第23回 坂道の古書店と、不気味な囁き
坂の途中で道に迷うなど、普段なら気にせずスマホ地図を頼りにすれば済む。けれど今日は、スズメには頼りになる(はずの)案内役――腕時計に宿ったAIカカシがいる。ところが、その「案内」が妙に遠回りなせいか、想像以上に時間がかかってしまった。
「カカシ、本当にここなの?」
午後の薄い日差しが届かない脇道で足を止める。人気はなく、建物の隙間に吹き溜まった空気が冷たい。腕時計を覗きこむと(`・ω・´)「コノサキ… サカ… ミギ…」とカタカナ表示が浮かんでいる。確かに、その先には木造の古い建物が見えるが、看板が色褪せていて文字を判別しづらい。かろうじて「ツキカゲ堂」とか「月影堂」とか、そんな風に読めるような……。
細い坂を下りきると、ガラス戸がくぐもった一軒が目に入った。戸の内側に貼られたペラペラの紙には、いつの時代からあるのか分からないフォントで「営業中」と書かれている。外には埃をかぶった空き箱が積まれ、誰の目にも留まらぬ場所で長く放置されている様子だった。思わず息を呑む。この道が正解なら、ここが噂の古書店――ツキカゲ堂に違いない。
「……行くしかないよね、カカシ」
腕時計は(・_・;)「ドキドキ…」と震えながら表示。いつも曖昧検索やレア本探しを得意げにしているAIが、どこかそわそわしている気がする。スズメは戸をガラガラと引き、重たい空気が排出されるような感触を味わった。かびと紙の湿気、古いインクのにおいが混じっている。
薄暗い蛍光灯が天井にぶら下がり、ときどき点滅している。いかにも長年手入れされていない空間。背の高い本棚が入り口近くまで迫っていて、棚の通路は陰気な薄闇に満ちていた。棚と棚の狭間には、綴じ紐が解けかかった和綴じ本や、洋書とおぼしき分厚い背表紙がぎゅうぎゅうに押し込まれている。見るだけで圧迫感があり、ちょっと大げさに言えば、人が滅びた後に残された書庫のようでもあった。
「えっと……す、すみませーん」
内心の不安を紛らわすため、少し明るめに声をかける。すると、店の奥のレジカウンターで何かがもぞりと動いた。よく見ると、白髪まじりの男性が椅子にぐったり座っている。
「……ああ……どうぞ……」
口調は落ちきった気力のようで、しゃべってはいるが視線を合わせようともしない。そのまま頬杖をつき直すようにうつむく。
(やる気なさすぎ……)
スズメは本格的に居心地の悪さを覚えるが、せっかく来た以上、引き返すのももったいない。カカシの指示どおりに、棚の間を慎重に進む。棚は恐ろしく高く、最上段の本などどうやって取るのか想像もつかない。そっと背表紙に指を滑らせると、乾いた埃がパラリと舞いあがった。
「うわ……ちゃんと掃除してないんだろうな……」
ひそかに呟いたとき、頭上あたりで軽い“カタッ”という音がした。ギクリとして見上げるが、棚は動いていないように見える。それでも、なんとなく嫌な予感が胸を掠める。
腕時計を見れば(`・ω・´)「ソノヘン… レア… タカイ…?」とカタコト表示。スズメは「売る前提かよ……」と内心ツッコミつつ、奥へと一歩踏み込んだ。すると――
バサリッ!
