25 治癒
「み、見えない!」
「殿下! どちらにおられますか!」
「お、お前ら、早く助けないか!」
「殿下あーっ! どちらですかあーっ!」
浄化の光によって視力を奪われたレオの兄ちゃんたちが情けない悲鳴を上げる中、瞼を閉じていたお陰で無事だった俺たちは、手を取り合い森の中へ逃げ込んだ。
ここまで来ればしばらくは追って来られないだろうという距離を進んだところで、限界が訪れたのか、レオが倒れ込むようにその場に膝を突く。
「レオ!」
慌てて駆け寄ると、レオが真っ青な顔をしながらも小さく微笑んだ。
「だ、大丈夫です……! ただ、少し血が出すぎたようでして……今からこの矢を引き抜きますので、その後に治癒をお願いできますでしょうか?」
「やる! 完璧に治してみせるから絶対死ぬなよレオ!」
レオは絶対すごく辛い筈なのに、フッと気の抜けた笑みを俺に向ける。
「私は絶対に死にません。この先ハヤトと過ごす輝かしい未来が待っているというのに、死ぬ訳がありません。ですよね?」
「そ……そうだよな!」
うんうんと首を縦に振っていると、レオが何かを思いついたかのような顔になった。
「――あ、そうでした。ハヤト、少々よろしいですか?」
「うん? 何なに!?」
レオの手招きで顔を近付ける。するとすぐさまレオの顔が目前に迫り、チュッと唇を奪っていったじゃないか。
ふ、不意打ちキス……!
一瞬の出来事に放心していると、レオがどこかおかしそうな表情で言った。
「引き抜く勇気が出ました。ありがとうございます」
「は、はえっ」
さっきは自分からキスしたのに、レオからされるとドギマギしてしまう俺ってさあ……。
レオが矢を両手でグッと掴む。それだけで痛いんだろう。眉間に大きな皺が寄った。苦しそうな笑みを浮かべて俺を見る。
「もし私が気絶してしまいましたら、遠慮なく蹴っ飛ばしてでも起こして下さいね。ずっとこの場に留まるのは危険ですので」
「え、蹴っ飛ばすってそんな」
「ではいきますよ。……グ……ウオオオォッ」
レオが叫び声を上げながら、手前に矢を引っ張り出していく。ズズ、と肉を引きずる音に気が遠くなかけたけど、レオに余計な心配をかける訳にはいかないから必死で耐えた。
時折、お腹からブシュッと血が吹き出す。痛そうで悲鳴が出そうになるのを、懸命に押し留めた。つい伸ばしそうになる自分の手を、反対の手で掴む。触れたらきっとすぐに治そうとしてしまうから、今は触れることすら叶わない。だから代わりに少しでも力になるならと、俺は「レオ! 頑張って!」と応援し続けた。
「グウ……アアァッ!」
矢が勢いよく地面に投げ捨てられる。と当時に、レオがドサッと地面に横倒しになった。
「レオ!」
レオに飛びつくと、すぐさま血が吹き出す腹部に片手を当てる。即座に俺の身体から白い光が浮き出してきた。――よし、ちゃんと治癒できる……筈だ! ぬめり具合に悲鳴を上げそうになったけど、必死で耐える。
「レオ! レオ、今治すから! だから絶対死ぬなよ、頼むから……!」
吹き出す熱い血がレオの体温を奪っていっているようにしか思えなくて、怖くてどうしようもなくて、俺はただひたすらに祈った。心から祈った。この世界の女神様がどんな人かも俺はよく知らないけど、お願いだからレオを治して下さいと。
俺から、俺だけのアルファを奪わないで下さい――と。
「レオ、レオ……!」
やがて、俺の身体から発せられた光が全てレオの中に染み込んでいき、消える。なのにレオは瞼を開けない。
蹴飛ばせなんて言われたけど、そんなことが俺にできる訳ないだろ……!
恐怖でおかしくなりそうな中、力の入っていないレオの手を握り締めた。レオの瞼は閉じたままだ。だけど胸は上下しているから、きっと大丈夫、大丈夫な筈――!
