


 あの人たちからもらったSDカードに残っていたのは一本の動画ファイル。

 タイトルは――「みないで」。


 タイトルまで警告する様にしていたという事は、オレが動画を観てしまうとわかっていたのかもしれない。


 その再生ボタンを押したとき、俺は“終わり”に触れてしまったのかもな。





 実はあの動画には続きがあったんだ。それは森の中の映像から始まった。


 スマホのカメラで、暗い林の奥をフラつくように進んでいるのか手元がブレてる。慎吾が歩いているのだろうか。木の葉を踏む音が重たく響き、遠くで風が鳴っているような気がした。けれどそれは風じゃない。耳元で何かが囁いていた。


 「……カエシテ……」


 慎吾の声ではない。もっと乾いた、低く這うような声だった。なのに、なぜか聞き覚えがあった。


 動画の奥で、木々の隙間から何かが現れた。


 白く、のっぺりとした顔。

 裂けたような口が左右に広がっている。

 目があるかどうかはわからなかった。

 ただ――それは、笑っていた。


 そして、慎吾が発した最後の聲が残されていた。


 「ああ……こえが……うしろ、に……」


 そこで動画は途切れた。


 俺はしばらく、画面を見つめたまま動けなかった。



「……お前も、見たのか?」


 動画を閉じた翌日、あの映像を見てからずっと耳の奥で“あれ”の聲がこだましていた。


 そしてもう一人、あの映像を見てしまった奴がいた。真琴だった。


 中学のころからの幼なじみで、慎吾を通じて知り合った男友達。大人しくて、本を読むのが好きで、少しだけ変わった感性を持っている。でも、その日以来、彼の様子は明らかにおかしかった。


 「真琴、なんか変だよ……」


 そう言った優香もまた、俺たち三人の共通の友人だった。明るくて面倒見がよく、慎吾のことを“バカだけど良いやつ”と笑っていた。


 俺たち三人は、葬儀の後から同じ夢を見ていた。


 裂けた口が、耳元で名前を呼ぶ夢。



「ねぇ……あれって、“蟲避”のことじゃないの?」


 ある日の放課後、優香がそう切り出した。


 「え?」


優香はあのあと、自分で御嶽の文献を調べていたらしい。


 「“蟲避”。昔、この辺の御嶽にあったと言われる奇妙な儀式のこと。聲に取り憑く蟲がいて、それを祓うために“聲を封じる”って……聞いたことない?」


 もちろん蟲避は知っているが、儀式については初めて聞く話だった。でも妙に引っかかる。


 真琴が、少し震える手でスマホを操作し、検索画面を見せてきた。


 そこには古い資料のコピー画像が映っていた。


【蟲避の儀式】

1.聲を媒とするものに“名”を与えるな。

2.聲を喰らうものに、自らの聲を許すな。

3.聲の封印を解けば、影は再び這い寄る。


 慎吾の声、あの動画、“あれ”の囁き声。すべてが、少しずつ一本の線に繋がっていく気がした。



 動画を観てから、日を追うごとに状態が悪くなっていた。


 真琴の声が……徐々に出なくなっていったんだ。


 最初は咳払い程度だった。

 そのうち言葉が途切れがちになり、喉がかすれるようになった。


 「……喉が、誰かに掴まれてるみたい……なんだ……」


 真琴はそう呟いた。


 俺の背筋が凍った。


 俺にもあったんだよ、その感覚が。

 あの夜、ふと耳を澄ますと――自分の名前を“俺の声”で呼ぶ“誰か”がいた。


 「ナオキ……」


 それは、俺の声じゃなかった。

 だけど、間違いなく俺の“聲”だった。



 あの動画を見てから、あきらかに俺たちの聲は侵されている。


 “聲を喰うもの”が、滲み出してきて近づいているかの様だった。

 その核心に近づくには――やはり“蟲避”と呼ばれる場所へ向かうしかない。


 真琴や優香を助けるために。

 自分自身を守るために。


 そして、慎吾を、この手で“弔う”ため。

 オレ達は蟲避へ向かうことにした。





 あの場所に向かう前に俺たちは、古賀さんへ挨拶を済ませていた。

 古賀さんはやはりというか、帰った方がいいと止めてくれたが、俺たちの状況を伝えたら、いくつか情報を教えてくれた。俺たちは出にくい声で最後の挨拶を終えて向かうことにした。


