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【砂利道を歩く野良犬たち】      作者: トントン03
第五章 出来上がった厨房内の確執と家族の絆
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―さよりが優史を家に連れてきた―

何でもない今回のシーンのようですが、実はこの第五十六話が要だったり……。

第五十六話



 ―さよりが優史を家に連れてきた―


 普段だったらドアを開けた時「お父さん、お帰り」と言ってくれるさよりが、左腕に包帯をぐるぐる巻きにして帰って来た善幸をみて、

「お父さんっ、どうしたの!」と吃驚して母親を呼んでいる。

 スリッパの音をパタパタさせて美乃里が、「なにっ、火傷でもしたの?」心配そうな顔を覗かせた。

「いやー、火傷じゃないよ。転んだんだ。ほら、さよりの部屋にもあるだろ、鉄のアングルで出来た本立て。そんなのが倉庫にあってさ、転んだときに角で腕の皮をズルッとやっちゃったってわけだ。仕事をやるのに支障は無いから。大した怪我じゃないんだよ。店の近くの病院で診てもらったから。一週間もすれば治るさ」

 本当に大丈夫なの? と、しつこく美乃里が訊いてくるから、善幸は肘と手首を動かしてみせた。

「でも、良かったあー、大した怪我じゃなくて。あなたって、火傷を年に何回かやるじゃない、気を付けないとダメよね」

「料理人って、火傷には慣れっこになってる。火傷に良く効く塗り薬があって、仕事場に常備してあるんだ。それを塗ると治りが早いんだよ。まるでマジックを見てるようでさ」

「今回のは火傷じゃないんだから」

「心配するなって」

 さよりが包帯を巻いた腕を触ってきた。

「ねえ、お父さん……本当に腕大丈夫なの?」

「おまえが噛みつかなければな」

 この一言で、さよりは安心したようだ。

 こんな会話をしてても、崔のことが頭から離れなかった。「倉持、おまえは、まだ俺の正体を知らない……」そんな声が聞こえてきてしまう。だからと言って、おとなしくしている訳にはいかないのだ。

 善幸は、じわじわと憤りの感情が込み上げてきてしまった。

 しかしながら、善幸は頭を切り替えなければならなかった。さよりの前では、極力仕事の話は控えるようにしようと決めていたからだ。


 話す機会が偶にしかなくても、娘と父親の親密な関係は築かれていた。そのためには美乃里から聞く僅かなさよりの情報が頼りだった。

 同じクラスの仲の良い友だち五人との間柄も聞かされていた。その仲の良さは、学校生活に限らず塾でもキープされているようだ。

「さより、最近、和泉くんが来ないな。喧嘩でもしたのか?」

「喧嘩? してないよ。お父さんに言っておくけどさ、あたしと和泉は気の置けない幼なじみではあるけど、付き合ってるとかそんなんじゃないからね。勘違いしないように!」

「そうは言ってない。仲良くやっているのかと訊いてるんだ」

「仲間だよ、仲間っ」

「なんだ、その冷たい言い方!」

「なに怒ってんの?」さよりが不機嫌そうに言った。

「怒ってなんかないさ……」

 明日は日曜日。都合よく仕事も休みになっていた。崔の顔を一日見ないだけでも気が休まる。善幸は、左腕を支えながら壁に寄り掛かっている。

 台所にいる美乃里が話し掛けてきた。

「ねえ、あなた。明日の夕方なんだけど、さよりのお友達が来るんだって。だから、何か作ってあげてほしかったんだけど、無理そうだから今度にするわね」

「大丈夫だよ、呼びな。作ってあげるから」

「えっ、大丈夫なの?」と、さよりが嬉しそうに言った。

「さよりがね、そのお友達に、うちのお父さんは四川料理の料理人だって言ったら、是非食べてみたいって言ったんだって。だから、ご馳走してあげるって、さよりが言っちゃったらしいの。仕事の休みが日曜日と重なるなんて滅多に無いことじゃない」

