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【砂利道を歩く野良犬たち】      作者: トントン03
第八章 バーテンダーの手利き
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―初めてじゃなかったバーボンの香り―

♪ 大阪で生まれた女

  思い出します。。

第八十話



―初めてじゃなかったバーボンの香り―


「今日、みんなで先生に話そうと決めたのは、さよりの将来の見通しがやっと立ったからなんです。さより、大学へは進学しなかったのは話しましたよね。でも、浪人して大学へ行こうと考えていたんですよ。和泉が大学生になっているから付きっ切りで教えられる。二人とも文系だし。愉しく受験勉強をすることができる。でも、最終的にさよりはその道を選ばなかった。さよりは、頭の片隅で、料理人になることを考えていたようです。いつ頃から考えはじめたのかは分かりませんが……」

「お父さんの影響もあって、同じ料理人の道へ進もうと思ったのかな?」

「その想いが根底にあったのかもしれません。さよりのお父さんの知り合いで、香港で四川料理のお店をやっているオーナーさんがいるんですよ。生前、お父さんに四川料理を教えた人らしいです。さよりの幼い頃から何かと面倒をみてくれてて、お父さんはその人を実の兄貴のように慕っていたって言ってました。さよりは、そのオーナーさんに言われたそうです。おまえには二つの選択肢があるって。一つは、大学へ進学する、さもなければ、うちの店で三年間修行する。ばっちり四川料理を教え込んでやるからって。オーナーさんは、さよりのお母さんとも親しいらしく、さよりを預けることに不安はなかったみたいです。だから、その選択はさよりに任せたんでしょう。然程迷いもせず、さよりは行く決心をしました」

「おーい、残された和泉はどうなるんだ? 三年間待ってろってか?」

「勿論、和泉とも話し合ったみたいです。さよりの進みたい方を選べばいいんじゃないかって、和泉はそう言ってくれたそうです」

「まあ、和泉らしいわな」

「それで、あたしたち、和泉のことも考えて、さよりに会いに毎年一度は香港へ行くことに決めたんです。でも、和泉のことを想えば、それでもちょっと長いですよね」

「そうだねえ。しかし、香港なら年二度でも三度でも会おうと思えば行けるところだよ」

「でもですね、先生、大学二年の春休みに皆ではじめて香港へ行って、来年また必ず行こうと決めてたんですけど、その時になって和泉が、『俺は行かない……』って言い出したんですよ」

「どうして?」

「和泉、あたし達には内緒で、その年のクリスマスの日に、こっそりとさよりに会いに香港へ行ってたんです」

「じゃあ、和泉は、二度目は一人で行ったって訳だね、皆には内緒で。まあ、会いたくて仕方がなかったんだろう。何の問題もないんじゃないか?」

「そうなんでしょうけど……」

 この口ぶりから、「和泉とさよりとの間に何かあったってことなのか?」と訊いてみた。

「さよりがお世話になっているそのお店のオーナー兼料理長は范さんっていう人なんですけど、あたしたちが行くと、とてもよくしてくれて、いつも食事を御馳走してくれるやら、宿泊も范さんの家に泊らせてくれるやらで、また范さんの下で料理人として仕事をしている、あたしたちより九つ年上の悠和さんっていう料理人がいるんですけど、彼は仕事を休んで観光案内もしてくれたんです。行く度にお世話になっていました。後で聞いたら、彼って范さんの一人息子だったんですね。とても人当たりの良い人で、その笑顔は国境を感じさせないものがあるねって、和彩美が絶賛してました」

「その笑顔の持ち主の彼は、独身なのかい?」

 〝問題〟は、この回答で判明しそうだ。

「独身です。いつもさよりと仕事場が一緒で。当たり前ですけど……」

 しかし、一応確認しておく必要がある。

「もしかして、和泉が行かなくなった理由って、それなの?」

「実は……そうなんです。あたしたち、さよりが香港へ旅立つとき、成田空港へ行き出発ロビーからさよりを見送ったんですよ。出発ゲートへと手を振りながら消えていくさよりに、『俺、三年でも五年でも待ってるから』って、和泉がぼそっと言ったんですけど、どうせなら本人の前で言えばいいのにって、横で聞いてて思いました」

「そこは、優史にならなきゃダメなところだろっ、さよりをしっかり繋ぎ止めておかなきゃいけないところだ。何やってんだ、あいつ! じゃあ、クリスマスに行った後、和泉は一度も香港へは行かなかったってことか?」

