―ピンハネと百合根に懸ける思い―
飲食業界では稀でもない不正かもしれません。信じていた仕事仲間の裏切りなどはいくらでもあるものです。つい最近、楽天でもありましたよね。しかし、自分一人では所詮大それたことは出来ないもので、誰かに大切な職務を委ねなければならないことは必須。その辺りを加味し、“挟まれている善幸”は、この後ある事件を境にどう乗り切っていくのか。それとも……。
第五十四話
―ピンハネと百合根に懸ける思い―
こうしてジンと話しをしていると、今更ながら気兼ねなく話せる職場の仲間と思えてくる。善幸は、他の職人とも自分から積極的に話を持ち掛けていけば、意思疎通を図ることができるのではないかと考えた。
善幸は、崔の下で長年働いてきたジンに惚けて訊いてみた。
「ジンさん、他の食材に関してはどう思います? 特に根菜のばらつきって気になりませんか?」
「根菜に限らないよな、范料理長の時はこんなことはなかった。この前入荷した玉葱なんか、あれじゃどれだけ炒めたって、甘味なんか出やしないぞ、と思ったよ」
彼は〝崔の不正〟に気がついているのかもしれない。だか、そうであったとしても、決して口には出せないことだった。
善幸は、ジンのことをもっと知りたくなり、思い付いたことから訊いていった。
「崔料理長とは、いつ頃どのようにして知り合ったんですか?」
善幸は唐突に訊いてしまった。その所為か、
「倉持、そんなこと知ってどうするんだ? 関係ないだろ?」と訊き返して来た。
昔からの知り合いなんですか? そう訊くべきだったのだ。警戒心を解くために、善幸は「いや別に……」とだけ答えた。
すると、
「ここにいる職人は皆、辿って行けば血が繋がっているんじゃないか」
腐った百合根を、今度は親指で潰しながらジンはそう話してくれた。どうやら、崔とは親戚関係らしい。徐に胸騒ぎを覚えた。
「そりゃ、辿って行けばそういうことになるでしょうねえ。日本人と違って、中国人は世界中に親戚が居そうじゃないですか」
善幸は、これ以上深入りするのを避けた。
ところが呟くように、
「俺は、范料理長がこの店に来る二年前に、崔に副料理長として来ないかって言われて来たんだよ。毎月の給料は、崔から貰っている。他の職人もそうだけどね……」
ジンの若干投げやりなこの言い方が気になった。彼は、崔のことを良く思っていないのは間違いなさそうだ。なにやら、この厨房で何か恐ろしい犯罪でも起っているのではないかと、善幸は身震いしそうになった。
会話が途切れ、二人は屈んだ姿勢で、段ボール箱の中の腐れて使い物にならない百合根を一つ一つ取り出していった。
と、そこへ、
「二人共、何やってんだ?」
ビクッと善幸の身体が反応した。振り向いて見上げると、崔が立っているではないか。近づいてくる気配は感じなかったが……。まるで肉食獣が獲物に近づいて行くような接近だ。
ジンは、今の会話が聞こえてしまったのではないかと思い顔を曇らせている。
二人は立ち上がり、善幸が腐った百合根を崔に見せつけた。
「これ、見てもらえますか?」
崔は手にした百合根をろくすっぽ見もせず、
「山下に言って変えてもらえよ。二人で眺めてたって仕方ないだろ。明日の午前中までに持って来るように言っておけ。そうすれば、午後六時から始まる歓迎会には間に合うだろ?」
すべての食材の仕入れは、山下が司令塔となって発注していた。彼は、今では上司二人を差し置いて事務職のキーマンになっていた。
善幸は、百合根の仕入れ値なら見当がついた。当時、親方が「年末には使いたい食材だが……」と百合根を使うのを躊躇していたからだ。他の野菜と違って、それだけ高価なものだった。料理方法も、その持ち味を引き出すのは扱い慣れた職人でないと難しい。通常四川料理では使わないものだ。それをジンが扱うことになったのだ。崔は、ジンの料理人として積んできたキャリアを買っているようだ。
「料理長、ひとつ訊いてもいいですか?」
善幸は、崔が持っている腐った百合根を取り返した。
「訊く内容にもよるけどな……」
崔は、善幸が自分にとって不都合なことを言い出すのではないかと勘繰ったようだ。不快な顔つきを覗かせている……。
ここで詰め寄るべきか、善幸は一瞬躊躇した。が、
