10 約束
異世界にきて最初の晩の夢には、久々に亡き両親が現れてくれた。
もしかしたら、異世界に来て不安だらけだった俺を安心させる為に、わざわざ元の世界の天国から顔を見せに来てくれたのかもしれない。
父さんの温かい手が背中に触れて、母さんの明るい笑い声を聞いた俺の顔にも笑みが浮かぶ。嬉しくて、でもこれが夢だとどこかで分かっている俺は切なくて悲しくて、同時に泣きそうになっていた。
どうして俺を置いて逝っちゃったんだよ。聞きたいけど、聞けなかった。
両親は俺が中学生になったばかりの頃、車の事故に巻き込まれて突然この世を去った。即死だった。部活の最中に呼び出された俺は病院に直行して、死亡の経緯の説明を受けて。
遺体の損傷が酷いということで、顔だけ見せてもらえた。穏やかに眠っている顔を見ても、しばらくは信じられなかった。
たかが十三歳の子どもが、ひとりで何をできる訳もない。茫然自失としている間に、同じく呼び出された父さんの弟である叔父さんが手続きを何もかもやってくれた。
俺は叔父さんの家に引き取られることになった。向こうには同い年の気の強い男の子がいて、彼の俺に対する当たりはとても強かった。叔父さん夫婦は「家族を亡くしたばかりの子に当たるんじゃない!」と従兄弟を叱ってくれたけど、彼に嫌われているのは一目瞭然だった。
俺には分かっていた。この家の中における異分子は俺で、俺のせいで不協和音が起きていると。
だから俺は全部呑み込むようにした。常に笑顔で我儘は言わず、言われたことは素直に従う。相手の雰囲気から察するように心がけて、相手が望む理想の居候になろうと懸命に努力した。
そんな時、一家団欒で集まっている叔父一家の話を聞いてしまったんだ。「あいつは何を考えているか分からない」ってさ。「気味が悪い」とか、「笑顔が嘘っぽい」とか、散々な言われようだった。
そうしないと嫌な顔をするのはそっちじゃないか。そう言い返せていたら、少しはスッキリしたんだろうか。
そして最後は「可哀想な子だから許してあげよう」に落ち着いていた。愕然とした。両親を亡くした上に、我慢して合わせていたのに、それでも俺は許してもらわないといけない立場なのかって。
理不尽だと思った。だから俺は可及的速やかにこの家から出ることを誓った。
公立高校に進んだ俺は粛々と勉強をして目立たないように生活をして、十八歳を迎えたのを機に叔父の未成年後見を終了してもらい――。
高校卒業と共に部屋を借りて、叔父一家の家を出た。人の顔色を窺いながら話を合わせる必要がなくなったと思った瞬間、あまりの安堵に熱を出した。それくらい俺にとってあの生活は苦しかったらしいと、その時理解した。
両親が残した財産は、大学に行くには十分な額があった。
でも、なるべくなら取っておきたい。だって、大好きだった両親が残した最後の物が遺産だったから。
大学に進学して、生活費の足しになればと居酒屋のバイトを始めて早二年。大学三年になり、就活も視野に入れなきゃな――と思っていた矢先の異世界転移だった。
元々、ひとりでいることは不安でいっぱいだった。叔父からだけは、時折「ちゃんと飯を食ってるか」と連絡がきていた。だけど二年間、一度も会いには来なかった。
……俺だって、本当は甘えたかったんだ。我儘だって言いたかったよ。
だけど、俺はあの家の中では異質だった。みんなが俺に気を使う中、どうやったら我儘なんて言えるんだよ。
言わせなかったのは、そっちの癖に。
「父さ……母さ……っ」
夢の中の両親は、「ハヤトの泣き虫は変わらないなあ」「そこが可愛いんじゃないの」と言って俺を抱き締めてくれた。叔父一家の前では一度も流れなかった涙は、両親の前ではいとも簡単に流れ出る。
夢の中だけの話な筈なのに、少しだけ感覚が残っている身体を誰かが温かく包み込んでくれているのが感じられた。
「ハヤト、泣かないで下さい……」
耳元で俺の名を心配そうに呼ぶのは、聞き心地のいい低音ボイス。この人の腕の中にいれば大丈夫だと思った。だって、この腕で俺を守ってくれたから。これからも守るって言ってくれたから。
だから俺は、この世界にきて始めて、心から安堵できたのだった。
◇
身体はずっとポカポカで暖かかったのに、ふと肌寒さを覚えて目を開ける。
目の前には、見知らぬ壁。確かにここに温もりが存在していたことを示しているように、俺の隣にはレオが抜け出した形跡が残された布団があった。
昨夜、食後にそのまま寝てしまった俺を抱き締めてくれていたのは、やっぱりレオだったんだ。
「レオ、おはよう」
近くにいるだろうと思って声をかけてみる。だけど部屋の中はシンとしているままで、レオの返事はない。
「……レオ?」
まだ半覚醒だった脳みそが、警鐘を鳴らし始める。レオがいない。この世界で俺が頼れるのは、正真正銘レオひとりだけなのに――。
ベッドから起き上がり、決して広いとは言えない部屋を見渡す。……いない。
「どこに行ったんだ? トイレ?」
トイレは共同だって言ってたからすぐに戻ってくるよな、とどんどん不安になっていく自分に言い聞かせた。その時、俺は気付いてしまったんだ。昨夜は壁に立てかけられていたレオの剣が、そこにないことを。
「え……なんで……」
トイレなら、剣なんて持っていく筈がない。
――まさか、置いていかれた……?
