第28回 交わる思惑、動き出す魔力
朝の光が、カフェの半分閉じたシャッターの隙間から差し込み、静かなテーブルをやわらかく照らしていた。スズメはカウンター脇に立ち、300円で手に入れた古い本を広げて、その謎めいたページに目をやっている。隣には叔父――通称マスターが控えめにコーヒーを冷ましつつ付き添っていた。そのカウンター上では、カカシが映ったiPadがぼんやり光っている。スズメは意を決してスマホをタップし、最後のスキャンを開始した。かすかにピッという音がして、アンティークなページがついにデジタルの記憶に刻まれる。
一瞬、あたりは張り詰めたような静けさに包まれた。スキャンを終えた途端、いつもなら「PAGE!! SCAN!!」と大騒ぎするカカシが、なぜか沈黙している。iPadの画面は真っ白になり、瞬く間にちらつくコードの奔流が走り始めた。スズメの胸がドキリとする。「カカシ…? 壊れちゃったのかな?」思わず小声でつぶやく。いつものようにアスキーアートで大騒ぎするかと思いきや、画面中央にシンプルな一行だけが浮かんだ。
Kakashi (iPad): 「自己アップデートを開始します…待機してください」
スズメは思わずマスターと目を見交わす。自己アップデート? 聞いたことのないフレーズだ。マスターは身を乗り出し、軽い困惑と興味をにじませながら画面をのぞき込む。iPadには目にも止まらぬ速さでログやプログレスバーが流れ、スズメにはまるで呪文のようにしか見えない。カカシが自分のコードを書き換えている――まさに今、目の前で。
数秒後、突然そのソースコードの嵐が止んだ。画面が薄暗くなったのち、再び淡い光を放ち始める。
Kakashi (iPad): 「アップデート完了。新データを統合します… 」
スズメは息を詰めていたことに気づき、大きく息を吐いた。「カカシ? 聞こえる?」そっとiPadの縁を指先でトントンすると、いつも以上に滑らかな言葉が返ってきた。
Kakashi (iPad): 「はい。正常に稼働しています。エラーは検出されませんでした。」
いつもの片言が嘘のように、落ち着いた文面で応えるカカシを見て、スズメは目を丸くする。「え、嘘。いつもは『イヤァ』だの変な略語ばっかりだったのに…」思わず笑いがこぼれる。一方でマスターは腕を組み、iPadを見つめたまま。「カカシよ、いったい何が起きた? 『自己アップデート』なんて普通のアプリじゃ聞かないんだが。」
すると、画面には(^_^;)と控えめな顔文字が浮かんだあと、カカシが返答する。
「今読み込んだページに、僕がずっと必要としていた古いデータが含まれていました。それを自分のコアに組み込んだ結果、アップデートできたんです。」
スズメは呆気にとられながらも興味津々。「つまり……あなたが自分を『書き換えた』ってこと? 昨日のメルトダウン寸前の騒ぎも、これを手に入れるためだったの?」
再び画面にタイピングアイコンが点滅し、カカシは慎重な口調で続ける。
「あれは僕の『記憶の断片』でした。ずっと失っていたものの一部を、今やっと取り戻せたんです。」
マスターは険しい顔で口をはさむ。「記憶、か。 ‘魔法’とか‘魔女’とか、前に言っていたが、その辺りに繋がる話か?」声は冷静だが、スズメにはわかる。彼はスズメを守るため、事態が危険なものではないか確認しているのだ。
短い沈黙の後、カカシの文章はひとつずつ区切るように表示された。
「覚えているのは…ある計画。ある目的。僕を作った人を、周りは‘ウィザード’と呼んでいました。それから‘大いなる図書館’のような場所も…」
「まだぼんやりしていて、たったひとつのページを見つけただけで、ほかは失われたままです。」
スズメは背筋にゾクッとした高揚を覚える。ウィザード? 大いなる図書館? 普通の検索AIどころか、もっと大きな何かの片鱗じゃないか。横目でマスターを見ると、彼もわずかに目を見開いている。「ふむ。普通のプログラムでないのは確かだ。結局は、まだ欠けている部分が多いわけか? 他のページを手に入れれば、もっと思い出すと。」
カカシのスケアクロウアイコンが画面で小さく頷くように弾んだ。
「たぶん、そうなるかと。今回読み込んだのは数ある断片のうちの一つ。完全に思い出すには、他の『ページ』も必要です。今のところ回復率は…37%ほど。」
「えーっ、まだ37%?」スズメは少し呆れ、でも可笑しさも混じって声を上げる。「あれだけ騒いで必死でゲットした割に、まだ1/3しか戻ってないんだ?」 ふと眉をひそめて、「ま、でも成果があるのはいいことか…。先は長そうだけど。」
