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【砂利道を歩く野良犬たち】      作者: トントン03
第五章 出来上がった厨房内の確執と家族の絆
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―仕事の出来る男は違った―

いや~、いますよね、仕事の出来る男って。油断も隙もないって感じ。

あ、いや~~ 参りました。。。

第五十九話



 ―仕事の出来る男は違った―


 昨日、山下に言われた通り、善幸は今朝九時半に雑多な人混みの四ツ谷駅から電話を掛けた。

「今から来てください。状況が変わりましたので。そのことについて話し合いましょう」それは、業務連絡でもするかのような口調だった。


 事務所のドアを開け、顔を合わせるなり、山下は、

「降りはじめましたか?」と声を掛けてきた。が、善幸は下を向いたまま返事をしなかった。覚悟のすぐ真下にある絶望が心中で去来していたのだ。

 応接室に通され、ソファーに向き合って座る。前のめりに腰かけた山下の様子から、何か規格外れの要求でも持ち出してくるのではないかと察し、俄かに緊張した。

 善幸から切り出した。

「支払いはどうなるんでしょうか? 直ぐには払えませんが……」

「払えませんよね。一料理職人が払える額ではありません。あとはご自分で何とかしてください、と突っぱねるのであれば、私じゃなくてもこの交渉は出来るでしょう。私の存在価値はここからなんですよ、倉持さん……」徒者ではない雰囲気が漂っていた。

「どういうことですか?」

「損害賠償、まあ慰謝料も含めてということですが、この三千万円という金額の処理の仕方ですけど、倉持さんと奥さんで貯めてきた一千二百万円、それにもう一つ、倉持さんの経営者としての……。それが加われば、このピンチをチャンスに変えられるかもしれません」


 これを聞いて、山下が一瞬詐欺師に思えてきた。が、何を言い出そうとしているのかを、善幸は身を乗り出して聞こうとしている。


「以前お話したと思いますが、私の父親が食品商社を経営しています。それと、新規に出店する場合や店舗拡張のための融資もやっているんです。この二つの事業って、切っても切り離せないものなんですよ。今回の倉持さんの件も、そこを利用できればと考えた訳です。私は香港に居る社長、つまり私の父親ですが、そこに電話を入れて私の知り合いの料理人が出店したいと言うので、三千万円を融資してくれないか、と話を持ち掛けました」


 山下が、この俺を夢の世界へと導いてくれようとしている。善幸は、淡い期待を抱いてしまった。


「けれど、ダメでした。そんな額を最初から出せないと言われました。店が繁盛していて、二店舗目を出したいので融資してくれないか、というのであれば話が通るのですが、今回の倉持さんのケースは、無担保の高額な融資です。この条件では、どこの金融機関でも断られるでしょう。父親と言えども、私の力では一千五百万円を引き出すのが精いっぱいでした」

「それじゃ、ダメだったということですよね?」

「悩みましたよ……。そこで、一つだけ思い付いたことは、父親の実兄である会長です。これも前にお話ししましたよね。父親は社長ですが、その年の離れた実の兄貴が会長で、実権は今でも会長が握っていると。二人は仲が悪いんですが、私と会長とは馬が合うんです。子供の頃、父親が仕事で飛び回っていたので、伯父は父親代わりになってくれ、あっちこっち遊びに連れて行ってくれたんです。私が社会人になってからは、悩み事があるときは、父親ではなく伯父に相談しています。今回の融資は、筋を通すため一旦父親に相談しましたが、案の定断られたので、伯父に話を持っていったんです。ただ、いくら伯父とは言え、承諾してもらえる自信はありませんでした。なにしろ、高額な無担保融資ですから……」