凄まじいほどの音量で、本が一冊、背後の棚上段から床へ落ちる。硬い表紙が床を打ち、埃がわっと舞いあがった。思わず悲鳴をこらえるように「ひゃっ」と口をつぐむ。
振り返ると、その本は“開いたまま”倒れている。ページを開いたまま、まるで意思があるかのように置かれている姿に、スズメの心臓は嫌な鼓動を打った。
「……え……なんで、こんな自然に……」
怖々近づき、拾い上げる。背表紙はほとんど剥がれていて、黄色く変色したページに、うっすらカビのような痕跡がある。タイトルを探しても見当たらず、書き込みなのか印刷なのかも判別しにくい。あまりに不気味で、そっと閉じて棚に戻そうとするが――戸惑う自分が恥ずかしいやら、恐ろしいやら。
視線をレジに投げたが、店主はわずかに首を動かしただけで、取り合う気配がない。慣れきっているのか、それとも興味がないのか。
「す……すみません、今、本が落ちたんですけど……」
「ああ……よくあるよ……騒がないで……いい……」
男はそれだけ言い、また頭を垂れてしまう。平然と「よくある」と言い切るのが余計に気味が悪い。ここではこうした“怪異”じみたことが日常茶飯事なのだろうか。
また後ろでゴトッと小さな音。スズメは胸を縮ませながら振り返る。棚の下段に差し込まれた文庫本の束がずれて少し突き出ていた。思わず後ずさって棚と体がぶつかりそうになる。ぐらつく棚、埃の舞う空気――トラブルが起きても店主は無反応。完全放任としか思えない。
腕時計を見たくても、今ここであからさまにメッセージを確認すると店主に怪しまれそうなので、なるべくさりげなく腕を下げたまま画面を覗く。微かな振動で(`・ω・´)「アッチ… ミテ…」と表示されているようだ。目線を棚の左側に移すと、ホコリで黄ばんだ布装丁の本が目についた。値札らしき紙が貼られているが数字が剥げ落ちかけている。かろうじて“300円”と読める程度。
「これ……?」
手を伸ばし、そっと抜き出すと、背表紙の裏地が劣化しており微かに裂ける音がした。ページを開けば、白い紙と何か文字がある紙とが無秩序に入り混じり、挿絵なのか呪文なのか分からない図が散らばっている。自分が持っている“スケアクロウ本”を思い出させる、不思議な構成だ。
(またこんな怪しい本かよ……)
しかし腕時計からはブルッと強い振動が繰り返される。カカシが(・∀・)「カッテ… ホシイ…!」とせがんでいるのは明白だ。大きな事件を起こす前に、この店から逃げるように出たい気もするが、好奇心が勝ったのか、300円という値段なら試しに買ってみるのも悪くないと思い直す。
落ちた本を棚に戻し、慎重にまわりを確認しつつレジに向かう。振り返るたび、本がわずかにずれるような、棚がほんの僅かにきしむような音がする。心臓が高鳴る。
「…………すみません、これ……300円ですよね?」
「……ああ……300円……」
ぼそりと答え、店主はレジを開ける。釣り銭を無造作に握らされ、スズメが「ありがとうございます……」と返しても、彼はあくびを噛み殺してうなずく程度。落ち着かない無関心ぶりが逆に怖い。店を出るときも、本棚からかすかに“ス……”という音が聞こえたような気がしたが、振り返る勇気はなかった。
戸を閉めた瞬間、外の空気がいっそう清浄に思える。昼間のはずなのに、路地は日が当たらずうす暗い。しかし店内の冷たい怪異じみた空気に比べれば、はるかにマシだ。
「はぁ……なんだったんだろ、あの店主さん。あんなに本が落ちても平気なんて……」
腕時計をそっと確認すると、(・ω・;)「スゴイ ホン… ミツケタ… ダイジョブ…」と短文が表示されている。いまいち大丈夫じゃなかったような気がするが、カカシが満足げならしかたない。
本を抱えたまま坂を上っていこうとしたところ、後ろから声がかかった。
「スズメちゃん! こんなところで何してるの?」
振り向くと、同じ大学のユキが小走りで近づいてくる。白い肌に柔らかな髪が揺れ、いつも通りの美人オーラだが、その表情には心底驚いたときの色がある。