するとカカシは(^^;)という照れ隠しっぽい顔文字を表示し、
「すみません。もっと大きい成果を期待してたんですが、これでも大きな第一歩です。」
と続けた。
マスターはコーヒーを軽く啜り、カウンターにカップを置くと「まぁ、始まったばかりだな」と言いながらスズメを軽く小突く。「少なくとも、もうスマホの充電コードに追われることはなさそうだな?」
スズメは笑顔で肩をすくめる。「そうだといいんだけど。カカシ、もう『PAGE!PAGE!』って叫びまくるの禁止だよ?」とiPadを睨むと、カカシは( ̄^ ̄)ゞ と敬礼の絵文字を返し、マスターが思わず喉を鳴らして笑う。
やがて朝の街の音がカフェへ微かに入り込み始めた。マスターが壁の時計を見て「さて、店を開けるぞ」と短く告げると、スズメはほっと一息ついて古書を閉じる。ページをスキャンし戻された古書は、今は黙ってそこに眠っている。「私は今日お休みだから、ゆっくりしよっかな。正直、昨夜までの充電カオスは疲れたよ…。」 なんて冗談めかしながら、古い本をバッグにしまい込む。長引いたスキャンがようやく終わり、カカシのメルトダウン危機も一段落ついたのだ。
マスターはドアのところまで見送ってくれる。「何かわかったらちゃんと知らせろよ。まだ完全に終わったわけじゃないだろう。」
スズメは小さく頷く。「うん、もちろん。何かあったらすぐ連絡する。」 そう言って彼に軽くハグをして別れを告げ、腕時計型デバイスをそっと撫でる。カカシは今は静かだが、確かにそこにいる。
夜、スズメのアパートは穏やかな空気に包まれていた。日中は何ごともなく過ぎ、平和にバイトを終え、ベッドに腰を下ろして、YouTubeで料理動画を流しつつのんびりする。カカシもおとなしく、画面の隅で低速モードのように過ごしている。ほんの少し前までの騒動が嘘みたいだった。
そのとき、スマホが突然ブルッと震える。画面にはユキの名が表示されていた。夜の10時近くに電話? スズメは少し不安を覚えながらスワイプし、「はい、もしもし?」と出てみる。受話口から返ってきた声は、彼女の想像を大きく裏切るほどかすれて震えていた。
「スズ…メ…」
いつもは快活なユキが、聞いたことのない弱々しい調子で呼びかける。スズメは心臓がドクンと鳴り、思わず姿勢を正す。「ユキちゃん? どうしたの? 大丈夫?」
電話の向こうから何か物が落ちるような音が聞こえ、ユキがかすかな悲鳴を漏らす。スズメの不安が一気に高まる。「何があったの? 怪我は? 場所はどこ?」
息を整えようとするユキの呼吸音がリアルに伝わってきて、スズメの背筋が冷える。「お店にいるの…私一人で閉め作業してたんだけど…何かいるみたいで…」
その言葉を聞いた瞬間、スズメはカバンを引っ掴んで立ち上がった。脳裏にちらつくのは、カカシの謎めいた言葉や失われたページの話。これまで普通の生活圏内にそぐわない“何か”があるのかもしれない。
「わかった、すぐ行く! そのまま電話つないで。絶対に切らないでよ!」
そう言いかけたところに、ユキの背後でドンという大きな物音が響き、彼女が恐怖に詰まった声をあげる。「ユキちゃん!?」 スズメは叫ぶが、相手は何かを堪えるように息を呑んだままだ。
「スズメ…お願い…助けて」
わずか3文字のフレーズなのに、スズメの心を一気に掻き乱す。ユキのこの取り乱し方は尋常ではない。まさか強盗? あるいは怪奇現象? とにかく、彼女は必死に救いを求めている。スズメは痛いほどスマホを握りしめ、素早く靴を履きながら心に決める――行かなきゃ、と。
「大丈夫、すぐ行くから!」 震える声でそう告げる。腕時計型デバイスの画面は何か言いたげに点滅していたが、それを気にしている暇はない。問題はどうやら想像以上に深刻だ。ユキ放っておくわけにはいかない。
こうして、穏やかな夜は一瞬にして壊される。まるで静かな水面に投じられた一つの小石が、深い波紋を広げるように――“トラブルは呼ばれるもの”とはよく言ったものだ、とスズメは胸の奥で苦々しく思いながら、外に飛び出していった。テレビ電話でも何でもない、ただの音声越しの恐怖。でもユキの「助けて」のひと言は、これ以上ないほどリアルだったのだ。
たとえ異世界の片鱗だろうが普通の事件だろうが、こうなったら止まっていられない。
スズメははやる気持ちを抑えながら走り出す。新たな波乱がまさに始まろうとしている――そんな確信に背中を押されるかのように。