「行きませんでした。でも、さよりは年に一度は帰って来てましたから」

「じゃあ、会ったんじゃないの?」

「二人だけでは会ってませんでしたね。ただ、みんなと会う時、さよりは和泉に優しく接していました。当時、悠さんって、さよりにとってはお父さん的存在らしく、悠さんもさよりのことを娘同然に想ってくれてるって話してました」

「一人息子と結婚させるつもりだったんだろうか……」

「そうなんです。いずれ范さんが昔料理長として働いていた四ツ谷の店を買い取って、悠和とさよりを結婚させた後に二人でやらせるつもりだ、そう言われたってさよりから聞いたことがあります。悠さんは、早く二人を東京へ行かせたかった、なぜなら、さよりのお母さんのことを心配してたからなんです。あたしたちが香港へ行ったときは、必ずさよりのお母さんのことを訊いて来るんですよ、元気か? って」

「そこまでレールが敷かれていたら、お世話になってる身だし、息子も良い人そうじゃ抵抗しようにもできなくなるよなあ……」

「あたしなら、確約されている幸せな結婚生活を選択してしまうかも……」

「ブンちゃんじゃなくても、ほとんどの女の子はそう考えるんじゃないか。でも、さよりは違ったってことだよね? さっきの串揚げ屋に和泉もさよりも居たんだから」

「やっと、香港のお父さんが諦めたみたいなんです。それも最近の話ですよ。悠和さんも、さよりのことを気に入ってしまって、なかなか諦め切れなかったそうです」

「男にモテ過ぎるのも辛いもんだなあ」

「あたしとは違うんです……」

 今、文子の心に圧し掛かっている悩み事は、かなり重いようだった。

「それで、さよりは、三年経ったので帰ろうと思ったんですけど、悠さんは帰してくれなかったんです。後二年居るように言われたそうです」

「三年が五年になったのか? それはどういう訳なんだろうか。さよりが、息子との結婚を断った。しかし、後二年あれば、さよりと息子を結びつける自信があったってことなのか?」

「そんなところじゃないかと思います。でも、さよりは、このまま帰ってしまうのも恩知らずのように感じてしまい、二年じゃなくて一年にしてもらえないか、そう言ったらしいです。その代り、その間は帰ってはいけない、そんな条件が付いてしまったようですけど」

「相手からすれば、さよりは一体何が不満なんだろう? そう考えてしまったんだろうな。そういう問題じゃないってことが分からなかっただろうし……」

「分からなくても仕方ありません。はっきり言えることは、さよりの和泉に対する想いはぶれることはなかったということ……。四年後、さよりが東京に帰って来て、幼なじみだった頃のように和泉の傍にいる訳ですから。そして、さよりはすっかり料理人となって帰って来ました。香港で四川料理だけじゃなく日本料理も悠さんから教えてもらったらしいです。元々、悠さんは日本料理をやってたって言ってました。四川料理と日本料理ができれば、もう店を出せますよ。でも、さより曰く、気になっているのが食材の揚げ方だそうです。串揚げって、食材によって揚げ方が違いますよね。さっきの串揚げの店で働いているのは、その下処理と手際、それと接客も序でに学ぶためなんです。これを身に付けた段階で店をオープンさせるって言ってました」

「そういう訳だったのか。しかし、色々あったんだな……」

「さよりが帰って来た後だって、和泉とはしっくりいってませんでした。結構時間が掛かったんですよ」

「和泉の気持ちを考えれば、これまでのことは無かったことにしよう、なんて思うことは出来ないよな。それは理解できる」

「先生になかなか話せなかった理由がこれで分かってもらえたと思います」

「でも、彼女一人で店を出すつもりなの?」

「二人で出すみたいです。店が軌道に乗れば、和泉も会社を辞めて、さよりを手伝うって言ってましたから。出店場所は、多分〝あの駅〟の近辺だと思いますよ。お父さんがオープンしたお店、そして和泉が卒業した大学の最寄り駅」

