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【砂利道を歩く野良犬たち】      作者: トントン03
第六章 オープンまでの準備段階の苦悩
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―善幸よ、設備工事のノウハウは、ある程度知っておかないと―

知らないと、知らないで向かっていくと命を落とすことってありますよね。

私も何度かありました。でも、今現在なんとか生きていますが……。

皆さん、気を付けてくださいね。。   きゃ~

第六十二話



―善幸よ、設備工事のノウハウは、ある程度知っておかないと―


 七月十日、借入金の三千五百万円と退職金の三百三十五万円に半月分の給料が口座に振り込また。〝これは自分たちの金だ〟そう思いたくなるような金額だった。

 今、美乃里がその通帳を眺めている。善幸は、勘違いしないようにと思い、示談書に記載してある崔の銀行口座へ三千万円を振り込んでくるように指示した。


「明日じゃダメなの?」

「明日でもいいけど、気分的な問題だよな。厄介なことは早く済ませたいんだ。今から行けば間に合うだろ?」

 美乃里は何も言わずに示談書を持って、駅前の第一勧業銀行へ向かった。


 その融資の出処は山下の父親の会社だが、実際は、山下が伯父に頼み込んで借りてくれた金だった。それだけではなく、返済を三箇月後からの支払いにしてくれたのだ。開店してからの予期し難い支出のことをも考えてくれていた。彼は単なるサラリーマンではない。長けた先見性を持つ実業家といっていいのではないだろうか。


 高二の夏休みに入ろうとしていた。

 先日、三人で塾の面談に行ってきた。立てた夏休みの学習計画をやり遂げることが、合格への扉を押し開ける力になるから頑張るようにと肇先生から言われた。

善幸は、先生が長々と話す受験の心得を聞いた後、此れ見よがしに自分が独立する話を切り出そうと思っていた。

さよりがはじめて耳にする出店の話。愕かせるため、今回の面接の時に打ち明けようと考えていたのだ。さよりはどんな反応を示すだろう……。


 思った通りだった。「ええっ、ホントお父さん!」さよりは感嘆の声を漏らした。


 次の日曜日、さよりと美乃里を連れて、最終的な決断をするため物件を見に行った。

角地の物件だから、遠くからでもわかる、でも古臭い木造の建物。美乃里には、そのマイナスイメージを持つ前に、古臭さは気にしなくていいんだよ、外装を化粧してしまえば新築同然になるからと話しておいた。


 道路を挟んで、まじまじと物件を見ている二人……。

 先に、さよりが気に入ってくれた。さよりが向けている好印象の眼差しに、美乃里が頷いてはいるが、複雑な思いが交錯しているようで行く末を案じているかのような表情を浮かべていた。

 善幸は帰り際に、不動産屋の青木に電話を入れた。後日、この物件の賃貸借契約を交わしたいので、その準備を進めてくれるようお願いした。


 数日後、家主と契約を交わし、その物件の鍵を渡された善幸は、その日にさっそく美乃里と共にこの居抜き物件の現状を念入りに調べようと思い現地へ向かった。


「いいか、これから俺が言うことをメモっておいてくれ。俺が考えている動線に沿った厨房機器の配置を家で考えたいんだ」

 美乃里はメモ帳を取り出した。善幸は、一番気になっている厨房内を見回している。

「しかしなあ、レンジフードは余りにも汚い。替えるにしても、この位置から移すことは出来ないだろうなぁ……」

「仕事、やり辛くならない?」

「ダクトの位置は極力いじりたくないんだよ。工事費が高くなるからね」

「臭いが気になるけど、隣近所から苦情は来ないかな」美乃里も気になっているようだ。

 アパート暮らしが長いので、風向きと時間帯によっては台所の排気が気になることがあると美乃里が言った。人によっては、お互い様では済まない場合もあったりする。何種類もの香辛料を使う四川料理だけに余計気掛かりなことでもあった。

「青木さんが言ってたんだけど、排気は交差点へ向けて出せば、近隣から苦情は来ないんじゃないかって。それに、この物件はラーメン屋の居抜き物件だから、営業していた時は臭いの苦情は来なかったって言ってたな。だから、排気はこれで大丈夫だと思うよ。俺としては、角地だから目立つという以外に、この臭い問題が無いということも決め手だったんだけどね」

