第二十三章:過去が眠る家へ
エマは電車に揺られて、静かな郊外の実家へ戻っていた。
築年数の古い、白い外壁の家。
塗装が剥げかけた門の前に立ったとき、胃の奥がぎゅっと締めつけられた。
この家で、彼女は“声を失った”。
実の母親の怒号。
割れるガラスの音。
夕飯の皿がひっくり返される瞬間。
「どうして“あんた”なんか産んだんだろうね」
「父親に似て、気味が悪い。消えてくれたら楽なのに」
それでも、誰にも言えなかった。
泣くと余計に怒られるから、ただ耐えて、黙って、消えようとした。
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エマの母はもうこの家にはいない。
離婚のあと、男と出て行き、連絡は途絶えている。
家には今、父がひとりで住んでいた。
部屋の戸を開けると、昔と変わらぬままの空気がよどんでいる。
埃のにおい。
古びた机。
クローゼットの奥にしまい込まれた、傷だらけの自分。
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夜になって、父が口を開いた。
「エマ……お前、いま幸せなのか?」
その問いに、らんは少し間をあけて答えた。
「わからない。でも……“好きな子”と暮らしてた。
一緒にいると、生きてる実感があった。
けど……その子が悪夢にうなされて、
わたしの手を“拒絶”した夜から……怖くなったの。
“また誰かを傷つけるんじゃないか”って……」
父は黙って頷いたあと、酒も飲まずにらんの隣に座った。
「……お前の母さんも、心に傷を抱えていた。
その矛先が、お前に向いてしまったんだと思う」
「俺はそれを止められなかった。ずっと後悔してる」
「でも、お前は母さんとは違う。
“怖がる”ってことは、“壊したくない誰か”がいるってことだ。
……それだけでも、お前はちゃんと“愛せる側”だよ」
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夜、エマは自室のベッドの上でスマホを握った。
紬とのトーク画面を開いたまま、何も打たず、画面を見つめる。
ふたりで撮った写真。
カーテン越しの光。
ベッドに並んで眠った夜の記憶。
そのひとつひとつが、
“帰りたい場所”として胸を締めつけた。




