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【砂利道を歩く野良犬たち】      作者: トントン03
第七章 いよいよオープン! フカヒレで差別化
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―子キブリちゃんは暖かいところがお好き―

特に中華料理店の厨房を覗くと、見かけ上は高級料理店であっても柱に子キブリちゃんがびっしりと列をなして、「おい、早く行けよっ」なんて。危ないのは、昼時にチャーハンを炒めた後、器に盛るのだけれど、余った分は大きなステンレスボールにためておく。それを回し使いしているのはまだ許せるにしても、それを調理台の床下に置いておく。PM3:00~PM5:00までは休憩時間。この間、子キブリちゃんの食事中になってやしないか? トントンはそれが心配なんです。

第六十九話



 ―子キブリちゃんは暖かいところがお好き――


 不測の事態が起こったのは、十二月第一週の日曜日の夜七時頃だった。

 家を出る時、雲行きが怪しかった。しかし、夕方になっても店の勝手口の軒先に当たる雨音は聞こえてこなかった。たとえパラついてきたとしても日曜の夜なのだから、いつもと同様満席になるだろうと思っていた。


 夜に来てくれる客層は、八割方近隣の家族連れが占めていた。胡と美乃里は、そんなお客さんの顔も覚え、親しく会話が出来るようになった。パートの野々村の知っているお客さんも来てくれている。店の評判は、日々加速しながら広がっていった。   


 店内はお客さんの話し声で賑やかだった。時折、大声で笑っている男の声が聞こえてくる。善幸は、厨房から客席を覗いてみた。目に飛び込んできたのは、来店した記憶のある四十代と思われる男二人。彼らは店のど真ん中の四人掛けの席に座っていた。

 男たちは、脚を大きく開き、隣にある椅子の背に手を掛け、その指の間に煙草を挟んでいた。二人とも煙草の灰など気にする様子もなく、多分、床に灰を落としているに違いなかった。話し声は力の入った低音で、聞きようによっては大喧嘩しているかのようにも聞こえた。間合いに、それを上回る笑い声が響いている。なんせ言葉が分からない。少なくとも怒ってるわけではなさそうだ。店内は、ほぼ席が埋まってる状態だった。


「胡さん、ちょっと注意してきてくれない? 大きな声で話されると周りの人に迷惑だから、もう少し静かにしてもらえませんかって。日本語があまり分からないようだからお願いします」美乃里が困った顔で頼んでいる。

「オオキナコエニキコエルノハ、チュウゴクゴダカラネ。ソンナニ、オオキナコエハダシテナイヨ。サベツシチャダメネ」

「差別なんかしてないのよ。野々村さんもそう感じない?」

「聞き慣れない中国語だから違和感を感じるのかもしれませんね。気になるのは、話し声よりあの笑い声。他のお客さんの話し声が一瞬止まってしまうほどの大きさですよ。周りを気にしていない下品な笑い方は、他のお客さんには迷惑でしょうね」 

 それを聞いていた小上がりに居る由紀子さんが、

「お客さんには愉しく食事をしてもらいたいわよねえ。ただ、注意の仕方に気を付けないと揉める原因にもなるわ。なんだったら、あたしが言おうか?」と言ってくれた。

 由紀子さんはスナックで働いていたから、酔っぱらい客の扱い方には慣れていた。

 そんな話をしていたら、向こうから声が掛かった。

「オーイッ、チョットキテクレ!」と、一人が怒鳴るような声で呼んでいる。

 由紀子さんが立ち上がろうとする前に、慌てて胡と美乃里と野々村がそのテーブルに向かおうとしている。それを善幸が呼び止めた。


「ちょっと待った、三人で行くな。一人でいい。おまえが対応してくれ」ここは騒ぎにならぬよう対応しなければならない。


 善幸は、作りはじめてしまった鶏唐の黒酢あんかけを途中で止めるわけにもいかなかった。作りながら、その様子を窺っていた。


「どうされましたか?」と美乃里が腰を低くして訊いた。

「コノクロイノハナンダ?」と、中国人にしては稀な目のぎょろっとした方が訊いてきた。

 善幸は、鍋の火を止めた。美乃里では対応できそうもないと判断したのだ。さっきまで賑やかに食事をしていた光景が一変したようで、客の目がそのテーブルに釘付けになっている――。


