24 逃亡
この場には不釣り合いな楽しげな笑い声と共に森の陰から現れたのは、腰まで届くサラサラ金髪が月明かりで輝いているいかにもな王子様――レオの兄ちゃんだった。
「あはは……! 無様な姿だな、弟よ」
レオの兄ちゃんの手には、高級そうな白くて大きな弓が握られている。腰にぶら下げられた矢筒には、レオのお腹を貫通している矢と同じものが入っていた。
レオの兄ちゃんはその内の一本をスッと抜き取り弓につがえると、俺たちに矢尻を向ける。レオを射った犯人が誰かを悟り、怒りでカッと全身が熱くなった。
まさかこいつ、半分血が繋がっている実の弟を弓で射ったのか!? 信じられねえ!
「てめえ、レオに何す――」
そう言って、俺がレオの兄ちゃんに噛みつこうとした時だった。レオが突然激しく咳き込み始める。
「グハッ! ガッ、カハ……ッ!」
「レオ!」
口を押さえた手のひらには、真っ赤な血が付着していた。内臓から血!? こ、これってかなり危険な状態だよな!? レオが死んじゃうかもしれない可能性に気付いた途端、恐怖で手足が震え出す。
「い、今すぐ治すから!」
慌てながらも俺が傷口に手を添えようとすると、レオが首を横に振り拒絶したじゃないか。え――どうして……!? ジワリと涙が滲む。
「レオ!? なんでだよ!」
涙ながらに訴えると、レオが苦しそうな声で答えた。
「や、矢を先に抜かないとかと……っ」
「あ」
そうだよ、レオの言う通りじゃないか! 今の状態で治癒しちゃったら、矢が貫通したままの状態になるかもしれない。もしかしたらならないかもしれないけど、レオの身体で実験する気にはなれないもんな。となれば、レオの矢を引っこ抜いた上ですぐさま治療できる安全な場所に向かうのが先決だ!
横目でレオの兄ちゃんを睨みつける。
あいつの矢は厄介だけど、多分俺を傷つけるつもりはない。聖女が死んじゃったら元も子もないもんな。射ってこないのがその証拠だ。
つまり、俺が矢面に立てばあいつは攻撃してこない。
レオの兄ちゃんに聞こえないよう、小声で素早く伝えた。
「レオ、とにかく逃げよう。安全な所まで行ったらすぐに俺が治すから!」
「ハ、ハヤト……ッ、すみませ……っ」
「謝らなくていいから、とにかく早く!」
レオの顔は青褪めていて、顔や首が脂汗でびっしょりになっている。ぐずぐずしていてレオに万が一のことがあったら……レオがいない世界なんて絶対に嫌だ!
「行こう、レオ!」
レオを庇うように腕を回して踵を返したその時だった。ふたつの黒い影が駆け寄ってきたかと思うと、俺たちの進路を塞ぐ。
「さすがジェフロワ殿下、見事な腕前でございます!」
俺たちの退路を阻んだのは、日中黒馬に乗っていた騎士たちだった。
「さあ、レオ殿下! 聖女を渡していただきましょうか!」
騎士のひとりが手を伸ばしてくる。い、嫌だ……!
性格が悪そうな笑みを浮かべつつ、レオの兄ちゃんも近付いてきた。逃げるなら森の中だけど、逃げ込もうにも茂みに向かって怪我を負っているレオを連れて飛び込むのは――ど、どうしたらいいんだよ!
「く……っ!」
唇を噛み締めながらレオの兄ちゃんをギッと睨みつけると、苦しそうな息遣いのレオが掠れ声で尋ねた。
「な、何故……っ」
レオの兄ちゃんが肩を竦める。
「何故私たちがここにいるかという質問ならば、次に立ち寄った町でお前たちの目撃情報があった為、だな。町と町との間に隠れ潜んでいると考えるのが普通かと思うが」
「だ、だからってどうしてレオを! 弟なんだろ!?」
問い返す体力だって温存してもらいたかった俺は、レオが何かを言う前に問い返した。レオの兄ちゃんが、俺を見て大袈裟に驚いた顔になる。
「おや、これは……町で聞いた話では細身の女性とのことでしたが、まさか聖女様が男性だったとは。お声を聞くまで気付きませんでした」
「――うるせえ! レオになんでこんなことをしたかって聞いてんだろ!」
「ふふ、これは口の悪い聖女様ですね。しかも随分と面白いことを聞かれる」
レオの兄ちゃんは一体何がそんなにおかしいのか、クックッと喉の奥で笑いながら答えた。
「簡単なことです。レオはもう不要だからですよ、聖女様。私が聖女様を直接お迎えに行けば、レオの役目は終わったも同然ですから。それに余計なことを知っている者の口は塞いでおくに限りますしね」
「――は? だ、だって、レオのお母さんを……っ」
レオの兄ちゃんが意外そうに目を見開く。
「なんと……この愚弟はそんなことまで聖女様に喋っていたのですか? なんと図々しい」
「話を逸らすなよ! いいから答えろ!」
ジリジリと迫る包囲網。レオの息は益々荒くなっていて、先程から身体がグラグラ揺れ始めている。俺は目下、できるだけ話を引き伸ばしながら、ない知恵を絞り打開策を探そうとしていた。
レオの兄ちゃんが、嫌味な溜息を吐いてから続ける。一応は、俺の話を聞く気があるみたいだ。
「呑気に城で待っているにも限界がございましてね。実は、聖女様の身代わりとなった偽聖女が孕んだ子に問題があることが判明したのです」
「な、なんだよ問題って!」
引き延ばせ。話を引き伸ばすんだ!
