22 インスタント焼きそばとビール
レオにひとつずつ教えてもらいながら、野営の準備を進めていく。
魔物が増えたせいで夜間に移動する人は殆どいないそうだけど、念には念をだ。焚き火の明かりが道のほうに漏れないように、レオが切ってきた枝で周囲を囲んでいった。魔物は光に弱い。だから人間にバレる危険性はあっても、魔物避けの意味もある焚き火は外せないんだって。
「ハヤトが召喚された最初の晩も、火を持って歩いていれば襲われずに済んだと後になって気付き……」
と申し訳なさそうに言われた。俺がノワールファングの死骸を見てリバースしかけたのを、今も気にしているらしい。そもそもレオは自分の力だけで魔物を倒せてしまうので、魔物に会わないようにしようという考えが抜けていたそうだ。
あとで知ったんだけど、あの日以降夜間に移動しないようになったのも俺を怖がらせない為であって、レオだけなら夜間移動も全然オッケーだったらしい。さすがはつよつよアルファ……。
パチパチと音を立てながら火の粉が舞い上がる頃には、空には三つの月が上っていた。
小鍋でお湯を沸かして、インスタント焼きそばに注ぐ。三分経ったかな? というあたりでお湯を切り、枝をお箸代わりにして混ぜた。ソースとスパイスの独特の香りが漂い始めると、レオが興味深げな様子で喉を鳴らす。
「これは……なんとも食欲をそそる香りですね」
「だろー?」
気付かない間に異世界に召喚されていたあの日、切望していた辛子マヨネーズの味。口に含むと、涙が出そうなほど懐かしい味が口の中に広がっていった。一瞬、郷愁のあまり涙が出そうになったけど、堪える。だって、これはただの感傷だから。俺はもうあの世界には戻らない覚悟を決めた。だったら余計な涙はレオを不安にさせるだけだ。
箸で焼きそばを掬い上げると、レオを見た。
「レオも食べなよ。俺さ、このジャンクな味が大好きだったんだよなあ」
「ジャ、ジャンク……とは?」
しまった。またやっちゃった。ふは、と笑う。
「うーんと、安っぽい味ってことかな?」
「なるほど……つまり庶民の味ということでしょうか」
「まあ似たようなもん」
レオは真面目な顔で感心したように頷いている。
「まあいいから、早く食えって。ほら、あーん」
「えっ!? あ、あーん」
箸を扱えないレオにあーんさせてやることにした俺は、頬を赤くして口を開けたレオにそこそこな量の焼きそばを突っ込んだ。レオが実に素直に咀嚼を始める。すると次第に端整な顔が、見たことのない風に歪んでいった。……ははっ。想像通りの反応だ。
「こ、これは……っ、ゴホッ」
「はは、初めて食べる時は衝撃的だよな」
「鼻にツンときますね……! お、おいしいです」
「そう? ならよかった」
俺を傷付けない為に言っているのかは判別がつかなかったけど、レオは涙目になりながらもその後も俺のあーんを拒絶することなく、二人で仲良く食べ切った。
俺が元の世界から持ち込んだ最後の味を、レオにも覚えておいてもらいたかったんだ。いつか俺がこの世界に慣れ切ってしまった時、確かに別の世界からレオに出会い愛し合う為にやってきたことを、ずっと隣にいてくれる筈のレオがいつだって証明できるように。
「じゃあ、とっておきを出そうかな?」
「とっておき、ですか?」
「うん。レオ曰く『聖水』ってやつ」
ニヤリと笑ってみせると、レオが少し恥ずかしそうにだけど笑ってくれた。
俺はなけなしのビール缶のプルトップを開けると、懐かしすぎるあの味を口に含み「……プハーッ! うめえ!」とCMのような台詞を述べる。興味深げに俺を見ているレオに差し出した。
「これはお酒。多分こっちのほうが口に合うと思うよ」
「では僭越ながら」
口に含んだ次の瞬間、レオが目を白黒させる。それでもゴキュッと嚥下すると、目をまん丸くしながら「口の中が弾けました……!」と感想を伝えてくれた。
ビールの炭酸は製造過程で発生するものを封じ込めているとか、後工程で足す場合もあるとか聞いたことがある。でもこっちの世界ではビールがあるのかも不明だし、そもそも密封容器がそこまで発達していない。なので、微炭酸程度の飲み物しか流通していないんだって。言うなれば、これは強炭酸。衝撃は半端ないものだっただろうな。はは、良いものが見られた。
この味ももう二度と味わえないかなとちょっとだけ感傷に浸っていたら、「これは麦酒ですね? 似た味のものならございますよ」と言われて、嬉しさに思わず「マジで!? うっそ! 嬉しい!」とレオに抱きついてしまった。レオは俺を抱き止めると、優しく口角を上げる。
