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【砂利道を歩く野良犬たち】      作者: トントン03
第七章 いよいよオープン! フカヒレで差別化
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―和泉の役割はクッション材―

第七十七話



 ―和泉の役割はクッション材―


 さよりは、その後も一向に受験態勢に入り切れないでいた。それは、母親が放った“一言”が頭から離れないでいる所為もあった。


 ある日、母親が整理ダンスの上に並べられている写真立ての一つが倒れていたので、それを立て直そうとしたら、その下に『借用書』と書かれている一枚の紙に気づいた。それを手に取り、母親はさよりに言った。


「やっぱり、お父さんは事故死じゃなかった……」


 この時、さよりは台所で洗い物をしていた。それを聞いて一瞬手が止まった。

 さよりが整理ダンスへ近づいた。

「さより、お父さんね、伯父さんから三百万円を借りてた……」

 さよりは日付を確認してみた。そして、母親が言う意味をすぐに理解した。以前、父親がヘッドハンティングの話をした時、受け取ったという支度金の三百万円は、きっと伯父さんから借りたものだったのだろう。日付から判断しても、それは間違いないことだった。しかし、口をついて出たのは、真逆の訳合いだった。

「お金を借りたことが、なんで事故死じゃなかったってことになるのよっ、事故死じゃなかったら、何だったの? あのね、警察の人もうちに来て調べていったのよ。冷蔵庫の中にはたくさんの食材が入ってたよね? 一週間分はあったんだから。コンビニの店員さんだって、あの時間帯にお父さんがよく買い物に来てたって警察の人が言ってたでしょ? だから、事故だったの。間違いない、変なこと考えないでよっ!」


 母親は“お父さんは自殺したんだ……”――ずうっと病室のベッドの上でそう思い込んでいたのだろう。(証拠は何処にもないじゃない!)そんな思いを抱きながら、さよりは母親を見つめていた。


「さより、これはね、お父さんが書いたものなの。全部お父さんの直筆よ。どういう意味か分かる?」

 いくらなんでもそのくらいのことは察しがつく。けれど、さよりは、母親の衝撃的なこの問いに対して、戸惑いは隠さなくてはならなかった。しかし……。


「お母さん、何を言おうとしてるの? それを聞いたとして、あたしの気持ちが休まる? 悩ませるだけだと思わない? あたし……知りたくないことだってあるんだよっ」


 退院してから一月以上経っているというのに、今更そんな話を持ち出してくる母親の気持ちが理解できなかった。それも、母親を背負うつもりで生きていこうと思っていた矢先のことだった。さよりは、突然行き場を失ってしまった。


 しかし、この後、さよりの耳に父親の掠れた声が聞こえてきた。(この先、お母さんを引っ張って行くのは、さより、おまえしかいないんだよ……)     


 さよりは、日常生活のリズムだけは以前と同じようにしようと心掛けた。そして、母親から聞いてしまった父親の自殺のこと。きっと、母親は誰でもいいから助けを求めていたに違いない。誰にも言えなかったその苦しみを、自分が半分引き受けたと思えばいいのだ。さよりはそう考えることに決めた。


 数日後、電話が掛かってきた。クルミさんからだった。みんなで今度食事をしようとのお誘いだった。励まそうとしてくれている。


 夜十一時頃、優史から電話があった。「図書館で待ってるから……」

 明日は、由紀子おばあちゃんから電話が掛かってきそうな予感がした。

 父親の死亡事故のことで、さよりは祖父母に今後どうしたらいいのかを相談していた。母親では加害者である優史のお父さんと話し合いをすることさえできない精神状態だったからだ。

 祖父もそのことは考えていてくれた。先月の保険会社との話し合いも、さよりと母親は隣に座っているだけで、祖父が対応し問題なく示談を成立させた。

 祖父は、現場管理者として長年仕事をしているため、トラック同士での事故処理は何度も経験していた。思いも寄らぬ今回の死亡事故。その加害者が、さよりの友人の父親だったということで、刑事罰の軽減の為の嘆願書を母親に手書きで書かせ、早めに担当の刑事宛に送るよう指示した。

