どこまでもBlue
信広が彼女に初めて出会ったのは中学2年生の時だった。女好きな、それでいて整った容姿から女子の人気がある信広の親友・本郷彩人が、気になる娘がいると言って無理矢理隣のクラスまで引っ張られて行ったのだ。
中学2年女子にしては身長がやや飛び抜けた顔の整った少女だった。スラっとした体格は運動部にでも所属しているのか、均整が取れていてサッカーをやっている信広には好感が持てた。席に座った仲がいい友人なのか、一人の女子と向かい合って何かを話している。周りには他にも女子が何人かいて、クラスでも人気があるのが窺えた。笑顔が絶えず、性格の良さを物語っていた。
「どう?」
彩人が問う。
「どうって・・・」
信広は苦笑いしながら後頭部に手を遣る。彼の場を繕う時の仕種だ。
「お前の知り合いでもないだろう」
彩人とは小学生以来の付き合い。その言動である程度の親密度は判る。その証拠に彩人の視線が彼女から逸れている。あまり凝視しないのは彼がその女子とそれほど親しくないからだろう。実際、そうだからこうして盗み見のような真似をしているのだから。
「ねえねえ」
信広の親友の存在に気づいたのか、彼女の取り巻きの一人がひそひそと彼女に声を掛ける。
「なあに?」
初めて聞いた彼女の声はややぶっきらぼうで清楚とかおしとやかとは程遠い。耳には運動部にはそぐわないピアスが光った。やっぱり少しギャルが入っているなと信広は何気に思う。
「隣りのクラスの本郷がこっち見てる」
取り巻きの一人が囁く。
「えーっ」
彼女は興味深そうにこちらを見、信広と目が合ってしまう。
「何、あのデカいの?」
(デカいのって)
あからさまな表現に信広は苦笑してしまう。彼は身長がその時点で170Cmを超えていた。
それからの彼女の行動は今でも信広の記憶に残っている。そのまま彼に向かって直進して来ようとすると、まるでモーゼの海割りの如く、彼女の周りにいた取り巻きが二つに割れて通路ができる。彼女は一直線に信広の前まで辿り着く。暫し信広の様子を窺い、何か違うとでも言いたげに首を傾げつつも、
「あたし、木城輝嶺。あなたが女子にモテモテの本郷彩人さん?あたしに何か用?」
笑顔を絶やさずにずけずけと聞いてくる。その直截な行動に、彼女の取り巻きが後方で騒いでいる。当の彼女はちょっと違和感を抱いて。
(勘違いされてるな)
信広は親友に間違われて、やや不本意な顔をする。それに気づいた彩人は失礼なと言う仕種。
「オレは国富信広。隣のクラス」
自己紹介する。
「えっ!あっれー?」
彼女は素っ頓狂な声を上げ、振り返る。少し早合点する性質のようだ。
「話は最後まで聞けって」
椅子に座っていた女子がフォローするが既に遅し。
「俺が本郷彩人なんだけど・・・」
彩人が弱々しい声で自己紹介するが、彼女の耳には入っていなかった。
二人の出会いはそんな勘違いから始まった。
次の出会いはその日の放課後だった。
昇降口でサッカーシューズを引っ掛けて出入口を出ようとしたところで鉢合わせしたのだ。
「おっと、すまん」
ぶつかりそうになり、危うく信広は避ける。彼女も反射神経がいいのかすんでのところで止まったのだ。
「こっちもー」
彼女は大丈夫と言わんばかりに両腕を伸ばし掌を広げ、ウェスト近くにまで上げる。
「運動神経いいな」
信広は彼女の身のこなしを褒める。
「それほどでも-」
彼女も軽く返す。この場合、言葉が軽いと言うより、気安いと言うべきか。
「そっちは運動部?」
「ああ。サッカー」
「サッカーかあ」
彼女は興味深げに信広の身体を見回す。高身長に加え、彼には体重もあり、がっちりとした体格をしている。
「ディフェンダー?」
彼女の言葉にちょっと驚いた表情で信広は彼女の顔を見直す。親友が騒いでいるだけあって、性格だけでなく顔立ちも整ったキレイ系の美人タイプだ。
「サッカー、詳しいのか?」
「テレビで観戦する程度だけどね」
彼女はへへっと舌を出す。超自然体なのに一々仕種に愛嬌があった。
「まあ・・・」
信広は頭を掻きつつ、
「・・・ペナルティエリアでFWにプレッシャーを与えて、ゴリゴリと押し潰すタイプらしい」
それは部活仲間の信広への評だ。これをやられた部活のFWは彼の守るエリアを嫌うようになった。DFとしては勲章である。
「ふうん。やっぱりね」
彼女は自慢気に胸を反らす。そっちはまだ発展途上のようだ。男子としては自然視線が下がる。
「こ、こっちはまだ成長中だから!」
彼の視線に気づき、彼女は慌てて反らした胸を元に戻す。そして見るなと言わんばかりに彼を睨みつける。
目は口ほどに物を言う。
信広はその例えを教訓とする事とする。胸から視線を逸らして言葉を継ぐ。
「すまん。別にたまたま目に入っただけで意識して見た訳じゃねえから」
「・・・ふうん」
一瞬素になった彼女はマジマジと信広の瞳の中を窺うように覗き込む。ちょっと近いなと彼は一歩引く。
「まあ、いいけど」
それほど気にしてもいなかったのか、彼女は自然体に戻る。
「本郷君の親友なんだってね」
話題をさらりと変える。
(やっぱそっちか)
彩人は希代のイケメンでモテ男だ。信広が彼の親友と知って橋渡しをしてほしいと近づいて来る女子は今までにもいたのでまたかと思ったのだ。彼女は信広の意図を素早く察したのか、
「ああ!別に本郷君目当てじゃないから。周りの女子がやたら騒いでてさあ、嫌でも噂が入ってくるのね」
多少言い訳めいた自分の言葉を恥ずかしくなったのか、彼女は困ったように鼻を軽く指で掻く。
「別に構わんさ。慣れてる」
信広も気にしてないさと言わんばかりに彼女に向かって軽く片手を挙げる。
「今からすぐ部活?」
彼女がさり気なく尋ねてくる。
「いや、時間はある。ウチの部は練習はゆるゆるだからな」
「そう。じゃあ、ちょっと話しながら途中まで行こうか?」
「いいぜ」
中学のグラウンドでは気の早い部活は既に活動を始めている。この青島中学校はそれほど部活動に熱心ではない。それでも中学生、やる気だけは満ちている。信広のサッカー部はとグラウンドを見回すと、誰一人としてそれらしき人影はない。強豪校とは程遠い公立中学の部活なんてこんなものだ。サッカー部にも監督やコーチはいるが、それほどスパルタではない。自然ゆるゆるとした雰囲気の纏う部活になっていた。信広もそれでいいと思っている。彼自身もそこまでサッカーにのめり込む気はない。皆と楽しくできればいいという感じだ。
さっきから彼女との会話は止まらない。自然と言葉が頭の中から湧いてくる感じだ。
(不思議だな)
信広は思う。
(こいつとは波長が合うって言うか、言葉がポンポンと出てくる)
そして話していて、別の女子と話している時のような苦手意識とかを感じない。勿論、彼女が女子らしくないと言う訳ではない。さっきも評したとおり-まあ、胸は彼女の言うとおり発展途上だが-、彼女は美人だと信広は思っている。まあ、彼の好みと一致するかはまた別の話にはなるが・・・
普段の信広はガタイの割に女子としゃべるのは苦手としていて、相手が話してこない限り、必要に迫られた時でなければ積極的に話し掛けたりしないのだが、彼女に限っては自然と会話が続くのだ。ここまででお互いスポーツが好きな事-彼女は観戦も好きだが、身体を動かすのも好きだと言った-が判っているだけでも話のネタは尽きなかった。
「部活には入ってないのか?」
「うん」
「運動神経良さそうに見えるが?」
「助っ人はよく頼まれるよ。でも、特定の部活に入ると遊ぶ時間がなくなっちゃうからね」
そんな話を当たり前のように語る彼女は、リア充な生活を送っているのだろうかとふと信広は思う。ちょっとギャルが入ってる出で立ちからもそう連想してしまう。まあ女子の外見にあまり拘らない信広にはそれほど気にならない。。
「ねえ」
彼女が信広を見ていた。
「ん?」
「なんかさあ」
「ああ」
「あんたとは波長が合うね~」
そう言ってニカっと笑う彼女。その言葉を聞いて信広は腑に落ちる。
「オレもそう思ってた」
「ホント?よかった。また話さない?」
「いいぜ」
その言葉を聞いて信広は胸を撫で下ろす。
(何で安心したのか)
自分の心に問い掛けたが、何も返ってこない。勿論、知り合って間もない彼女に聞けるはずもなかった。
彼女とは部活棟に続く道と校門へと続く道の分岐点で別れた。
「じゃーね」
彼女は既に信広に背を向け、校門に向かって歩いていた。
「ああ」
信広が野太い声で応じると、輝嶺は後ろ手で手を振った。そんな彼女に好感を抱きつつ、彼も彼女に背を向けて部活棟に続く道を歩き出す。
その後も同じクラスでないのでお互いのクラスを行き来はしなかったが、隣のクラスなので廊下で出くわしたり、両クラスの合同授業で話す機会は幾らでもあったので、交流は続いた。
「なあ信広。もしかして輝嶺ちゃんの事、気に入った?」
二人をしばらく様子見していた彩人が折りを見てそんな風に話し掛けてきたのだ。彩人は気に入った女子を特段親しくなくても「ちゃん」づけで呼ぶ馴れ馴れしさがある。
「ああ。話は合うな」
信広は鷹揚に答える。そんな彼に親友は少々頭を抱える。お互いの間の、二人の関係性の表現に激しい齟齬を感じたからだ。
「どーした?調子でも悪いのか?」
変調した彩人に心配そうに信広は声を掛ける。
「そーでなくてさ。俺が聞いたのは輝嶺ちゃんを異性として好きなったのかって質問。ライクでなくてラブな。友達でなくて恋人な」
「一々説明せんでいい」
恥ずかしい奴だなとあからさまな親友の発言に眉を顰める。クラスメートの何人かが聞き耳を立てるような素振りをしたから益々恥ずかしい。
「お前が言う、ライクで友達だな」
「ふうん」
彩人がじっと信広を見る。
「何だよ」
「別に。信広がそう言うならそうなんだろうって思っただけさ。他意はない」
変に突っかかってくる彩人の言葉が気になった。
「何かあるのか?」
信広にそう聞かれ、親友は一旦間を開ける。信広は待つ姿勢になる。
「じゃあさ」
「うん?」
「輝嶺ちゃんの事、口説いてもいいよね?」
言葉を選ぶように彩人は彼に問い掛ける。
「それこそ、彼女と知り合って間もないオレに確認する話でもないと思うが?」
「飽くまで確認さ。親友の機嫌は損ねたくないんでね」
「お前の好きにすればいいさ」
つまらん事を確認するなと言わんばかりに、信広はあっち行けとひらひらと手を振る。邪険にすんなよと彩人は苦笑い。
「じゃあ遠慮なくそうさせてもらうよ」
彩人は自信満々に言う。
信広はじーっと彩人を見る。
「何なら手助けしてやろうか」
