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【砂利道を歩く野良犬たち】      作者: トントン03
第六章 オープンまでの準備段階の苦悩
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―引き返すことの出来ない【四川料理 悠】のプレオープン!―

やっとここまで辿り着いた善幸。山下をはじめ友達、親族の助けを借りてのスタートとなった。

何事もそうだが順風満帆とはいかない。が、それなりにお客さんが入りそうな店作りで、料理人が善幸なだけに客入りは問題なさそうだ。はたして……。

第六十六話


 ―引き返すことの出来ない【四川料理 悠】のプレオープン!―


 プレオープンの日、友人たちや世話になった工務店の職人さん、それに仕入れ業者の担当者、親族を招待していた。土日に来てチラシ配りや準備を手伝ってくれたさよりの友人たちも、学校が終わったらお祝いに駆けつけてくれるらしい。


 店内の所々に配置されている観葉植物、その名前を知っているのは、ポトス、ガジュマルにパキラだけだ。それらは、サイドテーブルや窓台に置かれている白とピンクと紫色の胡蝶蘭の引き立て役でもあった。まさに、新規開店の装いである。

 前日にクルミ姉さんが来てくれて、一手に招待客が開店祝いに贈る花の意向を束ね、店内の装飾も含めたレイアウトを考えてくれた。花屋はやめてしまったが、嘗て取引していた業者に頼み仕入れてくれたそうだ。


 そんな中、善幸は、お祝いの立て札『祝開店 熊野麻子』に目がいった。なんと、二つあったのだ。同姓同名の送り主。それらは、色の違う胡蝶蘭だった。業者の間違いだとしたら、色の違う花が届くだろうか……。麻子が、何かの手違いで二つ送ってしまったとは考え辛い。

「麻子って双子だったのか?」と、善幸は冗談で言ってみた。

 美乃里は含み笑いをしている。

「あなた、金沢にいるおばあちゃんの名前って知らなかった? おばあちゃんの名前も麻子っていうのよ。二人から届いてるみたいね。一緒でよかったのに……。それだけあたしたちのことを応援してくれてるみたい。先日ね、麻子から電話が掛かってきた時、言ってたわよ、あなたを手伝ってあげられなくてとても残念だって。プレオープンに来たいんだろうけど、同姓同名のおばあちゃんを一人残して行けないって……。おばあちゃんは元気? って訊いたら、此間玄関先で転んで、今杖を突いて歩いてるって言うの。麻子が病院に連れてって診てもらったそうよ。あたしもお母さんも、麻子がおばあちゃんと一緒にいてくれるから安心していられるわ。でもね、一番感謝しているのは……お父さんなのよ」

「そうだったんだあ。気を付けないといけないな。でも、おばあちゃんと同姓同名だったのかぁ……。えっ、麻子って名付けたのは由紀子さんだよな?」

「そうだよ。当たり前じゃない。それが何かぁ?」

 

 襖を開けても開けても姿を眩ます由紀子さん……。今更ながら自分の眼前でその姿を晒してくれたような気がした。それにしても、義父と由紀子さん、そして美乃里と妹である麻子との織り成す関係は〝命のある限り〟この覚悟を秘めた微動だにしない信念と潔さに基づく博愛だったということなのか……善幸は暫く考え込んでしまった。

 しかし、善幸はそう結論付けた。

 

 美乃里が言った。「生きているとさ、忘れちゃいけないことや忘れられないことってあって、それらがすべて結果的に胸が空くようなことに変換できるとすれば、幸せを引きずりながら生きていけるんじゃないかなぁ……」