 遺族側に入ってくる各保険会社からの保険金は信じられない額だった。それは、『極東商会』から融資を受ける際に加入させられた七千万円の生命保険と、交通事故による損害賠償の総額だ。『極東商会』から店の開店資金として借りた残金を弁済したとしても、優に一億円を超える金額が通帳に記載されることになるのではないだろうか。


 さよりは、早く今の情況から脱しなければならないと思いながら学校生活を送っていた。しかし、まだ塾へは行っていなかった。


 学校では昼休みになると、一緒に塾へ通っている仲間たち五人がさよりの周りを囲んで話しはじめる。けれど、自分から話題を提供することはなかった。さよりを元気づけようと仲間たちが話し掛ける芸能ゴシップニュースも上の空で聞き役に徹していた。

 が、そこへさよりが話を挟んだ。「あたしね、今日から塾へ行こうと思ってるんだあ。この前、塾へは行ってないのかって、お母さんが訊いてきたの。気落ちしている者同士が一緒の部屋に居ると、余計に気が滅入ってくるんだよ。近頃やっとお母さんと日常会話が普通にできるようになってきたし、今後は極力心配を掛けないようにと思ってさ……」

 すると、塾仲間のブンちゃんこと大場文子が、

「そうだよ、さより、天国からお父さんが監視しているんだからさ。喜んでくれる方向へそろそろ舵を切っていかないと」

 文子は、みんなを代弁して言ってくれたのだと思う。

「あたしからしたら、ブンちゃんだけ、波風の立たない湖で舟を漕いでいるようにみえる。なんでだろう……」さよりは、羨ましそうな眼差しを文子に向けた。

 文子と優史に窮屈そうに挟まれ椅子に座っている和彩美が言った。

「あたしもそう思う。あたしが言うのもなんだけど……」

 優史が言った。「俺から言わせてもらえば、ブンちゃんも和彩美も人生に対する心構えがゆるいのと違うか、くつろいでいるというか、ゆぬるいというか。純子とは違うんじゃねーの」

 純子は突然出てきた自分の名前に愕いている。

「あたし? あたしがしっかりもんだっていうの? 優史にはガメツイおばちゃんとしか見られてないみたいね……。老けて見えるから?」

 和泉は、誰にでも優しかった。「そうじゃないよ。純ちゃんは大人っぽくみえるってことだよ。優史さ、おまえ説明不足だぞっ」

 純子の髪毛が窓からの風で靡いていた。

「まあさ、とりあえず、さよりが塾に行くと言ってくれてよかった」優史はこの一言を待っていたようだ。

 文子が言った。「以前のように、この六人体制で受験に臨むことになって本当に良かったよ。さよりが塾を休んでいる間に渡されたプリント、まとめて後で渡すね」

「助かる。ありがとう、ブンちゃん」

 さよりは、文子と同じ学部を受験するつもりでいる。

「今日の塾の講習は、みんな英語だけだよな。なら、一緒に行けるし、一緒に帰れるぞっ」

 皆が頷いた。


 ところが、講習が終わると「じゃあな、俺、さよりを送って行くからさ」と言って、そそくさとさよりと一緒に帰ってしまったのだ。

 そのくせ、帰り道、二人はほとんど会話することはなかった。駅の改札口を出ると、さよりのアパートへ向かって歩いている時だった。

 優史が神妙な面持ちで話しはじめる。

「さより、大事な話があるんだけど……」

「何?」

 さよりは、必要最小限の返しをした。

「親父がね、さよりとお母さんに、どうしたら赦しを請うことができるのか、それを俺に考えてくれないかって言われたんだ。親父は、それに従うと言っている。申し訳ないことをしてしまった……。そればっかでさあ……」

