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音を喰らう者たち:地底の共鳴  作者: 空想シリーズ
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第一章:キィと「歌」との出会い

キィは、今日もまた、他の「音食らい」たちが決して近づかない地表近くの浅い地層を彷徨っていた。彼の丸い体は、わずかな振動を拾うたびに、繊毛を波打たせた。彼が求めているのは、単なる食料としての音ではない。もっと複雑で、もっと未知なる、奇妙な響きだった。彼の耳は、一般的な「音食らい」よりもわずかに大きく、繊細で、常に新しい音の源を探し求めていた。


今日まで、キィが食らってきたのは、地表の土を這う虫の微かな擦過音、地中の根が伸びる軋み、遠くを走る列車が伝える微細な振動など、ありふれた地表の音ばかりだった。それらは彼を生き永らえさせてはくれたが、彼の内なる好奇心を満たすには足りなかった。特に、古くから伝わる「歌」の伝説が、彼の心を捉えて離さなかった。禁忌とされ、死を招くとされるその音に、彼はただならぬ美しさの予感を感じていたのだ。


その日、キィはいつもよりさらに地表に近い、ごく薄い土の層の下に潜んでいた。微かな風の音、木の葉が擦れる音、そして遠くで聞こえる人間の声の断片。それらが混じり合う混沌の中から、彼の耳が、突如としてある一点に集中した。


それは、これまでに聞いたことのない、美しくも不穏な音だった。複数の周波数が複雑に絡み合い、高低差と抑揚を伴いながら、地中深くまで響き渡る。まるで、無数の小さな音の粒子が互いに寄り添い、離れ、再び一つになるような、有機的な響き。キィの半透明の皮膚を覆う繊毛が、その音の波動に合わせて震え、全身に鳥肌が立つような感覚が走った。彼の脳裏に、古の伝承が鮮明に蘇る。「歌」――まさにこれこそが、伝説に謳われた禁断の音だと直感した。


キィは本能的にその音に惹きつけられ、音の発生源へと、慎重に、しかし抗いがたい衝動に駆られて移動し始めた。土を掻き分け、岩盤の隙間をすり抜け、彼が辿り着いたのは、地表に開いた小さな、しかし十分な大きさの穴だった。その穴から漏れ出る光は、キィがこれまで見たこともないほど鮮やかで、彼の半透明の皮膚を温かく包み込んだ。それは、彼が地中で感じ取る微かな熱とは全く異なる、生命の躍動を思わせる光だった。


おそるおそる、キィは穴の縁に身を寄せ、その光景を目にした。そこには、一人の人間の女性がいた。彼女は地中深くに埋められた古い鉱山の坑道調査のために派遣された地質学者で、作業の合間、孤独を紛らわすように、柔らかな声で歌を口ずさんでいたのだ。彼女の姿は、キィにとって初めて見る「地上の生物」であり、同時に、「歌」の発生源そのものだった。


女性の歌声は、地中の反響を帯びて、キィの耳に直接流れ込んできた。それは、単なる音波ではなかった。音の奥には、彼女の感情が織り込まれていた。故郷への郷愁、未知の場所への探求心、そしてかすかな寂しさ。それらが複雑に絡み合い、キィの半透明の皮膚を透過し、彼の体内で響き渡った。キィは「歌」のあまりの美しさに魅了され、我を忘れてその音を吸収した。彼の体内の「音嚢おんのう」と呼ばれる器官が、歌のエネルギーを貪るように取り込んでいく。


しかし、その甘美な音は、同時に彼の体に異変をもたらし始めた。彼の体の周りの繊毛が、吸い込んだ音のエネルギーで飽和し、奇妙な、微かな虹色の光を放ち始めた。体内では、吸収された歌の複雑な周波数と、これまで彼が食らってきた単純な地表の音が激しく衝突し、彼の内臓を刺激し、激しい痛みを引き起こした。熱が急速に体を駆け巡り、皮膚の色が紫色に変色していく。これが、伝説に語られる「音酔い」の始まりだった。


意識が朦朧とする中、キィは女性の歌声の中に、これまで感じたことのない種類の「情報」が含まれていることに気づいた。それは、単なる音波や感情の揺らぎではなかった。それは、記憶の断片、思考の連なり、そして彼女自身の生きてきた物語が、音の層に溶け込むように内包されているのを感じたのだ。キィは、この「歌」が、コエビトにとって単なる獲物ではない、もっと深く、生命そのものに触れる意味を持つ音なのではないかと直感した。


「音酔い」によって命の危機に瀕したキィは、本能的に穴から離れ、必死に地下へと逃げ帰った。彼の体は紫色に変色し、高熱にうなされ、意識は混濁していた。彼は、自身の体が溶け落ちていくような感覚に襲われた。激しい悪寒と震えが止まらず、痛みによって視覚(彼にとっては音の質感として認識される世界)が歪んでいく。彼の意識は、女性の歌声と、自身を蝕む毒によって、深い混沌の淵へと沈んでいった。

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