「そういう訳なのよねえ、お父さん。気を使わなくていいからさ。いつものやつで構わないよ」

「つものやつ? おい、随分と失礼なことを言うな。お父さんの作る料理って、簡単そうに見えても手が込んでるの。ところで、友達って何人来るんだ?」

「一人だよ。高二になってクラス替えしたんだけど、あたしの席の後ろの子なの。最初は、ウザったい子だったんだけど、まあ何かと便利な子でさあ……」

「へえ、一人なんだ。和泉くんとは同じクラスにはなれなかったのか?」

「一緒だよ」

「じゃあ、呼べばいいだろ。一人も二人もお父さんからしたら一緒だ」

「誘ったけど、俺はいいってさ」

「女の子二人と一緒に食事じゃ、なんかな。和泉くんは無口だから、時間を持て余してしまうか。食いづらいの、わかるよ、お父さんも……」

「あなた、来るのはね、優史くんっていう男の子なのよ」

「はあ?」すっかり女の子だと勘違いしていた善幸。

「優史くんってね、家に何度か来てるの。先日来てくれた時に、台所の棚がぐらぐらだったのを取っ払って新しく作ってくれたのよ。ほら、見て!」

 美乃里は、善幸からでは下面しか見えない棚を指さした。

「優史くん、家から材料持って来てくれてさ、ちょうど鍋が置ける幅で作ってくれたの。器用なのよねえ~、優史くん……。家が工務店なんだって。時々お父さんの仕事を手伝ってるそうよ。将来は会社を継ぐことになるかもって言ってたわ」なぜか、美乃里の声が弾んでいる。

「継ぐのは分かったよ。それじゃ、お礼を兼ねてってことなんだな?」

 善幸の言ったことは耳に入らなかったらしい。

「優史くんってねえ、頭も良いのよ。もしかしたら、和泉くんより偏差値高いんじゃない? どうなの、さより」

「科目によるけど、そうかもね」

 さよりが贔屓気味に判断しているのが覗えた。

「それにねえ、優史くんはテニス部のキャプテンなのよ」

「高二になったばかりでキャプテンか? 弱そうなテニス部だな」

「進学校だし、三年生になると受験勉強で忙しいの。だからじゃない?」

「そのとおり! お母さん分かってルィルィルゥ~」

「テニスねえ……、お父さん、卓球ならやったことがあるけどな。テニスコートって、卓球台なら四台は置けそうだな」

「あなた、貧乏くさいこと言わないでよ。それより、優史君ってね、少女漫画に出て来そうな男の子でさ、いや~、あたし参ったわ!」と、今度は美乃里が嬉しさを隠し切れないでいる。

「おまえに関係ないだろ? おい、電話かけて和泉くんも呼ぶぞっ、一緒に食べるんだ!」ぶっきら棒に言った。

「ええっ? なんでよ、和泉には声掛けてないから」

「さよりちゃんさ、さっき和泉くんを誘ったけど断られたって言ったじゃないか。それ嘘か?」

 さよりは、逃げ切れない問いに困っている……。

「いいから和泉くんちに電話を掛けろっ、都合が悪ければ仕方がないけど。おまえたち、仲間外れみたいなことはすんなっ!」そう言い、善幸は強制的に電話を掛けさせた。


 電話をしたのは美乃里だった。まるで知人が亡くなり、その知らせを伝えている時のような暗さがあった。

「うちのお父さんがね……明日の夕飯に和泉くんの好きな豚の生姜焼きを作るから呼んだらって言ってるのよ。食べに来ない?」

 美乃里は、相手が突然の誘いに驚かないよう上手く誘っているつもりなのだろうが、断られているように聞こえた。

 電話を切ると、

「和泉くんね、明日、幕張メッセでアクアリウムのイベントに行くんだって。だから、帰って来るのが遅くなるから無理かもって。残念がってたわ」

「アクアリウム? なんだそれ?」

 さよりが説明した。「水槽の中で水草入れて金魚を飼うようなことだよ。あいつ、変なもの好きだからさ」

「ならしょうがないかあ……」



 翌日の昼下がりに、さよりと美乃里が食材を買いにショッピングセンターへ出かけた。 

 善幸は、気温が高めだったので半袖シャツを着ようとしたところ、美乃里が大袈裟な腕の包帯を隠した方が良いだろうということで、長袖のだぶだぶのトレーナーを着せられてしまった。