 善幸は、美乃里の背後から突然親方が姿を現したかのような錯覚に陥った。


 傍らで体を動かしている胡が、話し込んでいる二人をみていて痺れを切らしたようだ。

「ハナシテルジカンナンテナイヨ。ダンナサンハ、ハヤクシコミヲオワラセナイト、マニアワナイヨッ」 

 胡は、招待客を孤立させないようにと、椅子とテーブルを並び替えていた。善幸は、今何をやらなければならないのかを忘れかけていた。


「わかったよ、胡さん。あ、それでね、呼び方なんだけど、旦那さんは拙いな。一人しかいないけど、料理長って呼んでもらえれば。うちのかみさんは苗字が倉持だから、倉さんでお願いしたいんだけど」


 三日前から働いてくれている胡とは、もう遠慮なく何でも話し合える間柄になっていた。彼女は、言いたいことはハッキリと言うし、表情が豊かだから気に障るようなことがあれば直ぐに顔に出るので却って対応しやすい。美乃里も良い人が来てくれて、紹介してくれた山下に感謝していた。


 プレオープンは午後四時からだが、茨木から来る母親と兄貴は、手伝うために一時間前に来ることになっていた。また、サトシとクルミ姉さんも早めに来て手伝うといってくれていた。


 予定時間より三十分も早く招待客全員が揃ってしまった。急がなければならない。善幸は軽く挨拶をしたあと厨房に引っ込んだ。和食と違って中華料理は、下拵えさえしておけば一気に仕上げられる料理が多いから、量的な問題で調理する時間を気にすることはなかった。取り敢えず、招待客にはビールを片手に談笑してもらうことにした。



 窓から陽が入る時間帯からの祝い酒は、初対面同士の会話も弾むようで、その高らかな笑い声が善幸の耳元にまで聞こえていた。

 善幸は、特別メニューとして考えているフカヒレ料理を、皆に試食してもらい、その感想を参考にして味を整え、明後日からの一般客に提供していく予定でいた。


 善幸は次々と料理を作っていく。もしかしたら今日が、料理人としての最高の悦びを感じられる刹那なのかもしれない。  

 作り出してから二十分、善幸が本気を出せば彼の手は四本にみえる。調理台に並べられた大皿に出来上がった料理を盛り付けていく。それら大皿を、胡と美乃里と由紀子さんが運んでいく。飲み物類は、クルミ姉さんと実の母親が担当してくれているようだ。だから、人手は足りていた。皆が手伝ってくれていることもあるが、胡が来てくれたお陰が大きかった。


 皆、ふうふうしながら食べていた。テーブルの上は色彩豊かな料理で間もなく埋め尽くされる――。



 一段落したところで、善幸は厨房から再び姿を現した。客席で談笑していた声は止み、カタカタカタとグラスをテーブルに置く音が響いた。

 善幸は、ここまで辿り着けた感謝の気持ちを皆に伝えた後、自分が考えている将来のビジョンを明かした。



【目先の目標としては、この周辺の住民の皆さんに愛される店を目指し、将来的には若い職人が修行の場として選んでくれるような店にして行きたいと考えています。などと偉そうなことを言っていますが、当時、定職にも就かずぶらぶらしていたそんな俺を拾ってくれ、和食のイロハから教えてくれたのは、【悠の里】の親方でした。その親方も亡くなり、十年以上が経ちます。しかし、そのポリシーを忘れずに、四川料理という枠に囚われない料理をお客様に提供していこうと思っています。この業界においては、まだまだ若輩者ではありますが、引き続き皆様のご指導ご鞭撻を賜りますよう宜しくお願い申し上げます】



 挨拶が終わると、惜しみない拍手の中、一番善幸から離れて座っている義父と由紀子さんの方に目がいった。美乃里は、どこまでこの苦境を話してしまったのだろう……。ハンカチを手にしている由紀子さんと、頬を伝う涙を拭いもせず手を叩いてくれている義父の姿が善幸の網膜でクローズアップされた。


 夕方になって、さよりが友達を連れて入ってきた。彼らは口々に、あたし達に出来ることがあったら何でも言ってきて下さいとか、大学生になったらアルバイトで雇ってほしいとか、入れ代わり立ち代わり嬉しそうに厨房に入って来ては善幸に話し掛けてきた。傍で作るのを突っ立って見ている優史だけは、「出来た料理を運んでくれないか」と善幸に頼まれるのを待っているかのように思えた。


