第二話:限界ギリギリ? 端末が囁く悲鳴
スズメは都内の小さなアパートで目を覚ました。昨日の不可解な出来事が頭から離れず、妙に胸がざわつく。あとひと月もすれば大学が始まる身。それまでのバイトとして、大型書店での仕事はもっと単調で平穏なものだと思っていたのに。気のせいかもしれないが、あの端末が囁いた「やめてよ」とも聞こえた言葉が何度もリフレインする。
「私、空耳じゃないよね……?」
そう自問しながら家を出て、いつもより少し早く書店へ向かった。
店に着くと、店長は忙しく陳列を変えており、ちらっと挨拶を交わすだけ。スズメは制服のエプロンを身につけ、バックルームへ。そこには昨日と同じ“Type-03”端末が並んでいて、昨日の続きとばかりに手に取ると、画面には「Welcome, Staff Member.」の文字が控えめに光っていた。
(……今日は何か変化がある?)
胸が高鳴るが、特にメッセージは出ない。ただ真面目そうに「在庫検索モード」を示すだけ。昨日の出来事が幻覚だったんじゃないか――そんな不安もよぎる。
すると先輩バイトが「倉庫で返品作業を手伝ってほしい」と声をかけてきた。スズメがついていくと、奥には段ボールが山積みになっている。「これは小さな出版社が潰れちゃった在庫なの。売れ残って動かないから廃棄するしかないんだよね」
先輩の説明を聞きながら、バーコードをひとつずつスキャンしていく。「No Record」ばかりで、よほどマイナーな本らしい。先輩は「大半はゴミ」と言い捨てるように、次々に箱へ放り込もうとする。
スズメはなんとなく申し訳ない気分で段ボールを開けてみた。そこにあったのは、古びた文庫本が数冊。バーコードを読み取るとやはり「No Record」。本当に誰も知らない絶版本だろうか。
と、急に手元のType-03がかすかに振動し、画面下に薄いテキストが走る。
「Don’t throw it away…」
「っ……!?」
思わず目を見開いて端末を凝視するが、すぐに通常の在庫画面に戻ってしまう。先輩に「大丈夫?」と怪しまれ、スズメは慌てて笑顔を作る。
「こ、これだけはちょっと保留にしてもいいですか? なんだか希少本な気がして……」
「えー、どうせ売れないと思うけど。まあ保留リストに書いときなよ」
先輩は呆れたように肩をすくめ、他の本をどんどん処分していく。スズメは自分でもよくわからない焦りのようなものを感じつつ、そのボロボロの一冊をぎゅっと抱えた。
昼休み、スタッフルームの隅で端末をじっと覗いてみる。今度こそ何か話すのではと思い、「面白そうな絶版本」「消えた出版社の名作」などとわざと検索を仕掛けてみた。しかし画面には「No results found.」と表示されるばかり。諦めかけたとき、下部に何かちらついた。
「This belongs to me…?」
確かにそう読めたと思った瞬間、また消えてしまう。同僚に呼ばれてフロアに戻らねばならず、どこか落ち着かない気持ちだけが残る。
定時が近づく頃、店長から「作業は終わったか?」と声をかけられたスズメは、おそるおそるこの古本の件を持ち出してみる。予想に反して、店長はあっさり「持って帰れば? ウチでは記録もないし、売り物にもできないから」と許可してくれた。そのとき一瞬、店長が意味ありげに笑ったような気もするが、深くは追及しないまま、スズメはありがたく受け取る。
金色っぽい文字が半分すり減ったタイトルは、どうやら「A Fragment of…」のようだ。端末でスキャンしてみたら、画面がフリーズし、またも「This belongs to me…?」と表示。いったい、どういうことなのか。
閉店後、充電スタンドに端末を戻しながら、スズメは誰にも聞こえない声でささやく。
「やっぱり何か隠してるんでしょう? 正直に教えてよ」
もちろん返答はなく、Type-03は静かに電源を落とす。けれど、ただの誤作動とは思えない。先ほどの「Don’t throw it away…」という切実さが脳裏に焼きついて離れない。
書店を出たあと、街を歩きながらスズメはこの古本を胸に抱いた。どう見ても価値があるとは思えないし、表紙も擦り切れてタイトルすら読めない。でも、どうにも捨てがたい不思議な存在感がある。
「中身を読めば何かわかるかもしれない。……端末が知りたいものが、この本にあるのかな」
そんな仮説にわくわくしつつ帰路を急ぐ。数日前まで、書店バイトなんてただの小遣い稼ぎぐらいに考えていたのに、今では毎日が妙にスリリングだ。家に着いたらすぐ読んでみよう――そう思うと足が弾む。
こうしてスズメは薄暗い街を抜け、明かりの灯ったアパートへ向かった。奇妙なAI端末が「自分に属する」かのように主張してきた一冊。このぼろぼろの本が、ありふれた日常を超えた秘密への扉になるのだろうか――まだ確証はない。でも、胸の奥には高揚感が湧いている。
「面白くなってきたかも。さて、帰ったら一気に読んでやるんだから」
息を切らせながら階段を上がるスズメ。ほんの数日前までは、平凡なバイトの日々をぼんやり想像していただけなのに、まさか“謎のAI端末”に振り回される展開になるとは思いもしなかった。だが彼女はそれが決して嫌ではなく、むしろ明日の朝が待ち遠しくなる自分を感じていた。