「腹の中の子は、偽聖女である魔女曰く厄災となるだろうと。生まれる前に聖女様のお力で浄化せねば、この世界は終焉を迎えることになるそうですよ。もしそれが事実であれば、さすがの私も困ります故」
「は!? だけどそれがレオとどう関係が!」
レオの兄ちゃんの口が弧を描いた。
「魔女の使い魔からの知らせを受けたのと同じ頃、病に伏せていた父がお隠れになられた。父はレオの母親に随分と執着しておりましてね。これまで容易に排除することができなかったのですが、その父はもういない。私の生みの母親は酷い悋気持ちなのですが、これ幸いにと私に彼女に死を与えることを命じてきたのです」
「は……」
淡々と語るには、あまりにも残酷な内容だった。
「レオとの約束は、レオと母親が自由になれる状況を整えておくこと。そこで私は毒を片手にレオの母親に伝えました。これを飲めばこの世のしがらみ全てから自由になれると。今ならば苦しい思いをせず眠るようにこの世を去ることができ、国が責任を持って弔うことが可能だと」
ふ、と抑え切れない笑いを漏らすレオの兄ちゃん。そんな兄を見つめているレオの目には、絶望が浮かび上がっている。悔しいのに俺は何もしてあげることができなくて、ただ唇を噛み締めた。
レオの兄ちゃんが、今度はレオを見る。
「レオ。お前の将来についても案じる必要はないと約束すると、お前の母親は大して迷った様子も見せずに毒を煽ったぞ? 余程今生に未練がなかったのだろうな。あの父にあれだけ執着されてきたのだ、生き地獄はさぞや辛かっただろうな。だがお前を見捨てることができず、これまで命を断つことすら叶わなかった」
整っている筈の顔がこんな醜悪になるのかというくらい、語るレオの兄ちゃんの顔は歪んでいた。――なんて醜いんだろう。レオと造作は似ていても、何ひとつ似ていない。
「つまり、お前の存在がこれまで彼女を苦しめていたんだ。お前はとんでもない親不孝者だな」
「そ、そんな……」
ゴボッという嫌な水音と共に、再びレオの口から血が溢れ出る。それを見て、俺は閃いた。そうだよ、血だって確かにそうだ。だったら――。
「レオ、それは違う!」
レオの正面に向き直り、レオの両頬を手のひらで挟み込んだ。
「ハ、ハヤト……ッ」
レオの目の焦点は合っていなくて、それでも俺と必死に目線を合わせようとしてくれている。レオは汗だくでも顔面蒼白でも口から血を流してても、最高にいい男だ。
「こんな人でなしの話を真に受けるなよ! いいか!? レオのお母さんはな、レオを自由にしてやりたかったんだよ! 自分が人質になっているせいで、レオがこいつにいいように使われてがんじがらめにされているのが嫌だったから!」
俺の背後で、レオの兄ちゃんが鼻で笑ってきた。
「これはまた、一体どんな根拠があってそんな戯言を?」
そんなもの、根拠なんてなくても分かる。人の心を持つ人間なら分かる筈だ。
だけどこいつはそんなことじゃ到底納得なんてしそうにないから、虎の威を借りてやる! ていうか俺だけど!
キッと振り返ると、怒鳴り返してやった。
「根拠はな――俺が聖なる力を持つ聖女様だから分かるんだよ! バーカ!」
「バ……!?」
これまでの人生、一度も馬鹿なんて言われたことはなかったんだろう。屈辱に顔を歪めるレオの兄ちゃんに、ついでとばかりにベーッ! とあかんべをしてやった。
振り返りざま、レオに「目を瞑れ!」と鋭く囁く。掴んだままの頬を、思い切り引き寄せた。
「ハヤ……グッ!?」
唇同士が勢いよく重なる。俺は先程とは逆にレオの口の中に舌を突っ込むと、口の中に溜まっていた血を掻き集め吸い込み――嚥下した。
次の刹那。
世界が白一色に爆発した。




