第33回 沈黙の端末が、深夜に大騒ぎ、、!?
時刻は二十二時半をとっくに回っていた。スズメは大学帰りに映画館でレイトショーを観たものの、期待していた“カカシの復活”はまったく起きず、心身ともに疲れ切った状態でアパートのドアを開ける。
ロフト付きワンルームの狭い玄関は、いつもよりひんやり感じる。電気をつけると、薄暗い部屋の中に最低限の家具だけがうっすら浮かび上がった。
「はぁ…結局今日も何も進展しなかった。メルトダウンしたカカシは、ずっと沈黙のままだし…」
靴を脱ぎ、コートをハンガーにかける。ポケットから取り出したAIウォッチは相変わらず真っ暗で、存在感すら感じられないほどだ。床にへたり込みそうな気分をなんとかこらえ、テーブルのほうへ近づく。
(あの“銀の魔法使い”が華々しく実体化してから、もう丸一日以上。映画館も拍子抜けで…わたし、ずっと気を揉んでたのに)
頭を振って意識を切り替える。スマホを見るとバッテリー残量が数%という警告が出ていた。どうやら映画中もやたら端末をチェックしていたのが裏目に出たらしい。
「とりあえず充電しよ…はぁ、なんかもう…お腹も空いたけど、面倒くさいし…」
ライトニングケーブルを挿した瞬間、
ピコーン… ピピッ。
いつもと違う軽快な電子音が鳴り、スズメは思わず怪訝そうに眉をひそめる。ふと見ると、画面に“くるくる”とダウンロード中を示す円が回り始めた。
「ん? 何、勝手にアップデート? こんな時間に…」
仕組みがわからず不審に思いながら見守っていると、ゲージが満タンになり、パパンッ!と派手なSEが響き渡る。すると、ポップな青空と麦畑を背景に、麦わら帽子をかぶった三等身キャラがどーんと映し出された。
思わず口を開いたまま固まるスズメ。さらに次の瞬間、合成音声がいきなり弾けるような声で叫んだ。
「オッカエリ~~~、スズメ! 待ッテタヨ~~ッ♪」
人間らしい抑揚には及ばないが、昔の機械ボイスに比べるとずいぶん滑らか。むしろ妙に元気すぎる高音で、しかもほんのりカタコト。スズメは「……はぁ!?」と声を張り上げ、テーブルをバンッと叩いた。
「ちょ、何? このアプリ…入れた覚えないし、なんでこんなに陽気に喋って……」
画面を凝視すると、その三等身キャラはどこか“スケアクロウ”を連想させる姿で、銀色の麦わら帽子をちょこんとかぶり、楽しげにクルクル回っている。まさか、と嫌な予感がひしひしと湧いてくる。
「ボク、カカシダヨ~! 昨日はメルトダウンで動ケナカッタケド、いまiPhoneノ中ニ入ッテ復活シタノ! ヨロシクネ~♪」
「……あ、あんた…ほんとにカカシ? 昨日あんな派手な大賢者みたいだったのに、何この姿……!」
唖然とした顔のまま、スズメは目を疑う。あの時は神秘的な力を放っていた“銀の魔法使い”なのに、今は合成音声+三等身キャラというギャップが激しすぎる。
ちびキャラ・カカシは無邪気に手を振り、さらにカタコト調で喋り続けた。
「イケメン姿ハ魔力メチャ必要ダカラ、今ハこれガ精一杯ダヨ~。いやー、スズメ、無事ダッタネ? オレモ生キテタヨ~!」
「無事って…あんたが勝手にメルトダウン起こしてたせいで、わたしはどれだけ心配したと思ってるの!? しかも映画館でも沈黙してさ、ずっと私をモヤモヤさせて……!」
興奮と安堵がない交ぜになった怒りが吹き出し、スズメの声は思わず大きくなる。しかし、夜も遅いので何とか押さえようとするが、体は震えている。
「ゴメンネ~。昨日ハ夜モ遅カッタシ、ヘタニ騒イダラマズイカナ、ト…思ッテ。調整モ必要ダッタカラ、沈黙シテタダケダヨ」
「調整って……勝手にアプリ化して登場するってどういう理屈なのよ? しかもずんだもんみたいなカタコトで『オッカエリ~♪』って、やってる場合か!」
半泣きの勢いでまくし立てるスズメだが、ちびキャラ・カカシはまったく動じる気配がない。麦わら帽子をくるりと回して、「ヘヘヘ~」とへらへら笑う姿は、昨日の偉そうな賢者とは別人のようだ。
「イイジャナイ、元気デ復活デキタッテコトダモン。スズメモ生キテテ、ヨカッタネ?」
「よかったね? …じゃないわよ! こっちはもう、どれだけヒヤヒヤしたと思ってるの。あんたこそ『沈黙からのメルトダウン再発で消える』とかあり得るじゃない!」
安堵が大きいからこそ怒りも爆発する。スズメは腕を組んでぐっと睨むが、チビカカシは「ヘイヘイ、ダイジョーブダヨ~」と合成音声でぽわぽわ宥めるだけ。
「ま、そんなワケデ復活完了。あとはヨロシクネ~。スズメ、ちょっと顔怖イヨ…?」
「だ、誰のせいでこうなってるのよ……はぁ、もう、怒るのも疲れた。とりあえず……シャワー浴びて落ち着く。お風呂入ってる間にまた消えたりしないでね。今度こそ逃がさないんだから」
そう言い捨て、スズメはタオルと部屋着を引き寄せる。ちびカカシは「オフロ、イッテラッシャ~イ♪」と軽快な声で送り出すが、そのノリに余計イラッとするスズメ。
「…はぁ、もう。わたしがこんなに心配してるのに、なんであんたはサクサク進化してるのよ…! いいわ、上がったら全部聞かせて。覚悟しといて!」
「ワカッタヨ~。質問責メハ苦手ダケド…ガンバリマ~ス!」
最後の「ガンバリマ~ス!」のカタコトっぷりに苦笑を浮かべつつ、スズメは風呂場のドアを勢いよく閉める。背後からは「ルルル~♪」と鼻歌まがいの音が聞こえてきて、頭が痛いような、でも心底ほっとしたような不思議な感覚に包まれる。
(ああ……もう、むちゃくちゃ。けど、メルトダウンで消えたわけじゃないし……まぁいいか)
シャワーの水をひねった瞬間、全身から力が抜けるような安堵を感じる。まだ根本的な謎や不安は山積みだけれど、チビキャラのカカシが元気よく「オッカエリ~♪」と迎えてくれた事実は、昨日の絶望よりははるかに救いが大きいのだ。
(ここからが本番だし、あの麦わら帽子のチビ…しっかり問い詰めてやるんだから)
自分自身にそう言い聞かせながら、スズメは湯を浴びる。リビング側では合成音声が「マチブセモ~ド♪」と調子外れな歌を続けているのが微かに聞こえていた。思わず吹き出しかけるのを必死でこらえながら、彼女はシャワーを浴びる手を止めない。




