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死刑のボタン

作者: 雉白書屋

「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏ナム、ナ、ナムアミダブツ……」


「時間だ。出ろ」


「ひゃ、は、はい……」


 独房で正座をし、唇を震わせて念仏を唱えていた男は刑務官の声に驚き、座ったまま飛び上がった。

 それを見た刑務官はニヤッと笑う。


「楽しい、楽しい、死刑執行の時間だぞぅ。ほらぁ、ちんたら歩くなぁ」


 廊下を歩く二人。刑務官は上機嫌にそう言い、男の背中を小突く。

 男は歩きながらチラリと後ろを向き、何か言いたげな顔をしたが口をもごもごしただけでまた前を向く。


「し・け・い! し・け・い!」


 刑務官の声に男はしゃっくりを上げるように体をビクつかせその度によろけ、転びそうになる。顔は青白く、囚人服の脇の辺りは汗で染みを作っていた。

 

「こうしゅけーい。ボタン一つでひとがしぬー」


 軽い命だよなぁ。男の耳元で刑務官がそう囁くと男はついに転び、刑務官はケタケタと笑った。


「や、や、や、や」


「んー? なんだぁ?」


「や、や、な、なんでもないです……」


「そうだよなぁ! じゃあ、さっさと立て!」


「は、ははははい!」


 男は大きな声で返事をしたが、足は震え氷上のよう。それを見て刑務官はニヤつくと肩を押し、また前を歩かせる。

 震えのあまり、よろけ舌を噛んだ男。

 逃げ出したい。だがどこに? 刑務所、ここは胃の中のようなものだ。ああ、外になんて贅沢な事は言わない。自分の、自分の房に……。


「あ、あ、あの!」


「あん?」


「その、きょ、今日はししし死刑……ちゅちゅ中止というわけにはいきませんか!」


「む、む、無理な話だ、だ、だ」


 男の口調を真似し、刑務官はせせら笑う。が、一転真面目な顔をして、息がかかるほどに顔を近づけ言った。


「これはな、お国が決めた事だ。そしてお前は罪を犯した。

わかるか? 善良な人々を傷つけたんだよ。報いを受けるべきだとは思わないか?」


「で、で、でも……」


「なんだ?」


「その、ち、ち」


「あ?」


「痴漢でそんな……」


「『強制わいせつ』な? 暴行! 魂の傷害! それも常習犯!

……お前は報いを受けるんだぁ。仕方ないよなぁ? 

犯罪者が増えちまって増えちまってどうしようもないんだからよぉ」


「ででででででも!」


「い・い・か・ら・やるんだよぅ! てめえの残り少ない髪をひっつかんで連れて行って欲しいか?」


「そそそそ、それは侮辱罪だ! 人の見た目を、うっ!」


「俺の仕事はてめえにやることをやらせることだからよぅ。

ちょっとした暴言も許されるんだ。さあ、もう一度殴られたいか?」


「いきます、いきますからぁ……」


 二人はまた廊下を歩き始めた。男はダラダラと汗を流し咳き込んだがそれは先程、腹を殴られたことは関係がない。死刑場に近づくにつれ体が、足がひどく重くなり視界が歪み始めた。

 

 ――ここは地獄だ。地獄の入り口だ。


 神か天使か、男が救い求め伸ばした手は無意識にワキワキと何かを揉むような動きをしていた。

 それに気づいた男はふと思った。

 地獄、あの満員電車……あれがそもそもの始まりだった……。

 人身事故かなにかで電車が停まり、すし詰めのまま男はただひたすら待つ事を強いられた。足は震え、熱さと息苦しさで息も絶え絶えに。空間を求め、見上げた車両の天井の蛍光灯が眩しい。それも徐々に回り始め、男は今、自分は目眩を起こしているのだと気づいた。

 そしてふと、死ぬのではないかと思うと恐怖心が沸き上がり、叫び出したい衝動に駆られた。

 そんな時だった。手の中に柔らかな感触が現れたのは。それは天使の握手か。男は縋り、揉んだ。揉みしだいた。

 それがなんだったのかは電車が駅のホームに着いた時にわかった。尻に手を添え不愉快そうに、また涙ぐみ辺りを見回して去っていく女性。

 男の前を通過し、その髪が鼻腔をくすぐった瞬間、男は手に残る温もりと匂い、そして自分が勃起していることに初めて気づいた。

 以来、何でもない時まであの救いを求め続け、そして気づいた時には……。


「おい、おい」


「へぇ?」


「何をボーっとしてるんだ。ほら、見てみろよ。あの縄」


 いつの間にか死刑場に着いていた。今更どうすることも、いや、元々どうしようもない。全ては法によって定められているのだ。


「あれで首をくくるんだ。はははっ。

俺はなぁ、何回も死刑に立ち会っているから知っているんだ。

それでな、ボタンを押すと下の床がパカッ! と、開いてあとは一瞬のことさ、グキッ! いや、ベタにボキッ! かな? いい音が鳴ってなぁ」


「あ、う、あ、おえ」


「ビクッ! ビクッ! って震えてなぁ!」


「う、おええええぇぇぇ!」


「いよーし! 吐いた! 吐いたな! はっはぁ! 仲間と賭けてたんだよ。

吐かせられるかどうかをなぁ。ふははははは! あーあ、酷い顔じゃないか。

と、まあ、あいつはもっとひどいがな。来た来た。いよいよお仕事の時間だぞぉ。さあ、こっちに来い」


「いやだ、いやだぁぁぁぁぁぁぁ!」

「いやだぁあああああああああああ!」


「ははははは! 二人して仲いいな! はははは!」

「おう、お疲れぃ! そっちも吐いたみたいだな。殺人犯だってのに情けない野郎だ! ふははははは!」


 男はズルズルと引き摺られ、そして立たされた。目の前のボタンを見下ろし、男はまた嘔吐した。


 死刑執行。昔、それは刑務官が行っていた。しかし、職務かつ相手が重罪人とはいえ無抵抗のままに、言ってしまえば『殺す』というのは当然ながら精神的苦痛が大きすぎた。

 各種手当や三人の刑務官が三つのボタンを同時に押し刑を執行するなど、精神的負担を軽減する対抗策は講じられていたもののそれでも病む者は後を絶たなかった。国に仕えている者たちに対し、その仕打ちは酷というもの。


 と、いうわけで死刑執行もまた囚人が行うことになったのだ。

 死刑囚を死刑場まで連れて行くのもボタン係を執行室に連れて行くのも臨時の刑務官として囚人を登用。

 特別手当もデザートなどで済み、経費削減。犯罪率の増加とともに増え続ける囚人を政府は有効活用したのだった。


 「あ、あ、あ、あ、なむ、なむあみ、だむだむ……」 


 痴漢の男が読み上げたお経は刑務官の笑い声によって掻き消され、そしてその手にはボタンの感触がいつまでも残り続けた。そう、いつまでも。


 それが理由か、この法を適用してから犯罪率、とくに再犯率は低下の兆しを見せている。

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