「百合根だけじゃなく、ここ数年の食材の質がかなり落ちていると思いませんか? 不作が原因で質が落ちてるとは考えにくい。なぜなら、范料理長が辞めてから極端に悪くなっているからです。それは野菜だけとは限らないような気がしますけど?」
崔の顔色が変わった。
「ああ、全体的に多少質を落としはしたが、しかし利益率を上げないとオーナー側から俺が責められるわけだよ。まあ、仕方のないことだけど。しかしな、この問題は皆で工夫してやってかないといけないことなんじゃないか?」
都合の悪い話が出たときはいつもこうだ。すうっと存在感を薄め、忍法の中でもありがちな影分身の術を使ってくる。それが分かっているのは善幸だけだった。
「ランチメニューを値上げしましたよね、それぞれ五十円ずつ。景気は下向きでデフレだというのに値上げしたのはうちの店ぐらいですよ。この値上げ、オーナーは知っているんですか?」
善幸がこんなに強気に出れるのは、ジンが言った「毎月の給料は、崔から給料を貰っている」これを聞いてしまったからだった。
「それは、現場責任者である俺が決めることだ。おい、倉持っ、おまえは黙って仕事をしていればいいんだ、毎回言わせるな!」崔の声が厨房内に響いていた。他の職人たちも手を止めて聞き入っていた。
「料理長、これって腹を立てることなんですかね? なぜ、こんな質の悪いものを使うのか、それを料理長だったら説明できなければいけない。他の職人も、この件については疑問に思ってることなんですよ!」
崔が、善幸を睨みつけた。
善幸は、手を止めている職人たちの顔つきを確認した。崔もその反応を横目で窺っているようだった。しかし、職人たちから善幸に対し「勝手なことを言うな!」とのクレームは聞こえてこない。それらしき表情も見受けられなかった。月に何度か突発的に発生する崔と善幸の言い合いを、皆は「またやってるぞ」そう思いながら聞いているのであろうか。
崔は、間違いなく職人たちの給料をピンハネしている。崔の伝手で入って来た職人は、全員彼から給料を受け取っているのだ。もしかして、振り込みだから范料理長には気づかれずに済んでいたのかもしれない。当時、范料理長がそのことを知ったとしたら、崔は徒じゃ済まなかったはずだ。
「何度も言っているが、俺のやることが気に入らなければ辞めたらどうなんだ? 料理人の募集ならいっぱいあるぞ。遠慮するな、倉持……」
毎度のように、崔はこの決め台詞で締め括ろうとする。
「俺が辞める? 俺には辞める理由なんてない。それなりに店に貢献してますからね」
「おいおい、自分のことなのに随分と高く評価したもんだな」
「話をはぐらかさないでください、料理長。なんで食材の質をこんなに落としたのか、俺はその理由を知りたい。注文の指示を出しているのは料理長ですよね? だったら説明できるはずじゃないですか!」
「おいっ、影で俺がちょろまかしているとでも言いたいのか、えっ?」
「そんなことは言っていない。ただ、范料理長の頃と比べて、極端に食材の質が落ちてる、これは明らかに不自然。だから、皆の前で説明してくれと言っているんだっ!」
後ろ盾があるようなつもりになっていた。それに給料のピンハネを崔がやっている以上、職人たちがそれを知れば、奴にこびへつらう者などいなくなってしまう、善幸はそう考えたのだ。
崔は「会社の利益を考えてのことだ、勘違いも甚だしい!」そう言って、厨房から出て行ってしまった。
その後、何事もなかったかのように、職人たちは手を動かしはじめた。
善幸は、作業しながら崔と職人たちの間柄を考えていたら、親戚関係の絆を揺るがしかねないあることに行き着いた。
ジン以外の職人たちも、自分の給料が崔にピンハネされていると思っているのではないだろうか。だとすると、給料を受け取る度に不満が募っていくはずだ。けれど、どうすることも出来ない。職人たちは黙ってその不満に耐えながら仕事を続けるしかない状態にある、善幸はそう結論付けた。
食材費のピンハネに関しては、職人たちの懐が痛むわけではない。むしろ、損害を被っているのはオーナー側だった。
〝戦略〟を練るにしても、頭の中を整理してからでないと、相手が相手なだけに杜撰なものでは反撃を喰らう恐れがあった。