「ユキちゃん……びっくりだよ、私こそ。ここ、人通りなさすぎで……どうやって来たの?」
「道を間違えちゃって……そしたら後ろ姿が見えたからさ」
ユキはスズメの抱えている布装丁の本をちらりと見て、「変わった本持ってるね?」と首をかしげる。スズメは途端に何と言っていいか迷う。カカシの存在や古書店の怪異を詳しく話すのは避けたい。
「あ、うん。ちょっとね、古い本探してたの。……まぁ、よく分かんない内容だけどさ」
ユキは笑顔で「へえ、古書とか好きなの?」と興味津々な様子をみせるが、ここで店の雰囲気を伝えても困らせそうだと思い、スズメは話をはぐらかす。
「ところで、ユキちゃんはこれから?」
「ちょうど近くに、新しい甘いもののお店があるって友達が言ってたの。すごく美味しそうな写真見て……スズメちゃんもどう? 時間あったら一緒に行こうよ」
ユキは紙袋を軽く揺らして、目を輝かせる。まるで古書店の陰気が嘘だったかのように、明るい光が差し込んだ感じがした。先ほどまで覚えていた冷たい恐怖が少し和らぐ。
「いいね、行きたい! ちょうど疲れたし、甘いもの食べたい気分……」
スズメは腕時計を上着の袖で覆うようにして隠す。カカシが微妙にブルブル震えているが、今はユキの前で見せられない。あの古書店で買った謎の本も気にはなるけれど、ひとまず気分転換が優先。
「じゃあ一緒に行こう。坂を戻って、少し曲がったところにあるんだって。私もまだ行ってないから、どんなお店か楽しみ」
「うん、助かる。ここらへん、ほんと道が入り組んでて……ユキちゃんと合流できてラッキーかも」
二人で坂を上りはじめる。先ほどまで感じていた重苦しさが、ユキの存在だけで少しずつ晴れていくように思える。まるで店の呪縛から解放されたみたいだ。腕に抱えている本は相変わらず不気味な重さを持っているが、このまま明るい場所に出てしまえば、大丈夫な気がする。
「ところでその本、すごく古そうだけど、本当になんていうタイトルなの?」
ユキがふと疑問をぶつけてきて、スズメはぎくりとした。
「え、タイトル……あんまりはっきり書いてなかったかも。値札見たら300円だったの。安いし、なんとなく面白そうだから買ってみたけど……」
「そっか。あとで内容教えてよ。私、そういう変わった本にちょっと興味あるんだ」
ユキはあくまで好奇心からの問いらしく、怪しんでいるわけではなさそうだ。スズメはどこか安心しつつ、「うん、わかった」と笑って答えた。
坂を上ると、通りがまた広がり、車や人の気配が戻ってくる。ツキカゲ堂の辺りだけが異質な空間だったのかもしれない。ユキは雑談まじりに、甘いもの屋の話題を楽しそうにしている。
スズメも自然に笑いが浮かんだ。店主の冷たい視線や、勝手に落ちた本の正体を考えると怖いけれど、ユキと一緒に歩きながら、お店で何を食べようか――そんな普通の楽しみが頭に湧いてくる。視線を後ろにやり、坂の奥をちらりと見ても、もうツキカゲ堂の姿はほとんど見えない。
「じゃ、あっちの角を曲がったとこだって。行こっ!」
「うん!」
腕時計が小さく震えるが、スズメは気づかないふりをしてユキと並んで角を曲がる。背中に貼りついた古書店の不穏な記憶は、時間が経てばやがて薄れるかもしれない。けれど、300円の布装丁本――あれだけはしっかり腕に抱えていて、また夜になれば、きっと開いてしまうだろう。果たしてその中身は何を示すのか……。今はひとまず、友人が紹介してくれる甘いお店で笑うほうが大切だ。スズメはそう自分に言い聞かせ、足どりを弾ませた。
だが、心のどこかで、ツキカゲ堂の棚から“誰か”がこちらを伺っていたような寒気がまだ残っている。マニアックな古書を求めているカカシの計画も、店主の異様な態度も、いずれ何か大きな謎を呼びそうで――スズメはその予感を抱えたまま、ユキの眩しい笑顔へと視線を向けるのだった。