そう言ってスマホをポケットから手に取り、
「今から彩人が告りに行くと木城に伝えよう」
番号を押し始める信広の手を慌てて押し留める彩人。
「ちょっ・・・お前、止めろって」
信広の手際のよさに慌てる彩人。でも直ぐに、
「輝嶺ちゃんの電話番号知ってるのかよ。やっぱ、仲いいじゃん」
「いや、知らん」
信広はケロッとした顔で言う。ここで初めて信広に揶揄われていたと気づく彩人。
「コノヤロウ!」
「信広!聞いてくれよっ!!」
朝登校するなり、彩人が信広に泣きついてくる。無論、ポーズだけだ。彼はそんなヤワじゃない。周りに女子が彩人の声に気づき、何やら囁いているのが聞こえる。良くも悪くも目立つ奴なのだ。
「何だ?朝っぱらから騒々しいヤツだな」
そう言いつつ、信広は聞く態勢を整える。
「輝嶺ちゃんに告って断られた」
「そうか」
信広は鼻を鳴らす。
「驚かないんだな?」
親友は不満そうに言い募る。もうちょっとリアクションあってもいいんじゃないかと。
「タイプじゃないらしいからなあ。お前みたいなチャラいヤツ」
「どーしてそれを?」
「スマホで木城から聞いた」
「輝嶺ちゃんの電話番号、知らないって言ってたじゃん?」
昨日、今日のうちに教えてもらったとも思えんと彩人は勘繰る。
「いや、LIMEのチャットで知った」
「LIMEの連絡先は知ってるなんて聞いてないぞ」
彩人は騙されたと言わんばかりに詰め寄る。
「聞かれなかったかならな」
平然とケロっとした顔。
「やっぱ、このヤロウ!」
彩人のいいところは色々と引き摺らないところだ。輝嶺が脈がないと判るや、別の女子を口説き始める。信広に軽い奴だと言われる所以だ。
別に振られたからと言って、愛想だけはいい彩人は、信広と交流のある輝嶺とは疎遠にならず、よく会話に絡んできた。振った彼女も、そこまで拘りはないらしく普通に応対している。彩人が振られても、信広と彼女の関係性はほとんど変わっていない。寧ろ彩人が彼女に振られた事で、三人の人間関係が確立してしまった感じだ。
輝嶺には親友がおり、まあ、色々と彩人と同じように噂のある娘ではあるが、4人で遊びに行く機会も増えていく。そこにお互いの仲のいい友達も絡んで、10人前後規模で街に繰り出したりもした。尤も信広は部活をやっているので四六時中彼女と一緒にいる訳じゃあない。それでも複数の友達と一緒にいる時は、大抵彼女のグループもしくは彼女単体とつるんでいた。信広は輝嶺が一番話し易かったし、輝嶺もそう思っている節があった。一緒にいて楽しいのだから、自然と二人だけの会話も多くなる。
「ホントに付き合ってないの?」
初めの頃はお互いの友達によく聞かれたものだ。その度に否定するのが二人のデフォになっていた。変にご想像にお任せしますとか曖昧に答えると後を引くので、そこはきっぱりと違うと断言した。ただしばらくするとそーいう関係性なんだと理解され、そんな問い掛けも終ぞ聞かれなくなっていた。
ただ時が流れるにつれ、人間の関係性と言うのは変わっていく。それは二人にも言えた。
信広と輝嶺が放課後一緒に並んで歩いている時だった。
「実はさ」
唐突に彼女が切り出す。
「うん」
「野球部の主将に告られてさ」
「えっ!」
寝耳に水の話だった。ただ直ぐその後で、そー言やあ部活中に件の野球部の主将から、一時期彼女の事を色々聞かれてたなあと信広は思い出す。
(そーゆう伏線だったのか)
今になって納得する信広。そう言う方面には疎い彼は、野球部の主将がそれとなく二人の関係性や彼女の性格を聞いて、慎重に見定めていたんだと今更ながら気づいた。呑気と言えば呑気である。
「どー思う?」
信広に問い掛けてくる。彼女なりの探り、らしい。彼女にしては珍しい態度だった。
(結構本気なのかも)
彼女の眼差しからも真剣さが窺えた。今まで信広は輝嶺の恋愛観なんて知らなかったし、聞くつもりもなかった。飽くまで彼女個人のパーソナリティだし、自分には全く関係のない話題と思っていたからだ。それをいきなり突き付けれらたようで少し面食らってもいた。
「そうだなあ」
信広は少し考える。グラウンドで待ち時間にたまに話す野球部の主将の姿を思い浮かべる。イケメンとまではいかないが、顔立ちは整っているし、爽やかさを醸し出していて、話していても楽しかった。どこか輝嶺に共通するような面もあるなと。ここは誠実に話すべきだろうと信広は考える。
「悪いヤツじゃないと思う」
素直に答える。シンプルすぎるくらいだ。
「そっかあ」
彼女は思案顔になる。
「好きなのか?」
信広は確認するように尋ねる。
「外見はね」
彼女の話し振りからして、あまり会話した事がないのだろう。歯切れもいつなく悪い。そうでなければ聡明な彼女が悩むはずがない。
「性格もいいと思うぜ。リーダーシップもあるし、同級生や後輩にも慕われているし」
「信広がそこまでべた褒めするなんて珍しいね」
「それだけの人格者だからな、ヤツは」
「何か人物鑑定みたいだね」
輝嶺が揶揄する。
「オマエが聞いたんだろ?」
「そりゃ、そうだけどね」
「とにかく、オレはお薦めだと思う」
「そう」
今度ははっきりと頷く。
「じゃあ、付き合っちゃおうかな」
彼女は信広の様子を窺うように見る。
「いいんじゃね?」
「そっか」
今度は間違いなく確信した言葉が返ってくる。
数日後、彼女から野球部の主将と付き合う事になったと言う簡単なチャットが届く。信広は祝福するメッセージを送った反面、どこか寂しい感情も抱いていた。
(今までみたいに遊べなくなるな)
心で反芻すると余計に侘しさが募った。
「オレも彼女でもつくるかな」
そう独り言ちする。
数週間後、輝嶺が信広から離れたのを見計らっていたように彼は複数の女子から告られる。輝嶺が信広に纏わりついていたので遠慮していたみたいだった。どうやら、信広は自分の魅力を見誤っていたらしい。激しい争奪戦のうえ、彼は同じクラスの女子と付き合い始めた。自分から告ってくるようなポジティブな女子が多い中、彼が選んだのは一見地味目でややポッチャリとした同クラの女子だった。決め手は落ち着いた雰囲気に好感を抱いたらしい。そして巨乳で、体型からくる妙な色気を併せ持った女子だった。
「意外。色々と」
合同授業で一緒になった輝嶺は信広と話している。
「何が?」
様々な意味合いのある意味深な言葉に信広は問い返す。
「あんたにすぐ彼女ができた事、やっぱ巨乳だった事、意外とモテたんだね」
「褒めてるんだか貶してるんだか・・・やっぱ巨乳好きみたいなのはやめてくれ」
輝嶺の言葉に信広は微妙な顔をする。
「やー・・・あたしの時も胸見てたし、おっぱい好きなのかなって」
「女のおっぱいが嫌いな男子はいないと思う」
素で返す信広。
「そりゃあそうか」
カラカラと笑い、下ネタもスルッと流す。
「で、どんな娘?」
「そうだなあ-」
信広は少し考える素振りをする。
「ちょっと大人しめだな。オレの周りにいるダチの女友達と比べたらだが」
「ふむふむ」
「でも芯はしっかりとしていると言うか、抜け目ないって言うか」
「そーだろうね。あれだけの信広争奪戦を勝ち抜いたくらいだもんねえ」
「強かだよ。オレとは違って」
「妙な色気もあるしね」
「オマエもそう思うか?」
信広も常々感じていたらしい。
「体型からきているのかどうか・・・色香を感じるのよね。無意識に醸し出しているのなんて、真似できないよ」
普段から自身のプロポーションに不満を感じる輝嶺は苦笑気味に吐露する。
「それも決めての一つ、だな」
信広は正直に話す。
「やっぱ、巨乳か!」
「どうしてそこに結び付けたがる!」
すかさず突っ込む信広。その時視線を感じ振り返ると、その巨・・・地味な彼女がチラチラと信広を見ていた。
「済まんな!」
尚も喋り続けていた輝嶺の言葉を遮るように口を挟む。
「彼女が気にしてるらしいから、これ以上話は-」
「ああ、そうだね。彼女からしたら彼氏に馴れ馴れしくしてる女子って嫌だよね」
自分の身に置き換えて客観視できるのは彼女の凄いところだ。すかさず心を切り替えた輝嶺は、信広から少し離れた距離を取る。離れ際に親し気に彼女に手を振っている。
手を振られた彼女-御頭香花はキョトンとしている。確かにリアクションに困る挙動だ。
(フレンドリーな奴だ)
呆れを通り越して清々しささえ信広は感じていた。
部活の合い間にデートを重ね、信広と彼女は深い仲になっていた。
野球部の主将と付き合う輝嶺も交際は順調だと風の噂に聞いていた。
それと反比例して信広と輝嶺が会う機会は激減していた。信広と彼女は同クラで、輝嶺とその彼氏は信広と別クラだったので当然の結果とも言える。
その日は彼女からの連絡もなく、輝嶺も彼氏に用があるとかで信広とチャットに講じていた。他愛のない挨拶から始まり、
((順調みたいだな))
((まあね))
((いい奴だろ?))
((ホントね))
続けて、
((その節はアドバイス、ありがとう))
((事実を言ったまでさ))
信広はちょっと悦に入る。
((なかなかさ))
((?))
((ありのままを言ってくれない人間って多いからさ))
((そうなのか))
((そうなのよ。だから、信広は希少種))
ベッドの上で炭酸を呷っていた信広は吹き出し掛ける。
((オレは絶滅危惧種かっ!笑))
((その言い種っ!))
輝嶺は結構ウケる。
((この前は悪かったわ))
((ん?何の話だ))
((ほら、合同授業で、あんたと話し込んで彼女の機嫌を損ねた件))
((ああ、それか))
((大丈夫だった?彼女と))
((ちょっと詮索されたが、大した事ないさ))
((それならよかったけど))
輝嶺は二人の仲に水を差したのではと心配していたのだ。
((あれでも、他の告ってきた女子を出し抜いてオレと付き合い始めた娘だからな。それなりにメンタルは強いよ))
((ノロケかい!怒))
((違って!))
((?))
((御頭は見た目以上に強かって事))
((御頭さんって言うんだ彼女))
ツッコミどころが違うだろうと信広。
((そんでさ))
((ああ))
((ダブルデートしない?))
輝嶺は切り出す。信広はその申し出に驚いていなかった。
((少し前に、米良がそんな事言ってたな。本気だったのか))
米良とは輝嶺の彼氏の野球部の主将だ。
((らしくないな))
((そーゆう事してみたいお年頃なのよ))
((言ってらあ))
信広は茶化す。
((で?どうする))
((オレはどっちでもいいぜ))
((はっきりしないなあ 笑))
((言葉そのまんま。否定していないだろ。輝嶺が決めればいい))
((彼女ちゃんは?))
