27 昔話
おじいさんの家は、集落の一番奥に引っ込んだ所にあった。
部屋の中は、天井まである本棚で埋め尽くされている。地震が起きたら本の中に埋もれちゃいそうだ。
「そこへ座っていなさい」
「あ、はい!」
おじいさんが指差したのは、そんな部屋の中心にある革張りのゆったりとしたソファーだ。横目でレオの表情を確認すると、実に嫌そうな顔をしている。横並びだと危険が! とか思っていそうだな。
鋭い眼光で周囲を見渡しているので、緊急時の退路とかを頭の中でシミュレーションしているのかもしれない。絶賛大警戒中ってところだな。レオってば俺のことが好きすぎるんだからなあ、もう! なんてな、へへ。
「……横並びならレオより前に出てないだろ」
小声で伝えると、レオがハア、と溜息を吐いた後、渋々といった様子でだけど頷いてくれた。相手はかなりのおじいさんだというのもあるかもしれない。とてもじゃないけど俊敏な動きはできそうにないもんな。
それに正直なところ、ここまで夜通し歩いてきたせいで足は棒のようになっている。つまりは早く座りたい。毎日相当な距離を歩きで移動しているお陰で大分健脚になってはいるものの、疲れが溜まらない訳じゃないんだよな。それに徹夜明けでそろそろ睡魔が……あふ。
「じゃあ遠慮なく座りますね」
「……失礼致します」
座ってみると、程よい硬さのソファーで座り心地がいい。相変わらず警戒している様子のレオを手招きすると、レオは俺の横にピッタリくっつくようにして座った。守る為なんだろうけど、当然のように肩を抱かれて温もりを感じていたら、更に睡魔が……。
おじいさんは茶葉が入っているらしいポットとマグカップを三つ持ってくると、俺たちが座るソファーとは対面にあるひとり掛けのソファーに腰掛けた。やかんからお湯を注ぎ入れると、紅茶のような香りが漂い始める。
全てにお茶を注ぎ入れ、俺たちに「まあ飲みなさい」とだけ言うと、自分はさっさとひとつを手に取り啜り始めた。レオが相変わらず警戒しまくっているので、「毒なんて入ってないぞ」というアピールかもしれない。
レオは眉をキリリとさせながらマグカップのひとつを手に取ると、口をつけた。しばらく口の中で転がしてから嚥下し、俺に目で合図を送る。飲んでも問題ないってことらしい。
そんな俺たちの様子を半分呆れたような目で見ていたおじいさんが、口を開いた。
「お前たちを見ていると、テオとユキエを見ているようで懐かしいぞ」
「テオ……? それは一体」
レオが訝しげに尋ねる。だけど俺はそれどころじゃなかった。だって……ユキエ? それってものすごく日本人ぽい名前じゃないか!
「おじいさん! ユキエさんていうのはどこの誰ですか!」
前のめり気味に尋ねると、レオが俺の肩を押して後ろに戻す。前に出るなってことなのは分かるけど、でもだってさ!
「ハヤト、どうしたのですか? 何か引っ掛かることでも?」
訝しげな顔のレオに、俺は興奮気味に訴えた。
「大アリだよ! ユキエって名前の人、もしかしたら俺と同じ世界の人かもしれない!」
「え……どういうことですか?」
レオは目を見開くと、目線をおじいさんに移した。おじいさんはというと、ゆったりと次のひと口をズズ……と啜っている。目元をいたずらっ子のように弧を描かせると、茶目っ気たっぷりにニヤリと笑った。
「儂の話を聞く気になったかの?」
俺とレオは顔を合わせた後――。
「――はい。聞かせて下さい」
とおじいさんに向かって頷いた。
◇
「では、少し昔話をしようかの」
おじいさんは膝の上で両手を組むと、ゆったりとした口調で語り始めた。
「この村は老人ばかりでの――」
ここは元々、数世帯しかない村だった。以前はそれなりに人もいたらしいけど、若者は町に出稼ぎに行ったきり戻らず、老人ばかりが残された。
そんなある日のこと。ひとりの老人が、川で流されたと思われる黒髪の若い女性を発見する。幸いにもまだ息があったので、村人総出で村に連れ帰り、丁寧に看護した。
高熱に浮かされた彼女は、何日か経って熱も下がったところで意識を取り戻す。女性は珍しい黒目の持ち主で、顔立ちもこの辺りでは見ない造り。どこから来たのか、何があったのかと村人が尋ねたけど、彼女は困惑した様子で何も答えなかった。
何故なら、彼女は自分の名前が「ユキエ」であること以外何ひとつ覚えていなかったから。大きな怪我などがなかったことから、川で溺れた衝撃で記憶喪失になってしまったのだろうと結論づけられた。だけど彼女は様々な生活の常識の記憶すら失ってしまったのか、何ひとつ満足にできなくて最初はとても苦労していたんだとか。