 


そして、一年以上経つというのに、この場所の異様さは何一つ変わっていなかった。


 何も聞こえない。


 音のない林は、例えるなら“無音の悪夢”だ。虫の声も、風のさざめきも、鳥の羽ばたきすら、ここでは存在が許されていないかのようだった。


 俺たち三人――どうにかこの事態を解決する為、歩いていたが、方向感覚も時間の流れも、完全に狂っていた。


「……こっち、でいいかな?」


 真琴が、ほとんど声にならない囁きで俺の袖を引く。


 「わからない。でも……とにかく、動き続けないと」


 その時だった。肌がざわめく、見てはいけない何かを観る恐怖。森の奥、朽ちた木々の隙間から、“それ”の影が見えたんだ。


 白くのっぺりとした顔。口だけが裂け、笑っていた。

 見た瞬間、心臓が音を立てて跳ねた――が、もちろんその音すら、ここでは存在しない。


 “こえを喰う”


 古賀さんの言葉が脳裏をよぎる。


 「聲があると、気づく」

 「聲があると、それは近づく」


 俺は即座に、二人を押して、近くの倒木の裏へ身を潜めた。土は湿っていて、苔がじっとりと背中に染み込んだが、構っていられない。息も吐けないほど、全神経を集中させる。


 “それ”の足音――ではない、“這う音”が、近づいてきた。


 ギ、ギ、ギ、ギ……


 木の枝を引きずるような音。無音の世界に、かすかに響くその音だけが、俺たちの存在を脅かしていた。


 (頼む、見つかるな……)


 祈るような気持ちで、倒木の隙間からそっと覗く。


 ――“あれ”がいた。


 白くて、人のようで人でない、“顔”だけが木々の間から覗いていた。

 裂けた口が、左右に引きつるように笑みを浮かべ、耳元で誰かの聲を反芻するように動いている。


 「……ナオキ……ナオキ……」


 ……俺の名前だ。


 声にならない声で、俺は歯を食いしばる。口を開けたら、俺はきっとあいつに見つかる。捕まる。喰われる。


 俺の隣、優香が口元を押さえている。瞳は恐怖で潤み、息を止めようとしているのが分かる。

 真琴は、ただ目を閉じて、じっと動かず祈るようにしていた。


 “それ”は、倒木のそばをゆっくり通りすぎた。


 気づかれていない? いや、わからない。あいつには目があるのかも怪しい。でも――“音”がない限り、やり過ごせる……?


 息を吐いたら、それが終わりかもしれない。

 唾を飲み込む音すら恐ろしくて、喉が痛む。


 そして、“それ”がゆっくりと、林の奥へと去っていった。


 ……“ギ、ギ、ギ……”という音が遠ざかっていく。


 ――しばらくして。


「今の……見た……?」


 優香が、声にならない囁きで聞いてきた。

 俺はただ、小さく頷いた。


 「あれ……慎吾の聲、使ってた」


 真琴が震える手で、胸を押さえた。


 「オレも……聞こえた。『マコト……マコト……』って。あれ、慎吾の聲で……」


 俺も聞いた。たしかに、慎吾の聲だった。


 あいつは喰った“聲”を、使って呼ぶんだ。

 まるで餌で釣るように――それとも、誰かになりきって、“聲”を喰うために、近づいてくるのか。


「やばい……ここにいたら、また戻ってくるかもしれない。今のうちに、離れよう」


 俺たちはそっと立ち上がり、言葉を発せず、ジェスチャーで意思を確認しながら移動を始めた。


 口元に指をあて、「聲、出すな」の合図。

 優香は慌てていたのか、自分の録音アプリが起動しっぱなしになっているのに気づき、それを震える手で止めた。


 あいつが聲を聞きつけて来たのなら、スマホでさえ、命取りになりうる。


 進んだ先は、崩れかけた祠だった。

 屋根は半分崩れていたが、床下に小さな空洞があり、そこに身を滑り込ませることができた。


 匂いはカビと、土と、鉄……古い血のような匂いがした。

 それでも、背に迫るものを思えば天国にすら感じた。


 身を寄せあい、息を殺すようにして、ただ時間が過ぎるのを待った。


 森はずっと“無音”のままだった。


 そして、その沈黙の中で、俺たちは気づいた。

 ――この場所自体が、“音”を呑み込んでいる。


 もしかして、“あれ”はこの場所と一体なのではないか。

 そう考えただけで、全身の毛穴が開くような悪寒が走った。


 優香が小さく、俺の手を握る。


 (ここから出よう)