思ってしまった途端、激しいパニックに襲われる。立ち上がると、出口のほうに駆け足で向かった。
「レオ! レオ、どこ!?」
ドアのかんぬきが外されている。やっぱり出て行っちゃったんだ……でもなんで? まさか、赤毛の王子に俺が本物の聖女だってバレたのか? それでレオが捕まっちゃって処刑でもされていたら……嘘だ! そんなこと考えたくない!
「レオ! レオ! 返事してくれよ……!」
じわりと涙が滲んできた。建て付けの悪いドアを押して開け、部屋を飛び出した次の瞬間。
「……わぷっ!」
出てすぐに顔面ごと誰かにぶつかってしまい、勢い余って跳ね返される。後ろにひっくり返りそうになった俺の両肩を力強く掴んで引き留めたのは、温かくて大きな手だった。
「――ハヤト!? どうしたんです!?」
切羽詰まったように聞こえるイケボを聞いて、安堵のあまり膝から崩れ落ちそうになる。
「あ……レオ……」
血相を変えたレオが、矢継ぎ早に尋ねてきた。
「ハヤト、何故泣いているのです!? 誰かに何か不埒なことでもされたのですか!? まさかあの宿屋の男ですか! 私が剣を振っていた僅かな時間の間になんていうことを……!」
何かを勘違いして完結してしまったレオが、怒りを浮かばせつつ、宿屋の入口に向かうつもりか踵を返す。
「――レオ!」
俺は咄嗟にレオの背中に抱きつくと、ぎゅうう、と腕に力を込めた。
「ハヤト、何故止めるのですか!」
抵抗してきたレオに、必死に伝える。
「違うんだ! 俺、起きたらレオがいなくて、レオが赤毛のあいつに捕まって処刑されたのかと思っちゃって……!」
「――あの男は関係はないのですか?」
「何もされてないよ! レオがいないから怖くなって、それで俺……っ!」
「ハヤト……」
レオの身体の力が抜けていった。くるりと俺のほうに身体ごと向き直ると、困ったような八の字眉毛で俺を見下ろす。
「……私がいなくて不安になられたのですか?」
俺はこくこくと頷いた。
「レオ、ひとりでいなくなるなよ……! 俺を置いていかないでよ……!」
ボロボロと涙がこぼれ落ちる。情けないけど、レオが隣にいないのが恐怖しかなくて、いたと思ったら今度はホッとして、情緒がぐちゃぐちゃになっていた。
ここに確かにレオがいることを確かめたくて、レオの胸に回した腕に更に力を込める。
ふ、というレオの小さな息が聞こえたかと思うと、次の瞬間には俺の身体はレオの広い腕の中にふんわり包まれていた。頭に温かい息が吹きかけられる。柔らかいレオの唇が、天辺に押し当てられていた。
「……おひとりにしてしまい、申し訳ございませんでした。もう二度とお傍を離れないと誓います。どうか馬鹿な私をお許し下さい、ハヤト」
「レオ、俺……怖かったんだ……っ」
ぎゅう、としがみつくと、レオもキツく抱きしめ返してくれる。
「俺から離れないで……っ」
「はい、お約束します、ハヤト……!」
自分が発している言葉の内容が、はっきり言って重いし依存しまくっていて、出会って二日目の相手に言うには大迷惑なものだという自覚はあった。
それでも俺は、この人から離れたくなくて――。
「約束だからな、レオ……!」
自分のオメガな聖女という立場を利用して、俺はレオを言葉で縛りつけたのだった。