26 おじいさん
小さな村の入口に到着する。
近付くにつれて白い光は殆ど見えなくなったけど、時折空気中にスノーダストのような煌めきが見える時があった。多分、これが遠くから見ると白い靄に見えるんだろうな。
だけどそれよりも俺たちが驚いたのは。
「これって……」
「ええ、違和感があると思ったら……」
驚くのも仕方ないと思う。だってさ、これまで通ってきたどの村や町にもあった集落を囲む柵や壁がここにはなかったんだよ。
「浄化の光っぽいこれと関係があるのかな」
「恐らくは……」
通りを真っ直ぐに進んでいくと、中央に井戸がひとつ。井戸を囲むようにして、ログハウスのような家が間隔をあけて建っていた。
たったそれだけの、小さな村だ。見たところ人はいない。だけど廃村かと言われたら、朽ちた感じは一切ないんだよな。人の気配はするけど姿が見えない、と言うのが近い感覚かもしれない。
レオも俺と同じ感想を持ったようで、ポツリと呟きを漏らす。
「見たところ誰かは住んでいるようですが……」
「誰かいませんかーって言ってみようか」
俺が一歩前に出ると、レオが慌てて俺を後ろに引っ張り自分が前に出た。バッと振り返る。
「ハヤト、私がやりますから!」
「でも」
「念には念をです。私に何かありましてもハヤトが治せますが、ハヤトは自己治癒はできませんから」
「え、そうなの?」
驚いて聞き返すと、レオが重々しい表情で頷いた。
「文献によれば、過去の聖女様はみなそうであったと」
「それを早く言ってよ」
「申し訳ございません。私がお守りすればお怪我することもないかと……」
しょんぼり項垂れるレオが可愛い。「レオ」と声をかけて手招きすると、律儀に俺に顔を向けて腰を屈めてきたレオの口の端にチュッとキスをしてやった。
「ハッ、ハヤト!?」
途端に顔を真っ赤にしながらキスしたところを手で押さえるレオ。あは、なんでそんな初心な反応なんだよ。昨夜は魔物の浄化をする際に俺にもっととんでもないことをしてきた奴がさ。
ニッと歯を見せて笑う。
「へへ、レオが可愛くてつい」
「か、可愛い……!?」
レオが目を大きく見開いた。これまで可愛いとか言われたことなかったのかな。なかったんだろうな。なんせお母さんを助け出す為にひたすら鍛錬の日々を送っていたんだし、お母さんは声が出せなかったし。
……これからは俺が毎日格好いいも可愛いも大好きも言ってあげようと、今この瞬間心に決めた。
レオが勢いよく身を乗り出してくる。
「そんな! 可愛さで言いましたら、ハヤトこそ世界一可愛い存在です! 美しさの中に同時に存在する可愛さに、幾度心臓が爆発するのではないかと思ったことか!」
「世界一って」
「はいっ、私と目が合った瞬間に笑うところも、私の腕枕で寝ている時に無意識に私の胸に頬擦りしながら微笑むところも、一緒にお風呂に入る時に恥じらって伏せてしまわれる艶やかなその黒い瞳も! 全てが世界一です!」
「ぶっ」
……毎回思うけど、レオの褒め言葉ってスケールがデカいというか、大袈裟だよな。本心から言ってそうなのがなんとも言えなくてこそばゆいけど。ていうか俺、寝ながらレオの胸に頬擦りしてんの? うっそ。
レオが俺の頬に大きな手をあてた。真剣そのものの碧眼が、射抜くように俺を見つめる。
「できることならハヤトを私ひとりしかいない場所に閉じ込めておきたい。他の男にハヤトの笑顔を見られるだけで、嫉妬から相手を殺してやりたくなります」
「……間違っても殺さないでよ?」
レオが素直に頷いた。
「ハヤトは死体が得意ではありませんからね、心得ております」
死体が得意……。ポイントがズレてるなあとは思ったけど、それにしてもレオってばどれだけ俺の笑顔が好きなんだ? でも確かに思い返してみたら、最初の晩に泊まった宿屋の人に見せた笑顔がどうのこうのって言ってたな。……え?