善幸は、来週使用する食材と調味料の補充の拾い出しを作業台の上ではじめた。勿論、それは表向きの話で、早急にやるべきこととは、これに関しての妙案を考えると同時に、“不正”の決定的な証拠を押さえなければならないということだった。
そこで、善幸が思い付いたこととは――直接、三ケ日オーナーに頼み込み、職人の給料を本人名義の口座へ振り込んでもらうということ。いつも崔から貰っている給料と比較すれば、その差額で裏付けが取れるはずだ。
職人たちの個人名義の振込み口座の入手はジンに頼もう。どのくらいの額を崔がピンハネしているかで、職人たちの崔に対する態度が一変するに違いない。職人たちの給料が増えるのだから、それを暴いた者は感謝される立場になるはずだ。それも、その差額がデカければデカいほど好都合。崔には内密に事を運びたいところだが、たとえバレたとしても崔の不利な立場は変わらない。それにオーナー達の力を借りれば容易く遂行できてしまうこと。しかしながら、これだけでは、崔を辞めさせる十分な事由にはならないのではないか。やはり崔の不正を暴くこと、これ以外にない。善幸は、その証拠を掴む方法はないだろうかと考えあぐねる……。
その突破口を作ってくれたのはジンだった。彼が見つめていた一箱の百合根がキーポイントになった。とても〝鮮度〟の良いネタが手に入ったと思った。
歳月を重ねる毎に多種の食材のピンハネで懐を肥やしてきた崔。その鍵を握る百合根が浮上してきた。これで巻き返しの糸口をつかみ、一気にこの店から崔を追い出さなければならない。絶好のタイミングだった。ただ、鮮度の良いピンハネである必要があった。なぜなら、古いピンハネでは「倉持っ、なぜもっと早く言わなかったんだ、おまえも同罪だ!」と、オーナー達から責めたてられる可能性があるからだ。それだけでは済まなくなるかもしれない。自分がこの店に居られなくなる可能性さえあった。だから、古い不正に関しては、もうオーナー達に話すことはできないのだ。百合根の不正だけを切り取り、それを問題視していけばいい。これさえ暴ければ、オーナー達は「他もやっているんじゃないのか……」と勘繰るのは常套な考え方で、そのあと他の不正が明らかになったとしても、知らんぷりを通せばいいと善幸は考えた。
早速、善幸は午後の休み時間に入ると、飯も喰わずに山下の居る事務室へと向かった。
ノックもせずに中へ入る。七、八人いる事務所には窓際に一つだけ両袖の机が置かれていた。山下はそこに座っていた。
「珍しいですね、倉持さん。でも、突然どうしたんですか?」
「びっくりさせてすみません。実はちょっとお話があるんですけど」
数年前まで、ほっそりとしていた体型が見事に崩れてしまった所為もあるが、山下は昔のような友達感覚では話せない風格を備えていた。
「隣の部屋に行きましょう」
そこは、昔、范料理長と山下と郷原と四人で休憩時間に食事をした応接室だった。二人はソファに向かい合って座った。
「この部屋に来ると、想い出しませんか? 当時よく范料理長にお鮨を御馳走になってましたよね。とても懐かしい……」善幸としては、あの頃の親しい関係に戻したかった。
「私も懐かしく感じます。懐かしく感じてしまうのが残念にも思えてしまいます……」山下は、真っ直ぐ善幸の顔を見ている。
「そうだ、倉持さんも聞いてますよね? 范料理長が今年の十一月に店をオープンするの、あと半年ですよ。先々月、香港にも親父の事務所があるので行って来たんです。そのとき、うちの親父と二人で范料理長のところへ行きました。前にもいいましたけど、うちの親父の会社は、主に飲食店に食材を卸している商社なんです。なので、お役に立てると思っているんですよ。それと、親父の会社は金融もやっていますから、いざとなれば、料理長とは長いお付き合いということもあり、緊急時でもスピーディーに融資することが可能です。そういう面からも、我々は、がっちりと范料理長のサポート体制を作ることができる、そう考えているところなんです」
「心強いコンサルタントがいるってわけですね。以前、電話で山下さんに色々と相談してるって料理長が言ってました。山下さんのこと頼りにしているみたいです」
「親父が言ってましたよ、范料理長の店は、数年後には香港で屈指の繁盛店になってるだろうって。うちの親父って、利き酒みたいに、潰れる店と繁盛する店のニオイを開店前の段階で嗅ぎ分けることができるんです。私の知る限り、外れたことはありません」