信広はウっと詰まる。彼女である御頭香花は人見知りする気があるのだ。
((聞いてみないと判らん))
((はっきりしないな-。彼氏だろ))
((オレの意志でなくて、御頭の意志を尊重しないとな))
((わーっ!彼氏面っ))
((どっちなんだよ))
輝嶺の混ぜっ返しに苦笑する信広。
4人でダブルデートを。誰もが前向きだった。
「こっちが御頭香花。まあ、オレの彼女だ」
「よろしくお願いいたします」
信広の照れ混じりの紹介に、少し恥ずかしそうな彼女は丁寧に頭を下げる。
「こっちは米良悟朗。野球部の・・・そっちの方が詳しいか」
「何だよ、その紹介」
彼は輝嶺に突っ込みを入れる。二人は仲良さ気に映る。
今日は隣り街のテーマパーク前で待ち合わせ。人が多く、スマホで連絡を取り合いつつ漸くさっき合流したばかりだ。お互いカップル同士で待ち合わせ、2組のカップルが合流した形。ダブルデートと言っても組み合わせは決まっているから、カップルで並んで歩くのは自然の流れだ。
「残念だったね野球」
「ああ・・・クラブチームって言っても弱小だからなあ」
米良はいがぐり頭を掻く。彼の所属するリトルリーグは夏の野球大会で3回戦で敗退していた。
輝嶺も応援に行っていたのだが、その甲斐なく残念な結果だった。
「一生懸命応援したんだけどなあ」
彼女の日焼けはその時の勲章のように肌に焼けついている。
「そうだな」
米良は苦笑する。輝嶺が彼氏を応援する声に、男子から嫉妬の視線が痛かったのはベンチだけの秘密だ。
「ホントに実力がある奴らは、プロ野球のジュニアチームに入るさ」
「へえ」
輝嶺は生返事する。彼女はそこまで野球に詳しくない。
「判ってないだろ?」
「ごめーん。あんまり野球は見ないし」
後ろめたさでもあったのか、輝嶺は両手を合わせて拝むように謝る。
「別にいいさ」
そう言ってさり気なく彼女の右手を取る。輝嶺は素直に身を委ねる。
ポンポンと会話が飛び交う輝嶺にカップルに比べ、信広カップルはポツリポツリとしゃべりゆったりだ。
「・・・向こうは盛り上がってるね」
彼女の御頭がぼそりと呟く。
「木城がいるだけで話が弾むんだろう。向こうは向こう、こっちはこっち」
割り切るように信広は言い切る。
「木城さんの事、よく判っているみたいだね」
「そりゃあダチだからな」
「ちょっと嫉妬しちゃう」
少し粘着質な物言いが信広は気になる。
「御頭は異性の友人が少ないからかもしれないが、異性の友人なんてこんな風に気安いもんだ。男友達みたいに何でも言い合える。カラッとしたもんさ」
「でも、国富君と木城さん、一時噂があったじゃない」
彼女は尚も言い募る。
(今日はヤケに絡むな)
信広はちょっと大人げないと思った。
「噂は噂。オレと木城の間には何もない」
と断言する。
「なあ!次は何に乗る?」
前方から米良の呼び掛ける声がする。
「そうだなあ・・・」
その一言でカップルの組み合わせが崩れ、4人は一団となった。
幾つかのアトラクションの後、休憩になり、信広の彼女の御頭と輝嶺の彼氏の米良がトイレに向かった。
必然、信広と輝嶺は二人きりになる。
輝嶺が気を利かせて清涼飲料と炭酸飲料を買ってくる。
「おー、サンキュ」
信広が鷹揚に感謝の言葉を掛ける。ベンチに座る信広の横に輝嶺は当然のように座る。清涼飲料の蓋を開け、ゴクリと飲む。清涼感が口、喉元に広がり、輝嶺は爽快な気分になる。一方の信広は一気飲みだ。
「・・・二人で話すなんて久し振りだね」
一拍置いて輝嶺が独り言ちのように話し掛ける。
「デートとか、部活の練習とかで忙しかったからな」
信広は返す。
「お互いにねえ」
「そうだな・・・って、オマエ部活してないだろ」
「助っ人だよ、部活の助っ人」
「・・・なるほど」
恋人をつくればそうなると判っていたので、2人に特別な感慨はない。
「ダチも言ってた。彼女できたら男友達と疎遠になるって」
「あたしたち同性じゃないけどね」
「ダチなんだからそんな違いないだろ」
信広は当たり前のように言う。
「そー言うトコ、嫌いじゃないよ」
輝嶺は嬉しそうな顔をする。
「彼氏の次に」
「二番目かよ」
信広はズッコケる。
「ハハハ」
その仕種が愉快で、輝嶺はカラカラと笑う。
「でも、恋人できたらそんなもんだろうな」
「そうそう」
「ウチの彼女は粘着質なトコあってな、ちょっとウザイ時あるしな」
「おいおい。ここだけのグチにしとけよ」
輝嶺が窘める。
「判ってるさ」
「あたしの方はあっさりし過ぎて、たまに物足りないかな」
「拘らない奴の方が付き合い易いだろ?」
同じスポーツ部で顔見知りの信広は素直な感想を述べる。
「まーね」
「部活じゃ、彼女いるだけで羨ましがられるし」
「そーなんだ。てっきりスポーツやってる男子ってモテるのかと思っていた」
「全員がモテる訳じゃない。そこは女子はシビアなんだよ」
「あるある。話題に上がる男子は大抵バッティングするもんね」
「やっぱ、そうなのか」
信広は得心したような顔で輝嶺を見る。
「女子は面食い多いし、イケメン好きだし」
「中学生じゃ、内面までは見ないよな」
イマドキの中学生談義で盛り上がる二人。そんな二人をトイレから戻って来た御頭が見咎めていた。
「どうした?」
同じくトイレから戻って来た米良が不自然な御頭を訝し気に見る。そしてその視線の先にいる二人に気づく。
話が盛り上がり、彼女と彼氏が戻って来たのにも気づいていない。
「あの二人、仲良すぎません?」
御頭がポツリと言う。そんな事はと一瞬口にしかけたが、二人の様子に言葉を飲み込んでしまう。
「・・・そうだね」
米良も二人から視線が外せない。
二人のもやもやとした気持ちは、一度言葉にすれば明確な輪郭をつくり、形をなしてしまう。
「国富と木城が浮気してるって?」
そんな噂が流れ始めたのは、4人でダブルデートした数日後だった。
当然二人の耳にも入っていた。
「俺は信じてないけどさ、随分と信憑性あるんだよな」
親友の彩人がさすがに心配になって信広の席の横にいた。
「根も葉もない噂だ」
信広は切って捨てる。彩人が信広の耳元で囁く。
「お前に近いヤツが流しているみたいな。気を付けろ」
「・・・そうか」
信広の頭の中に何人かの顔が浮かぶ。
「オレより・・・木城の方が心配だな」
隣りのクラスに目を向ける。
「ちょっと見て来てくれないか?」
信広は頼み込むように頭を下げる。
「合点!」
彩人は風のように信広の元を離れて教室を出て行く。相変わらず身のこなしが軽い奴だと苦笑する。
隣のクラスは信広のクラスより混沌としていた。輝嶺擁護派と批判派に見事に分かれていた。人気のある野球部主将の恋人とあって、嫉妬や羨望、反発が大きかった。擁護派は輝嶺の理解者たちで、かなり不利な立場にも拘わらず身体を張って輝嶺を守っているようだ。
「そんな根拠のない噂話に乗っかって、恥ずかしくないの?」
その中でも輝嶺と仲のいい娘が気勢を上げている。
「根拠はあるわよ」
クラスメートの女子の一人が自信満々に言い放つ。批判派の先鋒だ。
「根拠って?」
「国富君の彼女の御頭さんが言ってたのよ。あの二人、怪しいって」
その話を聞き、輝嶺は合点する。
(なるほど、だからここまで信憑性がある訳だ)
数日前に会った時はそんな陰のある娘に見えなかったのにと輝嶺は残念に思う。
「何言ってんの」
輝嶺の友人が毅然とした態度で、
「元々国富君と輝嶺が友達として仲いいって皆知ってんじゃない」
その言葉を聞き、クラスメートの何人かは確かにと思い始める。輝嶺のクラスにはスポーツ部に入っているクラスメートもおり、信広と知己のある者も何人かいた。批判派の女子は不利になり始めて、矛先を輝嶺本人に向ける。
「さっきから黙ってるけど、当事者の輝嶺はどうなのよ」
ずっとクラス内での遣り取りを静観していた輝嶺は、名前を呼ばれて徐に口を開く。
「それは御頭さんの誤解だと思うよ。実際、この前ダブルデートしたばかりだし」
デート宣言に、批判派の女子たちは渋い顔になる。
「そんなに自分がモテるって自慢したい訳?」
「そーじゃなくてさ。ダブルデートの話持ち掛けたの、そもそも米良君だし。信広はどっちかと言うと消極的だったし。あたし、そのデートで久々に信広と話したんだけど」
LIMEの遣り取りは話がややこしくなるので、この際ノーカンだ。
「ほら、信広は部活で忙しかったし、米良君も大会で直前まであまり会う機会がなかったんだけど」
「それは-」
「それにあたし、御頭さんとまともに話したの、そのダブルデートが初めてなんだよ。お互いよく知らないのに、浮気とか言い出すなんて、ちょっと信じられないんだけど」
輝嶺の言葉に、今まで批判派だった女子の一部がひそひそと好意的な言葉を洩らし始める。
「それにさ」
「何?」
少しずつ不利になっていく批判派の先鋒の女子はイライラとした声で聞き返す。
「あたし、そんな二股するほど器用な性格じゃないのよね。足立だって知ってるじゃない」
批判派の女子は名前を呼ばれ、少し狼狽えかける。
「こ、言葉では何とも言えるわ」
と口答えする。
「そーそー!そもそも、当事者全員が揃っていない中で言い合っても仕方ないじゃん。堂々巡りだし。それに-」
輝嶺はにっこりと笑う。心は笑ってしませんとはっきり判る笑顔だ。足立と呼ばれた女子はゾッとする。
「あたし、あんまり気の長い方じゃないのよね。こんなつまんない口論してるほど暇じゃないのよ。男子まで巻き込んでさ。ねえ、学級委員長の山口君」
突然名指しされた彼はギョッとする。
「ま、まあ・・・少なくとも、噂だけで判断するのは早計だよ、足立さん」
「それは-」
「木城さんの言うとおりここだけで真偽のほどを見定めるのは難しいよ。あと、クラスメートを巻き込んでちょっとウザイ」
山口と呼ばれた男子も、クラスの女子を二分した仲違いを心苦しく思っていたらしい。
「ウザイって・・・」
足立は絶句する。男子の何人かが頷くのを見て、こっそりと足立の批判派から離脱する女子が続出し始める。
「あ、あんたら、逃げんなよ」
いつの間にかクラスで半包囲されているのに気がつく足立。最後は不貞腐れたように言い放つ。
「わ、判ったよ。私が言い過ぎた!済まない」
(やるじゃん、輝嶺ちゃん)
廊下との出入り口で様子を窺っていた彩人は助太刀の心配はないなとその場を離れる。
((人間関係って難しいね))
その夜、信広と輝嶺はチャットしていた。
((哲学か?))
相手の文字を見ながら真面目臭った顔で信広は返す。
((あたしとあんたの噂、聞いてるよね?))
輝嶺が問い掛ける。
((まあな))
((迷惑な噂だ))
信広は言葉を続ける。
((ホントっ!何であたしが責められなきゃいけない訳?))
((それは彩人から聞いた。迷惑掛けたな))
噂の出処が御頭と聞いて、信広も戸惑っていた。今日、何度か御頭に電話をしたが、通じなかった。明らかに信広との接触を避けているのに気づき、彼はちょっとショックだった。クラスでは噂のせいで声を掛けられる状況ではなかった。
((別に信広を責めている訳じゃないからね))
((判ってる))
ふと信広は思い付き、
((米良は何て?))
((普通に会ってるけど、噂を気にしてる風?))
((だろうな))
あれだけ噂が広がっているのだから、知らない訳がない。信広が知る米良は、生真面目な分、顔芸ができるほど器用な性格をしていない。
((こんだけ噂あるのに、よく彼氏に会えるな))
((避けたりしたら逆効果じゃない?平常運転よ、平常運転))
((納得))
((そっちは?))
((連絡つかんな))
((明らかに避けられてるねえ))
((・・・そうだな))
((不躾だけど・・・ショック?))
((そりゃあなあ))
((やだよねえ))
((?))
((向こうからダブルデートしようぜって言っておきながら、これだもん))
輝嶺の物言いにちょっと心が引っ掛かる信広。
((もしかして、米良も噂に関与してるとか?))
少しの間。
((バレバレなんだよね。隠せない性格なのよ))
((ああ))
米良が嘘が下手な事は信広も知っている。
((裏で繋がってるのかな、あの二人))
あの二人とは米良と御頭の事だ。あまり想像したくない思考だ。
((まさか・・・この前ほぼ初顔合わせしたばかりだぜ))
((恋愛沙汰じゃなくてさ、あたしたちをお互いに疑い合っているとかさ))
((なるほど))
そう考えれば、噂の出処の速さも合点が行く。友人の少ない御頭にしては噂の拡散が早いと感じていたのだ。もし、野球部主将の米良が一枚噛んでいたら辻褄が合う。それに・・・そこまで考えて信広は思考を停止する。
((やめだやめ!疑いだしたらキリがねえ))
((・・・二人もそんな気持ちになっちゃったのかな))
情感を込めて輝嶺が言葉を落とす。ここに至り、信広は初めに彼女が「人間関係って難しいね」って意味を理解する。
((あんたの彼女なんだから、ちょっとは手綱を引いてよね?))
いきなり矛先が自分に向けられたので、信広はタジタジになる。
((むっ・・・善処する))
((頼んだわよね!笑))
輝嶺はそこまで怒っている訳ではないらしい。
((とにかく、御頭には問い質す))
((あまり追い詰めるような言い方しないでね))
((判ってる))
お互い初めて出来た恋人だ。大切にしたいと言う気持ちは信広も理解している。
((あたしたちさあ))
輝嶺が唐突に話題を変える。
((しばらく会ったり、チャットするの、控えた方がいいのかな?))
その言葉に信広は鋭く反応する。
((ざけんなよ))
((何?何?あたし、何かまずい事言った?))
((そうじゃなくさ・・・恋人も大切だけどよ、楽しい事を我慢してまで彼女を優先すんの、おかしいって話。それじゃあ本末転倒だろ?))
((やるほどっ!激しく同感だね!!楽しい事は切り離せないっ!!!))
信広は嬉しくなる。
((そうだろ?))
((誰にだって異性の友人はいるもんね。そこまで制限かけるのって最早束縛だよっ!))