 山下は、相手に一縷の望みを抱かせるような言い方で話している。

「それで、伯父が一、二時間待ってくれと言うんです。多分、親父に確認を取っていたのかもしれません。電話が掛かってきたのは三時間後でした」

「…………」

「断られたってことですよね?」

 山下は、この一言を待っていたのだろうか。

「いや、承諾してくれました」

 善幸は気が動顛しそうになった。

「倉持さんは、今現在、融資が可能となり、崔料理長との込み込みでの三千万円の損害賠償額で示談できるという段階にいます。あとは、この二つが揺らがないうちに決めなければなりません。難しい交渉ほど、勢いとスピードに頼った方が上手く行くと思うのですが。人間って、間を置くと心変わりするものですよね。この二つの承諾の鮮度が落ちてしまう前に、倉持さんが判断しなければなりません」


 山下は、難しい交渉をやり遂げようと頑張ってくれていた。普段の山下の仕事ぶりといい、今回は交渉力の高さを見せつけられた。


「本当に三千万円を借りられるんですね?」

 善幸にとっては、信じられない話だった。

「倉持さんがそれを借りることによって、この先どのような人生が待ち受けているのかは分かりませんが、良かれと思い、私が勝手に進めてしまった話です。勿論断ることは出来ます」


 絶望からの、考えもしなかった展開。諦めた夢が、なんと現実になろうとしていた。


「俺、自分の店を持つことが出来るってことなんですか?」

「早合点してはだめです。まだ解決しなければならない問題があります」

 山下は、安易に考えられたら困るとばかりに、出店のためのこれから背負うことになる重荷を十分理解させようと善幸を問い質した。

「三千万円の融資を受けるということは、返せる充てがあるということです。そこのところ、倉持さんはどのように考えていますか?」

「自分の店を立ち上げ、その利益で返していく。そのためには繁盛店にしなければいけない。そう言うことなんじゃないですか?」

「その通りですが、倉持さんが思っているほど、それは簡単なことではありません」

「そうですかね。それに関しては、俺、あまり心配してないんですよ。この店で、メニュー作りをしてきて結果を出しているじゃないですか。どれも評判が良い。自分で言うのもなんですが、お客さんの求めている料理が分かっています。料理って、食材の旬でお客さんに季節感を味わってもらうことじゃないかと思ってるんですよ。しかし、それを前面に出し勝負している中華の店って、あまりというか無いに等しくないですか? それに、俺は、四川料理と日本料理をやってきましたから、バラエティに富んだメニュー作りができる。そこが強味だと考えていますが」

「参ったな、相当自信がお有りのようですね。でも、それを聞いて安心しました。私も、倉持さんの料理人としてのセンスは認めていますから。心配していません。でもですね、思い掛けないことって起るもんなんですよ。自分の店をはじめるときは、誰しもが『俺なら絶対上手くいく!』そう思ってやりはじめるものです。それがどうでしょう、半年間は物珍しさでお客さんは来てくれるものの、三年後、五年後……。知らぬ間に店が変わってたり、テナント募集の貼り紙がしてあったりってことがとても多い。私の良く利用していた店ですけど、このレベルなら安泰だろうと思っていた店でも潰れてしまうものなんですよ」

「想定外のことが起こるかもしれない、それをリスクとして念頭に置いておかないといけないということですかね?」


 山下は、次の課題を指摘していく。

「そうです。うちの無担保融資を受ける場合なんですが、そのリスクを考えて、借主には融資する倍額の生命保険に入ってもらう、それが規約として定められています。住宅ローンを組む時に入る団体信用生命保険のようなものですね。それとですね、当たり前のことなんですが、融資するということは金利が掛かってきます。慈善事業ではありませんので」

「分かっています」

「そこでなんですが、会長からご融資する条件として、次ように言われました」

 山下は、善幸にその条件が書き込まれた一枚の紙を渡し、説明しはじめた。

「年利は三十六・八七パーセントです。無担保融資なので、多少高く思われるかもしれませんが、これは仕方がありません。倉持さんの場合、他の金融機関じゃ無理ですし、調査が入れば、損害賠償金の三千万円が表に出てしまいます。これを偽って融資を受けることはできません。犯罪になりますから」