「今度飲みに行きましょう。今日は町散策ができませんでしたが、次は必ず」
「……うん、だな!」
ニコッとした笑顔を見せると、レオがキュンとした表情に変わった。レオはごくりと唾を飲み込むと、愛おしそうな目をしたまま俺に顔を近付けてきて――。
満天の星空の下、俺たちの唇が優しく重なり合う。
人生初めてのキスは、辛子マヨネーズの匂いとビールの味がした。
◇
お腹も膨れたところで、倒木に背中でもたれたレオの上に横になった。
「ハヤトを地面に寝かせることなど絶対に許可できませんから」とどこか怖い笑顔で押し切られた結果がこれだ。レオの身体は温かくて、少しお酒が入った俺には効果てきめんだった。元々いつもレオの腕の中で寝ていたから、レオの匂いと温かさが揃うと俺の睡眠のスイッチが勝手に入るんだよな。
「ハヤト、おやすみなさいませ」
瞼はもう殆ど開いていなくて、俺たちの小さな声と時折焚き火が小さく爆ぜる音、それと虫の声しか聞こえない。
「ん……レオもな……。あ、でも……」
これだけは今日の内に伝えたい。落ちそうになる意識を必死に保ちながら、口にした。
「俺さ……レオのお母さんのことは、どうにかして助け出したいと思ってる」
「ハヤト……!」
そう。俺とレオが恋人同士になったのはいい。だけど結果としてレオの兄ちゃんを敵に回すことになってしまったら、レオのお母さんはいつまで経っても国王に執着されたままになってしまう。
レオの話では、レオの兄ちゃんは国王を怒らせることはしない筈。だからレオのお母さんが直接危害を加えられることはないだろう、というのがレオの見解だった。
それでも、だ。それは自由じゃない。決して。
「さっきあの人たちが言っていた厄災が何かはよく分からないけどさ、たとえば俺たちがそれを二人で浄化する条件でお母さんを解放してもらうとか、レオの兄ちゃんと交渉する余地はないかな?」
「ハヤト……しかしそれではハヤトの身が」
俺は閉じそうになる瞼を開いてレオを見上げると、レオのスッと伸びた鼻梁を摘む。
「あのなあレオ。俺は自分が幸せになる為にわざわざ他人に許される必要はないと思ってはいるけど、誰かの犠牲の上に立って自分だけ幸せになりたいとも思わないんだよ」
レオが目を見開いた。
「全員が幸せになるのは難しいかもしれない。誰かが少しずつ何かを我慢しないといけないかもしれない。でもさ、誰かひとりの犠牲で成り立つ幸せは、本当の幸せじゃないと思う」
「ハヤト……」
元の世界での俺は、両親を一度に亡くして仲良くない叔父一家に引き取られた「可哀想な子ども」の役を割り振られていた。だから俺は思ったより優しくされないことを「酷い」と思っていたし、叔父たちは自分たちが優しくしてやっているつもりのに一向に歩み寄ってこない俺を「許してやらないといけないのか」と苦々しく思っていたんだと思う。
でも、本当は誰も悪くない。みんな自分が一番正しいと思っていて、勝手に不満を募らせていただけなんじゃないかとふと思ったんだ。
もし俺がもっと主張していたら、今頃状況は変わっていたのかな。それこそ殴り合いの喧嘩でもして腹を割って話し合っていたら、あの従兄弟とだって仲良くなれていたのかな。
でも、俺も向こうも譲らなかった。自分が正しいと思って、歩み寄ろうとしなかった。その結果が、何年も顔を合わせない今の状況だ。全員が自己主張していいとこ取りをしようとしたからこうなっちゃったんだよ、きっと。完璧なんてない。でもお互いに少しずつ我慢したり歩み寄る気さえあったなら、近付けていくことはできたんじゃないか。
それを折衷案だとか妥協案だとか偽善者だとか色々と言う奴もいるかもしれないけど、それこそ俺の知ったことじゃない。
俺は俺もレオも、レオが大事な人も俺たちに関係ない人だってできる限り幸せになって欲しいと願うし、いがみ合っている相手がいるなら少しでも負の感情がお互いに減ったらいいと思う。
だって、怒ったりしている時間が勿体ないだろ。その時間を好きな人と楽しい時間を過ごしたほうが、圧倒的に有意義じゃないか。
だから。
「方法はまだよく分からないけど……。レオのお母さんをレオのお父さんや兄ちゃんから解き放てる方法を、一緒に考えようよ。な?」
レオは瞳を潤ませて唇を噛み締めた後。
「……はい、ハヤト……!」
膝の上に乗せている俺を抱き寄せると、俺の首元に顔を埋めたのだった。