輝嶺もいきり立っている。
((オレは周りにどう思われようと好きにやるさ。それは彼女の前でも変わらん))
((あたしだって!こうなったら、二人の前でもとことんダチをアピールしようぜ))
((やり過ぎんようにな))
輝嶺の張り切りように信広は釘を刺す。
夕焼けの陽射しが傾いて仄暗い店内に射し込んでいる。店内の柱に設置された時計は5時から時が止まったかのようにその振り子がスローモーションでゆっくりと動いている。店内の窓から見える人影はなく、このエリアだけ無人になったように夕陽を遮る様子もない。室内はエアコンが効いているはずなのにテーブルの上に置かれたコーヒーから立ち昇る湯気が向い合せに座った二人を包み、お互いの様子さえはっきりと見えない。
「-と言う事だ」
信広は彼女である御頭に宣言する。漸く彼女と連絡が取れ、近くの喫茶店で待ち合わせた。その冒頭だった。事を性急に解決過ぎる嫌いはあったが、不器用な彼はそんなやり方しか思いつかなかったのだ。
注文したアイスティーに口を付けるのも忘れた御頭が呆気に取られていた。
「そんな一方的に・・・」
彼女の顔が歪む。不信感が増したように。
喫茶店の中には人がいるはずなのに、機械仕掛けのロボットのように同じ動作を繰り返す。言葉は捻じ曲がり、何を話しているのか判らない。店内の各所に配置されたスピーカーから流れているBGMはやけに音が大きく、歪んだクラシックを響き渡らせている。とても心安らぐ音ではない。二人の周囲は時が止まったようにのろく沈んだ雰囲気に支配されていた。天井のLEDが接触不良のように頻繁に点滅を繰り返す。そして明るさを次第に弱めていく。
不信感を抱いた彼女の心の動きに気づかない信広は更に言葉を継ぐ。
「前にも何度も言ってるが、オレは木城とは今まで通りの付き合いを続ける」
「彼女より大切なの?それ」
御頭は泣きそうな顔で問い詰めてくる。信広はメンドクセーなと言わんばかりに頭をガシガシと指で掻く。
またLEDが点滅をする。二人の視界は一層不鮮明になる。お互いの距離はどんどん離れて行く。どこかの中世の貴族の家にある、異様に細長いテーブルに置き換えられた。二人はその対極にある椅子に座っている。主と身分の低い者が対峙しているみたいに、遠く-
「御頭と木城を比べるつもりもないし、恋人とダチでちゃんと切り分けてるつもりだ」
「そー言う事じゃない」
彼女は小さく呟く。
「せっかく憧れだった国富君の隣に立てたのに・・・恋人になれたのに、他の娘を持ち出すなんて」
「だ・か・ら・あ・・・オレが恋人だと思っているのは御頭だけだと言ってるじゃないか」
「そう思ってるなら、今後木城と馴れ馴れしくしないでよ」
「見解の相違だ。オレなりに御頭を大切にしているつもりだ」
「言葉なら幾らでも取り繕えるじゃない。私だけを見てほしいの」
彼女は更に言い募る。
(ここまでとは、な)
独占欲を示す彼女の言葉が嫌いだと信広は思った。
喫茶店の大きなガラス窓から見える景色は歪み、割れたレンズから覗き見るように遠近感を無視した道路と建物が一体化した倒錯した光景を目の当たりにする。その侵食の速さは、最早人の頭では追いつけない。世界の果てまで歪んでいく。
((人間関係って難しいね))
輝嶺のフレーズが頭の中でリフレインする。
(ホント、そうだよな)
そんな場面に直面して信広は実感してしまう。その言葉の重みをまざまざと見せつけられている気がした。そして彼の心の中で何かが萎んでいく。
一斉に店内の客が立ち上がり、ガヤガヤとし、喚き声を上げている。その喧噪の中で信広は御頭を見失っていく。暗い暗い店内の奥深くに彼女が徐々に遠ざかっていく。信広には遠ざかる彼女を留める事も繋ぎ止める事もできない。ああ、周囲が煩い。
「オレは御頭はもっと度量のある女子だと思ってたんだがな。そーゆう娘だと思ったから、付き合ってもいいって思ってOKしたんだ。輝嶺の一人も認めないってか?」
信広はやや手荒にホットコーヒーを飲み干す。苦々しい味が口の中だけでなく心にも広がっていく。心が苦みに侵食されたように毒化していく。眩暈がし、意識が遠のきそうな錯覚に捉われる。
一方の彼女は、手にしたアイスティーのグラスを口もつけずにテーブルの上に戻していた。グラスは並々と注がれた中身の氷の融解で水滴がつき、やがて飽和してテーブルを濡らした。水滴は大きな流れとなってテーブルから溢れていく。彼女の履いたスカートに沁みをつくり、大きな斑点になり、次第にスカート全体を濡らしてしまう。彼女は凍えていた。そのままアイスティーに飲み込まれてしまう。きっと息も出来ない程に水流は彼女を水没させてしまうだろう。
御頭は項垂れて両手を膝の上に置いている。その姿は信広の言葉を拒絶しているみたいに。
「私は国富君一途なのに」
「それは光栄だと思ってるよ」
「じゃあ、どうして-」
これは堂々巡りだし、判り合えないと理解してしまった。
「これ以上は妥協するつもりはないし、後は御頭が選べばいい」
信広の言葉を受けて、御頭はさめざめと泣く。彼はたた黙って受け止めた。
学校の屋上-
輝嶺は屋上の四方に張り巡らされた背の高い防護柵越しに遠くの景色を見ていた。
「黄昏てんじゃん」
振り返ると親友が屋上のコンクリートの床をコツコツとローファーの音を響きかせながら近づいて来る。
「まあね」
輝嶺は元気なく呟く。
親友-槻木悠美が輝嶺と同じように柵越しに外に目を向ける。チラリと輝嶺を見て、再び外に視線を戻す。
「派手にやったみたいだね」
輝嶺の頬は殴らせたのか赤く腫れていた。悠美は女を殴るなんて許せないと思った。
「誠意を込めたつもりだったんだけどね」
寂しく笑う。
「あれでしょ?国富君との事でしょ?別にさ、一人に縛られなくったっていいと思うけどさ」
悠美自体色々と自由奔放な性格をしている。小悪魔とも言われているし、浮気もしょっちゅう。本人は全く懲りていない。それが彼女のアイデンティティだから。
「あんたみたに割り切って生きられたらいいのにね」
「ふん」
輝嶺の羨ましそうな表情に半分照れ隠しなのか鼻を鳴らす。
「生きたいように生きてるだけだから」
普段は女子の前ではしない本音を口にする。これでも彼女なりに気を遣っているつもりなのだ。輝嶺には親友の優しさが今はやたら心に沁みる。勿論、誠意を込めても伝わらない時があると輝嶺は今までの経験からよく判っていたが。
「あたしもそのつもりなんだけどなあ。上手くいかないんだな」
「輝嶺は律儀すぎなのよ。あの一本気な米良に国富君はただのボーイフレンドですって言ったって疑われるだけでしょう?」
輝嶺を労わるように、それでいながら言うべき事ははっきりと言う。
「疑われてるから弁明したんだけど」
言い訳めいた言葉。
「火に油を注いだだけだったよ」
「私なら言い訳すらしないで、『あ、そう。じゃあ、さいなら』だけどね」
「らしいね!あたしにはそれはさすがに無理」
悠美は輝嶺を見る。
「米良にそんなに未練があるの?」
「そりゃあ初めてできた彼氏だからね。でも・・・」
「でも?」
「なんかさあ、こう揉めるともういいやって気分にもなってる」
「なるようにしかならないさ」
「そーだね」
数か月後、信広は御頭と、輝嶺は米良と破局する。関係修復の手を差し伸べたが、結局届かなかった。二人はとても悲しかった。追い打ちをかけるように信広と輝嶺が浮気したのが原因で別れたのだと言う噂を残して・・・
「これで元に戻ったのかな?」
「どうだかな」
二人は学校帰りに海に寄っていた。長く続く防波堤の上に座り込み、ぼんやりと夕陽を見ていた。秋口に入り、風は少しだけ冷たくなったなと感じている。
二人が恋人と別れたから1か月過ぎていた。お互いのクラスでは信広と輝嶺が悪者になっていて、特に二人はそれを肯定も否定もしなかった。その事が更に孤立感を深めていた。
「当事者同士の話のはずなのにさ、周りが煩いんだよね」
噂と故なきクラスメートの忌避に戸惑っている。
「木城は人気者だからな。その反動も大きいんだろ」
信広は慰めるようにポツリと言う。
「あんただってそうでしょ?部活の方は大丈夫?」
「ああ、サッカー部はな。ただ、野球部がいちゃもんつけてくる」
「あたしのせいだよね」
輝嶺は野球部の主将と付き合っていたのだ。そう考えるのも不思議ではない。
「理由はともあれ、女の事をいつまでも引き摺ってる奴とは思わなかった。見誤って薦めて済まんかったな」
「そんな事-」
その時、誰かが二人の背後を通り掛かる。
「あの二人って・・・」
「ウソっ!例の?」
あからさまに噂を流していく。同じ中学の生徒だったらしい。
二人は黙り込む。
足跡が完全に消えたのを確認して輝嶺がフッと息を吐く。
波の音が外の雑音を掻き消していく。
「あまり気にする事はないさ」
信広がポツリと言う。声に張りがない。
「・・・そうだね」
ワンテンポ遅れて輝嶺が呟く。海風に流されてしまうそうな弱々しくてか細い声。
夕闇が近づき、二人はこのまま暗い海に引き摺り込まされそうだった。
「ああっ!やめやめ!!」
暗い気持ちに耐え切れなくなったように輝嶺が海に向かって叫ぶ。
「こんなのあたしたちらしくないっ!」
もう一度叫ぶ。それに釣られたように信広は立ち上がる。
「ウォーっ!!!」
絶叫に輝嶺は引きまくる。
「お、驚くじゃない、いきなり」
「叫んでもいねえとやってられん」
マジ声の信広に、輝嶺は思わずフッと笑う。
「・・・全く、そうだねえ」
同調する。辺りはすっかり日が暮れ、明かりが少ない海岸通りを通る学生もいなくなっていた。いたってどうだっていいと信広は思っていたが。
「何か、肩がずっと凝っていた気分だ」
「?」
「恋なんて慣れないモンに付き合っていたせいで、知らないうちに身体が縮こまっていたのもかもな」
信広はその場で両腕を空に突き上げて大きく伸びをする。
「ホントだ」
彼の真似をするように輝嶺も両腕を前に突き出して身体を解す。知らないうちにかつての自由さを失っていた気がした。
何か憑き物が落ちたように思えて、視線を交わした二人は笑い合う。
歩いていると白い息がはっきりと見える。風は凍えて制服のスカートの下から冷気が入り込み、輝嶺は身震いする。
「寒っ!」
少し早歩き気味に学校へと向かう。
学校の正門前で見知った背中を見つける。彼なら、後ろ姿でも一瞬で識別できるほど輝嶺は知り尽くした間柄だ。
「お早よ」
肩を叩くと、大柄な身体が後ろに向く。
「オッス」
体育会系のノリで信広は輝嶺に挨拶する。
「輝嶺ちゃんオハヨー!」
傍らにいた彩人が歯をキラリとさせて満面の笑みで迎える。
「お早よ」
輝嶺は律義に挨拶を返す。
信広のグループにいたクラスメートの何人かが顔を見合わせる。
「あ・・・俺たち先に行くから」
そそくさと三人から逃げるように離れて行く。
「・・・ああ」
信広はなるべく平静で答える。
「せっかくの美人が挨拶してきたのに、逃げるなんて友達甲斐ないねえ」
クラスメートの姿が登校中の学生の中に消えるのを見計らって彩人が皮肉を言う。信広と輝嶺は少し気まずい顔をしている。
「まだ、噂が燻ってんのかねえ」
彩人が肩を竦める。
「気に留める必要はない。好きにさせとけ」
信広は鷹揚に言う。
信広と輝嶺が恋人と破局を迎えてから数か月が経つと言うのに、浮気の噂は消え切っていない。
「あたしは気にしてないよ」
輝嶺は努めて明るく振る舞う。
二人からは何人かの友人やクラスメートが去って行ったり忌避したりする一方で、フリーになった人気者の二人には恋の噂も絶えず、実際に告られたりもしている。
「次の恋はしないのかい?」
彩人が軽口を叩く。
「しばらくはいいかなーって感じ?」
輝嶺が面映ゆそうに答え、チラリと信広を見る。
「・・・オレも同じかな」
照れ臭そうに鼻の頭を掻く。
「よっ!国富。また告られたんだってな」
後から来て信広に気づいたサッカー部の部員らしい二人組が、後ろから彼をどつきつつ挨拶してくる。
「やめろよなバラすの」
明らかに嫉妬を含んだその言葉に苦笑する。
「モテ男は辛いねえ」
