15 レオの癒やし
両親が突然この世を去るまでは、俺は普通に食って普通に走り回る中肉中背の元気な子どもだった。
そんな俺の食事量が減った一番の理由は、叔父の家に引き取られて以降、遠慮が先立っておかわりしたいだなんて言えなかったことにある。だから背はなんとか伸びたけど、横には全く広がらなかった。そりゃあ食べるものも食べなければ、太る要素はどこにもないしな。むしろよくあの食事量でここまで伸びたと思う。
大学生になって念願のひとり暮らしを始めてからは、今度は「節約しなくちゃ」という理由から、食事量を控えめにしていた。
もし母さんがまだ生きていて痩せっぽちな今の俺の姿を見たら、ものすごく心配してせっせと俺の好物ばかりを作ってくれたんだろうな――。
そんなことを思う度、もうちょっと食べようかなとは思ってはいたんだよ? だけどそうすると、やっぱり時には二人が残してくれた遺産に手をつけないといけない時が出てきてしまう。でも通帳に残された金額が少しずつ減っていくのを見る度に、二人との繋がりがどんどん薄れていく気がして――バイトの収入が低い月も、結局は貯金を崩さずに頑張っていた。
そんなこんなで、俺はかなり痩せている自覚がある。身長は一七五センチあるけど、確か体重は五〇キロ台半ばしかなかった筈だ。最後に元の世界で測った時は、の話だけど。
だけどこちらの世界に来てからというもの、レオが「国から資金を支給されておりますので遠慮なさらず」と言って俺の分の食事代も支払ってくれるお陰で、食事量はかなり増えていた。でも一旦縮んでしまった胃はそう簡単には大きくならないのか、毎日極限まで体力を使っているからか、食べてもちっとも太らないんだよな。うーん、悩ましい。
ということで、依然として痩せている俺は、毎日朝晩と鍛え続けているレオに比べて圧倒的にひ弱だ。俺だってさ、ただ横で見ているだけじゃなくて一緒に鍛えたいとは思うんだよ? だけど連日の徒歩での長距離移動だけで、毎日宿に到着する頃にはくたくた。だから俺たち二人分の荷物が入った鞄だっていつもレオが持っている。うう、お荷物感満載……。
レオは「私はもう何年も騎士として鍛え続けていますから、そう気落ちなさらず」って慰めてくれるけど、俺の足手まとい感はどうしたって否めない。
俺ができる洗濯や針仕事だって毎日ある訳じゃないから、毎日あることでレオの負担がちょっとでも減らせることはなんだろう――。
考えた末、俺はいい案を思いついた。
「では忘れ物がないか点検してまいりますので、ハヤトはこちらでお待ち下さい」
「うん、分かった!」
宿屋から出る前に最後の点検をするレオの注意がこちらに向いていない隙に、昨夜も抱き締められながら寝たベッドの上に置かれているレオの重そうな鞄に近付いた。
なお、自分の恋心を自覚した以上、抱き締められながら寝るなんて心臓がヤバいことになって寝られなくなるかも――という俺の懸念は杞憂に終わった。いつだって疲れ切って即寝だったよ……自分の体力のなさを見誤ってたんだよな。はは……。
でも、これでも何週間も自分の足でかなりの距離を歩いて移動してきたんだ。それに元々居酒屋で立ち仕事をしていたこともあって、痩せているせいでへばりやすくはあるけど、こっちの世界に来てからは確実に体力がついてきたと思う。千里の道も一歩から――ってやつだよ、きっと!
つまーり! 過去はひ弱だった俺にだって、道中交替で鞄を持つくらいはできるようになっている筈ってことだ!
意気込んだ俺は、勢いよく鞄の肩がけ部分を掴んで持ち上げてみた。……うん。重さはあるけど、持てない重さじゃない。――いける、これならいけるぞ!
「よっ!」
更に肩に担いでみた。うん、やっぱりいける気がする!