 二人が買い物から帰ってくるまで、善幸は寝っ転がって居間の片隅に積み重なっている店舗雑誌を見ていた。それは、美乃里が毎週欠かさず買って来るものだった。


 二人が買い物から帰ってきて、忙しく準備を始めた。

 我が家には役割分担がある。料理の下準備と片付けは美乃里とさよりの担当になっていた。今、さよりが野菜を洗って、美乃里が刻んでいる。

 そこへ、カンカンカンカンッと元気よく階段を駆け上がる音が聞こえてきた。鍛えた四肢の持ち主が今日のお客さんのようだ。

 さよりが、呼び鈴を押す前にドアを開けた。

「優史、入って、入って……」

 彼は、白のシャツに膝の部分が破けたジーパン姿で、

「お邪魔します。ご迷惑じゃないかと思ったんですが来ちゃいました。初めまして、御子柴優史ミコシバユウジです!」

 彼は、靴を脱ぐ前に、姿勢を正し、隣のまたその隣の部屋の住人にまで聞こえるような声で挨拶した。

 美乃里が、彼にちらっと目をやり「いらっしゃい、優史くん。あら、どうしたのよ? 突っ立ってないで上がって」そう言いながら、サッと茹でたシラタキを笊にとった。

 優史は、奥の部屋で新聞を読んでいる父親の応答を待っていたのだろう。玄関で一目でわかってしまうアパートの間取りだったが――。

 善幸は、このやり取りで、彼は月にどのくらいうちに来ているのだろうと考えてしまった。

 ザアー、台所で中華鍋に具材を放り込んだ音がした。

 さよりが話し出した。

「優史さ、さっきお母さんと買い物に行ったらね、ショッピングモールで純子と和彩美に会っちゃったの。これから優史がうちに来るんだあ、なんて言えなかったよ……」

 優史は、靴ひもを解きながら言った。「そう、別にいいじゃん。悪いことしてるわけじゃないし。オープンで行こうよ」

 そんなちょっとした二人の会話は、台所で炒めている音の間合いで聞き取れた。何だか知らないが、善幸は、今日、和泉くんが来れなくて正解だったような気がした。


 思春期――。純朴とドキドキ感と相手を想う強さと……。善幸は、そこにぶら下がっている脆さを感じてしまった。


 優史は、狭い台所を通り敷居の手前で、胡坐をかいている善幸に深めの会釈をした。

 善幸は読んでもいない新聞を折りたたみ、立っている彼を見上げた。その容姿は〝ほお、なるほどねえ~〟、美乃里が〝そう〟思ってしまうのも無理はなかった。

 善幸が「いらっしゃい」と言うと、優史は「はい……」直立不動で返事をした。

「そんなに緊張しなくてもいいから」善幸が笑った。

 優史は、善幸の真向かいに座った。

「足、崩していいんだよ、優史」さよりは、彼の肩に優しく触れながらそう言った。

「あの……、今日は四川料理をご馳走になりに来ました」

「あまり畏まるから、さよりさんを僕に下さい、とでも言い出すのかと思ったよ」

「ちょっと、ちょっと、お父さん! なに言ってんのっ」さよりが怒った。

「いくらなんでも早すぎるでしょ?」台所で美乃里が笑っている。

 マジな顔を崩さない優史が話し出した。

「さよりさんとは同じクラスなんです。高二からですけど。それに、僕の前の席がさよりさんで、何か忘れ物をしたときなんかは貸してもらったり色々と助かっています」

「優史、さよりさんじゃなくていいよ、いつもの呼び方で……」

 優史は下を向き黙ってしまった。さよりにそう言われても「それじゃ、さよりと呼ばせて頂きます」なんて、父親の前で気安く呼べるものではないだろう。

 悪戯心で、善幸はその考える時間をあげようと腰を上げた。そろそろ俺の出番のようだからだ。

「これでいい?」と美乃里。

 刻み具合の違う二種類のニンニクと生姜、それに唐辛子は青と赤が揃い、他の材料もすべてカットされていた。美乃里の担当である下準備はばっちりのようだった。

「よさそうだね、さてと……」善幸は鍋に軽く油を引いた。


 美乃里に言わせると、家でも仕事場と同じスピードで調理してしまう善幸の後ろ姿は、何とはなしに冷ややかなものを感じるという。善幸からすれば、傍にいると危ないから離れていろ、ただそう思っているだけなのだが、今日はそうはいかない。さよりと美乃里のお気に入りのお客さんに対し、心くばりをしながら料理を作らなければならなかった。