「青木さんって?」

「依頼している不動産屋の担当者だよ」


 厨房内を調べていくと、思い通りにはいかない問題が次々と浮上してきた。レンジフードの位置をそのままにした状態だと、やっぱり他の動線に大きな制約を強いられることになる。やはり、大掛かりな工事になろうとも、フードは動かさなければならないのではないか。オープンまでにやらなければ、後からではそれこそ大掛かりな工事になってしまう。多分、後悔することになるだろう。工事費用面から厨房設備の配置に迷いが生じて来た。


 その夜、善幸は遅くまで、渡された居抜き状態の平面図と向き合った。厨房機器の寸法を当て嵌めながら考え込む……。が、考えれば考えるほどベストな使い勝手を求めすぎて、却って訳が分からなくなってしまった。

 この一週間で、改装のプランを立て、工事業者と打ち合わせを済ませ、翌週には着工というハードなスケジュールを組まざるを得ない状況にあった。まさに時間との闘い。これは、偏にさよりの受験のことを考えてのことだった。


 深夜二時を過ぎていた。受験勉強をしているさよりの部屋から漏れていた灯りが消えた。善幸は今もなお図面と睨めっこしている。自分は料理人であり、店舗施工のことに関しては所詮素人。どんなに頑張っても、各設備工事の費用面での効率化を図った図面など引けるはずもなかった。遂に、思案していた時間の大半が無駄だったことに気づかされた。

 明日、善幸は、店舗内装にも詳しい青木のところへ相談しに行くことにした。きっと力になってくれるはずだ。それに不動産屋だから施工業者も知っているに違いない。紹介してもらえばいいだけだ、との結論に至った。


 その朝、アポを取り、善幸は十一時に不動産屋のドアを押した。奥の部屋から出てきたのは青木と作業着姿の恰幅の良い中年の男だった。

 青木は、軽く挨拶すると横に立っている男を紹介した。

「うちと付き合いのある施工会社の井守社長です。お客さんから工事を頼まれることが結構あるんですよ。そのような時には、井守社長にお願いしてやってもらっています。別に、頼む頼まないは気になさらなくても結構ですから。ただ、私が分からないことや工事費用のこと等、直接訊けるのではないかと思って来て頂いたんです。オープンが九月の中旬でしたよね、古い物件なので、どの程度手を加えるかでも工事の工程は大きく異なってきてしまいます。ですので、着工するまでの時間は削っていかないといけません。というか、実際すぐに着工しないと間に合わない段階ですよね」

「気に掛けて頂いてありがとうございます。分からないことだらけで困っていたところだったんです。倉持と申します。宜しくお願いします」二人に深々と頭を下げた。


 善幸はこの際だからと思い、昨夜、厨房機器の配置図を書き込んだ図面をテーブルに広げアドバイスを受けることにした。

 井守社長は、青木がファイルから出した物件の写真を一枚一枚見ながら話しはじめた。

「客席側は工夫次第でどうにでもなるから後で考えればいいと思います。先ず考えなきゃならないのは設備関係ですね。倉持さんは、厨房をどのような仕上げにしようと考えていますか?」

「前に働いていた店も中華料理だったんですけど、これは良いな、と思ったところがあるんです。それは、壁がすべてステンレス張りだったので、水を掛けながらゴシゴシ掃除ができたんですね。ですから害虫駆除は完璧でした。うちの店もそのようにしたいと考えています。ただ、厨房から、お客さんが食事をしている様子を見たいので、客席との仕切りの一部をガラスにしようと考えています。そうなると、客席側からも厨房内が見えてしまいますが、見えてしまう壁には絵柄のタイル仕上げにしたらお洒落感が出て良いんじゃないかと思っているんですが、どうでしょうか?」

「それは良い考えですね。今のご意見を聞いただけで、倉持さんの料理人としての腕前が窺えますよ。美味しそうな料理が出てきそうですね」井守社長は微笑んだ。


 しゃがれた声に似つかわしくない物腰の柔らかさが、どうも井守社長にフイットしなかった。話の展開次第で、社長は、押し売り的凄みを効かせて来るのだろうか、と少しだけ不安を感じさせた。