 美乃里を押し退けて、善幸が対応する。

「店主の倉持です。どうなされましたか?」

「コレダヨ、コレッ!」もう一人の男が声を強めた。

 その男の出で立ちは、黒地に紫色の縦縞のシャツの上に、腹が邪魔でチャックが閉まりそうもない紺色のジャンパーを着ていた。うちの店には来てほしくない身なりの客だった。


 善幸は、男に「ホラッ」と言われ、差し出された取り皿を受け取った。そこには、半分喰い千切った餃子がのっていて、その中の餡が箸で穿り出されていた。どうやら、この黒ゴマのような異物が問題のようだ。よく見てみると、真っ黒ではなく赤黒かった。もう改めて箸で確認するまでもない。ゴキブリの子どもだった。

 衛生面では気を付けていただけにショックは大きかった。しかし、相手のクレームの付け方から判断すると、嫌がらせ目的の自作自演とも疑うことができる。しかし、ここはお客さんの手前、善幸は事なかれ主義で行くことにした。

「申し訳ありません。作り直しましょうか?」

 この一言がいけなかったようだ。

「フザケルナ! コノミセハ、マタ、ゴキブリヲクワセルノカッ!」

 その声の大きさは、劇団員が舞台稽古で発声練習でもしているかのようだった。

 他のお客さんもかなり吃驚している。これは店の信用にかかわる問題。だが、嫌がらせだと判断している善幸は、こう切り出した。

「あのお、残ってる餃子を確認させてもらってもいいですか? うちの店は、衛生面では十分気を付けているものですから」

 また、拙い言い方をしてしまった。が、時すでに遅し。

「ドウイウコトダ? モシカシテ、オレタチヲ、ウタガッテルノカ?」

「いや、決してそういう訳ではありません」

 男二人は、代わりばんこで話してくる。善幸には打合せをしてきたかのように思えた。

「ウタガッテイルナラ、シラベレバイイ」

 縦縞シャツの男が、残っている餃子の皿を無造作に善幸へ差し出した。善幸は受け取るも、一旦テーブルに置いた。そして「箸を持って来てくれるか」そう美乃里に指示を出した。

 善幸は、こういうトラブルの対処法を知らない。前の店では料理人という立場であったので、それ以外のことに関わったことがなかったのだ。


 美乃里から箸をもらうと、善幸は、客の視線を浴びる中、残っている餃子四つの皮を箸で破り餡を確認してみた。愕いたことに、四つの内の二つから同じ大きさのゴキブリが数匹見つかった。

「ナンダ、ソレハ、ゴキブリジャナイノカアッ!」ぎょろ目の男が、さっきより声を荒げた。

「ええーっ」店内に控えめの悲鳴が束なり、その後、ざわつきはじめた。

 善幸は、ニラが焦げたものではないのか、そうであってほしいと思いながら〝黒ゴマ〟を弄っていた。


 言葉か出なかった。これで、彼らが故意にゴキブリを店に持ち込み、嫌がらせの行為をしたのではないということが証明されたのだ。

「オマエ、ハジメハ、オレタチガ、イレタンジャナイカト、ウタガッテタダロ、チガウカ?」

「そんなことは思っていません。ただ、店側とすれば確認しておかなければならないことですから……」

「ダッタラ、ホカノキャクノギョウザモ、カクニンシタラドウナンダ?」

 そう言われたら調べるしかない。善幸は、他のテーブルの餃子がどのくらいあるのかを目見当した。例外なく餃子の皿は各テーブルの上に二皿以上はあった。食べ切ってしまった皿や、二、三個まだ残っている皿と色々だった。何気にお客さんの様子を窺ってみると、全員が箸を置いてこっちを見ている。女性客の中には、両手で胸を押さえ気分が悪そうな顔つきをしている人もいた。