「お父さんの面影と、和泉の一途な想いが綯い交ぜになった場所だね。この二人なら、きっと上手くいくよ。この先、別れるようなことは絶対にないんだからさ!」

「そうですよね、優史と純子も……」

 さよりと和泉、純子と優史。それぞれの固い絆で結ばれた二組のカップルの話を聞いていたバーテンダーが、ちらっと文子の顔を見た。

 文子は空のグラスを持て余しているようだ。

「先生、何を飲んでいるんですか?」

 ビールに飽きた肇は、別なものを飲んでいた。

「これかい? 学生だった頃、よく飲んでたバーボン。ハーパーだよ」

「一口飲ませてください」

 文子はそう言って、肇が握っているグラスの指を解き、残っている液体を飲み干した。

「うーん、バーボンってこういう味がするんだ。嫌いじゃないです。飲み続けると癖になりそう……」

 文子は、グラスを肇のコースターに戻した。

「バーボン、初めてかい?」

「いいえ、多分違うと思いますけど……」

 文子はそのボトルを手にし、照明に翳して琥珀色の透明度を確認でもするかのように見つめていた。

 肇は、その澄んでいる眼とどっちが透明だろうと比べながら、文子が飲み干したグラスを両手で温めていた。

「先生、これ、どうします?」

「若い頃と違うんだった。三分の一も飲めないだろうな。だから、ブンちゃんが友達と来たときに飲めばいい」

「本当は誰かと来ようと思ったんじゃないんですか? 先生」

「深く考えてないよ。お先のことは風まかせ。もうそんな年代なんだって」

「ベッドから二度と起きられなくなったような言い方して。ハハッ、可笑しいです」

 空になったグラスから手を放し、文子はバーテンダーを見ている。四杯目のビールを頼もうとしていた。バーテンダーは飲み干したグラスを下げて、結露を吸収できなくなったコースターを取り替えた。敢えて、「何かお飲みになりますか?」とは訊かなかった。

「ビールばっかりだと、トイレに行く回数が増えるから、折角の話が調子抜けしてしまうよな。他のもので味を愉しむ程度にしたら?」

 文子は、思っているより酒に強いようだった。

「とか言って、先生、あたしを酔わせたいんじゃない?」

「そうかもしれないな。そう言えば、学生時代にビールの大好きな女の子がいてね、その子、夕方から朝方までどのくらい飲んだと思う?」

「そう訊いて来るくらいだから、そうだなあ、大瓶十本はいったんじゃないですか? 朝方までだったら」

「大阪には、そのくらい飲める女の子は沢山いるみたいよ。ブンちゃんもイケそうだもんな、そのくらいは」

「飲む相手によりますけど」

「なるほど……」

「それで、どのくらい飲んだんですか? その子」

「一人で十五本だよ。最高は二十本を超えたことがあるってよ。失恋した時らしいけど」

「二十本は嘘。話をもってますね。そんな女の子、日本にはいません」

 文子は信じていないみたいだ。

「女友達からの又聞きだけど、ホントの話だよ、嘘じゃない。ただし、大量に飲む時には、その子のアパートで飲むんだって。ポータブルトイレってあるだろ、それを椅子代わりに跨いで、『今日は、飲んだるでっ!』ってさ」

「ええっ、まさか」

「それじゃ丸見えだって言いたいんだろ? 下はスカートを履いてるんだよ。そりゃまあな、いくら女の子同士で飲むとは言え、エチケットってあるもんな」

 文子はまだ疑っている。

「残念だが、いるんだよ、冗談が半端ない女の子が……大阪にはね。大阪で生まれた女を舐めとったらあかんでっ」

「大阪ですかあ、いるような気がしてきました。でも、ポータブルトイレが何であるんですか? 一人暮らしじゃないってこと?」

「先生も、最初は作り話じゃないかと思って訊いてみたんだ。そしたらさ、彼女はおじいちゃんに育てられたらしく、その形見だったって訳だ。両親が、なぜいないのかはその友達も教えてもらえなかったって言ってたな。話したくないことって、誰にでも一つや二つあるもんさ。その彼女、大胆ではあるけれど、嫌味の無い優しい子だって皆が言ってたよ」

「それにしても……」

「気になるだろ、臭い。酒の肴にくさやでも炙って誤魔化してたんじゃないのか、知らんけど。〝行為〟の三つの内の二つまではぎりぎりセーフなのか? もう一つの〝行為〟はどうなんだろうなぁ、くさやを上回るかもしれんな。ま、許せってか?」

「人間も動物だってことですよ」

「そう、上品ぶってる動物なんだよ。ただ、上品ぶってるだけじゃ生きてはいけない。動物にはそれぞれ強味ってもんがあってさ、その能力が他より優れているから種が存続していける。人間は頭脳だな。それも他と比較してズバ抜けてる。そのお蔭で地球上の動物を支配するまでになったんだ。凄いことだよな。今では地球を飛び出して宇宙探査しにあっちこっちへ行く時代になったんだから。何世紀かかろうが、他の動物にはできないことじゃないか。反面、空恐ろしくならないか? それが自らの種を滅ぼすことになりはしないかって」

