―さよりの敬遠―
あと10話程度、どのくらい盛り込めるのか、それが勝負所。
一作目、長編過ぎたでしょうか。長くて詰まらない、だとしたら最悪です。
しかしながら、最後まで仕上げることにします。
第七十六話
―さよりの敬遠―
母親の術後の経過は順調だった。
さよりは、父親である善幸の事故死に関しては、退院するまで母親には知らせないでおこうと思った。
しかし、そうはいかなかった。手術が終わったというのに、夫が三日経っても病院に来ないのは不自然、何かあったに違いない、母親にそう思われてしまったからだ。
結局、その翌日に話すことになってしまったのだが、さよりでは話しきれないだろうということで、祖父が進んでその役を引き受けてくれた。
祖父は、美乃里を車椅子にのせ、診察が終わった後のガランとした待合室で、二人だけで話をすることにした。
祖父は、懐かしい出来事から話しはじめたという。
――美乃里が中学二年の時に母親である由紀子が失踪してしまった。その後、美乃里と二人だけの生活になったあの頃の話。
それから五年が過ぎ、ある日突然、由紀子が麻子を連れて帰って来た時の愕きを、まるでドッキリだったかのような話に変えて話してみたり……。本題に入る前に少しでも気を紛らわす方向へとの思いもあったらしく、事故死した話をなかなか切り出すことはできなかったと言っていた。
その間、美乃里は何も語ろうとせず、俯いたまま聞いていたとのことだった。もしかしたら、すでに気配で感じ取っていたのかもしれない。話し終わった後で、美乃里がポツリと発した一言に、祖父は衝撃を受けてしまったそうだ。
「事故死なんかじゃない……」
この意外な美乃里の一言に、祖父は、言葉を失ってしまったらしい。
さよりも母親がなぜそう思ったのか、単なる思い込みではなく何か根拠があるのではないかと考え込んでしまった。
事故死を知ってしまった母親がベッドの上で深い悲しみに包まれている姿を、さよりは見つづけることになった。そんな母親の姿を見ていたら、本当の悲しみって声も出ず、涙だけが流れるものなんだ、それを思い知らされたと同時に、自分が悲嘆に暮れている場合ではないことも実感させられた。
祖父は、美乃里が退院した後、心配だから二人ともこっちへ引っ越してくるようにと言ってくれた。
さよりも、このような母親の精神状態では学校へも心配で行けやしない。母親の悲しみは、この先どこまで引き摺っていくのだろうと懸念を抱いてしまった。
母親が日に日に痩せていくのは、心臓手術をしたのが原因なのだろうか。それとも……。 さよりは、ある恐れを抱き始めた。それは、母親がもう立ち直れなくなってしまうのではないか、という絶望感だった。そうならない為に、自分がなんとかしなければいけない、そんな想いが芽生えはじめてきた。
父親が居なくなってしまった以上、さよりは、これから自分が日常生活の雑用を全てやらなければならなくなる。アパートの家賃や光熱費の支払い、それに借りていた店舗の後処理もまだ残っていた。保険会社からの書類上の手続きもややこしく大変そうだった。何よりも先ず父親の葬儀をどう行うかを祖父母に相談しながら考えなければならなかった。
さよりとしては、遺骨をこのまま部屋に置いた状態でもいいと思ったのだが……。考えれば考えるほど次から次へとやらなければならないことが頭に浮かんできた。
さよりは、ふと片隅に折り畳んである父親の布団に目をやった。あの頃の映像が頭に浮かんで来た――。“母親が布団を敷いた。そこへ、倒れるように寝転がる父親。深い眠りにつこうとしていた。寝息が聞こえてきた……”
さよりは、背中を強く押される思いがした。そうだ、お母さんにやってもらおう、出来る限り雑用はお母さんにやってもらって、気を紛らわせようと考えたのだ。お骨がある以上、お父さんはまだこの部屋に居る、そう母親に思わせればいいのだ。
翌日、さよりは授業が終わった後、病院へ行き、「お母さん、おじいちゃんがね、一緒に暮らそうって言ってるけど、どうする?」一応、母親の気持ちを訊いてみることにした。
母親は、迷っている様子すら見せない。視点の定まらぬその眼差しは思考が停止してしまったかのように思えた。