 善幸は、美乃里と野々村に、残っている餃子の皿すべてを下げさせ確認するよう指示した。


 善幸の背後に居た胡が、なにやら中国語で二人の男と話し出した。

 話し終わると、

「リョウリチョウ、キョウノトコロハ、トリアエズカエルトイッテルヨ。ケド、スウジツゴニ、ハナシヲツケニ、フタリハ、マタクルトイッテイルヨ」そう通訳してくれた。

 善幸は、このまま居座られても困る、他のお客さんに迷惑が掛かかってしまうと思い「そうして下さい」と言って帰ってもらった。

 

 当然、代金なんか取れない。それどころか、他のお客さんに対してもこのような不快な思いをさせてしまった以上、「飲食代はいりません」これだけでは済まされないことだった。


 善幸は、お客さんに対しお詫びの言葉を述べた。

「愉しく食事をして頂いているところ、大変申し訳ありませんでした。我々としても信じがたいことが起こってしまったので、その検証をしなければなりませんし、二度とこのようなことが起こらないよう対策を講じなければなりません。そのような次第で、今日のところはこれでお帰り頂ければと思っています。勝手なことを申し上げ、誠に申し訳ありません……」そう言い一礼した。


 お客さんが、ぞろぞろと帰って行く。その光景は満潮の引きを見ているかのようだった。今日は、もしかして満月なのだろうか――。


「野々村さん、悩まなくていいのよ。誰の所為でもないんだから」と美乃里が声を掛けている。

 野々村は、自分の所為だと慮り肩を窄めていた。餃子作りに携わっていたのは彼女だけではなかった。もし平日に作った餃子であれば、彼女は午後三時までという約束なので、この場には居合わせていなかったということになる。気分の悪い思いをさせてしまったようだ。


「明日は、臨時休業にしよう。みんなで店の清掃を徹底的にやるんだ。それから、在庫の餃子は一つ一つ中身を確認してから全部廃棄だ。冷凍してある餃子は、ビニール袋に入れて作業台の上に置いて帰ろう。解凍しておかないと中身を確認できないからな。何かの手違いで、餃子の餡にゴキブリが入ってしまったのは確かだ。店側の責任であるのは明白。でも、これは誰の所為でもない。みんなで餃子を作っていたんだから。今後、もう二度とこのようなことが起こらないようにしないといけない。だから、食材の扱い方には細心の注意を払ってほしい」


 善幸に限らず、みんな、衛生面では気を使っていただけに心に受けた衝撃は大きかった。

 美乃里が椅子に座り込んでしまった。由紀子さんは、肝臓の調子が悪いようで一昨日から微熱が続いている状態だった。

「みんな、悄気てる場合じゃないぞ。今日は片付けて早く帰ろう!」

 そう言われて、真っ先に動いたのは胡だった。

 善幸たちは十時前には家に着いていた。いつもより一時間半早い帰宅だった。さよりは、親が帰って来たことにも気づかないでいる。部屋を開け「さより、帰ったぞ……」と言ったら、驚いた様子でヘッドホンを外した。「えっ、今日は早いね。何かあったの?」と訊いてきた。善幸は「スープ切れだよ。おまえはヘッドホン被って勉強してていいから」そう言って襖を閉めた。さよりは用意しておいた夕食を食べ終え勉強していたようだ。


「明日は十時に行けばいいんでしょ? 朝は少しゆっくりできそう……」さよりには見せたくない美乃里の顔色。いつもとは違う疲れが顔に出ていた。


 明日は、営業する訳ではないので、十時から手分けして念入りに掃除するにしても、四、五時間あれば十分だ。今在庫としてある野菜類、スープ、そして水に戻している乾物類も廃棄しよう。善幸は、オープン時のように、明日から泊まり込みで作業しなければならなくなった。


「しかしなあ……。どうしてゴキブリが入ったんだ。あの二人が喰った餃子だけじゃなかったんだもんなあ、原因を突き止められないよ……」

美乃里が善幸にお茶を差し出した。

「他のお客さんの、全部で五、六十個あったかな、そのうちの七つに同じ大きさのゴキブリが入ってた。あなたも見たでしょ。お客さんが知らずに食べちゃったのもあるかもしれない。いや、多分……。それに、冷凍してある餃子にもきっと入ってると思う」

「あの連中の小細工ではなかったってことになるな。逆にそうであってほしいとさえ思ってしまうよ……。しかし、あいつら、なんか怪しいよな。疑いを拭い切れないものがある」

