20 許しを乞う
レオはジェフロワ王子の配下の手を借りてフィヤード王国に入国すると、彼らがどうやったのかは知らないけど、無事に騎士見習いとして潜入した。
でもそこから先は、自力で上がっていく他に道はない。だからレオは必死で努力した。それ以外に状況を挽回する方法は残されていなかった。
血の滲むような努力の甲斐あって、騎士見習いから正式な騎士となり、やがて赤毛の王子の専属騎士にまで上り詰めることに成功する。
祖国への報告の方法は、定期的にやってくる王子の配下に調べた内容を渡すというものだった。その際に活動資金と共にお母さんの近況を教えてもらうことができたレオは、頻度は減ったとはいえ未だ国王に激しく執着されるお母さんの苦悩を思い、更に鍛錬と調査に励んだ。
そしてようやく、念願の召喚陣を直接拝む機会を得る。
さすがに赤毛の王子が所持している召喚にまつわる魔導書に触れることは叶わなかったけど、比較的早い段階で召喚陣の紋様は祖国に伝えることができた。
あとは俺が大筋は以前聞いた通りではあったけど――。
懺悔というくらいだ。ここにも俺が聞かされていない話があった。
「彼の国から奪った聖女は、私の異母兄――先程白馬に乗っていたジェフロワ兄様に引き渡す手筈となっておりました。ハヤトに伝えていたシュタール王国のアルファとは、彼のことです」
「えっ、あの人がレオのお兄さんだったの!?」
でも言われてみれば納得だ。道理でどことなく雰囲気が似てる筈だ。
レオがすごくすごーく言いにくそうな様子で続ける。
「はい。兄はその……アンリ殿下と同じ考えと言いますか、オメガである聖女と浄化を済ませた後は、兄が所有する後宮に封じ込め、王国を栄えさせてくれるアルファをできるだけ多く産ませるつもりでおりまして……」
レオの話では、レオのお父さんである現国王は後宮を置かなかった。だけど息子のジェフロワ王子は「できるだけ多くのアルファの血を残さねばならない」と言って、自分専用の後宮を置いた。すでに何人もの子が生まれているけど、正妃の座はまだ空席のまま。自分の後継に相応しいアルファの子を産んだ女性を正妃に据える予定なんだとか。
「……女同士の血が流れそうな話だな」
「子どもの命も危険に晒されると私も思うのですが、強運もまた王者に必要な条件だというのが兄の主張のようでして……」
「うわあ」
王家がどうのと苦言を呈していたのは、赤毛の王子のことだけじゃなく、自分のところの王家も含んでいたのか。レオってば、色々と抱えてたんだな……。
だけど、矛盾点に気付く。
「ん? でも俺、男だよ? 後宮に入れられたところでアルファなんて産めないけど」
「それがですね……ええと、その」
レオが困り顔で言い淀んでいる。余程言いにくいらしい。
「なんだよ? 言ってくれないと分からないんだけど」
レオは唇を白くなるまで噛んだ後、実に申し訳なさそうに言った。
「その……! オメガはですね、『産む性』なのです!」
「……ん? どういうこと?」
首を傾げる俺に、レオが今度は溜まっていたものを吐き出すような勢いで言う。
「ですから、聖なる力を持つオメガは男であろうが女であろうが、子を宿す身体を持っているのです! ハヤトも同様です。最初こそ今より男らしいお姿でしたが、時間が経つにつれオメガの身体に変化されております。お顔も、その、お身体も……アルファだけでなく、今や普通の男ですら誘惑される美しさです!」
「……はえ?」
ぽかんと口を開けた。だって、え? 俺は普通に男だよ? え? ええ? こっちの鏡は質がイマイチだから正直自分の顔もろくに見ていないけど……あれ、そういや数本は生えてきていた髭すら生えなくなったのは……え、そういうこと?