するとその時、背後から「ハヤト?」と声をかけられた。
「あ、レオ! 俺もさ、荷物を――」
笑顔で振り返ろうとした次の瞬間、荷物が移動したせいで起きた遠心力に負けた俺は、大きくよろけてしまう。更にその場で後ろにひっくり返りそうになり――。
「――ハヤト!」
血相を変えたレオが飛んできて、片手で俺の腰を抱き抱えてくれた。
「……危なかった……!」
ホッとした様子で息を吐くレオ。俺と目を合わせると、困り顔で問いかけてくる。
「ハヤト……何故突然こんなことを?」
「いや、だってさ、いつもレオだけに持たせてるし……」
鞄の重量に完全に負けている俺は、上半身が仰け反った状態になっていた。映画とかだと、このまま王子様のキスが――なんて今の俺にとってはもしそんなことが起きたら超ラッキーな流れになったりとかあるよな。
キス、という単語を思い出した瞬間、今朝のお互い唇を触り合うというなんとも表し難い小っ恥ずかしくも甘ったるい時間を思い出してしまった。思わずレオの唇を見てしまう俺を許してほしい。
レオの眉毛が八の字に垂れ下がる。
「今朝の宣言は突然何事かと思いましたが……ハヤト、私はハヤトのお役に立てることを幸せと感じています。ハヤトが私の役に立ちたいと考えて下さるのは大変光栄なことではありますが、無理をなさってまでされなくても、先日もお伝えした通り私は貴方を足手まといなどと思ったことは一度もございませんよ」
レオの言葉に、俺は唇を尖らせた。仰け反ったまま。自力で起き上がれないんだよ。レオも何故か起こす気がないみたいだし。
「……今朝は一緒に頑張ろうって言ってたじゃないか」
「無理をしろとはひと言も申していません」
即座に返されて、俺の唇は更に尖っていく。
「折角俺も役に立とうと思ったのに……失敗しちゃった」
「力仕事は私にお任せ下さい。ハヤトが私の隣にいて楽しそうに笑っているお姿を眺めるのが、私にとって何よりの癒やしなのですよ。どうしても私の役に立ちたいというならば、楽しそうに笑っていて下さるととても助かります」
「……なんだよそれ。俺を慰めてるつもりかよ」
軽く睨むと、レオの眼差しが真剣そのものに変わった。
「事実を申しているだけです。貴方の笑顔を見ると、一日の疲れが吹っ飛ぶのです」
ええ……そんなことってあるのか? そりゃ俺だって、レオに抱き締められると疲れなんか全部吹っ飛ぶ気しかしないけどさ。
更に疑いの目で見る。
「……本当?」
「本当です」
しっかりと深く頷くレオ。
「……それは俺が聖女だから? なんか癒やされるもんでも出てるの?」
「そうではありません。ハヤトが聖女様であられるかどうかは、この件に関しては関係ございません」
「……本当?」
「本当です」
信じてほしいとばかりに射抜くような眼光で見つめられている内に、レオは案外本気で言っているのかもしれない、と思い始めてきた。自分が単純だという自認はある。それに、単にこんなことを好きな相手から言われたら普通に嬉しいし、なんならそっちを信じたくなるのは人間の心理だと思うし……。
尖っていた唇が元に戻っていき、ジワジワと込み上げてくる嬉しさのせいで頬が緩み、口角が自然に上がっていく。
だってこんなの、笑っちゃうに決まってるじゃないか。
「……じゃあ、今癒やされてる? 俺、レオの役に立ってる?」
レオがハッと目を瞠る姿が見えたと思った、次の瞬間。
「わっ」
突然鞄と一緒にベッドの上に乗せられたと思ったら、俺の上にレオが覆い被さってきたじゃないか。
えっ!? えっ!? これってどういう状況!?
レオはぎゅうぎゅうに俺を抱き締めながら、何故か小刻みに震えている。
「レ、レオ……?」
「貴方って人は……!」
その台詞、朝も聞いたな。
俺の耳朶に触れたレオの柔らかい唇が、低いイケボで囁いた。
「とても癒やされております……このまま一日をここで貴方と過ごしたいくらいには……!」
……レオも実は結構疲れが溜まってるのかな? どこかで一日くらい何もしない日があってもいいのかもしれない。レオが「でも」とか言うようだったら、久々に聖女様の命令権を使って強制的に休みにしちゃうとか。お、いいかも! 次の町に着く前に提案してみようかな。
レオの広い背中に軽く両手を乗せる。はは、大きいのに可愛い。
「はは、じゃあよかった。こんなんでよかったらいつでも癒やしてやるよ」
「はい……っ」
ただの俺がレオの癒やしになってるとはにわかには信じ難いけど、レオがそう言ってくれるなら俺も沢山笑顔でいるようにしよう。
大好きなレオに苦しいくらいに抱き締められながら、俺はそんな呑気なことを考えていた。