「あたしもそう思う。証拠見つけて警察に突き出してやりたい!」

「しかしな、奴らは犯人じゃない。きっぱりと頭から外さないといけないんだ」

「あんなに怪しいのに、犯人じゃない、不思議だよね。あの二人、前に一度来たことがあるのよ」

「関係ないよ、他のお客さんの餃子に入ってたんだから。それより、奴ら、話を付けにまた来るって言ってたな。それは、俺から疑いを掛けられたことに対する仕返しをしに来るってことか? スーパーの万引きで、証拠が曖昧なまま取っ掴まえたら違ってて、その後厄介なことになるのと一緒だな。これからどんな嫌がらせをしようと考えているのか……。新たな厄介事を抱えてしまったようだな」

「あたし、怖くなってきた……」

 美乃里が不安そうな顔つきで善幸を見ている。

「いざという時は警察だな。カメラでも店内に設置しておくか」

「そんなお金ないよ……」

 善幸は、それもそうだな、と納得してしまった。

「今日の餃子って、一昨日作ったものじゃないか?」 

「三日前に作ったものかもしれない。けど、あたしも時間が空いたら、餡を作ってるじゃない、具材を刻んだりもしてるし……。どのタイミングでゴキブリが混入してしまったのか、不思議でならない。絶対にあり得ないから」

「俺さ、どうも腑に落ちないことがあるんだ」

「何?」

「うちの餃子は、一人前七個だろ。小さめに作ってあるんだ。女の人でも一口で食べられるようにと思ってさ。あいつらの口、やたらとデカくなかったか? 笑ってる顔なんてよ、半分口だっただろ?」

「唇が分厚くて、笑うとほっぺと一緒に揺れてたよ」

「なのにだ、餃子を一口でいかずに態々半分喰って取り皿に置いた、何故だ? 二つ三つ一遍に摘まんで頬張ってもおかしくない口なのによ。そこ、変じゃねーか?」

「でも、あの二人じゃない絶対的な証拠があるんだからさ」

「そ、こ、なんだよなあー。餃子にキスでもするみたいに口を窄めて喰ってみた? そしたら、偶々黒ゴマみたいなゴキちゃんを発見! キャーッか? それを信じなきゃいけねーのかよお~、参ったな……」

「そう、偶々が重なっただけ。そう思うしかないんだよ。原因はあたしたちにある。人間のやることなんだから、気を付けてても見落としや間違いは起こるってこと……」

「おまえにしちゃ冷静な判断を下したな。それにも参った……」

 美乃里が台所の壁に掛かっているカレンダーへ目を向けた。

「でもさ、十二月にゴキブリって、見たことある?」

「ああ、そう言われれば見たことないな」

「じゃあ、なんで混入したんだろう?」

「暖かいとさ、卵から孵化するんじゃないか、季節関係なく。もしかして、冷凍冷蔵庫の裏かな、熱が籠るから。それとも、小上がりかもな、畳の裏とか。何しろ、卵を産み付けていそうなところは重点的に掃除しなきゃな。そうだ、明日、由紀子さんには休んでもらおう。疲れてる顔してたから。それに余計な心配を掛けさせたくないんだ」

「お母さんには、明日の朝電話しておく。ところで、今回の件での損益って夜の営業時間の赤字分と、在庫や下拵えの廃棄ぐらいで済むと思ってる?」

 美乃里の心配していることが何なのかはピンと来た。

「今回の件、いつも家族連れで来るお客さんに知られてしまったからなあ……」

「常連客になってくれそうだったのに……。もう、食べに来てくれないの?」

「俺に訊いてどうするよ」

 善幸は、きっと時間が悪い評判をいずれ消し去ってくれる、そう思い込もうとしていた。けれど、良い評判も悪い評判も瞬く間に広がって行くことを善幸は分かっていた。

「うん? どうした、さより」

 さよりが襖の扉を開けて立っている。

「餃子の中に、ゴキブリが入ってたんだって……」さよりが力無く訊いてきた。知られたくない話を聞かれてしまったようだ。

「おまえには関係の無いこと、いいから勉強してろっ」


 さよりは、静かに襖を閉めた。               (つづく)


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