 そう言いたいのだろう。


 俺も、頷いた。

 祠の隙間から見た空は、いつの間にか、夕暮れに差しかかっていた。


 (慎吾……)


 あいつの声を、あいつの名前を、二度とあんな形で聞きたくなかった。


 でも、あの“何か”はまだ、あの森のどこかにいる。

 聲を求めて、裂けた口で、ずっと――



祠の裏に通じる隘路を抜けると、さらに鬱蒼とした林が広がっていた。


木々の間を縫うように踏みならされていない道を進む。空はもう濃い灰色に染まり、木々の影と混ざり合って、足元すら判別できなくなりそうだった。


「……あそこ、見て」


優香が指差す先には、朽ちかけた木製の倉があった。屋根は苔に覆われ、入口は半ば崩れていたが、雨風はしのげそうだった。


三人でそろそろと足音を立てずに中へ入る。

微かな木の軋みと、自分たちの呼吸音しか聞こえない。いや、それすら消されていくような沈黙がある。


「ここで少し様子を見るべきかも……」


真琴がそう呟いたとき、俺のポケットの中でスマホが震えた。


【録音:20〇〇_07_26】──再生が始まっていた。


あのとき、優香が録った“無音の林”の録音データ。

……しかし、今回は違った。


──カサ……ギ、……ギギ……


誰かが草を踏みしめる音。落ち葉を押し分けて歩く何かの音。

そして、それはやがてひとつの“聲”に変わった。


「しんご……しんご……どこ……?」


優香の目が大きく見開かれた。


「これ……私の聲……? なんで……」


とっさに音量を切るが、既に遅かった。


倉の外で、「ギ……ギ……」という湿った音がする。


「来てる……」


真琴の唇が震えていた。

いや俺も変わらない。恐怖の余り息をする喉さえ震える。


何かが、這うように。いや、足音とも言えない“擦れる音”が、近づいていた。

探しているんだ。


俺たちは息を殺した。優香の手が、俺の袖をぎゅっと掴んでいた。

倉の隅、崩れた梁の裏側に身を押し込む。


ガタ……キ、キィ……


外で木の枝が折れる音。倉の入口が、当たり前の様にゆっくりと開いていく。


暗闇の中、白い何かが、のっぺりと浮かび上がる。

思い出したくもない……“あれ”なんだと。


黒い目。ただ口だけが耳元まで裂け、ずっと笑っている白い化け物。

それは、優香の聲を反復するように、ぼそぼそと囁いた。


「……ゆか……ゆか……くる……くるな……」


「……ッ、やば……」


俺はとっさに、もう一つの録音ファイルを再生し、スマホを投げた。



──「ほんとに虫がいない。俺、これ録ってSNSに上げたらバズるかもな」


慎吾がふざけて言っていたとき、俺が応えた聲。それが、林に響く。


“あれ”が一瞬、そちらへ向き直る。


俺たちはその隙に、倉の反対側の割れ目から這い出た。


「走れ!!」


俺が叫ぶと同時に、優香と真琴が飛び出した。後ろで“あれ”の影がぶれる。


ただし、矛盾する様だが、走る音は出せない。

聲に反応するやつだ。

俺たちの足音を追ってくるかもしれない。

だから、ほとんど息を止めながら音を出さないように走った。濡れた苔で滑りそうな坂道を、黙々と、黙々と。


途中、優香の足がもつれて転びかけたが、俺が咄嗟に引っ張った。


──その瞬間、背後で何かが、地を這うような速さで動いた気配がした。


林の奥、影の奥で“それ”が一瞬、こちらを向いた。


その口が、動く。


「……ナオキ……」


慎吾の聲だった。


「……オマエモ、クレルノカ……?」


俺たちは、振り返らずに走った。


続く


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