何も言おうとしない母親に、
「それとも、お父さんの居るアパートに戻る? お父さんの寝ていた布団、まだ片付けてないんだあ。そうだ、お母さんさ、お骨の置く場所を考えてよ。まだ、お父さんはアパートに居るんだから。お父さんね、お母さんが元気になって退院して来るまで待っててくれてるんだよ。どっちにしても一旦アパートに戻ろ、ね?」
一方的に話し掛け、母親の精神状態を探ろうとするが、母親からの回答は望めそうになかった。
と、母親が口を開いた。
「アパートに戻ろうか、さより……」
誰かにそう言わされているのだろうか、そんなふうにに聞こえてしまった。
数日後に退院すると、二人だけの生活がスタートした。
さよりは、放ったらかし状態だった部屋を模様替えするために学校を二日休んだ。そうすれば、日曜日を含めれば三日間になる。母親のために、気分を少しでも和らげようと考えてのことだった。
その間、夕方の六時頃になると決まって優史がアパートにやって来た。そんな優史を、さよりは玄関のところで「放っておいてよ!」と追い払っていた。
毎回、変わらぬそんな対応に堪りかねた優史は、奥に居る母親に訴えた。
「お母さんからもさよりに言ってやってください。もう、そろそろ以前の受験態勢に戻らないとダメだって!」
確かにさよりは、ここひと月の間、受験のことなどまったく考えていなかった。
そこで、「優史、それをお母さんに言ってどうするの? あたしが考えることなんだよ! だから、当分の間、あたしたちのことは放っておいてくれない?」
さよりは、もう、家に来ないでほしいと言いたかったのだが……。
「でもさぁ……。もうやりはじめないと間に合わなくなるだろ?」
「自分が頑張ればいいことでしょ? 優史が落ちたりなんかしたら、あたしが責任感じちゃうじゃないっ」
「何言ってんだよ、俺たち六人でこれまでやって来たじゃないか。みんな心配してるんだって。本当は、今日、みんなでさよりの家に行こうって話になったんだけど、俺が止めたんだ。暫く俺一人で行かせてくれって……」
「だったら、みんなにも言っといてよ。当分放っておいてほしいって。それに、みんなの受験勉強の邪魔をしたくないんだよ、優史にも頑張ってもらいたいと思ってる……」
さよりの頭の中はパンク状態だった。何から手を付けて良いものか分からない。(お父さん、あたしに言ったよね、物事を考える場合、何が一番大切なのかを考えないといけないって。優先順位を付けて考えなければ手遅れになってしまうことだってあるんだって。ねえ、お父さん……今、一番大切なことって何? 靄がかかってて、あたしにはよく見えないんだよ……)
玄関で突っ立っている優史が言った。「放っておけると思うか? 家に帰れば、親父は未だにどうしたらいいのか悩んでる。それは当然のことなんだけどさ。でも、悩み事なんて、一切人に相談したことのないあの親父が、『優史……、お父さん、どうしたらいいんだろう……』って訊いて来たときは、思わず、俺、涙が出てきちゃったよ。親父の頭の中はそのことでいっぱいなんだ。さよりのお母さんの身体が早く回復して、さよりと一番いい形で生活を送ってもらうように手助けしたい、今はそれしか考えられないでいるんだ」
母親が立ち上がり、玄関に突っ立っている優史を穏やかな面持ちで見ている。
「優史君、あたしたちは大丈夫だから、そうお父さんに伝えておいてくれない? お父さんの所為じゃないって」
「何言ってんですか、親父の所為ですよっ、ただ、俺も親父も、うちの母親もですけど、何ができるのか、その最善の方法は何なのかを思い悩んでいるところなんです。俺は、被害者側の代表で来ていますから。さよりにいくら放っておいてほしいと言われても、そうはいきません。放っては置けない立場だし、傍に居て何でも手助けしなければならない立場でもあるんです!」
さよりは、一つ溜息をつくと、「優史、もう帰ってよっ!」
このような会話をしていても、母親の精神的な負担を増やすだけだとさよりは判断したのだ。
「また来ます……」
「来なくていいから!」
さよりの拒絶は執拗だった。 (つづく)