「何もしてくれなくていいから。お母さんもそう言ってたでしょ? 却って心苦しくなるだけ。優史も、あたしたちのことはもう放っておいていいんだってば」

 脳裡の片隅に置きっぱなしにしてある「お父さんは、事故死じゃなかった……」この追加された憂いが襲って来た。

「何言ってんだよ、そうはいかない。俺ね、良いことを思い付いたんだ。聞くと、びっくりするぞ。俺が思い付いたことだからさ」

 さよりは、ただ、そうっとしておいてもらいたいだけだった。それ以上のことは望んでいなかった。それを言い続けるのも気が滅入ってくるくらいだった。意気込んで話そうとする優史を遮る元気もなかった。


「聞くから、早く話してくれる」

「俺はね、これから、さよりのお母さんと俺たち三人の一番良い形だと思える方向へ進んで行こうと考えている」

 歩きながら話をしていた二人だったが、思わず、さよりは足を止めてしまった。

「どういう意味?」

「三人で暮らして行く生活を考えたんだよ。三人とは、勿論、さよりとさよりのお母さんと俺の三人だ。親父も、おまえがそうしたいと思っても、二人の同意が必要なことだから一度話してみたらいいって。さよりは同意してくれるよね?」

 同意も何もなかった。

「そんな急な話、それも何を考えはじめたのか、あたしには理解ができないよ……」

 さよりは、この乗る気の無い話から遠ざかりたかった。だが、何度も使った「放っておいて!」では効果は望めない。


 二人は、アパートの近くまで来ていた。

「俺は急じゃない。しっかりと計画を立てて話しているんだよ」

「三泊四日の修学旅行の企画でも考えてたの? 優史さ、思いつきだけで話を進めて行かないようにね」

「思いつきだけで話してないよ。俺は、具体的なプランを立てて、それが可能かどうかを親父に頼んだんだから」

 さよりにこのプランを話せば、半端な気持ちじゃないってことが理解してもらえると優史は思ったに違い。


 口を閉ざしてしまったさよりを無視して、優史はそのプランを話し出した。

「うちの下小屋があるだろ、木材を加工している作業場だけどさ。さよりも知ってるよな、何度も来てるから。その上に部屋を造ろうと思ってるんだ。昼間は、機械の音やノミを叩く音でうるさいから開口部のガラスは厚めにして、防音効果を高めようと思ってる。それってさ、電車が通る音と一緒で、慣れれば気にならなくなるよ。親父に、それを話したら賛成してくれたんだ、それは良い! ってね。親父、早速その夜から作業場の図面を引っ張り出して来て、二階を住まいとして使えるように設計をはじめたんだ。数日後、出来上がった図面を見たら、結構広いんだよ。さよりのお母さんの部屋が十畳の和室で、俺とさよりの部屋はそれぞれ六畳なんだけど、リビングは十二畳もあるんだぞ。風呂も広めのユニットバスを入れてくれるってさ」

 さよりは、話が終わるまで黙って聞くしかなかった。

「さよりとお母さんの了解が取れれば、二箇月で仕上げるって親父が意気込んでたよ。建築屋だから、その辺は得意分野だ。どうよ、さより?」

 浮かぬ顔を崩さないでいるさよりが言った。

「何か勘違いしてない……」

「勘違い? 何がだよ。あのさ、お父さんが亡くなったショックが大きいのはわかるよ。でも、先へ進まないといけないんじゃないかな? お母さんのことを考えれば、尚更だと思うけど?」

 この後、優史は父親と二人で一週間かけて考えた『母親の心のケア』を語りはじめた。


 聞き終わると「じゃあね……」それだけを言い、さよりは背を向け、優史の視線を背中に感じながらアパートの階段を上って行った。

 何処からか、耳慣れたサイレンが聞こえてきた。近くで事故でもあったのだろうか……。

 さよりは自分で鍵を開け、素早くドアを閉めた。



 母親の塞ぎ込んだ状態は続いていた。二人でテレビを見ていたら、関東甲信越地方が週末から梅雨入りするだろうとの情報を流していた。この時期、受験生だったら、夏休みに入る前までに進めておきたいレベルを意識しながら勉強に励むところだが、さよりは、父親の死後からその先へ進む気持ちにはなれないでいた。