「それと、中華なので厨房の天井と壁は、施工基準の二倍の耐火構造にしたいのですが。スープ作りでは、長時間火に掛けっ放しにしておきますから」

「この物件の内外装の写真を見ると、確かに防火、耐火が十分じゃない。ガスコンロが置いてあった壁に罅があるだけじゃなく、ここが凹んでますよね。こっちの写真を見てください。天井なんかモップの先が当たったみたいな穴が幾つか開いてます。天井にネズミが巣を作っている可能性もありますから、壁、天井を解体して新たにやり直した方がいいでしょう。それと、耐火構造を強めにしたいのなら、下地もそれなりの防火が必要になってきます。筋交いを増やしたり、柱の補強も必要かもしれませんね。で、床はどんな仕上げを考えていますか?」井守社長が興味深そうに訊いてきた。

「モルタル仕上げは避けたいですね。前の店がそうだったんですよ。長年同じ店で働いていたことが役に立ちそうです」

「モルタル仕上げでは駄目? それは何故ですか? 施工費からしたら、その仕上がりが一番安上がりですが?」

「モルタルだと、どうしても罅が入ってきますよね。地震が原因なのかは知りませんけど。そうなると、その隙間に細かく切り刻んだ食材が入り込んでいくんです」

「なるほど。モルタルって、温度によって伸縮するものなんですよ。また浸透する水分との関係もあるんでしょうが、冬場は凍ったりすると罅は増していきます。しかし、平屋建てなので罅が入ったとしても水漏れの心配もないし構造上なんの問題もない。ただ見て呉れが……。お客さんからは見えないからいいと思いますけど?」

「はあ……」

 善幸は、工事費のことが気になっていた。

「倉持さんは衛生面が気になっているようですね。確かに、床の仕上げが明るいと衛生的に保たなければならないという意識が働くもんです。また、床が綺麗だと仕事している気分も違ってくる。そう思いませんか?」井守社長は店舗内装業者だけあって、施主の痒い所に手が届く人だった。

「見て呉れですかあ……。ただ私が気になっているのは悪臭なんです。冬場はそうでもありませんが、夏場は気になります。日に日に罅に入り込んでいく食材、その腐敗した臭いは強烈です。朝出勤すると、この臭いが厨房内に充満してるんですよ。で、先ず最初にやることは換気。その嫌な印象が残っていて、どうも……」

「悪臭って、それを消臭する方法はいくらでもあるんですが、罅の奥深くとなると断ち切るのは難しいかもしれませんね。いっそのこと床の仕上げをやり直した方がいい場合もある。表面は、防水加工で仕上げておけば問題ないとは思いますが。しかし、予算がないという理由で、儲かってからやろうとすると既存の厨房機器が置かれているわけですから大掛かりになってしまう。それを踏まえて考えるならば、開業前にその対策は講じておいた方がいいと思いますよ」

 納得のいくアドバイスだった。井守社長は、また物件のスナップ写真を見始めた。と、すぐさま一枚の写真に指を差して言った。

「この写真だと判りづらいですが、多分、厨房の床、勾配が取れてませんね。これじゃ、床に水を撒いたら、あっちこっちに水溜りができて、放っておくと雑菌が繁殖してしまいます。衛生上好ましくない。排水口も小さすぎますね。新たにグレ―チングを設置した方がいいでしょう」

「グレーチングって?」

「道路の側溝の上にかぶせてあるような格子状の蓋ですよ。あそこまでの幅はいらないでしょうけど」

「前の店の床にも設置してありました。あれですね。毎日閉店した後、水を撒きながら掃除するので、真ん中に長めのグレーチングを設置しておきたいですね。出来ますか?」

「そのためには排水管の径を大きくしないと駄目かもしれません。倉持さんの希望通りの床仕上げにするとなれば、一度今の床を斫って、新たにやり直さなければならなくなるでしょう。ちょっと費用は掛かりますが、その方が良いのではないかと思います」


 善幸が気にしていた厨房周りの仕様が煮詰まって行くのは良いのだが、しかし、気になってくるのはその施工費用。如何ほどになるのか、善幸には見当もつかない。気掛かりだった心配が段々膨らんで来た。そこで、率直なところを訊いてみた。


