28 贖罪
オメガの聖なる力は、異世界人がこちらに転移される際に付与されるものだった――。
俺は、なるほどそういう仕組みだったのか、とようやく腑に落ちていた。この人が語る内容が本当ならば、だけど。でも嘘を吐いているようには見えないし、これならなんの変哲もない一般人だった俺に突然聖なる力が宿ったことにも説明がつく。
レオもおじいさんの話を信じ始めてきたのか、先程まで見せていた警戒は薄れているようだ。
レオは前屈みになると、おじいさんに尋ねた。
「だがそうなると、召喚陣の存在はどう説明がつきますか?」
レオの言葉を聞いた途端、それまで朗らかだったおじいさんが苦悩の表情に変わる。
「あれは……女神様を冒涜する最低の行為じゃった」
「どういう……ことです?」
泣き笑いのような顔になったおじいさんが、ポツポツと続けた。
「世界に平和が訪れた後、大賢者は二人の元を去り、研究に没頭していった」
「研究……ですか?」
「うむ。大賢者はアルファとオメガを探し出すのに何年も費やした。その苦労を労ってか、大賢者には長寿の効果が付与されておったのじゃ」
おじいさんが懐かしそうな遠い目をする。
「友となったテオとユキエが生を全うしても、大賢者は生きていた。だから長い生を与えられた自分には、まだ何か役目があると思った。奢った大賢者は、世界に滅亡の危機が訪れる前にいつでも聖女を召喚できるようにし、魔物の被害を未然に防げばいいのではないかと考えた」
俺は思わず目を瞠った。
「まさか、それじゃフィヤード王国の召喚陣は……」
「そうじゃ。あれは愚かな大賢者が時の王を唆し研究資金を出させて作り上げた、女神様を冒涜する代物じゃよ」
「……!」
おじいさんが悔しげに唇を噛み締める。……ん? なんでおじいさんがこんな顔を? これは大賢者の話だったよな?
「それからというもの、魔物の勢いが増す度に聖女召喚は行われていった。罪もない異世界の善良な人間が強制的に呼び出されては、本人の意思など尊重されぬまま権力者であるアルファに奴隷のように扱われ、優秀なアルファを産む道具として見做されるようになっていってしまった……!」
おじいさんが顔を覆う。
「儂は激しく後悔した。じゃが作り上げてしまった召喚陣は儂の手を離れ、今や目にすることすら叶わなくなってしまったのじゃ! 儂はなんということをしでかしてしまったのかと、来る日も来る日も女神様に懺悔し続けた!」
「お、おじいさん……っ」
どう声をかけたらいいのか分からなくて、手を伸ばした。すると俺の手をレオがそっと掴み握り締め、迷っていた俺の代わりにおじいさんに話しかける。
「もしかして、その大賢者とは貴方のことでしょうか」
おじいさんが、涙に濡れた顔を上げた。
「……そうじゃ」
その目は真剣そのもので、嘘を吐いているようにはとてもじゃないけど思えない。
「懺悔を続けた儂に、お優しい女神様は贖罪の機会を与えて下さった。儂が犯した過ちのせいでこの世界に連れてこられてしまった迷えるオメガを導く、この役目じゃ」
おじいさんが俺に向かって頭を下げる。
「この通り、申し訳なかった。儂が持っている知識はそなたに与えよう。そなたの生まれ故郷に送り返すことは叶わぬが、せめてこの世界でそなたが幸せであったと生を全うできるよう、協力は惜しまぬ」
俺は慌てて立ち上がった。
「――それは違います!」
おじいさんの前に膝を突くと、肩を震わせて泣くおじいさんの皺くちゃの手を両手で包み込む。
「俺、元の世界では孤独で、目的もなくただ生きていたんです!」
おじいさんが、赤くなった目を俺に向けた。
「だけどこっちの世界に来て、レオに出会えた! レオをひと目見て、好きになった! レオは俺の運命の人で、こっちの世界に呼んで貰わなければ多分俺は一生人を愛することを知らずに一生を終えていたと思います!」
「お、お主……っ」
すると俺の隣に同じように膝を突いたレオが、俺の肩を抱いておじいさんに伝える。
「私も同じです。これまで私は、自分が誰かを愛し幸せになることなど想像もしておりませんでした。母と共に自由の身になった後に自分がどうしたいかなど何もなく、ただ逃げることだけを考えておりました」