 賑やかさが疲れを見せはじめた頃、美乃里が厨房に入って来て、

「誰だろう、あたしの知らない人が来てるよ」

 善幸は、客席の方へ顔を出すと、そこに立っていたのは山下だった。

 山下は、胡と何やら中国語で話をしていた。気がついたようで、

「あっ、倉持さん、おめでとうございます。良い店ですねえ。中華料理の店とは思えませんよ。壁を珪藻土塗りで波打たせているデザインは、イタリアンかフランス料理の店っぽい。初めてのお客さんは、どんな料理が出て来るのだろうと思うんじゃないですか。このデザインは倉持さんのアイデアでしょ? とても素敵です」


 山下は、よくあの予算でここまでの店を作れたな、と思ったに違いなかった。

「わざわざお越し頂いてありがとうございます。まだ仕事中ですよね、山下さん。抜け出してこられたんですか?」

「こっちの方に用事があったんです。気にしないでください。それに、苦難を乗り越えてオープンさせた倉持さんの姿が見たかったんですよ。遂にやりましたね!」

 山下は、自分のことのように喜んでくれた。

「お蔭様で、明後日無事オープン出来そうです。内装は友人の知り合いの工務店にお任せでやってもらいました。でなければ、ここまでの内装は出来ません。山下さんをはじめ、皆さんに助けてもらってのオープンと言うわけです。とても感謝しています。色々とありがとうございました」

 山下は「何しろ良かった、良かった」と言いながら、厨房を見たいと中へ入っていった。


「おお、凄いじゃないですかあ、泊まり込みで仕込みが出来るように小上がりの和室まで作ってある。用意周到な店作りですね。それに、大型の冷凍冷蔵庫が二台、それから――」

 山下が関心を示したのは、冷凍冷蔵庫の並びに、天井からの吊戸棚四台が狂いなく設置されていることだった。お客さんにオープンキッチンとして厨房をみせてもいいくらいだ、などと施工業者を褒めていた。

 山下は、職人たちから頼まれたご祝儀袋を善幸に渡した。善幸は愕いてしまった。まさか、自分が引き起こした〝傷害事件〟に遭遇した職人たちが開店を祝ってくれてるなんて、思ってもみなかったからだ。

「受け取るのを……躊躇ってしまいますよ。皆さん、元気ですか?」

 善幸は、山下なら知っているであろう崔の怪我の治療経過を聞こうにも聞けずにいた。

「今、ジンさんに料理長をやってもらっています。ジンさんが言ってましたよ、折角仲間になれたのにって。職人たちは、みんな倉持さんの出店を喜んでます。誰一人として悪く言う者はいませんでした。人柄なんじゃないんですか? 倉持さんの……」

「そんなことはありませんが。でも、そう言って頂けると気が楽になりました。ただ……」

 山下の勘が働いたようだ。

「ああ、崔料理長のことですか? 陥没した後頭部の術後の経過は順調ですよ。問題は胸の火傷のようです。これは時間が掛かるでしょう」

「そうでしたか……」

 山下は、「崔料理長もベッドの上で、倉持さんが自分のお店をオープンさせたことを応援しているかもしれませんよ?」と冗談っぽく言った。

「早く潰れろと、いや、呪い殺してやろうと思ってるんじゃないですかね?」

「そんなことはありませんよ……」


 スイッチが切り替わったように、善幸は前の店を去るときにやり残してきたことを思い出した。それは、やっぱり、三ケ日オーナーに店を辞める理由を説明してから去るべきだったということだ。「倉持君に料理長になってもらって、この店を任せたいんだが……」そう三人のオーナーから打診されていたにも拘らず、何も言わずに去ってしまったということは、恩を仇で返したようなもの。心苦しさを感じていた。況してや退職金を受領する以上、事実関係は話せないまでも、店から去って行く、然もありがちな事情をこさえて、それを数日以内に伝えなければならなかったのだ。

