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【砂利道を歩く野良犬たち】      作者: トントン03
第八章 バーテンダーの手利き
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―勝彦と文子の為人―

勝彦と文子の間に亀裂が生じた原因を探っていくと……。

第八十三話



 ―勝彦と文子の為人―


 文子は、その家族が自分たちの将来像なんだと、仄かな幸福感を抱いて眺めていたのではないだろうか。彼女の将来像の話は尽きなかった。 


「早くも成長期に入っている好奇心は、その女の子の斜向かいでハンバーガーを無表情で頬張っている彼の口許を捕らえました。なんの味付けもされていない瞳が、また輝いたんです。その一点の輝きを忍ばせて、見知らぬ瞳の門戸を叩いてしまいました。疾うに興味が薄れてしまったフライドポテトは、大きく開いた口の彼方此方にぶつかりながら、折れる寸前で口の中へ。彼女は、それを半分かじると満足そうに彼の顔を凝視しながら口をモグモグと動かしています。それに、彼が気づいてしまいました。この後、無意識に思い付いた彼女との内輪のお遊びをはじめてしまったんです」

「はあ?」

 どんな話が飛び出してくるのか興味がそそられた。

「彼は、出来るだけ強面を装うため眉を一〇時一〇分に設定し、半分食べてしまったハンバーガーを九十度回転させると、彼女目掛けて“ガブリッ”といったんですよ。そんなもん突然見せつけられた彼女は堪ったもんじゃありませんよね。くちゃくちゃと動かしていた愛らしい口許は、ゆっくりとクールダウンしていきました。足のぶらぶらも止まってしまったんです。ビックリしたんでしょうねえ。『好奇心も程々にしとかないと……』とでも思ったんでしょう。そこで、彼女は不安になり、上目遣いで“専属の助っ人”を見つめています。彼の演技は一瞬だったせいか助っ人には気付かれませんでした。彼はそれをいいことに、今度は強面を満面の笑みに一変させ、彼女のお友達になろうなどと図々しいことを考えてしまった訳です。その思惑はうまくいきました。彼女の強ばった頬の筋肉は徐々に緩んでいきました」

 きっと、将来は良きパパになりそうな優しい彼氏なのだろう。そう言えば、彼女が受験した学部は全て文学部だったのを思い出した。確か、日記は小学校の頃から付けていると聞いているが、果たして今も付けているのだろうか。


「彼氏と会ってみたくなったよ、先生……」

 今の文子の笑顔は、きっと彼と付き合い始めた頃のものなのだろう。

「彼は、心の中で二度ビックリした少女の姿を愉しんでいました。見ていて面白かった、年齢幅を超えたところの少女と彼のサイレンスは、真剣な眼差しが行き交い、そこで本気の勝負をしながら互いの信頼関係を見出そうとしてるかのようでした。彼のヒトリ顔面腹話術によって、子供好きな一面を垣間見ることが出来たんです。家族連れの多かったオープン状態の店内で、その熱気を冷ますかのように一吹きの風が一周するや、『お邪魔しましたあ~』と云わんばかりに去っていきました。あれは、小春日和の長閑な昼下がりだった……」

 この後、文子は悄然となり声を落とした。


「あの頃は、二人とも巷での些細な出来事をネタにしながら、平穏な日々を過ごしていたと思います。少なくとも、私にはそう思えた……」


 そうなんだ、彼との慎ましい生活は、満足と言う名の頂点にまで至っていたのかもしれない。だから、彼女にとって、その贅沢を満たすための条件は決して多くはなかった。共有する時間と、目に見える範囲の空間、それと日常会話でよかった。このまま歳を重ね、いずれ子供が生まれる。その後、家族として一緒にいられる時間と空間。それは、彼女の日常生活の中で、容易にイメージできる一連の流れだったのだ。不思議となんでもないそんな日常で、夢心地を味わっている自分と出会えていたのだろう。