もう一人のサッカー部員が追い打ちを掛ける。信広はそいつをジロッと睨む。
「じょ、冗談だって」
慌てて二人は弁明する。
「相変わらずモテる事で」
輝嶺が冷ややかな目で信広を見る。
「オマエまで・・・」
裏切られたような気持ちで輝嶺の冷めた様子に首を竦める。
「そんな木城さんだって、告れられたんでしょ?三年の先輩に」
「あ、あれは・・・揶揄われたのよ」
突然矛先が自分に向かって来て、油断していたのかしどろもどろになる。
「何だ、木城も人の事言えねえじゃないか」
ここぞとばかりに信広が逆襲してくる。
「違うって!所属している風紀委員会の会合で、三年の先輩たちが示し合わせて悪戯仕掛けてきたのよ」
苦笑しながら弁明する。信広はちょっと引っ掛かる。
「嫌がらせとかじゃなくて?」
「そーよ。一人でいたならともかく、悠美や他の友達も一緒だったのよ」
「ああ・・・槻木がいたなら大丈夫か」
輝嶺の親友である悠美の存在を知って、信広も一安心する。彼女の裏表の性格を知ってる数少ない友人の一人だと信広は自負している。まあ、いい意味で毒舌でメンタル最強の悠美がいる場で、輝嶺に突っかかってくるような無謀をする奴は滅多にいない。それが先輩であっても。
「どんだけ悠美、最強列伝轟かせているのかしら」
寧ろ親友の噂が心配になっている輝嶺。
「まあ、守護天使だと思って近くに侍らせておけ」
信広が冗談交じりに言う。
「あたし、どこのお姫様なのよ」
「姫ってガラじゃないなあ」
「言ってくれるっ!」
輝嶺が信広左肩にパンチを食らわす。
「イテッ!」
信広は思わず痛みを感じて彼女から距離を取る。
「オマエのパンチはスナップが効いてて痛いんだよ。洒落にならん」
肩を擦りながら輝嶺に正対する。
「サッカー部が、いたいけな女子のパンチでイチイチ泣き入れんなよ」
ゴリラみたいな扱いにムスッとする。
(((傍目から見ればバカップルなのに、これが正真正銘の友達なんだよなあ)))
二人の関係をよく知っている三人は生暖かい目で見守っている。
信広が同クラの友人の一人と休み時間に談笑している時だった。
「帰り、カラオケ行かねえ?」
彩人が信広たちを誘ってくる。今日は中間テスト直後で部活動がなく、それを見越して話を持って来たようだ。
「その心は?」
友人の一人が真意を聞いてくる。
「やあ、女子も誘ってワイワイとな」
「そっちが本命かよ」
信広が頭を抱える。
「女子はお前の方で身繕ってくれるのか?」
信広の仲間の一人が尋ねてくる。彩人は女子の交友範囲が広く、他校の女子とも色々なコネがあり、大抵そう言う時はお目当ての女子を狙っている時であり、何かに託けて仲良くなろうと言う強かさがあった。それでも女子との接点ができるのだから否とは言わないのであるが・・・
「それがさあ・・・最近二股がバレちゃって、事情を知る女子連から総スカン食らっててさ。でも、他のダチに女子を身繕ってくるって言った手前、後に引けなくてさ」
話を聞くと、彩人にはよく一緒にナンパする友人が二人いて、何かの勢いで女子とのカラオケをセッティングすると約束してしまったらしい。その時は女子との接点も多くあって気軽に引き受けてしまったと説明する。
「つまり自己調達しろと?」
信広が指摘すると彼はバツが悪そうに視線を逸らす。
場所はセッティングしたが、手頃な女がいないらしい。尋ねた仲間は思惑が外れ、どうしようかと言った顔になっている。信広の仲間は部活繋がりが多く、そちら方面の女子の知り合いはいるが、部活動がない今日は大抵の彼女たちは予定を組んでいるものだ。何人からに当たりをつけたが、全員断られたらしく、彼は彩人に向かって肩を竦める。
彩人は困った顔をして信広を見る。
「オレの女子の交友範囲は高が知れているの、知ってるだろう」
ただでさえ、例の噂の影響で信広の人気はガタ落ちしている。それでも縋るような顔を彩人にされたので、
(自業自得だろうが)
と思いつつ、しゃあねえなと溜め息を吐き、信広はスマホをポケットから取り出し、LIMEを始める。返信があり、信広は顔を上げる。
「・・・木城の方、OKだってよ」
「さすがぁ信広!顔が広くて助かるよ」
最初から木城目当てだったのだろう。だが、内情を話せば絶対に断られると思い、こんな周りくどいやり方をしたのだろうと察した信広は、癪だったので彩人の頭を小突く。
「少しは反省しろよ」
「へいへい」
反省の頃なし。
「で、メンバーは?」
信広の仲間の一人が問う。
「宮野と槻木らしい」
宮野とは宮野須美と言うフルネームで、いつだったかクラスで輝嶺が孤立しかけた時に敢然とクラスの女子に立ち向かった筋金入りの武闘派だ。実際に剣道部に所属していて、やや気の強い性格だ。
「おおっ!いいじゃん」
さっき信広に問うた仲間の一人が嬉しそうに言う。なかなかに顔の可愛い二人は男子の人気が高い。二人の性格を知る信広はやや微妙な顔をしている。
「須美ちゃんも大人しくしていればなあ」
背が高くて可愛い系の顔立ちだが、彩人も輝嶺の友人として素性を知っていたので唸る。信広はすかさず彩人の腹に軽くパンチを入れる。
「女子が来るだけでも感謝しろ」
「「「「「「「乾杯っ!!!」」」」」」
カラオケボックスに集まった7人はジュースや清涼飲料水でグラスを重ね合わせる。カランと言う音が室内のそこかしこで響き渡る。二度も三度も同じ面子で重ね合う男子女子もいる。
ガヤガヤと雑談が始まり、合コンのノリになる。輝嶺は初顔合わせの男子の前でもフレンドリーさを発揮し話題を振り撒く。宮野須美はいつものように泰然とした態度で男子と互角に(?)に渡り合っている。悠美はと言えば、媚を売るようにひたすら男子にボディタッチを繰り返している。勝手知ったるメンバーも彩人のナンパ仲間もコミュ力が高かったので、話し始めも打ち解けるのも早い。彩人もイケメン振りを発揮して、気難しい宮野の機嫌を取っている。
そのうち何人かが曲を入れ始めたので、会話も中断し歌を聞き入る派と会話派に分かれていた。
流行りの曲を歌っていた輝嶺が休憩とばかりに信広の隣に座る。
「相変わらず上手いな」
「ありがとっ」
褒められて満更でもない。
「信広は歌わないの?」
「オレがカラオケ上手そうに見えるか?」
「全然」
「知ってて揶揄うないよ」
「ケケケ」
輝嶺が意地悪そうな顔をする。
「槻木は今、フリーなのか?」
信広が気になっていたのか尋ねる。
「そうね~。狙ってるの?」
「まさか・・・勘弁してくれ」
素の悠美を知っている信広は顔を顰める。確かに外見はいい。だが、中身は小悪魔と言うか、悪女に近い。とても信広の手に負える相手ではないと理解している。
「あの娘も色々あるのよ」
「色々ありすぎだろ」
まだ中学生なのに女子としての知名度はこの辺の学校では抜群だった。美少女と言う意味でも小悪魔的な意味でも。
「この前、青島高校の男子に告られたらしいよ」
輝嶺がひけらかす。
「おいおい・・・そいつ、ロリだろ?」
信広は顔を顰める。
「そぉ?結構いるわよ、ウチの女子でも高校生と付き合ってる娘って」
しばらく考えて信広はなるほどと思う。
「まあ、同中卒業した高校生が後輩と付き合っているってパターンもありか」
「そーそー」
輝嶺は肯定する。
「卒業・・・か」
信広は実感を込めて呟く。
「中学生活もあと一年だもね」
既に2月。本格的な受験シーズンが1年後に迫っていた。
「受験-」
今年の夏には信広もサッカー部を引退し、否が応でも受験に突入する。あまり成績のよくない信広には頭の痛い話だ。同級生の中には既に予備校に通っている者も少なくない。こうして呑気に遊び歩いている方が少数派なのだ。
「信広は-」
輝嶺がさり気なく話題を振る。
「ん?」
「どこの高校受けんの?」
輝嶺の問いに信広は現実から顔を背けたい気分になる。
「聞くなよ。オレが行ける高校は、この辺じゃ偏差値の低い私立か青島高校ぐらいだ」
「そっか」
予想通りに答えに輝嶺は合点がいったように一度頷く。
「ウチは家庭が厳しーから、公立かなあ。この辺だと、やっぱ青島高校?」
輝嶺は母子家庭で生計は母親一人にかかっている。そんな余裕はないのだろう。
「特に将来の目標がないんなら、青島高校でいいんじゃね?オレも第一志望に書くつもりだし」
「そっか青島高校が第一志望か」
不意に顔を逸らし、ニンマリとする輝嶺。
(やっぱり、青島高校か)
表情以上に内心嬉しそうな感情に満たされる。
卒業の日は通学路の桜が舞っていた。
「早くしろよ」
髪をいつもと違って結い上げ、ヒールの高い靴を履いた輝嶺の足の遅さに焦れたように信広は彼女の手を取る。
「あっ・・・」
手を引かれる形になった輝嶺は恥ずかしそうに俯く。
「ありがと」
照れながらもしっかりとその手を握る。
「よっ!ご両人!!」
堂々と卒業式に日に手を繋ぐ二人を友人が揶揄う。
「違って!」
足取りが覚束ない輝嶺を放置する訳にもいかず、一度繋いだ手を離せない信広は友人たちの言葉を甘んじて受ける。
揶揄った友人たちは、いつもと違ってバッチリ化粧をして正装している輝嶺の美しさを見て思わず見惚れてしまう。彼女の足元の不安定さに気がついて、信広が輝嶺のサポートをしていると知り、自らの言葉を謝罪する。
「いいって」
ただでさえ目立っているのに、ここで謝られては更に人目を引くじゃねえかと。
今日の木城は卒業生総代として演壇に立つ。日頃の品行方正と多くの友人と分け隔てなく接した生活態度、一番大きいのは青島高校にトップで合格したのが評価された形だ。中途半端な成績で合格した信広は裏切られた気持ちだった。
「まさかお前がそこまで頭いいとはな」
確かに受験勉強の時は色々と教えてもらっていた身ではあるが、そこまでとはさすがに信広も思っていなかったのだ。
「たまたまよ、たまたま。過去問勉強してたら、見事に全部出題されたからね。それといい友達に恵まれたのね」
彼女は控えめに言う。確かに持ち前のコミュ力はハンパではなく、友人も男女の分けなく多かった。過去問も友人の伝手で青浜高校の在校生から教えてもらったものだった。
輝嶺が今日、見てくれをバッチリ決めているのはそう言った理由からだった。普段の彼女を知るクラスメートやその他大勢も、今日の輝嶺の美麗さにいつもとは違った雰囲気を誰もが感じ、心が引き締まる思いだった。
卒業式は粛々と進行し、卒業証書授与、卒業生総代の挨拶も滞りなくこなし、散会となった。
式が行われた体育館から正門までのスペースには卒業生・在校生・卒業生の親も含めて人に溢れていた。記念写真を撮ったり、卒業生のボタンを争奪したり・・・この時期だけの営みが行われていた。部活やクラスメートで集まって集合写真がそこかしこで撮られ、盛り上がっていた。奇声を発したり、卒業おめでとうのコールが何度も繰り返されていた。
件の二人はそんな喧噪から離れ、校舎裏の小高い丘の上に座り語り合っていた。丘の上には一本桜が植えられていて見事に花を散らしていた。
「中学生活も今日で終わりか」
信広は感傷に浸っていた。
「長かったような短かったような」
輝嶺は桜の木を見上げながらポツリと言う。
「2年からは長かった。ってか、充実していたよ」
「あたしたちが会ったのも2年になってからだったよね」
「そうだな」
「楽しかったよ。信広と出会ってからは特に」
強調して言う。
「オレもさ」
信広も同調し、二人は微笑み合う。しばらく桜が舞う様に身を任せていた。
ようやく記念撮影や学生たちが帰途に就き始めたのか、正門の方かも徐々に静かになっていく。
信広は立ち上がり、制服のスラックスのお尻の辺りの土汚れを手で払う。
「そろそろ行こうぜ」
彼に続いて立ち上がろうとしてよろけてしまう輝嶺。
「ああっ!慣れないヒールを履いて足が痛いわ」
悪態を吐く。
「ほらよ」
信広が手を貸し、輝嶺はその手を掴んでようやく立ち上がる。
「ありがと」
彼女は照れて頬を染める。
二人は並んでゆっくりと小高い丘を降りて行く。
「ヒールなんてやめろよな」
信広が輝嶺を弄る。
「こりごりよ。大人ってよくこんなバランス悪い靴履いてるわよね」
「見た目だろ」