 善幸は、自分が起こしてしまった傷害事件の重大さに慌てふためき、電話を入れるタイミングを逃してしまった。オープンまでこぎつけた胸の内には、希望と悦びと一先ずの安堵感との裏腹で、今更ではあるがオーナー達に対する後ろめたさを重く感じずにはいられなかった。 


「倉持さん……、悄気てないで、私にも自慢の料理を何か食べさせてくださいよ」

「そうでしたね、実は、山下さんのお父さんの『極東商会』から仕入れた気仙沼のフカヒレ、これを思いっきり使わせてもらおうと思ってるんですよ。姿煮以外であれば色々な使い方が出来る。俺のアイデア一つで、お客さんが喜んでくれる料理が生まれていくわけですから。これって職人冥利に尽きますよね。メニューを考えるのがとても楽しくなりました」

「それはよかった。紹介した甲斐があります。ところで、范料理長には今回の開業のことは話されたんですか? 私は、倉持さんが自分から話したいとのことだったので、先週范料理長から掛かってきた電話でも話しませんでしたけど」

「料理長の店のオープンは十一月の中頃ですよね?」

「そう言ってました。范料理長の場合、準備期間は十分ありますから遅れることはないと思います」

「料理長が、俺の無謀な開業計画を知ったら、即刻『すぐにやめろ!』と言うでしょう」

 山下は頷けないでいた。

「この前、香港に行ったとき現場をみてきました。料理長は居ませんでしたけど。ほぼ内装は出来上がってましたよ。うちの店と造りは似ていました。一階と二階が内階段で上がれるようになっていて、広さはうちの店の三分の二ぐらいですかね。内装が派手というか大胆と言うか、それは見てのお楽しみです。そう、予定していた開業資金では足りないみたいで、料理長も親父の会社から融資を受けたって言ってました。お客さんさえ入れば、多少予算オーバーしたとしても何の影響もありませんから」


 料理長も『極東商会』から融資を受けたということは、一般の金融機関よりかなり高い金利で借りたということのようだ。


「料理長も勝負を賭けてるのは間違いないようですね。そうそう、俺に融資して下さった会長さんに、『お蔭様で無事にオープンまで辿り着くことができました。一年以内に必ず繫盛店にしてみせます』そうお伝えして頂けますか? 東京に来られる時がありましたら是非立ち寄っていただきたいのですが」

「わかりました。会長に伝えておきましょう。会長は、今回のオープンに関して大変関心を持っています。異例の融資でしたからね。社長と喧嘩してまで融資した手前、回収できなかったでは済まされませんし……」

「その責任をも、俺が背負ったということですよね」

「会長は、去年から足腰が痛いとか言い出して、杖を突くようになってしまいましたが、でも家族の者と一緒に、年明けに顔を出すかもしれません」

「年末までに、軌道に乗せるつもりでいますので、是非お越し頂いて安心してもらいたいですね」

「年末って、あと三箇月ですよ。しかし、倉持さんなら可能だと思えてしまうのは何なんでしょうね、不思議です」

「勢いだけだと思います。ああ、立ったまま長話をしてしまいましたね」

 善幸は、美乃里に山下が座る席を準備させた。


「山下さん、座ってて下さい。この一週間で考えた俺のオリジナルの料理を作りますから。食してもらって、評価をして下さい。俺が見落としているところがあったら遠慮なく言って下さいね」

「遠慮なんかせず言わせてもらいますよ。しかし、仕事を抜け出してきたので三十分も居られません」

「それでは、十分で三品作ることにしましょう」


 善幸は厨房に戻り、大中二つの中華レンジに火を点け、その上に鍋を並べた。

                               (つづく)



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