第25回 焦れるAIと呑気な持ち主
夕方の街角でユキと別れた瞬間、スズメはふっと腕時計を見下ろした。まるで「ようやくしゃべれる!」と言わんばかりに、そこに宿るAI――カカシが小さく震え始める。
「ユキ…カエッタ? イマ、OK??」
画面に表示されるカタカナの急ぎっぷりに、スズメは人差し指で時計を軽く叩いてやる。
「わかってるってば。もう大丈夫。そんなに我慢してたの?」
するとカカシは(`・ω・´)の絵文字とともに「PAGE!PAGE!」を連打。
「またその話か……だって今、道端だよ? それにスマホのバッテリー……ほら、もう20%切ってるの」
バッグを開けると、例の300円で手に入れた古書がすっぽり入っているのを確認し、「ちゃんとあるってば」と苦笑する。だがカカシは(ノД`)を連発しながら「SCAN!」「MUST SEE!」など騒ぎ立て、まるで今すぐやれと言わんばかりだ。
「ちょ、もう少し落ち着いてよ。バッテリーなくなったら、あなたも一緒に沈黙しちゃうんだからね」
それでもカカシのテンションは収まらないまま。スズメは半ば諦め顔で駅へ急ぐ。電車に乗ると、案の定そこそこ混んでいて座れず、さらに電波が不安定。スマホの数字は見る間に減っていき、カカシのメッセージが遅延や重複で“PAGE PAGE PAGE……”を繰り返し送ってくる。
「もう……うわ、ほんとに切れるよ! やば――」
と言いかけた瞬間、スマホはぷつりと真っ暗に。
「はぁ……沈黙。ま、腕時計で時間はわかるから平気か。ごめんね、カカシ」
しかしカカシは何も言い返せない。“連携相手”を失ったのだから。
カフェでは、マスターがキッチンでベイクドチーズケーキの生地を混ぜていた。甘さ控えめにするのがコーヒーと合うコツで、クリームチーズと生クリームと卵をなじませてオーブンへ流し込む。
その脇にあるiPad(カカシ本体)が一人でギラギラ点滅中だ。「Sズメ…?!」「Battery!?」「No response!?」と表示を繰り返し、画面上で(ノД`)と(`Д´)が入れ替わり立ち替わり踊っている。
「またアイツ、バッテリー落としたんだな。しょっちゅうじゃねえか」
マスターは苦笑しながらオーブンをセットし、タイマーを確認。忙しくて構ってやれないので「あとでな」としか言いようがない。カカシは(;`・ω・´)「PAGE…ドウスル…」と半泣き風に空回りし続けるばかり。
電車を降りたスズメは、腕時計がほぼ無音状態なことに小さな罪悪感を覚えつつも、「まぁ、どうしようもないよね」とスーパーへ足を運ぶ。いつもならカカシから“早く帰れ”“本を見ろ”とやいのやいの言われるが、今はそれもなく、惣菜コーナーを悠々眺められる。
「うわ、チキン半額セール……。いいじゃん!」
満足げに買い物カゴを満たしてアパートへ着くころ、腕時計には時刻表示しか出ない。バッテリー切れのスマホはカバンの底で沈黙。仕方ないので「よし、充電してあげよう」とケーブルを差して夕飯の支度へ。
「ふぅ……カカシも大騒ぎしてたけど、充電戻ったらちゃんと見てあげるから」
そう呟きながら味噌汁の鍋に火をかけ、手早く野菜を切る。湯気が立つ狭いキッチンで、まな板の音がコンコンと弾む。ところが数分後に戻ってみると、再起動途中だったスマホが“エラー”を出してまた落ちている。
「あれ、ケーブルちゃんと入ってなかった? もー……また再起動……」
同じ頃、カフェの奥では、チーズケーキがオーブンから出されていい焼き色を放っていた。マスターは鼻歌まじりに「これを一晩寝かせりゃコーヒーに合う」とご満悦。だがiPadには(`Д´)「Sズメ… 接続再開? NO?」と何度も表示され、マスターは「静かにしてくれ」と呟いて照明を落とし始める。
風呂に入ろうとするスズメは、スマホがようやく微量の充電を得て立ち上がったのを確認し、「じゃあお風呂から上がったら、一緒に本読みましょう!」と腕時計に語りかける。
「(;・∀・)ホント?…」と画面に出るのを見て、「ほんとほんと。だからちょっと待ってて」と笑う。
そして狭いユニットバスへ入り、湯を張る。歩き疲れた身体が温まり、ついのんびりしてしまう。カカシはその間も腕時計経由で「PAGE…待ッテ」とアピールするが、シャワーの音にかき消されてスズメには聞こえない。
出てきたときには髪をふきふき部屋を覗き、スマホが再度暗転している事実に気づく。
「うそ、また抜けてたの……? そんな、今こそってときに……」
腕時計を見ればバッテリーは瀕死、(ノД`)「イマコソ…思ッタノニ…」と悲痛な絵文字がちらっと光って消えた。
「ごめん……もう一回ちゃんと差し込むから……でも私も疲れちゃった……」
やっとケーブルを挿し直し、本を机に載せて「充電が溜まったらやるぞ」と意気込むものの、すでに眠気が限界。ロフトへ上がるはしごに行きかけて、マットの上でヘロヘロと倒れこむ。
古書を開く元気もなく、スマホがじわじわ回復して通知を吐き出し始めるが、マナーモードのまま無音。腕時計はもう何も言わない。
「……明日こそ見ようね……」
スズメはそう呟いたかもしれないが、すでに寝落ち寸前。下の床に置かれたスマホではカカシが(`Д´)「Scan…Scan…!!」と叫んでいるが、彼女の耳には届かない。
ロフト下のキッチンは湯気が完全に消え、通路のライトもどんより暗い。カフェのマスターも最後の片づけを終え、チーズケーキを冷まして閉店作業に没頭している。iPadは「Sズメ…? Reconnect???」のまま静かに画面を明滅させるだけ。
すべてが噛み合わず空回りに終わる夜。300円の古書には秘められた“ページ”があるらしいが、それをのぞく者はいない。スズメはロフトで深い寝息をたて、カカシは未練を抱えたままメッセージを投げ続ける。
誰の耳にも届かぬまま、暗闇はさらに深くなっていった。