信広は肩を竦める。そしてチラリと横を歩く輝嶺に視線を向ける。
「・・・馬子にも衣装、か」
「うっさい!」
輝嶺のローキックが信広の膝に決まる。じゃれ合いながらなだらかな斜面を降りて行く二人。
正門前では彩人・悠美・須美を中心とした仲のいい友人が待っていた。
同じ青島高校に進学したのは、二人以外には主だった友人では本郷彩人・槻木悠美の二人だった。宮野須美は地元の私立高校に進学し、中学時代に交際していた御頭香花や米良悟朗は別の公立高校に入学したと風の噂で聞く。
「すっかり顔馴染みが減ったわよねえ」
他の三人の面子を前に輝嶺が黄昏れる。
「そんなもんだろ」
地元の青島市や周辺の市には幾つかの高校が乱立しているので、同中のクラスメートが離れ離れになるのは珍しくなかった。
そんな中で本郷彩人と槻木悠美はホクホク顔だ。
「もう声掛けられたのか?」
聞けば彩人は入学初日から何人かの女子に声を掛けて連絡先をゲットし、悠美もクラスメートや目ぼしい上級生に好意的な目を向けられたらしい。中学生時代から周辺の中学の生徒に美少女ととして名を轟かせていたのは伊達ではなかったらしい。
「けっ、恋愛脳が!爆発しろっ」
面白くないように輝嶺が毒づいている。すっかりギャル口調だ。こちらも入学当初はトップの成績で入学して文武両道の美少女と崇められた。だが、それは本人の本意ではなかったらしく、そんな堅苦しい印象を避けるために髪を茶髪にしてギャル口調に更に磨きをかけていた。今ではすっかり馴染んでいた。
「あんただって声掛けられているでしょ?」
悠美が反発するように指摘する。
「だからあ。あたしはしばらく恋愛はパスなの」
未だに中学時代の恋愛が尾を引いているらしい。あの後も何人かと付き合ったらしいが、長く続かなかったらしい。輝嶺は少し恋愛に臆病になってしまったようだ。
「そー言や、信広。サッカー部には入らないのか?」
話題を変えるように彩人が信広に尋ねる。
「ああ」
信広は頷き、
「仮入部してみたんだが、中学とはレベルが違う。とてもじゃないがついていけないな」
と溜め息を吐く。
「中坊卒業仕立ての新入生がいきなり高校のレベルについていけないだろ、普通」
「そうじゃなくって」
信広が説明する。
「中学時代は皆で楽しくサッカーできればいいやレベルでやってたけど、ここのサッカー部、ガチで大会上位を目指している強豪校らしくてな。肌に合わん。ロードワークは続けているがな。健康のために、な」
「なる」
彩人は納得する。振り返り、
「因みに輝嶺ちゃんと悠美ちゃんは」
と後ろの席で喋っている女子に声を掛ける。
「「帰宅部」」
声を揃えて言う。
「じゃあ皆帰宅部じゃん」
彩人は苦笑する。
「じゃあいつでも遊べるじゃん。一緒に楽しもーぜ」
その一言が信広に心に刺さる。
「楽しむ、か」
信広は悪くないと思う。
「いいじゃん」
輝嶺も同調する。
「まあ、暇な時にね」
既に恋愛ムーブを発している悠美は控えめに賛成する。
「けっ!やっぱり恋愛脳じゃん」
輝嶺は悪態を吐く。当の悠美はケロリと受け流す。
6月に入っていた。
「海?いいね」
夏に海に行く計画が上がり、彩人は一も二もなく賛同する。話を持って来たのは輝嶺だ。
高校に入り、払川向・五ヶ瀬美郷と言った友人を得て、親睦を兼ねて色々と算段していた矢先に、向が海は外せねえだろうとごねたのだ。それに負けた訳ではないが、元々高校での海デビューしたかった女子たちの思惑の一致して決定したのだ。女子たちは今からどんな水着を買うかで盛り上がっていた。輝嶺・悠美は勿論、高校から知り合った美郷も中々の美人だ。男子たちに否と断る理由もない。
「やっぱ、海デビューは地元でしょ?」
彩人を二倍くらいに濃縮したナンパ度の向が主張する。
「そうだなあ」
地元なら勝手知ったる所なので信広も不安がない。
「「「いいんじゃない」」」
女子たちも乗り気だ。
「じゃあ決まりだ」
向は知り合いが海の家をやってるらしく、直ぐに連絡を取り始める。
「まだ6月だろう」
呆れたように信広が気の早い向を詰る。
「善は急げっしょ?」
全く屈託がない向に苦笑する仲間たち。
「悠美、海は?」
輝嶺が悠美を見る。
「まあ、彼氏と・・・」
誇る事でもないので、彼女は控えめに経験があると肯定する。勿論中学時代の話。
「美郷は?」
今度は新しい友人の美郷に振り返る。
「もち、女子と行ったり、彼氏と行ったり」
美郷の中学校は海に近く、学校帰りとかに遊びに行ける距離だったため、気軽に色々な友達ととっかえひっかえ遊びに行っていたらしい。
「何だ。海デビューはあたしだけじゃん」
輝嶺はショックを受ける。
「そーなの?輝嶺だったら引く手数多だったのじゃないの?」
輝嶺が首席でこの高校に入学したのは、彼女が入学式で総代を務めたために学校では知れ渡っているし、何せこの美貌だ。
「それがそうでもないのよね」
チラッと信広を見る。彼の中で中学時代の恋人とのトラブルが頭の中をよぎり、チリチリとした胸の痛みが甦る。
「親も中学生だけで海に行くのには否定的だったし、彼氏とも長く続かなくて、夏はロンリーだったわ」
なるべく軽い調子で語る輝嶺。
「過去の事はいいじゃんよ。今を楽しもーぜ」
空気を呼んだ向が前向きに発言する。
「そーだよ」
それに彩人が呼応する。
そんな二人を見て、向と彩人の中でナンパ計画が進行しているのを何となく悟る信広。
「まあ、色々言いたいが・・・向と彩人、ちゃんと女子のフォローはしてやれよ」
「わ、判ってるって。こんな綺麗どころを差し置いて、ナ、ナンパなんて・・・少し自制します」
心の裡を読まれた向がきょどる。そんな向に彩人も苦笑しっぱなしだ。
「輝嶺ちゃんもいるところで綺麗どころってか」
女子たちの冷ややかな視線を受けて、さすがの彩人のイケメン度もだだ下がりだ。
「でも、水着は期待しててね!」
悠美がお得意の媚を売る。
「「「もちろん!」」」
男子三人は声を揃えて意気込む。
ある日の帰り-
高校の制服に身を包んだ学生が、学校から続く通学路を喋りつつどこへ行こうかと他愛のない話をしている。既に夏服に変わり、ブラウスの白がヤケに眩しい。
信広と輝嶺は一緒に帰宅していた。信広も今ではすっかり帰宅部に馴染み、男子だけで遊び歩いたり、輝嶺のグループとカラオケしたり、時には他の友人とも交流していた。
「大丈夫なのか?海デビューなんて宣言して」
確か輝嶺は中学生時代にプロポーションにあまり自信がないって言ってたのを覚えていたのだ。寧ろそっちの方が理由の本命ではと信広は思っていた。色々理由を並べ立てていたが、海デビューに意気込んでいる輝嶺に危惧を感じたのだ。
「あのねっ!あたしも中学から少しは成長したの。見くびらないでね」
信広はチラリと輝嶺の胸を見る。ずっと近くにいたので、正直成長しているのかどうかが判らない。まあ、中学時代に比べれば盛り上がっている気もするが・・・
「見んなっ!」
輝嶺のパンチが信広の頬に炸裂する。
「痛えな。どっちなんだよ。水着着れば、嫌でも視線が集中するだろうが」
「人並みにはなったけど、見られんのは恥ずかしいのよ」
輝嶺は顔を赤くする。
「何かさあ、悠美や美郷は何やかやで中学時代に海デビューしてるし、何か負けてるみたいでさ」
「勝ち、負けの問題じゃないだろ」
これが女の見栄なのだろうかと信広は思ってしまう。
「どう見ても悠美や美郷と比べると、プロポーション的に負けてるしさ、ちょっとは大胆な水着でもしようかなと」
「あまり背伸びはすんなよ」
大抵高校デビューに失敗する典型ではと信広は危ぶむ。
「信広はどんな水着がいい?」
「そ、そーゆうのは彼氏に聞けよ」
「今、あたしに彼氏がいないって知ってるでしょ」
輝嶺は憤然と言う。
「オレに水着の話しても何の参考にならないぜ」
ファッションや身嗜みにあまり興味のない信広は不得手な会話を避けたがる。それでもと言うのなら・・・
「シンプルイズベストだな」
「・・・ふむ」
輝嶺は一理あると言わんばかりに頷く。
「まあ、お前はたっぱはあるからな。それだけで見栄えはするさ」
素直な感想を吐露する。
「身長に見合ったプロポーションかはねえ」
本人的には自分のスタイルにまだまだ納得いかないところもあるみたいだ。ふと目線が近くなったなと気づく。
「また身長伸びたな」
信広はポツリと言う。
「信広だって」
「こっちはスポーツも止めて打ち止めって感じだがな」
「そのうち、信広を超えるかもね」
輝嶺が悪戯っぽく言う。
「それは勘弁してくれ」
真夏の陽射しが海沿いの駐車場に止められた何台もの車のフロントガラスに乱反射し、眩しい。
彩人の掛けたサングラスに光が宿り、たまたま真横にいた輝嶺は目を細める。
「暑っ」
向が首筋を流れる汗を手で拭う。
街中と海岸を隔てる防波堤に登る。
6人は地元の海に遊びに来ていた。
「う、海だ~っ!」
一面に海岸線・・・いや芋洗い状態の海水浴客が溢れていた。感動を込めて叫んだ彩人の声は海水浴客のざわめきに掻き消されてしまう。
「何?この人の数」
カラフルな花柄模様のバンドゥビキニの上に余裕のある普段着を着た悠美が目を見張っている。Dカップのプロポーションのよさは普段着越しからも窺える。既に行き交う小麦色に焼けたナンパな男たちの視線がチラチラと向けられていた。
「この暑さだからな」
珍しく信広が悠美の話題に絡んでくる。信広と悠美は性格の違いからか、あまり二人で話す機会は少ない。
「少し出遅れたわね」
悠美が寝坊して出発が遅れたのだ。
「そのようだな」
信広はじろりと悠美を見るが、全く遅刻した反省の色は見えない。
「早く降りようよ!」
直ぐにでも身体を動かしたい輝嶺が皆を急かす。シンプルな三角ビキニに長めのパーカーを羽織った出で立ち。女子にしては高い長身が人目を惹く。
「輝嶺慌てない。先に着替えないと」
マイペースな女性二人を高校から友人になった五ヶ瀬美郷が窘める。
「「へいへい」」
いい加減な返事をしながらも二人は素直に従う。
女性陣が着替えに海の家に行くと、男性陣は素早く着替えて海の家にパラソルやビーチボール・浮き輪・フロートを適当に身繕っていく。
「海って言やあビーチボールっしょ?」
向が浮かれた声で同意を促す。戯れる女子の水着の胸が揺れるのを想像してほくそ笑んでいる。
「そうだな」
健全な男子である信広も頷かざるを得ない。
砂浜はパラソルが立ち並び、その間を縫うようにして人が歩いたり走ったりしている。
あまり密集した場所を避けて、海の家から少し離れた海岸の端の方にパラソルを立てる。場所が場所だけに却って悪目立ちしている。
「「「お待たせっ」」」
三人の女子の声が掛かり、男子三人は期待を込めて振り返る。
普段着を脱いだ悠美はそのプロポーションも相俟って、布地の少な目のバンドゥビキニがそのDカップを強調し、色っぽさがマシマシだ。
長めのパーカーと短パンを脱いだ輝嶺はレモン色のオーソドックスな三角ビキニでストレート勝負。持ち前の長身に細身のCカップが健康で躍動感が感じられる。
一方、新参の五ヶ瀬美郷。スタイルには少し自信がないのか、ワンピースだ。背中が開き、布面積もやや少ない少し攻めたワンピースは胸の小さい彼女でもよく映えた。小さいと言っても、全体的に細い美郷はアンダーバストも細く、バストサイズ的にはCとDの中間ぐらいあり、ちょっとアンバランスなところが魅力になっている。
信広の視線は自然輝嶺にいく。
「似合ってんじゃん」
「あんま見んな」
やや自信がないのか恥ずかしそうに信広の足に蹴りを入れる。身体が動きにビキニの胸が揺れ、信広が一瞬ガン見して慌てて視線を逸らす。
「ややっ、木城ありだろ?モデルみたいだ」
向のストレートな物言いに、満更でもない顔をする輝嶺。
「美郷ちゃんのワンピース姿、そそるねえ」
彩人がビキニばかりかと思っていた予想をいい意味で裏切った美郷を褒めちぎっている。
「エロい言い方!」
非難めいた口調ながらも褒められて嬉しそうな表情。
「ちょっと!私はどうなのよ」
仲間外れにされた悠美が憤然と言い募る。
(((言うまでもないだろ?)))