 鍋を熱しながら「優史くんのお父さんは何しているの?」善幸は、知らない振りをして訊いてみた。

「工務店やってます。従業員はおふくろ入れて五人しかいませんけど」

「会社なんて大きけりゃいいってもんじゃないと思うよ。おじさんは、雇われ身だからよくわからないけど、知り合いの人がそう言ってたよ。大きい会社でも潰れてしまっては意味がないってね」

 優史君とのすべり出しの会話がスムーズにいっている。

「そうですよねえ。うちの親父は、三十才の頃に独立したそうです。その頃は、借金を抱えて大変だったって言ってました。名刺を作ろうにもその金さえ無かったようです」

 善幸は、焼き目を付けた手羽先に、作っておいた醤油ベースのタレを注ぎジュワーと激しい音を立てた。火を弱め蓋をしたが、一気に吹き上げた湯気は換気扇では吸い切れず匂いと共に居間にまで充満してしまった。

「独立しようと考えても、実際、それを行動に移すのは躊躇ってしまうよね。失敗が頭をよぎるから。優史君のお父さん、独立してどのくらい経つの?」

「僕が生まれた次の年だって言ってましたから十五年になります。今では住んでる家より作業場の方が大きくなっちゃって。妹の部屋が四畳半なんですけど、せめて六畳に広げてくれって、いつもブーブー言ってます」

「凄いじゃないか。もう安泰だね」

「全然そんなことないんですよ。建築って、新築にしてもリフォームにしてもその工事が終わってしまえば、今度そのお客さんから仕事がくるのは遠い先のことになってしまいますから。絶えず新規のお客さんを探し回らなければならない職種なんです。美味しいラーメン屋さんだったら、評判が評判を呼びお客さんって増える一方じゃないですか。親父、それが羨ましいって言ってたことがありました」

「そう、そこんとこは職種によって大きな違いがありそうだね」

 善幸は、料理しながら気分よく会話をしている。

「四、五年前になりますけど、親父がもうダメかもしれないって、おふくろと話していたのを聞いたことがありました。でも、その後、大きな仕事が入って来たみたいで助かったって。今もその現場が続いているんですよ。千葉ニュータウンといって巨大な分譲住宅地で、休みの日に僕もよく駆り出されるんですけど、千葉って、どこまで行っても平らなんですよね。東京からそんなに離れている訳じゃないのに、こんな広大な土地があったのかって愕きました」

「しかし、千葉じゃ行くのに時間が掛かるね」

「手伝いに行くときは、四時過ぎに起こされます。早く都心を抜けないといけないから。職人が空いている道路を飛ばして行くんです。渋滞に巻き込まれたら、いつ現場につくか分からないので」

「確かに、早朝、グオーンって素っ飛ばしていくトラックに起こされる時があるよ」

「あ、すみません。もしかしたら、それ、うちのトラックかもしれないです。前の道路を通って行きますから」

「一台だけじゃないから気にしなくていいよ」

「助手席に乗ってても、一刻も早くって思っちゃいますね。それで、面白いんですよ、うちの職人が、出発する時間と青信号との関係性があるのを発見したんです。四時五十四分に作業場を出ると、青信号がずうっと続いて、丁度すぐそこの幹線道路の交差点で黄色に変わるんですけど、ぎりぎり交差点を突っ切ってしまえば先の信号も引っ掛からずにスーッと行けちゃうんですね。ゲームやってるみたいでスリル満点なんですよ。偶にこの信号で捕まってしまうんですけど。急ブレーキの音がしたとすれば、うちのトラックですね。寝てるところを起こしてしまったかも。ごめんなさい」

 さよりが「事故起こしたら大変じゃない!」と注意した。それに対し、優史が「早朝だから、人も車も少ないし、見通しは良いから却って安全なんだよ。勿論、気を付けてるさ。俺ね、大学に入ったら直ぐに運転免許を取る予定でいるんだよ」さよりを安心させようとしている。