 だが“自分の人生はそんなシナリオで十分”などと思ってしまったら、彼女が一度だって主人公になれやしない(ブンちゃん……それって相手次第なのだが“自分の人生を諦める”ことになってしまう場合だってあるんだよ)

 肇は、なぜ彼の態度がある時点から変わってしまったのか、ここまでの話ではまだ掴み切れないでいた。

首を傾げていると、再び文子が話し出した。


「もう一年以上前のことですけど、朝、ごはんを一緒に食べた後、彼はボーッとテレビを見ているんです。それまでは一緒に家を出てたんですけど、何時からだろう、私より遅く出勤するようになって……。ある日、私が遅刻しそうになったので、彼に頼んだんです『今日、ゴミの日だから、これ出しておいてよね』って。ゴミ袋を玄関に放り投げて家を出ようとしたら、睨み付けるような視線を私に向けたんです。見ず知らずの男の人に怨まれているかのような……とても不快でした。気にしないように、そう自分に言い聞かせて、私は出勤しましたけど。あの時って、一体なんだったんだろう」

 それ自体は大した問題ではないような気がした。肇は、以前、文子がどんな仕事をしているのかを訊いたことがあった。

 大学卒業後、文子は、大手の損害保険会社に就職し、主に顧客の与信管理の仕事に就いていた。その会社は、よくもまあ、彼女の気質にぴったしの職場へ配属したものだと感心してしまった。本人も、どうやら興味を持って仕事をしているようで、今では遣り甲斐を感じているみたいだ。現在は、その頑張りが上司から評価されて、責任のあるポストを任されているようだった。

 


 ―職場での文子―


 文子の所属している課は、課長を筆頭に十二人ほどの部下がいた。課長の仕事ぶりはストイックで、部下たちは、彼の仕事上のヘマを見たことがないらしい。


 四半期毎の部課長会議の数日前になると、課長は決まって、その為の報告書作成に東奔西走している姿を窺い知ることができる。いつもなら、課長のデスクに肩を摺り寄せている本来右腕となるべき部下たちだが、この数日間だけは意味もなくそわそわし始め、課長のデスクから弾き飛ばされるかのように近づかない。不運にも課長と目が合うものなら、忙しくてたまらんとばかりに味方同士無言の相槌を打ち合い、その場を凌いでいるようだった。

 課長のその時期のきりきり舞い状態を、未だに知らぬ新入社員がその餌食になってしまう。


「おい! 君、ちょっと」

 当たり前のように、文子のところにそれがやって来た。

「私ですか?」

「君の周りに誰かいるのか?」

 一瞬、文子はドキッとした。

「あっ、はい、何でしょうか」

 いつも主任からの指示で動いている文子だった。彼女は、矢庭に指名されたことに胸が塞がれた。固まっている身体が、遠くに見える課長のデスクの方へ引き寄せられていく。

 ドンッ、「これを至急十部コピーしてくれ、いいか、至急だっ!」それは、漫画本二冊分くらい厚みのある報告書だった。


 昨日から課長は、自分で収集した資料をその報告書の中に苛つきながらも注意深く差し込んでいた。

「今、他の課の方がコピー機を使用していますが?」

 まだ文子は新入社員だった。

「君ね、だったらその相手に訊いてみたらどうだ? 急ぎなのか、すぐ終るのかどうかを、こっちは急いでいるので先にやらせてもらえないかとかさ、園児じゃないんだろ? 少しは考えたらどうなんだ、えっ?」

 その声は、今まさにコピーしている若手社員に聞こえていた。

「分かりました……」

 文子は、課長に言われた通り、その相手に事情を説明し代わってもらった。

「十部かあ……、それなりに時間が掛かりそう」と思いつつ、このフロアーにある他のコピー機に目をやった。 

(うーん、未だかつて遊んだことのないローラースケートが必要かもしれないなあ)と思いながら、早歩きで使用しているかどうかを確認できるところまで近づいていった。しかし、このフロアーには他にコピー機が二台あるが、どれも使用中だった。取り敢えず文子は、その分厚い報告書を三つに分けた。運よく他のコピー機があいたら、この報告書の三分の一の量、それが十部だとしても、他の課の人に迷惑を掛けずにコピーをやり終えられる量ではないだろうかと判断したのだ。