「客席側の内装は標準的に考えたとして、どのくらい工事費が掛かりそうですか? 大まかにでも知っておきたいのですが」

 井守社長は、二十枚くらいある写真を重ならないようにテーブルの上に広げている。

「この古い外壁も弄らないといけないでしょうね。当然夜も営業するでしょうから、看板の制作は照明付きになる。看板って、店の顔でもありますから、いい加減なものは掲げられません。この件に関しては、プロのデザイナーにお願いした方が良いでしょう。それとですね、中華料理でしたら空調は馬力の大きめのものを設置しないといけません。開店後にやっぱり能力が足らなかった、なんてことになったら、付け足すという訳にはいきませんからね。これはケチっちゃいけないところです。お客さんが真夏にラーメンを食べていても涼しさを感じさせるぐらいの能力の大きい空調設備を入れておかなくては駄目です。勿論、機械での吸排気との関係もありますから、その辺も設計段階で考えなければなりません。若干負圧で考えた方が良いでしょう。あとですね、古い物件なので、電気容量が足りないことは現場確認しなくてもわかります。ですから配電盤を交換する必要がありますね。電気配線も全部やり直しです。電気工事も結構かかるんじゃないかなあ……」


 おいおい、それで一体いくらになるんだあ? と善幸は天を仰ぐ心境だった。


「業務用の空調設備、それと大型の冷凍冷蔵庫を二台設置したいのなら、動力を引き込まないといけない。青木さん、動力は引き込んであるの? それと水道の径は?」

 青木は、物件の資料をみて確認している。

「動力は引き込まれていません。水道の径は二十です。一階ですし、水圧は問題ないと思いますが。あと、肝心のガスメーターは中華料理ですから大きくする必要があります。前に営業していたラーメン屋さんは二十五Aでよくやってましたよねえ。倉持さん、ガス管の径は四十Aは必要だと思いますが、どうでしょう?」

 厨房の使い勝手を熟知していることと、設備の施工知識は別物だった。

「ええ……。でも、そうなると、新たに本管から引き込まないといけなくなりませんか?それと、厨房内のガスの配管も全部やり直しってことですよね?」善幸の声のトーンが落ちてきた。

 工事費はどこまで膨れていくのだろう。物件取得費だけで、敷金六箇月分と礼金一月分、それと不動産屋の手数料一月に前家賃一月分を既に支払っていた。合計で二百五十万円ほどが、運転資金を含めた開業資金二千万円の中から消えている。善幸は運転資金として、五百万円を予定していたが、とてもそこまで残せそうになかった。とはいっても、最低でも四百万円は残しておかなければオープン後の営業が成り立たなくなるのではないか。それを差し引いたとしても、残りの施工費は一千三百五十万円。枕元に積み上がっている店舗情報誌の知識から、この資金力ではオープンまで辿り着くことさえ不可能だと思えた。金額の大きめの施工項目の中で、断念せざるを得なくなるものが次々に出てきそうだ。


 善幸の様子を窺いながら、井守社長が言った。

「古い居抜き物件の場合、電気、ガス、水道の変更に費用が掛かるのは仕方の無いことなんだよねえ。倉持さんの考えている仕様にするには、もしかしたらスケルトン状態、つまりね、ガランと何もない状態だね、そういう物件の方が解体工事費が掛からない分、寧ろ全体的な工事費が安く済むかもしれなかったな。今の段階で言っても仕方がないけど。この物件の利点はというと、水道に関して言えば、給水管を新たに本管から引き込む必要はないということと、既存のダクトをもう少し交差点方向へ延長すれば済むということ。この二つぐらいかなあ~。ラーメン屋をやるんだったら、改築費用をそんなに掛けずに済むし、味だけで勝負できる。しかし、倉持さんがやろうとしている店は四川料理だから。それを新規でやろうとすると、味は言うまでもなく、居心地の良さも客は求めてくるよね。思うに、その為の設備、内装の充実ってところは、もろに生命線になるんじゃないかな。その辺、倉持さんはどう考えてるの?」

 井守社長は、いつの間にかソファに深く座って足を広げていた。

 考え込んでいると、今度は青木が、

「私もそう思いますよ、倉持さん。新規でお店をやろうとしている依頼者の方の中には、自分の都合ばかりを考えてしまい、これで大丈夫だろうかと心配になるような人もいます。開店してからの設備工事の変更は、近隣の住民からしたら、もう潰れたのではないかと不審に思われて、改築後の客の入りに影響を与えてしまうことも考えなければなりません。命取りになることだってあるんですよ」