 美乃里が料理を卓に並べはじめた。

「美味しそう……」そう優史が呟いたら、「美味しいんだよ、優史っ」とさよりが叱るように言った。

 四川料理は辛さを連想させるから、彼の口の中は唾液でいっぱいになってるはずだ。善幸は、半ば火を通した最後の一品を持って、卓上コンロの上にのせた。

「あれ、すき焼きですか?」

「嫌いかい?」

「嫌いなわけないよね、優史?」

「僕の好物ですから! でも、麻婆豆腐と甘辛いタレで絡めた手羽先は四川風ですけど、すき焼きは意外でした」

「別に四川料理に拘って作ってないよ。香辛料を効かせたものばかりじゃ舌が可哀想だろ」

「お父さんってね、日本料理もやってたの。友達は何が好きなんだって訊くから、すき焼きって言ったの」

「さ、優史くん、食べてくれ」善幸は、彼の喰いっぷりに興味を抱いた。


 座卓だけでは納まらず、付け足したちゃぶ台の上にも料理がのっている。善幸は手酌で一口ビールを飲んだ。

「でもまあ、なんだね、建築業じゃ材料運ばないといけないから、電車って訳にはいかないんだね」

「そうなんです。でも、電車で一時間半立ちっ放しっていうのも大変ですよね」

「確かに運転しなきゃ車の方が楽な」

「現場に着くのは七時頃なんですけど、帰りの渋滞を考えて早速作業開始です。四時過ぎには仕事を終わらせて現場を出ます」

「それ、正解だね。渋滞している時間は無駄以外の何ものでもないから」

 善幸はグツグツいっている鉄鍋の肉の色合いをみている。指を差し、「ああ、もういいんじゃないか、さより、優史くんによそってあげな」余計な気を使ってしまった。

 相手がもし和泉くんだったら……と考えてしまった。

 きっとさよりは、「そういうのは自分でよそうの、はいっ」とか言って、取り皿を和泉くんに差し出すだけではないのか。それがだ、取り皿にこんもりと盛り上げた肉の回りに春菊やシラタキ、それにネギの配色まで考えての盛り付けにはビックリしてしまった。

 さよりは、優史にその皿を手渡した。

「そうそう、優史も一緒の塾なんだよ、お父さん。担当も同じで肇先生なの。うちのクラスには同じ塾に行ってる子があたしを入れて六人いるんだけど、担当の先生はみんな肇先生なんだよ。ほら、三月にお父さんも塾の面談へ行ったでしょ? その先生」

「数学を教えている先生だろ、感じの良い先生だったな。受験の請負人って感じだった。親としては心強い。同じクラスで、塾も同じで担当の先生も同じかあ。本来、勉強なんて一人でやるものなんだろうけど、仲間意識を以ってそれぞれの成績を上げていく、そんなやり方もあるんだな。孤独感を外した勉強方法か、受験勉強のやり方も進化したもんだ」

「そんな偶然もあって、僕たち、学校でも塾でも一緒に居ることが多いんです」

「六人とも特進クラス間違いないからさ、高三になってもクラスは同じだよね、優史っ」

 勿論その中には和泉くんも居るはずだ。

 そこで、二人はどんな反応をするのだろうと、善幸は、彼の名前を出してみることにした。

「和泉くんも同じクラスなんだろ?」

 二人の箸が一瞬止まった。

「そうだよ、前に言ったじゃない。ところで、優史がね、棚作ってくれたんだよねえ」とさよりが優史の顔を見ながら言うと、なんとそこへ打合せでもしたかのように、美乃里が口を挟んできた。

「ありがとねえ、優史くん。台所が狭くて困ってたのよお」などと、サラッと話を切り替えてしまった。

 美乃里は、彼に何度も言ってそうなお礼を繰り返している。さよりの友達関係に口を挟める余地はなさそうだ。善幸としては、皆で協力し合って受験を乗り越えて行ってほしい、そう願うことしか出来なかった。


「この麻婆豆腐、うちのおふくろが作るのと全然違いますよ! 嗅いだことさえない香辛料がいっぱい入ってそうですね?」

「舌が痺れるだろ?、日本の山椒じゃなくて四川の山椒を使っているんだよ」

 優史は、豆腐をもう一口ズルッと飲み込んだあとに「じゃ、次にメインの、すき焼きを食べてみますね!」と言うと肉の束を口に入れ、奥歯で五、六回磨り潰した後飲み込んだ。

「浅草と四川の観光地を行ったり来たりって感じでした」と、彼は美味しさを笑みでも表現してくれている。

「優史くんは、イケメン俳優になれそうだね」

 これは決して美味しいと言ってくれたお返しではなかった。

「人気が出そうよねえ……」美乃里がそう言うと「それ、困るわっ」とさよりがマジ顔で言った。


 優史君は、早くも「あの、お代わりいいですか?」とお茶碗を差し出した。   (つづく)


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