 だが、入れ替わり立ち替わり使用されていた。皆、空くのを待っているようにも感じられた。文子は、微かに聞こえてくるコピー機の音が止むのを待っていた。 

 ところが、止むと、サッと次の人が立ちあがる。やっぱり……。空く気配はまったく感じられなかった。これでは一台のコピー機だけで終わらせるしかなさそうだ。


 文子の専従となっているコピー機は、快調に厚みを増していく。見ていると、加速しているかのようにも思えた。印刷状態を確認しようと、手にした目次の頁、問題なくきれいに印刷されていた。その時、彼女はある事を閃いた。先ず、自分の机の引き出しから色違いの二種類の付箋を取り出した。

 報告書の目次は、大見出しと小見出しが三ページにわたって記されていた。用意した付箋二種類を大小の見出しの違いとして用い、その内容は閉じた状態でも一目で分かるように書いて貼り付けて行こうと考えた。

 しかし、十部全てコピー機がやり終えるまでにそれをやっつけなければ〝至急コピーしてくれ!〟の意味は無くなる。タイムリミットは、コピー終了と同時だった。


 だが、付箋に書き込み始めてみたものの、結構手間が掛かることに気づかされた。見出しとは言え、二行に渡るものもある。それを分かりやすく要約しなければならない。何という手間の掛かることをやりはじめてしまったのだろう。それは、頼まれてはいないことだった。


 文子は小見出しの付箋を諦めた。大見出しだけにしよう。それでもこの十部全部を時間内に仕上げるには無駄な動きは一切許されないと思われた。

 文子は、トナーが切れないか、紙が詰まらないか、時々他のコピー機へ目を向けながら手を動かしていた。


 どうやら、向こう側の一台のコピー機が空いたようだ。文子は手を挙げた。「そのコピ ー機、私が使います!」と。小走りで、わざとタイルカーペットの上を耳障りな靴音を立てて向かっていった。その勢いを止められる者は、このフロアーには誰もいないはずだと思いながら。


 素早くセットした後、なんと、文子は三台目を狙いにいった。ところが、気配を感じ取られてしまったようだ。三台目のコピー機の近くに座っている社員から「おいおい、一人で三台も独占するつもりなのか? この辺じゃ、あまり見かけない顔だな。彼女、新人か?」そんな会話が聞こえてきてしまったのだ。

 社員が三百人以上いそうなフロアーだった。だから、この縄張りでは、自分が余所者であることがすぐに判ってしまう。コピー機使用には、どうやら暗黙のテリトリーがあるようだ。彼女は、頭を下げ引き返した。焦り過ぎてしまって、自分のことしか考えられなくなっていたのだ。


 文子は頭を切り替えた。三台目は諦めるとしても、二台目のコピー機は使わせてもらおう。その周辺の社員に対し、申し訳なさそうに「暫く使わせて下さい。すみませんが……」と、誰とはなしに一礼をし、コピー機の動きを横目で確かめつつ、足早に自分の縄張りへと戻っていった。

 文子は、(自分は無駄な動きを、馬鹿なことをやっているんだ、頼まれてもいない付箋を付けようだなんて……。全く意味の無いことをしていたんだ)そんな遣る瀬無い気持ちに陥ってしまった。


 コピー機の回転音が遠のいていった……。文子は付箋を凝視していた。と、彼女は張り付けた付箋を徐に握り潰した。


 つい此間まで学生だった文子。仕事を早く覚えようと頑張っていた。だが、ミスが重なり、時として上司にとんでもない負担を掛けてしまったりすると、受験生だった高三の頃を想い出してしまうのだった。