 実際に店をオープンし二、三年で運転資金が底を尽き、閉店してしまった経営者だって珍しくはないはずだ。青木は、オープンさせた後の経営状況を、偶に顔を出しながら関心を持って見守っているのではないだろうか。店舗専門の不動産屋であれば、その辺は知っていなくてはならないところだ。そんな青木の忠告は、善幸にとって貴重な判断材料になった。


「こうしてアドバイスを聞いていると、私では思いつかないことが見えてくるので、とても参考になります。このまま相談しながら進めていきたいところなんですが、開業資金に限りがあるものですから、そのことが気になってきてしまって……。それで、今ご相談した仕様ですと、どのくらい掛かりそうですか? 概算で構わないので教えてください」と、もう一度尋ねてみた。

 そろそろ言ってくれてもいいのではないか。じれったさが顔に出てしまっているのが自分でもわかった。


 井守社長は、善幸の目をみて答えた。

「個人の、それもはじめての開業で、資金がふんだんにある人なんていませんよ。倉持さんも店をはじめるわけだから、知人から聞いて大方の相場は分かっているんじゃないかな。でもね、これは取得した物件に因って大きく異ってくる。また、経営者のこだわりが強いと、厨房設備だけじゃなく、どうしても内外装やエントランスに趣向を凝らそうとするんだよね。そうなると、飾り付け一つ一つに凝り出してしまったりと……。うちってね、お客さんのために施工費を押さえようと思ってて、在庫にあるものをできるだけ使って安く施工してあげようと考えているんですよ。また店舗内装の設計料も込みで請け負っている。うちには図面が引ける社員がいてね、彼にやってもらっているんだよ。しかし、お客さんの方から細かく指示されると、言った言わないのトラブルを防ぐために、設計も外注に出す場合がある。そうなってくると、どんどん費用が嵩んでしまうんだな。時間を掛けて図面を仕上げた後に見積りをお客さんに出すと『予算はこれしかない、この範囲内で何とかしてほしい!』なんて言ってきて、我々を困らせることになってしまう……」井守社長は苦笑いをしている。


 実際、そんなパターンは少なくないのかもしれない。それだったら、最初から腹を割って話し合い、施工業者に協力してもらった方がいいと思った。なんせ、自分には金も時間も無いのだから。


「井守社長、私の譲れない条件は大体お話しました。これまでの話を聞いただけでも、設備工事に結構な費用が掛かってくるということですよね。それでなんですが、正直に言うと、運転資金を含めた開業資金は、あと一千七百万円程しかありません。その内、四百万は運転資金として取っておきたいと考えています。要するに、残金の一千三百万円で、なんとか工事をお願いできませんか? 内外装などの仕上げはお任せしますので」


 遂に、自分の方から手の内を見せてしまった。暫く沈黙があった。青木は下を向いている。

 井守社長が言った。

「この物件は、三十二坪でしたよね。大雑把な計算になりますが、その坪数で一千三百万円を割ってもらえますか、青木さん」

 青木がテーブルの片隅に置いてある電卓を叩きはじめた。

「えーとですねえ……、消費税抜きで坪当たり四十万を切ってますね」

「あのですね、倉持さん。うちは他の施工業者のように、最初安く金額を提示して、追加工事で儲けようなんて考えてないんですよ。設備工事に関しては、切り詰めるのはほとんど不可能だと思ってください。今在庫にある建材を上手く使って施工するにしても限界がある。少なく見積もっても、この物件の工事費は一千八百万円を下回ることはないですね。二千万ぐらいは掛かってしまうんじゃないかなあ。念の為、この金額の中には、厨房機器は含まれてませんよ、当然のことですが」

 多分、それは妥当な金額なのだろう。善幸は、この社長が出鱈目を言って儲けようとしているとは思えなかった。

「一度、ご自身のプランを見直してみたらどうでしょう」

 青木は、諭すようにそう言った。

「わかりました。もう一度考えてみます」


 井森社長も青木も当たり前のことを説明しただけなのだろう。損をしてまで仕事を請け負う業者などいやしないのだ。


 事務所を出ると、サウナの扉を開けた時のような熱気が身体を包んだ。最寄りの駅に辿り着く前にシャツが汗でへばり付いていた。

 善幸は、どこにも寄らずに帰ることにした。     (つづく)


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