「……レオっていつから俺のことが好きだったの?」
「お伝えした通り、ひと目惚れでしたので……最初からですね」
サラリと答えるレオ。そっか……そっかあー! 道理で最初からレオが俺に甘々だった訳だよな! 自分の恋心とレオの兄ちゃんとの約束の狭間で悩んでいたんだろうけど、好きなことは態度から滲み出ていたのか……! 俺ってば鈍すぎじゃね?
俺がひとりで納得していると、レオが不安そうな表情で尋ねてきた。
「ちなみにお聞きしても?」
「ん? いいよ。何?」
「ハヤトはいつから私のことを、その……好いておられたのでしょうか?」
チラチラと所在なさげに俺の目を見るレオ。だから可愛いんだってば、それ……!
「うーん、自覚したのは俺の両親の話をした時だったけどさ」
「けど……!?」
期待からか、レオの頬に赤みが差していく。
「召喚された時にレオを見た瞬間、格好よすぎて興奮しちゃったんだよな。だから俺もひと目惚れだったのかも」
へへ、と笑うと。
「ハヤト……!」
「むぐ」
レオは俺をレオの弾力のある胸筋に押し付けると、苦しいくらいにぎゅうぎゅうに抱き締めて、「永遠に貴方のことを愛しています……!」と堪らなさそうな声色で言ってくれたのだった。
◇
どれくらいそうしていたのか。
「あー……ゴホン。そろそろいいかの?」
「えっ!?」
老人のような男の声が聞こえてきて、全く人の気配に気付いていなかった俺たちは同時にバッと顔を上げる。
井戸の傍らに佇んで気不味そうな表情でこちらを見ていたのは、生成りの長いローブを着た、白い顎髭と長髪の痩せたおじいさんだった。元の世界で言えば、ファンタジーに出てくる魔法使いや賢者のイメージに近い。
「こ、これは失礼した……!」
レオが慌てて会釈をした。苦笑を浮かべたおじいさんが、俺たちを交互に眺める。
「長らくここに人が訪れることはなかったが……見たところ、お前さんたちはアルファとオメガじゃな」
「えっ」
このおじいさん、何者!? と身を乗り出そうとした俺とは対照的に、警戒心を丸出しにしたレオが俺を背中に庇った。
おじいさんが苦笑する。
「そう警戒せんでもよろしい。アルファは番のこととなると温厚な者もすぐ攻撃的になるところが駄目じゃな」
「……番? なんのことですか」
おじいさんはレオに一瞥をくれた後、ゆったりとした動作で背中を向け歩き出す。
「立ち話もなんじゃ。儂の家で茶でも飲みながら話してやろうかの。――お主たちに聞く気があれば、じゃが」
レオは迷っているようだった。だけどおじいさんはどんどん歩いて行ってしまう。俺はレオの腕を掴むと、安心させるために大きな笑みをレオに見せた。
「あの人からは悪意を感じないよ。それにあの感じだと、俺たちの知らない何かを知っていそうだよ。まずは話を聞いてみない?」
それに、と続ける。
「女神様の天啓だとしたら危険はないだろうし、この先俺たちがどう動いたらいいかの助言をくれるかもしれないしさ」
レオはしばらく考え込んでいたけど、やがて生真面目そうな表情で頷く。だけど俺に釘を刺すことは忘れなかった。
「ならば話を聞くことにしますが、ハヤトは必ず私より前に出ないようにして下さい。これは譲れませんからね。分かりましたか?」
「はは、分かったよ」
俺ってばレオに大切にされているなあ……と惚気つつ、「ほら、行こ行こ!」とレオの手を引っ張りおじいさんの後を追ったのだった。