 善幸は、貸付の金利のことは、預け入れている美乃里の定期預金の金利ぐらいしか知らない。借り方の金利が高いのは当然だとしても、ここまで高いとは……。

「俺が心配なのは、この金利で借りたとして、返済していけるかということです。融資に関しては何も分からないので、店の規模と売上げ、それに返済能力の関係を教えて頂けませんか?」

 善幸は、山下なら答えられるだろうと思い訊いてみた。

「実は、昨日に、ザックリとですが倉持さんの出店ケースを想定し、具体的な数値を放り込んで独自のシミュレーションをしてみました。条件として、階数は一階で、立地は駅から五分以内、ただし乗降客数は三万から四万人程度の駅です。店内は、広さが三十五坪で客席数は四十前後。開店資金は二千五百万円。倉持さんと奥さん、それにパートさんが二名として設定してみました。客足が伸びて来たら、パートさんをもう一人追加しないとお客さんに迷惑を掛けてしまう。そうなれば、しめたものですが」

「それ、もし出店する場合に俺が考えていた規模とほぼ同じですね。それでなんですが、大雑把なことを訊いていいですか?」

「何でしょう?」

「融資金額が三千万円。それに金利を考えたとして、山下さんは何年で返せると思いますか?」

「それは、倉持さん次第ですよ。勿論、倉持さんなら返せると思ったから、私は会長にこの話を持ち掛けたわけです。飲食って、繁盛するかしないか、結果は三年後に出ます。繁盛店になったら、こんな借金、五年も掛からないんじゃないですか。飲食で当たったら大きいですからね」

 一筋の光明が射し込んで来た。ところが、新たに、山下は次の問題点を指摘してきた。

「融資を受けるこの三千万円は、全部損害賠償として料理長に支払わなくてはいけないお金です。倉持さん、今持っている開店資金は一千二百万円ですよね。それで、自分の店を持つことがでるんですか? どうやってご自分の店を出店しようとしているのか、そこをお聞かせ下さい」


 勿論、資金を借りる当てなどないし、咄嗟に妙案が浮かぶはずもなかった。ただ、以前より開業するにあたっての知識は、美乃里が月に何冊か買ってくる店舗物件情報誌などで得ている。めぼしい空き店舗の家賃相場や大凡の開業資金などは頭に入っていた。


「俺、資金繰りを含めた出店プランをこれから考えてみます。分かっていることは、この一千二百万円では俺の考えている店づくりは無理だということです」

「それでは、いくらなら出店できると思われますか?」

「二千万円。でも、運転資金を考えれば、やっぱり二千五百万円くらいでしょうか」

「私がシミュレートした金額と一致しましたね。今持っているお金の倍の金額になりますけど」

「出店できれば、イケると思うんです。なにか方法はありませんか? 山下さん」

「なんとかしてあげたいのですが……。会長に頼んだ三千万円の融資というのは、あくまでも新規出店費用と言うことで話をしました。だから、嘘をついた事になります。損害賠償金に充てるため、とは言えませんからね。で、私の力で更に融資金額を引き上げるとすれば、あと五百万円が限度だと思います。それ以上は期待しないでください」

「あと五百万円借りられるんでしたら、是非お願いしたいんですが?」

「不足分はどうするんです?」

「不足分……ですかぁ」

 善幸は、自分の方で何とか出来ないか、頭をフル回転させ考えてみる。が、すぐに行き詰ってしまった。そこで、思い付いたことは、

「山下さんにここまでして頂いて、こんなことお願いできる立場ではないのですが……」

「なんですか? この際ですから何でも言って下さい。遠慮している状況ではありませんから」

「怒らずに聞いてください。それは、賠償金の額のことです」

「額と言いますと?」山下は眉間に皺を寄せた。

「三千万円プラス五百万円の追加融資を受けることが出来ても、賠償金で三千万円が消えてしまうと、残った五百万円と今うちにある預金の一千二百万円、合計で一千七百万円が開業資金ということになります。それでは足りません。ですから、賠償金額を三千万円ではなく二千五百万円にしてくれないかと崔料理長に交渉して頂きたいんです。あとは自分で何とかしますから」