「でも、人間って他の動物より豊かな感情があるじゃないですか」

「優れた頭脳と豊かな感情、どっちも他の動物と比べれば突出している。神様は何でこんな動物を創っちゃったのかねえ。でも、厄介なんだよ。その二つが相携えて脇見もせずに良い方向へ進んで行ってくれれば、行く末はユートピアか桃源郷か、そっちの方へ近づいて行くのかもしれない。ところがだ、途中、妄想と我欲に満ちた独裁者か、または大国の一握りの輩が権力を振り翳して次第に幅を利かせてくると、いずれはだな……」

「使いようってことですね?」

「大切なことは、他人事だと思ってほったらかしにしておくと、とんでもないことになってしまうということなんだよ。だから、その兆候が表れてきたら二度とそんな独裁者が出てこないように叩き潰しておく必要があるんだ。ただ、一人の力では不可能なんだけどね」

「それって、会社組織にも言えることなんじゃないですか?」

「そう、組織の大小に関わらずね。人間なんて所詮愚か者だということ。それを忘れちゃいけないってことだ。しかし必ずと言っていいほど出て来るんだよ、〝俺はお前らとは違うんだっ〟て強者が。確かに、何かに優れてはいるのだろう。けどさ、上には上がいるもので、また、他の分野に関してはどうなんだ? という問い掛けを自分自身にはしなかったりすると、厄介な人間が誕生してしまうことになる。そんな人間って、省みるという能力が劣っているから、所詮愚か者なんだよ」

「省みる能力ですかあ……」文子は考え込んでしまった。

「ブンちゃんさ、そんな能力を高める学問ってのがあったとしたらどうだろう。まあ、小難しいものはありそうだけど、却ってそれが邪魔をして広がっていかないんだと思うよ。そうじゃなくてさ、小中学生でも学べるような簡単なものでいい。それに、多感な時期に学んでこそ意義があることなんじゃないか? その時期を逃すと、増えてしまうんだよ」

「何がですか? ゾンビとか?」

「似たようなものさ。やっちまったこと、人を傷つけてしまったことを〝省みる〟これをほったらかしにして生きていくと、その中から狡猾さを進化させた輩が現れてくる。その中で秀でた者が、戦略的詐欺師でもある独裁者となっていくんじゃないかな。そうなってくると手に負えなくなる、手遅れということだね。その体制を変えるためには、多大なる犠牲は必然で、悲劇の始まりってことになる。そもそも独裁者ってね、人を信用しないもんなんだよ。関わっているどんな相手に対しても、利き所の弱点を見つけ出し、執拗にそこを責め立てて行く。その目的は、相手の身動きを封じ込め、如何にイエスマンを増産させていくかということ。独裁者てーのは、脅しの利く最適な恐怖で相手を自分に従わせる術に長けているもんなんだよ。その手口というのは、決まって卑劣で残酷さを伴うえげつないものなんだ」

「戦略的詐欺師?」

 文子は、キョロキョロと辺りを見回した。

「そう。序でに言っておくと、単なる詐欺師の、年の離れた弟分が法螺吹き野郎だ」

「はあ……。先生が言うように、そんな学問が広がっていけば、世界中の揉め事が一気に減るような気がしてきました」

「劇的に減るだろうねえ。しかしね、これって簡単そうに見えて簡単なことじゃないんだ」

「でも先生、人間は反省って嫌いだから無理かも。嫌いなものは避けようとするじゃないですか?」

「確かに。人間って負けず嫌いの方が圧倒的に多い、それも原因かもしれない。ま、嫌いなものを避けて生きていける、そんな余裕が今の人間社会には有りそうだからね。でもね、これがまた人間を懲らしめていくんだな。嫌いなことを避けてばかりいると、そのうち由々しき事態が身に振り掛かってくることになる、そこに気づかないみたいだから。大袈裟に言えば、先生はね、己を省みるという心理操作は、世界の平和の礎ではないかとさえ思っているんだよ」

 文子は頬杖をついた。


「それ、男女の揉め事にも当て嵌まりますかね……」

「それはどうかな。いや、いけるんじゃないか?」

「愚か者かあ……」

 文子は、今おかれている自分の情況を点検しているかのようだった。

「気にするなって。先生自身のことであって、ブンちゃんのことじゃない」

 余計なことを言ってしまったのだろうか。


「あたし、分かってるんですっ」


 何をだろうと思った。そう、これから文子はそれを話してくれるのだろう。                                (つづく)



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