第18回 葉桜に揺れる入学式
朝、アパートの小さな部屋でスマホのアラームが鳴り響く。いつもならあと五分…と寝ぼけ眼をこするところだが、今日だけはそうはいかない。そっと布団を抜け出し、腕時計を確認すると、そこにも「(・∀・) “Morning! Big day!”」と短い文字が映っている。
「うん、おはよう。ありがとうね、カカシ」
こうしてAIのカカシに起こされるのも、今日を迎える心強さのひとつだった。どこか心細い思いをしている自分に、いつも“がんばれ”と声をかけてくれる存在があると感じるだけで、少し気が楽になる。
カーテンを開けると、外は少し雲がかかっている。四月に入ったばかりなのに風は肌寒く、桜はすでにほとんど散りかけ。枝先には青々とした葉が目立ち、あちこちに花びらが舞った痕跡だけが残っていた。
「本当は満開の桜の下で入学式…ってイメージだったけど、今年は早めに散っちゃったなあ」
軽くため息をつきつつ、スズメはクローゼットを開ける。中には慣れない黒いスーツ。高校時代の友達はほとんど別々の大学へ進学し、自分だけがこの地に来た。胸の奥で不安がうずくけれど、同時にどこかワクワクした気持ちもある。
朝食は軽くパンをかじる程度で済ませる。緊張であまり食が進まないのだ。腕時計が小さく振動して、(>_<)「Hungry…?」と表情文字が出ると、スズメは苦笑して答えた。
「ううん、大丈夫。むしろ落ち着かないから、早めに出発しちゃいたいな…」
そう言いながらカバンを肩にかけ、家を出る前に“銀の勾玉”チャームがついたキーケースを確認する。先日、マスターから入学祝いにもらった特別なアイテムだ。冷たい手触りに、ほんの少しだけ背中を押される気がした。
外へ出ると、近所の桜並木は葉桜が広がり、ほんのわずかにピンクの花びらが風に乗って舞い落ちている。春らしい柔らかな光が差し込み、通勤・通学の人々がちらほら歩いていた。
スズメは歩き慣れた道を10分ほど行き、駅へ到着。ここは郊外なので都心ほどのギュウギュウ詰めではないが、座れない程度に混んだ電車がちょうどホームに滑り込む。
「(・_・;) “Crowded…?”」
「うん、でも大丈夫かな」
短い英語メッセージを返すように、小声で呟きながら車両へ乗り込む。吊革を掴んで遠くの車窓を見やれば、点在する葉桜や青空が景色に混じり、街はまだ朝の静寂を脱ぎきれていないように感じられた。スズメは小さく息を整える。これから向かう大学は、どんなキャンパスなのだろう――。
電車を降りて歩くと、多くの若い人が同じ方向へ向かっている。みんなフォーマルなスーツ姿や清楚なワンピースで、手には入学式用の書類やバッグ。遠目には皆、自分と同じ“新入生”なのだとわかる。
正門は思った以上に広大で、敷地の奥にチャペルらしい建物も見える。海外の大学を思わせる煉瓦造りや緑の木々が映えて、地元とは全然違う雰囲気にスズメは少し圧倒される。
「(O_O) “Big campus!”」
腕時計を見て「だよね…」と思わず吹き出す。看板には“○○大学 入学式会場”とあり、多くの新入生とその家族が門の前で写真を撮っていた。桜が満開ならさらに絵になったかもしれないが、葉桜だって十分春の匂いをまとっている。
受付テーブルへ行き、学部ごとの列に並ぶ。スズメが属する国際文化学部のブースで事務スタッフに書類を見せると、「おめでとうございます! 今日のプログラムはこちらです」と丁寧に案内される。まだ何もわからないが、とりあえず「ありがとうございます」と頭を下げるしかない。
講堂へ入ると、中は黒や紺のスーツで埋め尽くされていた。ステージには大学幹部や教職員が並び、すでに開式直前のアナウンスが流れている。スズメは指定された席に腰を下ろしながら、周りのざわつきを感じてそわそわした。
隣の席の子に「よろしくお願いします」と声をかけると、小さく微笑み返してくれた。名前も知らない相手だけれど、同じ学部の新入生というだけで少し心が安らぐ。
程なくして式が始まり、学長挨拶や理事長の祝辞が順に行われる。キリスト教系大学のためか、聖書の一節が引用されていたり、世界とのつながりを重視する理念が語られたり……海外文化や国際協力への期待を込めたスピーチが続く。スズメは半ば上の空で聞きながらも、「本格的に大学生になったんだな」としみじみ思う。
新入生代表が堂々とした声で宣誓を読み上げると、会場から大きな拍手がわき起こる。スズメもつられて拍手しながら、隣の子と笑みを交わし「すごいね」などとひそやかに囁いた。たったそれだけで“ここで一緒に学ぶ仲間なんだ”という気持ちが湧いてくるのが不思議だった。
式典が終わり、講堂を出ると、校内は記念撮影する学生や保護者でにぎわっている。まだ数枚の桜の花びらが風に舞い散って、青々とした葉の中にピンクを僅かに残す木々が春の終わりを告げるように揺れていた。
スズメは一人、講堂前の広場を歩きながら、カバンにしまった銀の勾玉を思い出す。マスターが譲ってくれたこのチャームは、“お守り”以上の力があるように感じる――不安なとき、こうして触れているだけで少し勇気が湧いてくる。
「(・∀・) “Congrats! Ceremony done!”」
腕時計モードのカカシが短文で祝福をくれたので、スズメはちょっとだけ目を潤ませながら「ありがとう。ほんと、カカシがいてくれてよかったよ」と呟く。もしこれがなければ、誰もいない大学で自分の存在に埋もれていたかもしれない。心細さを抱えたまま、一人ぼっちで式典を終えたかもしれない。だが、短文でも何でも、カカシが応援してくれると思うだけで胸に光が差す気がする。
ささやかな感謝を心の中でかみしめ、スズメは息を吸い込んだ。周囲には先輩らしき学生がオリエンテーションの案内を掲げていて、「○○学部の方はこちらへ」と声を張り上げている。どうやらこの後、学部別のオリエンテーションがあるらしい。
「私も行かなきゃ。もう入学式は終わったし、次は本当の第一歩って感じだね…」
そうつぶやくと、腕時計が(`・ω・´)「Fight!」と返してくる。すぐには友達ができないかもしれないけれど、焦らず一歩ずつ進もう。いつか、この大学で新しい出会いや学びを得て、もっと胸を張れる自分になれるはずだから。
花びらの舞う中、スズメは銀の勾玉をそっと握り、「ここでやっていけるよね」と再度小さく決意する。それはまだ見ぬ明日へ向けた、不安と希望が交差する瞬間だった。