「どういう理屈なのかは不明です。ただ私の国に残された文献では、過去に男のオメガがいたという記録が残っております。それを知る兄は、召喚された黒目黒髪の人間の性別は問わず必ず連れてこいと――」
ガン、と頭を殴られるような衝撃だった。なんてこった。俺が子どもを産めるようになったなんて簡単には信じられないけど、ひとまずレオたちが俺を孕める存在だと認識していることは理解した。
レオが懇願の眼差しで続ける。
「私の役目は、ハヤトを兄の元に送り届けること……! ハヤトの身柄と引き換えに母を引き取り、全てから逃れて平和に暮らす為に、ハヤトを兄に売るつもりでいたのです……!」
レオの青い瞳から、涙がボタボタと落ちている様を唖然として見つめた。レオが俺を裏切っていた理由は俺にも充分理解できるものだった。悲しくはあるけど、レオだって必死だったのが分かるだけにこれは責められないな……。
「だから私は少しでもハヤトに情が移らぬよう、名を呼ばないつもりでおりました。ですがハヤトは私を信じ切った純粋な目で名前を呼べと仰られ……」
「あれってそういうことだったの?」
「申し訳ございません……!」
レオが最初に俺の名前を呼ぶことに抵抗していたのは、これが理由だったんだ。なのに俺が聖女様の命令だって言ったもんだから、真面目なレオは逆らえなくて――。
悪いことをしちゃったな。俺は無意識の内にずっとレオを苦しめていたんだ。……やっぱり完全にお荷物だったんじゃないか。は、はは……。
レオの手が、剣の柄を握る俺の手を上からぎゅうっと握ってきた。
「せめて心の距離を置こうと考えていた矢先に、ハヤトは私の姿が見えないだけで取り乱され……! 私の心は罪悪感でいっぱいになり、ならば自分の心には蓋をし、せめて旅の間だけでもハヤトの心を癒せればと考えたのです」
異世界召喚二日目の朝の話だ。あの時レオはそんなことを考えていたんだ。自分がギリギリの後に引けない状況にあるにも関わらず、それでも俺に寄り添おうとしてくれてのあの返事だったんだ。
「旅の合間で、魔導書の解析を私なりに進めていきました。ハヤトを元の世界に戻す方法は存在するのか。あると仮定して、それは召喚陣を通してでないと行えないものかと必死で探しました。ですが記述は見当たらず……次第に私の中に焦りが増していきました」
「それは……なんで?」
ポツリと呟くように尋ねると、涙目のレオが俺の目を真っ直ぐに見つめながら答えた。
「――貴方を兄に渡したくなかったからです!」
「えっ」
「貴方をみすみす不幸になると分かっている場所に落としたくはなかった! 祖国に辿り着く前に貴方を元の世界に戻してしまえば、兄も諦めざるを得ない! そうなれば、祖国にある召喚陣で別の聖女を呼び出せばいい! この魔導書さえあれば可能な筈……! 聖女ではなく情報だけを渡し、母を解放してもらえないかと考えたのです……!」
「レオ……」
レオは裏切っていると言いながら、俺のことをちゃんと考えてなんとかしようと模索してくれていたんだ。やっぱりレオは――大好きだなあ。
レオへの愛を再認識している間に、レオが苦悩の表情で続ける。
「ですが読み進めていく内に、私はとんでもない事実に行き当たってしまったのです」
まだ何かあるのか。レオってば、ひとりで抱えすぎだよ。俺にも相談してくれれば――できなかったのか。俺が呑気にだらだらのんびりとか言ってるから。ちっともレオの役に立ってなかったよ。ごめんな、レオ。
「とんでもない事実?」
「はい。召喚陣の特性として、その場にいるアルファの内、一番光の力が強い者と最も相性がいいオメガが選ばれるのだそうです」
「うん? どういうこと?」
レオが唇を噛み締めた後――言った。
「あの場にいたアルファの中では、私が一番力を持っておりました。つまり、ハヤトがオメガの聖女として選ばれこちらの世界に連れてこられたのは、私が原因だったのです」
「はえ?」
え? ちょっと待って、どういうこと? 赤毛の王子が光の力を注いだ召喚陣だけど、呼び出されたのはより力の強かったレオと相性がいい相手だった……ということは。
レオが上目遣いで吐露する。
「――最初にハヤトのお姿を見た瞬間、私の中に激震が走りました!」
「激震」
「なんと美しいお方なのかと……! 視線を外すことすら叶わず、とにかく貴方をアンリ殿下から引き離すことで頭がいっぱいになりました」
「う、美しいって」
でた、レオのアジアンビューティー褒め。レオは最初からやたらと俺を褒めてくれたけどさ。……え? ちょっと待て。この理屈でいくと、俺はレオと相性抜群でレオの好みそのもので、レオの為にはるばる世界を超えてやってきたオメガってことにならないか?
レオがキラキラした碧眼で俺を凝視してきた。
「貴方は誰よりも美しい」
「ぶっ」
「私はあの時、ハヤトにひと目惚れしたのです。ですが貴方と同じ時を過ごせば過ごすほど、お姿だけでなく内面もこの上なく美しい貴方にこれ以上ないほどに惹かれていきました」
「……え?」
俺は目をぱちくりさせた。今レオはなんて言った? 俺の聞き間違いじゃなければ、ひと目惚れって言っていたような。
レオが心底悔しげに奥歯を噛み締める。
「先程ハヤトが兄のことを格好いいと述べた瞬間、頭の中が嫉妬で真っ白になりました」
「し、嫉妬」
え、これって間違いなくない? 俺……夢でも見てるんじゃないよな?
歓喜がじわじわと湧き上がってくる。
「はい、嫉妬です。貴方は私の唯一のオメガです。兄に貴方を奪われることを考えただけで、気がふれそうなほどに怒りが湧いてきます……!」
「嘘……」
「嘘ではありません! 貴方を誰にも渡したくない。貴方を陥れようとしていた私を今更信じてほしいなど、都合が良すぎるのは重々承知しておりますが……っ」
レオはスウ、と息を吸い込むと、しっかりと顔を上げる。
「ハヤト、私は貴方を愛しています。愚かな私を許してはいただけませんでしょうか……!」
切なそうな目をしたレオが、言った。




