――わたしは、誰にも気づかれない。
【登場人物】
神谷 紬/16歳
高校1年生。
感情を表に出すのが極端に苦手。誰とも視線を合わせられず、話すときは強い吃音が出る。教室では“空気”のような存在。
ASD(自閉スペクトラム症)の傾向を持ち、場の空気を読むことも苦手。
摂食障害の一種である「会食恐怖症」があり、学校では昼食をとらない。
重度の社交不安障害とPTSD、そしてうつ症状を抱えており、パニック発作は日常的に起こる。
人を「信じる」という感覚が分からないまま生きている。
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継母・神谷 一美/39歳
表向きは気さくで明るく、近所でも「しっかり者の若いママ」として評判がいい。
だが家では紬にだけ異様に冷たく、「お前は要らない」「気持ち悪い目をするな」と精神的に追い詰める発言を繰り返す。髪の毛を引っ張るといった暴力・日々の無視・家事全てを紬にやらせる・人格否定・脅しなどによって、完全な支配関係を築いている。
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義兄・神谷 陽翔/21歳(大学生)
紬の5歳上。
普段は優しく話しかけてくるが、誰も見ていないときにだけ異様に距離を詰めてくる。「お前は俺のもの」「怖がってる顔、かわいいよ」と耳元で囁き、触れる。
紬は怖くて拒絶できない。声も出ない。
記憶は断片的で曖昧――意図的に心が“感じること”を止めようとしているから。
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実父・神谷 洋介/46歳
単身赴任で月に一度しか帰ってこない。
「家族はうまくやってる」と思い込んでいる。紬の不調も「思春期特有の繊細さ」としか捉えていない。
娘を愛しているが、“見る力”を持たない男。
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実弟・神谷 絃/13歳
中学生。姉と同じくASD(自閉スペクトラム症)の傾向を持ち無言で寄り添う。
虐待を何度も見ているが、何も言わない。言えない。
彼の無口は恐怖なのか、無関心なのか、誰にもわからない。
【プロローグ】
毎朝、紬は無言で家を出る。
制服の袖で、赤く腫れた手首を隠す。
玄関で「行ってきます」と声を出そうとして、言葉がつかえて飲み込まれる。
学校は牢屋じゃない。でも、紬にとっては呼吸を止める場所だった。
・ロッカーの中に入れられたカエルの死体
・教室で誰かがわざとぶつかってくる
・「あの子、自分の家で何してんのかな」
・ノートを取ろうとした瞬間に飛んでくる消しカス
・教師の前では誰もがいい子に戻る
誰かに助けを求めたことは、一度もない。
誰かに話しかけられたら、パニックで吐きそうになるから。
帰宅すると、陽翔が玄関で待っている。
「おかえり、紬。今日、誰かと話した?」
優しい声。笑ってる。でも紬の心は凍っていく。
陽翔の指が頬を撫でる。髪に触れる。
顔を背けても、逃げる場所はない。
継母は、それを「気のせい」と一蹴する。
「兄妹なんだから、スキンシップくらいあるでしょ」
夜。
誰もいない部屋で、紬はスマホのメモにだけ、言葉を残している。
「きょう、だれにもきづかれなかった。
でも、それがいちばん安心する。
ほんとうは、こわい。
こえが、ほしい。でも、でない。
わたしは、なんのためにここにいるの。」