女子陣の中で一番プロポーションがよく、モテ女の色気がある悠美に対する男子陣の意見は一致していた。
6人でビーチバレー-っつっても、輪になってビーチボールを回すだけ-に興じ、1時間もするとあまりの暑さにパラソルに退避する。6人が余裕で入れるパラソルを借りたので小休止とばかりにそれぞれ寛ぐ。
「ねえ、信広。オイル塗ってよ」
さっきビーチバレーで日焼けに痛みを感じた輝嶺がオイルを取り出す。
「ええ?オレが」
信広は戸惑いの声を上げる。
「そー言うのは恋人同士がだなあ-」
彼の言葉を遮るように輝嶺が信広の耳元で囁く。
「他の男子に触られるのはちょっと・・・お願い」
輝嶺の腕を見ると、陽射しに焼けてやや赤みを帯びていた。
「しゃーねえな」
信広も女性の肌を触れた経験はあるので特に抵抗はないが、仲のいい輝嶺の肌に触れるのは躊躇いがあったのだ。
輝嶺は砂浜の上に敷いたシートの上に寝そべる。染みも傷もないスベスベの輝嶺のやや陽に焼けた肌。信広は手にオイルを適量とり、輝嶺の背に触れる。その滑らかな感覚に、信広は輝嶺の肌に女を感じてしまう。
「ひゃっ!」
輝嶺が身を悶える。
「染みるか?」
「いや・・・くすぐったい」
「・・・我慢しろ」
心配して損したとばかりにぞんざいに言う。
「あっれー!国富君と輝嶺って、そんな関係?」
ニヤニヤと笑いながら二人の所作を下卑た目で見る悠美。
「「そんなんじゃない!」」
午前中軽く遊び倒して、昼食は海の家で。昼近くとあって混雑していたが、向が席を確保していたのですんなりと昼食にありつけた。6月は早いと思っていたが、この混雑を想定していたのかと、信広は向が意外にセッティング上手だなと思い直す。
今日は特に陽射しが強く、パラソルを差していても暑さを防ぎきれず、直下の熱された砂の上を歩くのも一苦労だった。海水浴客の一部は暑さを避けるために海の家に入り浸っている者も。
「やっぱ、海の家ったら、焼きそばっしょ!」
口一杯に頬張った向が宣う。
「その言い種!」
悠美が突っ込みを入れる。
海の家の吹き抜けの木のテーブルには焼きそばを焼く熱気やかき氷のシロップの匂いが混在し、ちょっとカオスだ。だが、これも夏海の醍醐味だ。
「どうよ、午前中の戦果は?」
向が彩人に向かって小指を立てる。
「上々っ!5人から連絡先ゲットしたぜ」
得意げに語る向。中学の時からナンパし馴れているのだろう。
「美少女三人を前にして、よくナンパなんかするわね。ってか、よくそんな時間あったわね」
輝嶺が呆れた様子でパスタを啜るように食べている。
常に6人でいた訳ではないのでよほど要領よくナンパしているとしか思えない。
「そこは俺っちの魅力かな」
ドヤ顔をする向。
「向は押しが強すぎるからな。断り切れんのだろう」
信広が冷静に分析する。
「いやいや国富。俺っちも口説いて聞いた娘もいるけど、半分は向こうから声を掛けてきて、教えてくれたんだぜ」
向が弁解がましく捲し立てる。確かにイケメン寄りで身体もしっかり筋肉がつき、小麦色の肌の向はモテる要素も多い。
「ああ、判った、判った。戦果があったんなら、いいじゃねえか」
ポテトをフォークで突き刺して口に放り込む信広。
「ナンパっつっても、無理に誘わず連絡先だけってのもアリだな」
無理に遊ぼうって誘って断れるくらいなら、連絡先だけ聞き出して次に繋げる手もありかと彩人が唸る。意外に今日の女子陣に気を遣っているのかも知れない。
「木城さんの言うとおり、同伴の女子がいるのにナンパって、ちょっとね」
美郷に一刀両断される。向はぐはっと、剣で胸を貫かれたような仕種を言う。一々リアクション大魔王だ。
「わ、悪かったよ。ちゃんと五ヶ瀬の相手するからさ。で、連絡先教えてくれない?」
タダでは終わらない、ゴリ押しタイプの向の返しに思わず食べていたカレーを吹き出し掛け、咳き込む美郷。
「ハハッ!美郷ちゃんの負けだな」
彩人の言葉に4人は爆笑する。
「こ、この、ナンパヤロウが!」
笑われて口が少し悪くなっている美郷。顔は怒りで真っ赤だ。
午後は海上に繰り出す。
「いやっほう!」
奇声(?)を発して海に飛び込む向もいたが、ある程度砂浜から離れると静かなものだ。
信広は借りたボードタイプのフロートを海に浮かべて寝そべっている。波に揺られる感覚が心地よくてたまらない。贅沢な時間を過ごしている気分だ。
(いいなあ)
彼は心中思う。たゆたゆと漂う海の上は波も穏やかで眠気を誘う。砂浜近くの海水浴客のざわめきが子守唄代わりに聞こえる。うつらうつらとした時、いきなり衝撃を受ける。
「なんだ?」
信広はびっくりしたように起き上がりかける。
「へへっ」
見るとシート越しに半身起こした信広の目に輝嶺の上半身が映る。
「何だ、オマエか」
再び横たわる信広。
「あたしも乗せてよ」
それが目的で来たらしい。
「・・・いいけど」
信広の乗るフロートは大人数用で、ガタイのいい彼が乗ってもまだまだ余裕がある。輝嶺を勢いをつけてフロートの上に乗り上げる。フロートが傾いて一瞬引っ繰り返るかと信広は身構える。ややバランスを崩しかけた輝嶺を庇うように腕で引き寄せる。輝嶺の胸をその腕に感じたが気づかない振りをする。
「ありがと」
安定を得た彼女は、よっこらしょと言いながらフロートの上に上がり、居場所を見つけて信広の横に横たわる。しばらくその姿勢のままでいる。波の音と遠くで海水浴客の嬌声が途切れ途切れに聞こえる。
空から見れば、並んでフロートに横たわる二人はとても仲良しさんに見える。
スタンダードなビキニに身を包んだ輝嶺はとても魅力的だ。近くを泳ぐ男の目を釘付けにしている。レモン色と言うのもアクセントになっている。ちょっと布が少ないいんじゃないかと信広が心配するくらいに。
「いいわねえ」
そんな信広の内心も知らずに、輝嶺は心が落ち着きふと言葉を洩らす。
「そうだろう?」
同意するように信広が合いの手を入れる。
「贅沢な一時って感じだね」
「ああ」
「このまま眠っちゃいそう」
「・・・そうだな」
この後、ホントに爆睡してしまう二人。
遠くからそんな二人を見ている彩人。
「何か、絵になるよなあの二人。彼女彼氏みたいだな」
「あれが二人のデフォよ」
悠美がさして興味もなく呟く。
「あれで付き合ってないなんてなあ」
「いいじゃない。人それぞれなんだから」
彩人はチラッと悠美の身体を見る。相変わらず均整の取れたプロポーションだと。彩人の視線に気づき、
「あっ・・・いくら私を見てもあんたは対象外だから」
と素っ気ない返し。彼女は物をはっきりと言う性質だ。
「冷たいなあ。見るだけなら減らないじゃん」
「まあね。・・・きっと、私と本郷君も相手と近すぎてそー言う感情にならないのよ」
「判るわ。あの二人に近い感覚なのかもな」
「そうね」
納得する二人だった。
夕暮れ時-
公衆のシャワーで海水と砂を洗い流し、6人は海の家で着替え、帰途に就いていた。
女子が着替え終わる間もナンパをしたり、ナンパされたりしていた男子。違うタイプの三人は女子には魅力的に映るらしい。
「やや、参った参った」
足早に普段着に着替えた女子たちがやって来る。
「どうした?」
信広が声を掛ける。
「悠美の着替えが長くてさ、外で待ってたらナンパされまくってありゃしない」
「ねえ。ずっと断ってたんだけど、悠美が出て来たら更にナンパが激しくなって」
悠美にジェラシるみたいに輝嶺と美郷が口々に言う。
男子三人は顔を見合わせる。自分たちも同じような状況だったが、火に油を注ぐ判断したのか黙して語らず。
6人は連れ立って歩き出す。
「やあ、遊んだねえ」
久しぶりに思いっ切り身体を動かした輝嶺は満足した表情をしている。
「うわっ・・・明日筋肉痛だな」
攣りかかった足をマッサージしている向が渋い顔をしている。
「体力無さすぎじゃない?」
向に対しては何故か手厳しい美郷。
6人は思い思いに防波堤の上を歩いたり、砂に塗れた防波堤と駐車場の間の歩道を歩いたりしている。
夕陽が傾いて、辺り一面はオレンジ色だ。眩しいのか感動しているのか、輝嶺は目を細めて海の方を見ている。
海水浴客の大半は帰り、海岸は静けさを取り戻していた。やたら車が鳴らすクラクションが耳についた。
「あれで格好つけてるつもりなのかしら」
やや迷惑そうに悠美が言う。
「判らんでもないな」
向は車に興味があるらしく呟く。
「男って奴は、あんな無意味なアクションをしたくなるのさ」
「言ってらあ」
彩人の言葉に悠美が毒づく。
6人は知らず知らずのうちに男女で一組になっている。向と美郷、彩人と悠美、そして信広と輝嶺。
「海も悪くないな」
珍しく信広が率先して話し掛けている。海と言ったらやたら動き回ったりはしゃいだりして海疲れするもんだと思っていたが、こんな遊び方もあったのだなとこう言うのも悪くないなと思った。
「フロートで海の上をたゆたうのって最高!」
午後の場面を思い出して、輝嶺が嬉しそうに語る。またやってみたいと内心思っているようだ。
(コイツとは思考レベルが近いんだな)
常々思っていたが、それを再認識する信広。
「彼氏つくって一緒にと来たら、もっといいんじゃね?」
信広が揶揄う。
「違って・・・信広と一緒だから楽しいんじゃない」
恥ずかしそうに輝嶺が言葉を紡ぐ。意外な返しに信広は素で固まり絶句する。そんな彼の様子を見て輝嶺は顔を赤くしてそっぽを向く。
「照れんなよ。こっちが恥ずかしいわ」
「言わせたの、そっちでしょ?」
「そんなつもりはなかった」
「うわぁ・・・天然ジゴロ」
「言っとけ!」
信広が毒づく。
「フフフ」
「ハハハッ」
何故か楽しくなってどちらともなく笑い声を上げていた。
「何笑い合ってるんだよ、この仲良しちゃんたちめ」
笑い声に振り返った彩人が訝し気な視線を二人に向ける。
「何でもない」
「そうよ」
「・・・ま、二人がそう言うならな」
彩人は肩を竦めるしかなかった。
夏休みも終盤-
信広と輝嶺は信広の自室で夏休みの宿題をこなしていた。
「むー!」
輝嶺の眉間に皺が寄る。
「ここ、判んないっ!」
シャーペンを投げ出して課題を信広に突き付ける。
「お前に判んなっきゃオレに判るはずないだろ」
トップ成績で入学した輝嶺に信広はムッとして開き直ったように肩を竦める。二人は学校の成績は中の下だが、総じて輝嶺の方が良かった。主席で入学した輝嶺であったが、遊び優先で過ごしているうちに、成績はガタ落ちした。尤も本人はあまり気にしていないようだ。
「使えん奴だな」
「何だとっ!」
二人は睨み合う。しばらく睨み合った後、合理的思考によってどちらともなく課題に向き直る。
「効率重視よね」
輝嶺が悟ったように呟く。
「そうだな」
信広も納得してペンを再び走らせ始める。
「皆遊んでていいわよね」
輝嶺が溜め息を吐く。
信広と輝嶺が何故二人きりで勉強しているかと言うと、他の友人は既に夏休みの宿題を終わらせているからである。彩人・美郷は成績上位で、悠美・向も中の上クラスだ。率先して夏休みの宿題は終わらせていた。彩人と向はナンパに励んでいる。悠美は新しくできた彼氏と秘密の旅行中、美郷は家族と海外旅行に行っている。
「リア充と一緒にすんな」
出る言葉はついついグチになってしまう。宿題の合い間にチラリと輝嶺を見る。今日の輝嶺の服装はラフだ。白系のキャップに上は肩紐が広めで首元のラインもフラットで露出の少ない薄いピンクのキャミソールに膝上まであるハーフパンツ。活動的な彼女に似合っている。外歩きを意識したアウター仕様のキャミソールなのだろう。信広の家に来た時はメッシュ仕様のアウターをキャミの上に羽織っていた。今は脱いでいるが。
「少し露出過ぎじゃないか」
スタンダードなキャミソールより布広めだが、男として信広の視線が誘惑される。眼福とも言う。
自分の服装の事だと気づいた輝嶺は自分の服を見降ろす。
「そう?自室じゃこれよりラフだし」
「日焼けすんぞ」
心にもない事を言う信広。
「ああ・・・日焼け止めたっぷり塗ってるから大丈夫。汗っかきでさ、Tシャツでも汗が大変」
室内は適度にエアコンが効いているのでほとんど汗は掻かないが、女子としては気になるところなのだろう。
「もう、疲れた!」
輝嶺が丸テーブルの上に突っ伏す。いくら布広めと言っても、突っ伏せば対面の信広からは胸の谷間や腋が丸見えだ。男子として精神衛生上よくないので視線を逸らす。
「ちょっと休憩すっか。下から飲み物持って来る」
「やったあ!」
輝嶺が両手を挙げて喜びを示す。
「オレンジジュースがいい」
