第11話「ピンク犬と中途半端な音声認識の朝」
朝の開店20分前、スズメはいつになく早足で書店のガラス扉を開けた。店内の照明はまだ半分ほどしか点いておらず、床が淡く照らされている程度。いつもなら九時半ぎりぎりに来る彼女だが、今日はどうしても早く来て試したいものがあった。腕に着けている“軍仕様スマートウォッチ”──マスターが昨夜、カカシの遠隔検索と接続できるように改造してくれた代物だ。
「……私まで緊張してきた」
そうつぶやき、スズメはエプロンのポケットを探る。片手でスマホを確認し、もう片手で時計の小さな黒い画面をのぞき込む。そこにはASCIIアート風の顔文字が「(O_o)??」と浮かんでいた。どうやら時計のほうも落ち着かないらしい。
「よし、昨日の努力が報われるといいな」
そう呟きながら、一枚のメモを取り出す。そこには“昨日探しきれなかったお客様のリクエスト”が五つほど書いてある。たとえば「タヌキの宇宙旅行児童書」とか「ピンク犬のファンタジー」など、どれも曖昧で大変そうな内容。スズメは軽く深呼吸すると、店内の区画Cに向かって足を進めた。
棚の明かりを一つだけ点け、時計を口元へ近づけるようにしてそっとつぶやく。「検索……タヌキ……宇宙……子ども向け絵本」
時計の画面が薄い緑に光り、(・∀・)?? と表示が出る。スズメは息をのむように待つ。数秒後、時計が軽く振動し、「たぬき星ぼうけん(仮) 棚C-7」と日本語で返ってきた。
「やった……ほんとに出た!」
思わず声を上げそうになったが、まだ開店前だ。彼女はこっそりと歓声を抑え、ポケットのスマホを見た。すると同じ通知が表示されている。カカシからの確証らしい。
「じゃあC-7を確認……」
棚に移動すると、そこには古びた絵本が確かにあって、表紙にタヌキが星空を漂うイラストが描かれている。
「すごい、本当にあった……」
スズメは時計に軽く触れ、感謝の気持ちを込めてトントンと叩いた。すると (^▽^) の文字が画面に浮かぶ。カカシの照れ隠しのようで、思わず笑みがこぼれる。
調子に乗ってもう一つ、「ピンク犬ファンタジー」で検索を試す。ところが今度は腕時計の画面が赤く点灯し、「IYAAA!! (O_o)」と大文字で表示されてしまった。
「うーん、まだエラー出るのね……」
肩を落としつつも、昨日と比べたら大進歩だと思えば、そこまで気にしない。少なくともゼロだったころよりは確実に良くなっている。
まだ開店前だし、さっきのタヌキ本が見つかったことに大いに満足しながら、スズメは残りのリクエストもいくつかこっそり試してみた。
「うさぎ探偵……1920年代……」「青い犬の推理もの……」など、半分はIYAAA!! と叫ばれつつも、いくつかのリストが返ってきて、おおむね有望そうだ。彼女はひとりで小さくガッツポーズをとる。途中、「おはよう」と挨拶する同僚が入ってきたので慌てて腕時計を隠したが、そのまま特に突っ込まれず済んだ。
「まあ、1/2くらいの精度でも十分だよね」
そう内心つぶやきながら、スズメはメモした本の場所を順番に回る。開店前にどれだけ回収できるか勝負だ。ちょっとした冒険心とわくわくが湧く。地獄の棚探しに苦しんでいたのに、あのカカシが遠隔でサポートしてくれるなんて、夢みたいな話だ。
そうしているうちに、先輩のバイト仲間が「スズメちゃん、早いね。今日はもう作業終わった?」と声をかけてきた。彼女はなるべく平静を装い、「あ、ええ、ちょっとだけ先に来ておきたくて」と笑顔を返す。腕時計を隠している手が若干震えたが、なんとかごまかせているらしい。
先輩が離れたのを見計らい、スズメは再度時計を覗く。「(・∀・) keep trying??」という文字が表示されていた。
「うん、もう一回“ピンク犬ファンタジー”行ってみよう!」
そう小声で言い、棚Cから棚3Fへ足早に移動する。念のため時計とスマホの距離が遠くなりすぎないよう、上着のポケットにスマホを入れておく。階段をのぼりながら「検索、ピンク犬ファンタジー……」と口の中でつぶやく。
もし上のフロアへ行くと電波が弱まるのか、時計が「(゜Д゜)? searching…」と少し混乱気味な文字を出す。でも数秒後、「棚3F?? おそらく『ピンク・パップの冒険』???」と返事が届き、スズメは小さく歓声を上げた。
「ピンク・パップ? そんなの知らない…… あるかも!」
上の棚を探してみると、確かに色褪せた背表紙に『ピンク・パップの魔法騎士』らしきタイトルを発見。おそらくお客様が言っていた曖昧な記憶に合致しそうだ。
「ほんとにあった……すごいね」
時計を軽くトントンすると、「(・∀・)v」と画面に出た。スズメは「あんたやるじゃん、カカシ」とこっそり笑う。
気づけば先輩が近づく足音が聞こえ、スズメは本を抱えて階段を駆け下りる。バレずに腕時計で検索できるかドキドキしたが、どうやら大丈夫そうだ。
「これで、今日のシフトは楽勝かも……」
そう思うと胸が弾む。この方法なら、いちいち店の旧型端末を使わなくても、必要な本をすぐ探せるし、カカシだってメルトダウンしない。Win-Winだ。
店の下階へ戻り、同僚の目を盗んで時計を確認すると、「(・ω・) next search?」という小さな文字が出ていた。スズメは思わずくすっと笑う。「はいはい、これからもお願いね」
そうつぶやきながら棚を行き来し、揃えられるリクエスト本を次々と確保していく。確かにまだ“ピンク犬ファンタジー”のようにエラーが出る検索もあるし、腕時計が突然「IYAAA!!」と叫ぶ不具合も残っている。だが、カカシ無し勤務で味わった苦労に比べたら雲泥の差だ。
時計の画面から「Kakashi iPad」経由で短いメッセージが届き、彼女のスマホにも同じ通知が来ているようだ。二重でサポートしてくれる形らしい。スズメは本を見つけるたびに軽く感謝の心を示し、時計をほんの少し撫でた。
こうして今朝のスズメのシフトは、予想外にスムーズに進む。パズルのピースがぴたりとはまるような爽快感がある。時計への信頼も高まり、「もしかしたらこれで本当に何でも乗り切れるかも」と思えてくる。
もし誰かが「どうして今日はそんなに楽しそう?」と尋ねたら、「朝から調子が良いだけ」って、素直に答えるだろう。実際は“秘密の腕時計”の連携プレイのおかげだが、その裏事情を知る人はまだいない。
スズメは心の中で「あれ、いつの間にかメルトダウン騒ぎも落ち着いてきたじゃん……」と呟き、腕時計の文字を再確認する。「(・∀・) next search?」というメッセージがまた出ている。
「もちろんお願いするよ。まだまだ行くからね、カカシ」
そう微笑みながら、彼女は“次のリクエスト”が書かれたメモを手に、次の棚へ向かう。今日ならどんな曖昧な本も見つかる気がしてならなかった。
(了)