「頼むからレオ、目を開けてくれよ……っ」
だけどレオは目を開けない。縋りつきたいのに、いつもなら抱き締め返してくれる腕の温かみが今はない。少しでもレオの体温を感じたくて、祈り続けながらレオの肩に額をつけた。
ボタボタと涙が落ちる。
「レオ、お願いだよ、目を開けて……! 俺をひとりにしないで、俺にはレオしかいないんだよ……!」
その時、繋がれているレオの手がピクリと動いた気がして、ハッと涙まみれの顔を上げる。
「レオ……?」
レオの瞼が、少しずつ開かれていっているのが見えた。彷徨っていた目線が、次第に俺に定まっていく。無事だ……無事だったんだ!
「私にも……ハヤトしかおりませんよ……」
「――レオ!」
嬉しさのあまり泣き笑いしながら飛びつくと、今度はレオは両腕で俺を受け止めてくれて。
もう離さないとばかりに、ぎゅうう、とそれはそれは強く抱き締めてくれたのだった。
◇
レオの怪我は、きれいに治っていた。
そこそこの出血量だったせいでちょっとふらつきは残っているみたいだけど、それも時折休憩を挟む内に消えていく。
その間、俺たちは色んな話をした。レオの兄ちゃんの話。レオのお母さんの話。それにこの先どうしたらいいのか、どこを目指したらいいのかとか、色んなことを。
当然だけど、レオはお母さんが自ら毒を飲んだことに対してかなりショックを受けていた。だけど「ハヤトのお言葉に母の深い愛を感じることができました。ありがとうございます」と、寂しそうにだけど笑ってくれた。笑うことができていた。
勿論、それは表面上のことかもしれない。だからこれから先、ゆっくり少しずつ大切な人を失った心を癒やしてあげられたらと思う。両親を亡くした時の気持ちは、俺にも分かるから。寄り添うことが、何よりの慰めになると思うから。
そして、どこを目指そうかという件については――。
俺たちの手は恋人繋ぎに繋がれたまま、まるで天啓に導かれるかのように一方向を目指していた。
「あっちのほうが安全な気がする」という俺の言葉に、レオも「実は私も先程から、誰かにあちらのほうへ行けと言われているような気がしておりまして」と言ったんだよな。どちらからともなく顔を見合わせると、何故か声を潜める。
「ま、まさかとは思うけど……」
「私もまさかとは思うのですが……」
「じゃあせーので言う?」
「はい、それでお願いします」
俺は息を吸い込むと、「せーの」と合図を送った。
「女神様の天啓!」
二人の声が重なる。これまたどちらからともなく笑顔になると、俺は繋いでいないほうの手で目指す方向を指差す。
「だよな!? 厄災がどうのって言ってたからさ、もしかして女神様の天啓なのかもってちょっと思ってた!」
「可能性は十分ございますね。ハヤトと二人で受け取れたのが何よりも嬉しく思いますよ」
「へへ……っ」
レオはいつどんな時でも、俺と一緒にいられる喜びを口にしてくれる。ずっと誰かの特別な人になりたかった寂しがり屋の俺は、何よりもそれを喜ぶんだ。願わくば、レオも同じ気持ちでいてほしい。
夜通し歩き続けた俺たちは、朝日が昇り周囲に色を浮き上がらせてきたところで、こじんまりとした集落が進行方向にあるのを発見する。だけどなんだか靄がかっているような。疲れ目かな。
「あれ……?」
何度も瞬きしても靄は消えない。俺の目の問題じゃないみたいだ。
レオも俺と同様に何度か瞬きをしてから、不思議そうに俺を見る。
「あれは……浄化の光に似ておりますね」
「だよな。……でもどういうこと?」
レオが肩を竦めた。
「分かりませんが……心が洗われるような清々しさを感じますね。魔の類でないとは思いますよ」
それは俺も一緒だった。初めて訪れる筈の場所なのに、なんだか無性に郷愁を覚えるというか、安心するというか。
恋人繋ぎにされた手が、ギュッ握り締められる。隣に立つレオを見上げると、レオは決意を秘めたようなキリリとした眼差しで俺を見ていた。
「――行きましょう」
「うん……!」
俺もレオの手を力強く握り返すと、二人合わせて一歩踏み出した。