「現金なヤツだ」
信広が苦笑いしつつ、自室の扉を開けて階下に降りて行く。
ひと夏の恋とはよく言ったもので、信広と輝嶺は夏の間に出逢った異性と恋人になったり別れたりを繰り返していた。お互い異性には事欠かないところもあって、次から次へと告白されていた。
「モテるこって」
その話を彩人にすると、彼は輝嶺に皮肉交じりの言葉を返す。
「何それ。本郷だって夏の間、ナンパしてたんじゃないの?」
夏休みの登校日に久し振りに友好を温めていたのだ。
「それが聞いてよ、輝嶺ちゃん」
よくぞ聞いてくれたとばかりに彩人が輝嶺に接近する。彼女はちょっとウザイなと少し後退する。
「途中までは上手く行くけど、コイツがゴリ押しするからさ、皆逃げられて。途中から別行動」
その情景がまざまざと輝嶺の脳裏に映し出されて、くすっと笑う。
「人のせいにすんな。本郷の押しが足りないだけだろ」
誤解だとばかりに向が言い返す。
一人ナンパは成功する確率が低いと聞いていたので、輝嶺は彩人の成果なしも頷けた。
「悠美ちゃんと美郷ちゃんはどーだったのよ?」
彩人が他の女子に話題を振る。
「ご想像に任せるわ」
ニコニコしながら曖昧にぼかす。
(((((絶対彼氏とよろしくやってたな)))))
全然ご想像になっていないと5人は思う。
始業前になり、別クラスの女子たちが自分のクラスに戻って行く。
「なあなあ」
彩人が見計らったように馴れ馴れし気に信広の肩に手を回す。信広は暑苦しいなと思いつつ振り向く。
「輝嶺ちゃんとずっとお前の部屋で宿題やってたんだって?」
どこから聞きつけてきたのか、ピンポイントな話題を振ってくる。
「まあな」
否定する理由もないので素直に肯定する。
「手ぇ出さなかったのか?」
「出すかよ。ただの女友達だぞ、木城は」
「そりゃ、俺にとっても同じだけどさ、これだけ頻繁に会ってて、何も起こらないのってどこか健全じゃないよな」
「おいおい・・・お互い彼氏彼女がいるのにそんな気になる訳ないだろ?」
「でも今はフリーなんだろ?」
図星を突かれ押し黙る信広。
「俺っちだったら、あんな可愛くてポジティブな娘が横にいたらムラムラしちまうけどなあ」
二人の関係性を今一つ把握していない向が割り込んでくる。
「男の部屋に誘われて来る女子なんて、半分はエッチ込みを想定した上でOK出してるもんだがな」
向は自分の経験を語る。
「宿題やってただけだ。お前らと違って、オレも木城も頭の出来が悪くてな・・・宿題こなすだけで手一杯なんだ」
「じゃあ、宿題が終わっていたら?」
今日はヤケに詮索してくる彩人。
「彼女の手前、そーゆう目的で誘うにはいかんだろ?誘うなら彼女呼んでるさ」
至極真っ当な回答をする。
「そりゃそうだ」
彩人が納得するように頷く。
「俺っちだったら、彼女いても他にいい娘がいたら手ぇ出すけどな」
「お前、節操なさすぎ」
「あんだと、こらっ」
彩人と向がじゃれ合う。相手にしてられんとばかりに信広が立ち上がりかける。
「まあ、待てよ」
彩人が慌てて信広を引き止める。
「何だよ」
「マジな話、どうなのよ?宿題は置いといて、部屋で毎日向かい合っていたんだろ?女子として意識したりとか」
「なくはないさ。あれもいい女だし、オレも男だし。でもなあ・・・どっちかとゆーと、二人で楽しむ方が優先だしな」
信広の言葉に彩人と向は顔を見合わせる。
「・・・ま、そんな付き合い方も嫌いじゃないぜ」
マジ話しちまったなと少し照れたように向が茶髪を掻く。
輝嶺の親友の悠美が大失恋した。いつもは恋愛には慎重な彼女がかなり入れ込んでいた他校の男子だった。
通学路とは少し外れた海岸沿いの堤防の上で一人黄昏ていた。
「やっぱ、ここだったか」
悠美が振り返るといつの間にか輝嶺がいた。悠美は再び海の方に向き直る。
「何の用よ」
いつもにも増して、悠美の言葉は刺々しい。
「慰めなんていらないよ」
突き放すような言葉。それでも輝嶺は何も言わずに防波堤の上に登り悠美の横に座り込む。悠美はウザがってどこかに行ってしまうかと輝嶺は思っていたが、彼女はそのままでいた。
(随分弱ってるな。悠美らしくない)
そう思った。
しばらくそのままでいた。
太陽が傾いていき、夕陽に変わっていく。海風が二人の髪を揺らす。悠美のショートヘアの茶髪と輝嶺の肩下ぐらいの茶髪が夕陽に映える。
「本気だったんだけどな」
悠美がポツリと呟く。
「私が言うのもアレだけど、こんな容姿だから、男は幾らでも寄って来る訳ね」
彼女の一人語りは続く。
「それが今回は裏目に出たわ。自業自得ってヤツかな。私、八方美人なところがあるから、ついつい男子に声掛けられるといい顔しちゃうのよ。彼にそれ知られて、そこから気まずくなって・・・」
彼女の言葉は途切れ、さめざめと泣く。輝嶺は悠美を引き寄せる。寄り掛かった悠美は嗚咽を洩らして泣き続ける。
ようやく気が晴れたのか、泣き腫らした顔で悠美は傍らの輝嶺に振り返る。
「ありがと」
照れ臭いのか視線を合わせない。
「いいって」
輝嶺は爽やかに笑い返す。そしてマジメな顔になる。
「聞いて」
「うん」
何の話だろうと悠美は真剣な眼差しで輝嶺を見る。
「あたしと信広ってダチ・・・まあそんなカテゴリーはどーでもいいんだけど、一緒にいて楽しいんだ」
「うん」
「正直さ、これだけ長い付き合いのある異性の友達も数えるくらいしかいないし」
「本郷君と国富君くらい、かな」
中学からの付き合いである悠美は思い出すように言う。
「そうだね。あと候補としては払川も予備軍かな」
「ハハハ!払川君の立ち位置、微妙」
悠美がおかしそうに笑う。何せ、向は出会ってから半年足らずしか経っていないのだから、輝嶺的にも判断しかねるのだろう。
「中学の時、あたしと信広が浮気してるって疑われて恋人と別れたじゃん」
「ああ、あの時の」
二人にとっても苦い思い出の一つ。悠美もあまり思い出したくもない。輝嶺は尚更では?と悠美はふと思う。
「あの時はさ、さすがにあたしも精神的にかなりきててさ。信広も同じ感じで、あいつから身体も求められたのよね。お互いまともな状態でなくてさ、拒めなかった」
「・・・・・」
悠美も初めて聞く話に言葉を失っていた。
「その後もさ、事ある度に何度か身体許したんだけどさ、一時的な衝動が収まると、前の関係に戻っちゃうんだよね、これが」
「国富君って、輝嶺のタイプじゃなかった?」
「どストライクとは言えないけど、外見は好きだよ」
「じゃあどうして恋人同士にならなかったの?」
「あたしはあいつとは一緒に楽しんでいたいだけなの。そこに友達とか恋人とかって縛りなんてどうでもいいんだ」
悠美は輝嶺の言葉を反芻する。
「私にもそんな男友達がほしかったな」
羨ましそうに呟く。
「そうすればもう少し救われたもしれないね」
自嘲気味に呟く悠美。
「あたしも信広もそんな大したもんじゃないよ。聖人君子でもなければ神でもない・・・ただの高校生だよ」
静かに語り掛ける。でもその表情は清々しい。二人の関係性を証明しているかのようでもあった。
「でも、この話はここだけの内緒にしてね。あれで信広も結構ビビりだから、そんな話題を振られたら、登校拒否になっちゃう」
輝嶺はお道化たように言う。
「判ってる。誰にも言うはずないじゃん」
二人は固く手を握り締めた。
夏の終わり-
「もう夏休みも終わり、か」
「あと少しで学校かよ。だり~!」
「女子の連絡先聞くだけで終わっちまったじゃん」
「夏休みの感想はそこかい」
「目の前にこんな美少女三人がいるのにそれでも不満?」
「そんなに払川を責めんなって」
いつもの6人で街に遊びに来ていた。どこ行く当てもなく、カラオケボックスに入ったり、ウィンドーショッピングしたり、初めて入ったレストランのメシが不味かった事!(笑)そんなマイナスな話もネタにできてしまう程、6人は少なくなった夏休みの一日を謳歌した。
気温は高く、35度を超える日が続き、夏休みはまだまだ足りないと誰もが思っていた。そんな思いの学生は多いのか、夏の終わりだと言うのに、街中は人に溢れていた。ナンパな彩人と向は女のグループに出くわす度に、声を掛けたい気持ちに駆られるが、そこは男女で遊びに来ているだからと自制しているらしい。そんな二人を信広は微笑ましく思う。ナンパなんて滅多にしない信広から見ても、二人の行動は好ましく映ったからだ。
日が暮れるまで遊び倒して、夜とともにその若い情熱は沈静化していった。
「じゃあな」
「また」
「学校で」
「バイバイ」
「サヨナラ」
「ああ」
6人は駅前で別れる。この時期は学校の教師や警官が意外と街中に目を光らせているので、あまり夜更かしもできないのだ。
信広は夏休みの締め括りって感じで、今日は遊びで燃え尽きたと言う気持ちになっていた。
「信広っ!」
名前を呼ばれて振り返る。別れたはずの輝嶺がそこにいた。ちょっと物足りなさが表情に出ていた。
「どうした?」
「もうちょっと歩かない?」
近づいて来る足取りは軽やかだ。
「構わないが」
二人は連れ立って歩く。特に目的地もなく、ブラブラと。
「今日は楽しかったね」
「そうだな」
「夏休みも終わりだから、この夏はこれで打ち止めかな」
「次の休みは幾らでもあるだろ」
「それもそっか」
夜の帳が降り、歩道は雰囲気のあるガス灯擬きの街灯が点灯していく。
「槻木もすっかり元気になったな」
「うん。元々メンタルは強い娘だからね」
「・・・そうか」
信広は安心したように呟く。
夏休みが終わりに近づいたせいか、街中は最後の夏休みを満喫しようかとでも言わんばかりに繰り出す同年代の男女で溢れ返っており、二人でゆったりと話すにはそぐわないなと感じていた。
「海の方でも歩かない?」
輝嶺が提案する。
「カップルで一杯じゃないか?」
信広が懸念する。
「ここよかマシでしょ?」
輝嶺の言葉に信広はしばらく考えてから、
「それもそうだな」
と頷く。
二人は繁華街を離れ、自然地元の海へと足が向いていた。少し遠回りして帰るにはちょうどいいルートなのだ。
夜の海岸沿いは歩道を照らす街灯しかなく仄暗かった。既に海水浴の時期も終わり、海岸は閑散としていた。時折仲睦まじそうなカップルとすれ違うくらいだった。海岸沿いの国道を車のライトが歩道を照らしては物凄いスピードで通り過ぎて行く。エンジン音は少し荒くなった波音に悉く掻き消されていく。
砂浜は少し前までは騒がしかったのにと、まるで祭りの後のような侘しさが漂っていた。尤も、二人にはちょうどいいアクセントぐらいにしか感じられなかった。
「下に降りてみないか?」
信広が提案する。
「いいね」
防波堤を乗り越え、アスファルトの階段を降りて行くと、そこには漆黒の海が広がっていた。砂浜は薄暗く油断すると砂に足を取られかねない。
「あっ!」
輝嶺が転びかける。信広が咄嗟に彼女の身体を支える。
「ありがと」
「ちょっとノリで言ってしまったが、無謀だったか」
「いいよいいよ。そのうち目も慣れてくるでしょ」
輝嶺はご機嫌の様子だ。
「そうだな」
二人はそのまま海岸線に沿ってゆっくりと歩いて行く。砂を踏むサクサクと言う音が心地いい。空は満天の星空だ。新月なのか月明かりはない。
「いい景色」
「星がよく見えるな」
しばらく歩いたところで歩みを止めて波とじゃれ合い始める。輝嶺はくるぶしまで水に浸かってはしゃいでいる。
「水、冷たっ!」
「もう夏の終わりだからな」
信広が感慨深げに言う。
「でも、今年の夏は今までで一番サイコーだったかも」
輝嶺は断言する。
「中学までも皆で遊びに行って楽しかったけど、今年は格別って思えるんだよね」
彼女は満面の笑みを讃えて信広を見る。ちょっと照れるなと信広は思う。
「ああ。でも、来年はもっと楽しいさ」
「そうだね」
微笑み合う。二人はしばらく満天の星空と吸い込まれそうな漆黒の海に身を任せていた。時の流れが遅く感じられ、スローモーションになる錯覚。ああ、この瞬間が永遠に続けばいいのにと二人は思った。
「あたしたちはいつまでも今のままでいたい」
「そーだな、オレもそう思ってる。こーゆうのがず~っと続いてほしい」
どんな関係なのだろうか、言葉に上手く表せられない。でも、確かにここにある関係性。それだけでいいのかも知れない。
二人は視線を交わす。変にマジメな会話に流れてしまい、二人は照れながらもニカッと笑い合う。そして拳を合わせあう。あたかも何かの証を示すが如くー
彼らの繋がりはこれからも続く。何せ二人は今、青春の真っ只中なのだから・・・