 これを聞いて、山下が目を剥いた。

「倉持さん、何を言ってるんですかっ! あなたは自分のことしか考えていない。今、料理長は、あなたの起こした傷害事件でベッドから起きられず苦しんでいるんですよ。あんな状態にさせておいて、賠償金額を値切ってくれだなんてよく言えますね。倉持さんの人間性を疑ってしまいます。言っておきますが、私がここまで動かなかったら、倉持さんは犯罪者になっていた。脅すわけではありませんが、傷害罪で訴えられたとすれば、治療費は倉持さんが全額払うことになる。保険は効きません。請求される慰謝料と治療費だけでも、倉持さんが推し量ることのできない金額になってしまうでしょう。まだありますよ、店の損害も考えなければならない。料理長と倉持さんが抜ける。急遽、その人手不足を補わなければならないわけです。今、それを何とか私が食い止めているんですよ。昨日から知り合いの料理人にお願いして手伝ってもらっています。恩着せがましいことを言うつもりはありませんが、私が仲立ちしたから出店する可能性だって出て来たんです」

 まさにその通りだった。

「それは、重々承知しているのですが……」と言いながら、善幸は、そこまでは承知していなかった。

「倉持さん、自分の都合ばかり考えるのは得策ではない。結局、この示談をぶち壊すことになってしまいます」

 これも山下の言う通りだと思った。

「さっきのは撤回します。申し訳ありませんでした……」

 山下は、溜め込んでいた息をゆっくりと吐き出した。彼は、窓の外に目をやり、ある一点を見ている――。

 暫くして、

「倉持さん、かと言って諦めることはありません。この問題を一緒くたに考えず、分けてそれぞれ個別な問題として、それも臨機応変に対処して行けば、この事態を打開できるかもしれませんよ。一つのことに拘ってしまうと、その悩み事から抜け出せなくなってしまうものです」

「はあ……」

 もし山下だったら、ほんの僅かな可能性も見逃さず、その先の見通しを念頭に置きながらグイグイ突き進んでいきそうに思えた。仕事のできる男なんだな……。と、善幸は感心させられてしまった。

 ところで、彼は一体何を思い付いたというのだろう。

「今、倉持さんが考えているプランは、如何様にでも変えられるじゃないですか」

 そう言われても、何も浮かばなかった。そこで、善幸は「例えば、どの様な?」と訊いてみた。

「例えばですが、開業資金の不足分においては、出店場所を考えるとか、坪数を減らすとかすればいいのでは? また、物件を一階じゃなく、地下とか二階の物件にすれば家賃はぐっと抑えられます。それに、人件費を抑えるため、忙しい土日は娘さんに手伝わせるというのはどうでしょうか? 確か、高校……」

「高二です。大学生になれば、夜の時間帯を手伝わせることだって出来る。そうですよね、そうでした。やり様はいくらでもあったんですね」

 頭に詰まっていた血栓が溶け出した思いがした。

「もう一つ、私に出来ることがありました。それは、退職金。オーナーさんたちには、今回の傷害事件のことは一切言わないでおこうと思っています。でなければ、退職金など出せませんから。いくら出せるかは、今この場ではっきり申し上げることは出来ませんが、確か、勤続年数は十五年でしたよね?」

 ええっ、退職金? もらえるのか? これには愕いてしまった。山下に対しての感謝の気持ちが沸々と込み上げてきた。同時に、もう俺がこの店に来て十五年経つのか……。


 溺れかけた自分が再び息継ぎをし始めた。抱いていた将来の夢が実現になったとすれば、それは山下のお蔭に他ならない。


「今の倉持さんは、パニックに陥っているようなものですから、周りの状況が見えづらくなっているんですよ。ただし、気を抜いたら、もうやり直しは効かない。冗談抜きに、これは命懸けです。分かりますよね……」

「今が、俺の人生最大のピンチでありチャンスなんだと思っています。山下さん、融資の件、お願いできますか?」

 山下が頷いた。

「ありがとうございます。恩に来ます……」


 善幸は一礼し部屋を出ていった。               (つづく)




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