 この優史の何とかプランを聞かされた以降は、学校で優史と会話をすることもなくなってしまった。正確に言えば、優史が一方的に話をしてくるのだが、さよりがその受け答えをしないでいるのだ。


 受験生がいよいよ焦り始める高三の六月のある日のことだった。昼休み時間に、さよりは、いつものように食堂で文子と純子と、占い本をいつも手にしている和彩美の四人で定食を食べていた。その後ろのテーブルでは、優史と和泉が食べ終え、缶コーヒーを片手に話している。この二人の声は、さよりたち四人にも十分聞こえるボリュームだった。


「さよりんちに電話を掛けてもさ、三回に一回しかお母さんは取り次いでくれないんだよな。それも、最初のさよりの一言が『なんか用?』って、ひどくね? 和泉」

「優史、おまえ、さよりに鬱陶しがられてるの、わかんねーの? 夢中だから分かんねーかあ」

「なんだよ、おまえまで。俺の味方じゃねーのかよ」と言いながら、優史はちらりとさよりの方を見た。

「さよりはさよりで、色々と考えることがあるんだろ。自分のことだけじゃなく。このままじゃいけないとは思っているのさ。前へ進もうとしてるんだよ」和泉は中立な立場で助言していた。

「おまえに言われなくても、そのくらいのことは分かってる!」

 優史は、和泉の諭すような言い方にイラつきはじめた。

「時間を掛けて解決できることと、考えても解決できないことってあるだろ? それに今やらなければならないこともあるし。さよりは、それらの取捨選択をやっているところなんだと思う。だから、少し放っといてやれよ、優史っ」

 優史は、ムッとした顔で言った。「取捨選択? いつまでやってんだよ、暢気に構えている時期か? 考えなくても分かるはずだっ、無駄な時間を費やしているだけだろ、おまえだって、そう思わないか?」

「そんなに簡単に割り切れるもんじゃないだろ、お父さんが亡くなったんだぞっ」

「じゃあ、おまえに訊くけど、悲しんでじっとしている娘の姿を見て、天国にいるお父さんはどう思うかな?」

「優史、数学の問題を解くような訳にはいかないんだよ!」

「はあ? 利いたふうな口をきくな!」

 二人は、後ろのテーブルにいる女子四人が聞いているのをすっかり忘れていた。箸が動いていない女子たちは、言葉を失ってしまったかのように黙り込んでしまった。



 三年の夏休みに突入しようとしていた。昨年同様、塾の面談は、夏休み前に行われることになっている。さよりは、一人で行くことにした。というか、母親には知らせていなかったのだ。


 肇先生が何やら訝しそうな目つきで言った。「ええっと、倉持一人か?」それに対し、さよりは「忙しくて来れないんです……」とだけ答えた。

 先生は、前回やった模擬テストをみながら、「おいおーい、成績が落ちてるぞ。気を張らなきゃいけない時期なのに、気を緩めてどうするんだ?」と、さよりの顔色を窺っていた。


 夏休みに入った。さよりは、家に居る以外は、塾の講習を受けているか、その自習室に問題集を広げ眺めているか、皆で図書館へ行き勉強している振りをしているかのどれかだった。 

 優史は、そんなさよりを腕組みしながら見ている。無理やり恣意的な方向へ引っ張っていこうと考えている節が窺えた。(もう時間がないんだよ、さよりっ! 行動を起こせって、俺と一緒に乗り切ろうぜっ)それは、言葉ではなくまさに腕づくだった。

 そんな優史だったが、結局、何も言い出すことはなかった……。


 こうして、さよりの心の変化が無いまま夏休みが終わった。   (つづく)



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