おじいさんが目をぱちくりとした。
レオが微笑みかける。
「ですが、召喚されたハヤトをひと目見た瞬間、世界が色鮮やかに変化したのです。色味のない苦しかっただけの世界が、ハヤトの笑顔を見ると幸福で満ち溢れる素晴らしい世界に変わったのです」
「俺も一緒です! レオに会えて、レオと恋人になれて、本当に幸せだと思ってます! そりゃ呼び出したのがあのエロ赤毛王子だったりレオの兄ちゃんだったりしたら違ったかもだけど、レオと俺を引き合わせてくれたことにはものすごく感謝してるから!」
「か、感謝……?」
瞬きと一緒に、涙がおじいさんの皺のある頬を伝い落ちていく。
俺とレオは目を合わせどちらからともなく笑顔になると、再びおじいさんのほうを向いて頷いた。
「大賢者様。私は貴方が私に与えてくれた奇跡を心より感謝しております」
「だからさ、そう落ち込まないで大丈夫ですって! これから先は、本当に必要な時だけ使うように変えていけばいいんだから!」
俺の提案に、レオも賛同する。
「私の不徳の致すところでシュタール王国にも召喚陣ができてしまいましたが、召喚方法について記載された物は現在私が持っております。これを貴方にお返しすれば、これ以上大賢者様の御心を痛めることもないかと存じます」
そう言って、レオは懐から例の手のひらサイズの魔道書を取り出してみせた。そのまま、おじいさんの手に握らせる。
おじいさんの顎が、手が、ガクガクと震えた。
「儂を……この愚かな儂を、信じてくれるというのか……?」
レオが大きく頷く。
「ハヤトが信じた貴方ですから」
「そ、そうそう!」
すっごい責任重大なことをさらりと言われたけど、でもレオの全面の信頼は嬉しい。俺は満面の笑みを浮かべると、おじいさんに伝えた。
「ほら、俺ってば聖女様だし? 危ない人って多分聖女の直感で分かると思うんですよね! それで俺の直感によれば、おじいさんは嘘吐きじゃないから大丈夫!」
おじいさんはしばらくぽかんとしていたけど。
「ふ……ふふ……、わっはっはっ!」
突然肩を震わせて笑うと、俺と同じように満面の笑みを浮かべる。
「これは絶対に裏切れぬなあ」
そうして俺とレオに笑いかけると、「……ありがとう」と言ってくれたんだ。
◇
「この村には遥か昔にユキエが掛けた加護の力が残っているのじゃ。しばし身体を休めていくがよい」
おじいさんに勧められた俺たちは、正直草臥れ切っていたこともあり、ありがたくお隣の家を借りることになった。
いつの間にか用意されていたフカフカの布団にレオと二人して倒れ込むと、すぐに睡魔が襲ってくる。
夢の中で、俺は黒目黒髪の女性と畳の上に座りながらお茶を飲んでいた。
「いきなり異世界って言われても困るわよねえ」
ユキエさんは、そう言ってケラケラ笑う明るい女性だった。
聖女ができること、できないこと。オメガとは何か、うなじを噛まれるとはどういうことなのか。
ついでに愛を交わす度に浄化の光が発生するとプライバシーも何もあったもんじゃないので、堪らず編み出した技なんてものまで伝授してもらった。
「要はアルファが光の力を込めなければ済むだけの話よ。最初はできないかもしれないけど、アルファは番のことが大好きで仕方ない生き物らしいから、きっと死に物狂いで練習してあっという間に自分のものにしてくるわよ」
おかしそうに笑っているけど、アルファの執着と溺愛っぷりがその言葉からは窺えてあまり笑えない。それを覚えたレオに、俺は何をされちゃうのかな。恐ろしいような、楽しみなような。
俺の身体が透けてくると、最後にユキエさんが激励を送ってくれた。
「言いたいことはちゃんと伝える、我慢しない! あと、失礼な奴がいたらあかんべをしてお尻を蹴っちゃうくらいの気持ちでいていいんだからね!」
だから、自由に生きて、幸せになって。
俺よりもっと訳の分からない状態で必死に生きて幸せを掴んだ先駆者であるユキエさんの言葉は、俺の心にしっかりと染み込んでいった。