この時点で俺はピンときた。常識の記憶は、きっと失っていたんじゃない。勝手が違いすぎてそもそも分からなかったんじゃないか、と。
「ある時、ユキエを助けてやった老人のひとりが森で魔物に襲われ、大怪我を負っての――」
ユキエさんも駆けつけると、老人の傷口の手当てをしようと手を触れた。すると白い光がユキエさんから出てきて、老人の傷口に染み込んでいくじゃないか。老人は痛みが消えたことに驚き傷口を見てみると、怪我はどこにも見当たらなくなっていた。
それが、ユキエさんが聖なる力を使った最初の時だった。
村人たちは、ユキエさんをとても可愛がっていた。だから懸念したんだ。このことが外部の人間にバレたら、都合よく治癒の道具として扱われてしまうのではないかと。
村人たちは、「力は使わないこと」と彼女に言い聞かせた。だけど魔物に襲われて怪我を負い森に迷い込んできた外部の人間を目前にして、善良な彼女は放っておけず治癒を施してしまう。
怪我が治ったその人物に、村人たちは口止めをした。だけど残念ながら、噂は広がってしまった。以降、幾人もの人間が村を訪れ、ユキエさんに治癒してほしい、または治癒してほしい人がいるので一緒にきてほしいと頼んできた。断ると、時には彼女を攫ってでも連れて行こうとする者まで現れる始末。静かだった村は、連日騒ぎが起きるようになってしまった。
申し訳なさに、ユキエさんは村から出ていこうした。だけど村人は必死に止めた。みんなの孫のような存在のユキエさんがみすみす悪人に利用されて堕ちていくのを、黙って見過ごせなかったんだ。
そしてある日、とある国の王太子テオとローブ姿の初老の男がユキエさんを訪ねてくる。
「じゃが、村人たちは最早外部の人間を信用できなくなっていた。頑なに何度も断られてのう――」
そこで王太子たちは、ローブ姿の初老男性が実は大賢者と呼ばれる人物だと村人に話した。
……ん? 王太子と……大賢者?
どこかで聞いた話に隣を見ると、レオが驚愕の表情で俺を見返してきた。ま、まさか……?
村人は渋々、ひと目会わせるだけならば――と彼らを引き合わせてくれた。老人らの目には、テオさんとユキエさんが一瞬で恋に落ちたのが分かったそうだ。それを証明するように、聖なる力と光の力が融合し、強烈な浄化の光を放つ。
そして。
ユキエさんは世界を救う為に村を出て行き、聖女となった。
だけどユキエさんは、彼女を支え続けてくれた村人のことを片時も忘れたことはなかった。世界を旅する合間に元気な姿を見せにきては、身体の不調を訴える老人を癒してまた旅立っていく。
ついにほぼ全ての魔物が浄化された際には、村人たちを二人の結婚式に招待、参列してもらったそうだ。
ユキエさんの花嫁衣装を見て泣く村人たち。するとひとりの村人が、ユキエさんのうなじにある噛み跡に気が付く。一体これはどういうことだと村人たちが問い詰めると、照れて言おうとしないユキエさんに代わり、テオさんが説明をした。
曰く、旅の最中で三人は女神様から天啓を授かった。この世界に存在する聖なる力を持つ者はただひとりで、光の力を持つ者と対となる存在だと。
聖なる力を持つ者――オメガは、光の力を持つ者であるアルファと番となることが可能で、アルファにオメガのうなじを噛ませることで「番契約」が成り立つというものだった。
これは愛し合う二人の間にしか残せない跡で、仮に思いが通じ合っていないアルファがうなじを噛んだところで、跡は残らない。うなじに噛み跡があるオメガは以後番からの光しか取り込まなくなり、他のアルファを拒絶する。浄化の力はより強力に安定し、世に平和をもたらすだろうと。
「元々この世界にオメガは存在しておらんかったのじゃ。本来は人が持てる筈のない神の領域の力である聖なる力は、世界の境界を超える際に付与される副産物的能力だったのじゃよ」
「え……? ということは、過去の聖女はもしかしてみんな異世界人だったりして……?」
老人がこくりと頷いた。
「この世界に本来あるべきでない力は、女神様が我々に与えてくれた奇跡。いつ何時も側にあれば、神話であったように人々は奇跡を当然と思うようになり、落ちぶれていってしまう。その為、世界に滅亡の危機が訪れた時にだけ、聖女としてたったひとりをこの世界に寄与して下さっていたのじゃ」
「へ……っ」
思わずレオを振り返ると、レオも俺と同様に驚愕の表情を浮かべていた。




