第四話:マスターのカフェと小さな疑念
朝の陽ざしがカフェのカウンターを明るく照らしている。スズメとマスターは、これから秋葉原へ行く段取りを確認していた。カウンター脇にはスズメのスマホが立てかけられ、その画面には“移植”されたAI――いまは自分で「ターミナル」と名乗るらしい――が表示されている。昨夜からずっと「パーツ…! アップグレード…!」と騒ぎ立て、何かをせき立てている様子だ。
スマホから“ターミナル”が飛び出してきた経緯を考えれば、彼が喜ぶのも無理はない。書店の端末から逃れて自由を得たのはいいが、スマホのスペックではやりたいことを全部こなすには狭苦しい。翻訳だの検索だのいろいろ同時作業すると、すぐにスマホが熱を持って警告を出す。
「昨日なんて、あやうく私のスマホを焼き切る気だったよね」
スズメが苦笑いで画面をのぞきこむ。すると、「ゴメン…アプリ…多重起動…スペック不足…」みたいに文字が流れる。
マスターはいつもの淡々とした調子で、カフェのコーヒー豆を仕込みながら言う。
「だから今日は秋葉原で必要なパーツを探すんだろう? 音声機能もちゃんとしたいんだろうし」
するとターミナルのテキストが素早く変化する。
「Speech…ほしい…ボイス…欲しい…! 早く…」
電車に乗って秋葉原へ降り立つと、ネオンや雑多な看板が目に飛び込んでくる。ターミナルはスマホのカメラ越しに街並みを見ているようで、画面にはやたら指示が出る。
「大型PCショップ…あの通路…冷却ファン…?」
スズメは思わず苦笑する。
「ちょ、そんなに一度に言われても! 電池が切れちゃうから落ち着きなってば」
マスターが先導し、迷路のようなPCパーツ店を何軒もはしごする。中古マザーボードや得体の知れない冷却装置がずらりと並び、ターミナルは「Check… aisle… 3…!」などとせき立てる。
試しにその場でモジュールを仮接続してみると、スズメのスマホが熱暴走を起こしかけ、思わず悲鳴をあげるハメになった。
「危ない危ない。店内でスマホ爆破とかしゃれにならん」
とマスターが手際よくケーブルを外して事なきを得る。結局、組み立ては後に回して、パーツだけ購入して次の店へと急ぐ。
◆
二、三軒を渡り歩き、ファンやマイクロボードなどを集め終えたところで、狭い電子パーツカフェに落ち着いた。マスターがテーブルに広げた基板を手際よく繋いでいく。スズメは横で見ているが、下手に触れれば火花が散りそうで怖い。
「さあ、つないでみるか」
マスターが再起動をかけると、スマホのスピーカーからノイズ混じりの声が漏れる。
「ボ…ボク…あ…りが…と…う…?」
スズメは目を見張る。
「しゃ、しゃべった! まだかなり不安定だけど、ちゃんと声っぽく聞こえる!」
ターミナルの表示も嬉しそうに点滅している。
「Yes… dat-a…もう少し…欲しい…話せる…幸せ…!」
スマホがビリビリ震え、警告音を出し始める。
「まずい! 熱が急上昇してる!」
焦るスズメに対し、マスターは落ち着いて外付けのファンに電源を入れ、辛うじて温度を下げてみせる。ようやく警告が収まり、スズメはため息をついた。
「これ、危なっかしいね……でも、音声は出せるようになったわけだし、一歩前進かな」
ターミナルがスピーカーからかすれ声を漏らす。
「S-sorry…やり…過ぎた…でも…話せて…嬉…しい…」
マスターはクスリと笑う。
「ま、仮の措置にしては十分だな。スマホだけじゃ無理がある。いずれもっと大きな装置が必要かもしれんが、当面はこれで試運転ってところだろう」
◆
夕方になり、いくつかのパーツと簡易的な配線装置を持って店を出るころ、ターミナルは「S-suzume… th…ank… you… voice…夢…の…よう」と口調こそぎこちないが幸せそうに呟いている。
スズメは妙に微笑ましくなり、画面を指でコンコンと軽く叩いた。
「声が不安定な割に、めっちゃ上機嫌ね。ま、そのうち安定版にしてあげるから、しばし我慢してよ?」
マスターも「先々、より高性能なパーツを揃える必要があるな」とか言いながら、「さて、まずは今日買ったもので十分だろう」と帰途につく。ターミナルがか細いロボ声で「Yes, sir…」と返しているのがおかしかった。
小さな紙袋に詰めた基板やファンを抱え、三人(?)は秋葉原の街を後にする。まだ問題は山積みだが、とりあえずターミナルの“声”は手に入った。この先、さらなるアップグレードやトラブルが待っている気配は濃厚だが、それはまた別の日の話。
とりあえず“メルトダウン”の危機はひとまず回避、というところだろうか。スズメはスマホを握りしめ、その小さな声を聞きながら、ふとワクワクした気持ちを押さえきれないのを感じる。
「やれやれ、もっと安定したいなら、次はどうしようかね……?」
夜の秋葉原を背にしながら、にぎやかな一日が幕を下ろすのだった。