 あの頃、壁にぶち当たったことがある。勉強時間は費やしてはいるものの、偏差値が一向に上がっていかない。三箇月に一度の模擬テストは、前回も今回もほぼ一緒。勉強時間と偏差値が比例していかなかった。途方に暮れている自分の横を、他の受験生たちがどんどん追い越していった。悩み事があれば何でも相談に乗ってくれる塾の仲間たちだったが、負担を掛けないようにと、自分は支障なく勉強が進んでいる様子をアピールしていた。

 そんな時だった。顔を上げてみると、遠くのほうで肇先生が手招きをしている。いつからそうしているのだろう……。その時、「大場文子……どうしたんだ? ちょっと疲れただけだよな? 大丈夫っ、君ならへこたれず何度でも向かって行くはずだ!」そんな励ましの声が聞こえてきた。


 文子は、新しい付箋を手にした。何も考えずに、只管手を動かしていく。


 最後の綴りが刷り終わろとしていた。刷り終わったものを束ね、最後の付箋を貼りつけた。

 文子は、見事に二台のコピー機を操り、課長の「至急だっ!」という指示通りに仕事を終わらせることができた。結果的に、コピー機にかかる時間以外掛かっていない。それも見事なまでのステルス戦法でコピー機争奪戦を征した彼女だから出来たことだった。

 余分な時間など使っていないのだ、と何度も自分に言い聞かせ、文子はパソコン画面と睨めっこしている課長のところへ報告書の束を重たそうに抱えながら向かった。

 ドスンッ、「課長っ、出来ました」

 課長に何を言われるのだろうと、内心不安でいっぱいだった。が、

「分かった、いいよ、もう……」

 何も言われなくてよかったのか、いや、逆に気掛かりを一つ貰ったような気がしてしまった。


 次の朝、文子は、出勤時に一階のフロアーで、エレベーターが降りてくるのを待っていると、誰かが背後から声を掛けてきた。振り返ると、そこに立っていたのは課長だった。

「大場君、おはよう。昨日は無理言っちゃったね。でも、お陰で助かった。それにしても、〝あれ〟とても見やすかったよ、ありがとう」

 昨日から燻っていた気掛かりが、一瞬にして消え去った。


 昨日、課長はコピーしている文子の姿をチラチラ見ていたらしい。出来上がった報告書が机の上に十冊、課長はそこに貼り付けられている付箋を文子に気付かれぬよう一冊ずつ机の下で面倒くさそうに外していたと、後で先輩から聞かされたのだった。



 肇は、核心に触れて行こうと思った。

「彼の態度が急に変わってしまったみたいだけど、何でだろう」

「それは分かりません……。言えることは一つだけ、自分のことには一切かかわらなくていい、そう言いたいんじゃないのかなと思いますけど……」

 “彼の態度が急に変わったのが分からない?”それは無いなと思いながら、とりあえず話を先に進めようと考えた。肇は、二人の更なる関係を探っていくことにした。


「彼は、どういう仕事をしているの?」 

「勝彦は出版社で働いています。彼が言ってましたけど、その会社は、入社してから二年間は、書籍の保管、在庫管理、それから返品の受け入れ作業をやらされるそうです。ほとんど肉体労働だと言ってました。私も行ったことがあるんですけど、仕事場は、小学校の体育館ぐらいの広さで、陽を遮った薄暗い倉庫でした。そこで二年間働いた後、他の事業部に配属され、販売促進の企画等の仕事に就くみたいです。彼の場合は、四年経っても移動が無く同じ倉庫で働いてるんですよ。なぜ移動にならないのかは分かりません。聞いてみようと何度も思いましたけど、聞けませんでした……。それ以来、彼、休みの日は昼頃まで寝てますね。というか、寝てるかと思ったら、横を向いたまま一点を見つめていたり、また目を閉じたりと……。起きてはいるんでしょうけど」

「ふーん、そうなんだあ」

「何かあったのかもしれない……時々そう思うことがあります。もしかしたら、転職を考えているのかもしれません」


 社会に出れば、納得のいかないことなんて山ほどある。肇は、漠然とではあるが、彼の社会生活の一端を窺うことができた。         (つづく)



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