第十一章:音になったものは、あなたのために
その日は小雨が降っていた。
ガラス張りの小さなカフェスペースに、パイプ椅子が円を描くように並べられていた。
――週に一度のピアカウンセリング。
“話せなくてもいい、泣いてもいい、そこにいてくれたらいい”
そんな場所。
エマは最初、入り口に立ったまま動けなかった。
紬の袖をつかんだ手は冷たくて、心音みたいに小さく震えていた。
紬がそっと囁いた。
「エマ、大丈夫。わたしも怖い。でも、一緒にいるから」
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その日は4人の参加者。
誰もが静かで、でもどこか“理解者の目”をしていた。
ゆきもいた。
彼女の笑顔が、ほんの少しだけ、エマの表情をゆるませた。
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話す時間が回ってきたとき。
紬は、ゆっくりと、自分の過去を語った。
継母のこと、義兄のこと、弟の沈黙、
そして「自分が壊れていくのを誰も止めなかったこと」。
紬の声は途切れ途切れだったけど、
“逃げない”という意志だけは、誰よりもまっすぐだった。
話し終えた瞬間、
エマの手が、震えて、紬の手をぎゅっと握った。
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進行役の大人が、エマの方をやさしく見た。
「無理しなくて大丈夫だよ」
「ここでは、黙っていても伝わるからね」
エマは、小さく首を横に振った。
…違う、今日は、違うの。
ずっと、ずっと、話さずにきた。
でも今だけは――「紬のことを、言葉で守りたい」と思った。
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静かな空気のなか、エマは唇を震わせた。
喉が痛いほどに緊張して、涙がにじみそうだった。
でも、それでも――声になった。
「このひとは……」
「わたしの、光です」
その声はかすれていて、掠れた音みたいだった。
けど、それは“誰かの心”に、確かに届く“言葉”だった。
会場の誰かが、目を伏せて泣いていた。
ゆきが、何も言わず、そっとハンカチを差し出した。
そして紬が、泣きながらエマを抱きしめた。
「ありがとう」
「わたしも、同じ気持ちだったの」
「あなたがいたから、いまここにいられる」
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その夜、ふたりはカフェの外の濡れたベンチに並んで座った。
雨の匂いと、湿った風。
でも心の中だけは、ずっと遠くの光を見ていた。
“あの子が、初めて声を出した”。
それだけで、世界が少しだけ、やわらかくなった気がした。