「すると、范料理長はお父様に繁盛店の太鼓判を押してもらったというわけですね。それにしても、お父様の会社は、国を跨いでの商売だから大変でしょうね。俺には想像もつきません。それだけの食品商社を経営しているんですから、いずれ、山下さんはその会社を継ぐんじゃないんですか?」
「それはわかりません。社長は親父ですけど、その上がいるんですよ。日本の会社で言えば、実権を握っている会長といったポジションですかね。その人は、親父の実の兄貴なんです。会社をここまで大きくしたのは親父なんですけど、出資金の額の割合が違うから……」
「会社組織になると、兄弟も親戚も関係ないってことなんですかね」
「親父の兄弟は5人いて、いざ金の事となると強調性が無くなってしまう。嘆かわしいというか……。取引の現場で言い争いしているところをよく見かけます。でも、伯父は、もう昔のような滾りはなくなってしまいました。伯父と親父は歳が離れているんですよ。現場にも顔を出さなくなったみたいだし。親父からすれば、やり易くなったかもしれませんね。私と伯父は仲が良いんですけど」
「へえ、色々あるんですね」
「商売って、どんなものでも大なり小なりギャンブルじゃないですか。許されない失敗をしてしまったらゲームオーバー。そんな訳で、ハラハラドキドキする瞬間は年に何度かあるんですよ」
「俺は、料理人としてしかやって来なかったので分かりませんが、そういうもんなんですね。ギャンブルかあ……」
「倉持さん、料理長の店がオープンしたら、一緒にお祝いに駆けつけましょう」ソファに深く腰かけていた山下が身を乗り出した。
「料理長と会えるのが愉しみです!」
話がこれで終わってしまっては来た意味がなくなる。善幸は、だいぶ昔の関係に戻れたなと感じたところで、例の話を切り出した。
「話は変わりますが……山下さん、実はうちの店の食材のことで聞きたいことがあって来たんです」
「ああ、倉持さんが深刻そうな顔して事務所に入って来られたので、何か事件でも起こったのかと思いましたよ。で、食材のことって何ですか?」
「今日の午前中に届いた百合根のことなんですが、山下さんは、崔料理長から指示された食材を注文されているんですよね?」
「ええ、崔料理長から渡された注文書に従って仕入れてますけど。入荷日に間に合わないときは怒られますよ。それが何か?」
「百合根が腐ってたんです。全部ではありませんが三分の一は使えない状態です。うちの店の規模で、こんな質の悪い食材を業者が入れるとはちょっと考えられない。また単なる手違いとも思えないし。だから、確認したいんです」
「確認したいというと?」
「仕入れ先を教えてください。崔料理長は、月に数回築地の“やっちゃ場”に行きますよね。偶に産地へも出張しています。具体的にその仕入れ業者と産地の農家を知りたいんですよ」
山下はじっと善幸をみている……。
困ったような顔つきに変わると、
「倉持さん、前にも言いませんでしたっけ、それはできないと……」
確かに聞いてはいたが、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
「立場上できない、そう言われたことは覚えています。問題なのは……今使っている野菜類は范料理長が辞めた後から極端に品質が悪くなっているということなんです。それに、一昨年辺りから豚や鶏肉の産地を替えてますよね。それだけじゃない、油に関しても質が悪くなっている。もう、調理で誤魔化せる限界を超えてしまっているんです。いくら責任者が崔料理長とはいえ、そこまで勝手にやっていいものではない。なぜこうなってしまったのか、その原因を突き止めたいんです」
善幸は、ここまで話せは理解してもらえると思った。
「倉持さんの仰っていることは分かりました。しかし、私の立場としては、同じことを繰り返す他はないんです。私は、所詮『四川料理 翔龍』という会社組織の一員にすぎません。勝手なことはできない立場なんです」なんとも杓子定規な回答だった。
そこで更に突っ込んでみる。
「俺がやろうとしていることは店のためです。だから立場を超えて、もう一歩踏み込んだ対応をしてもらえませんか? 百合根の仕入れ業者と生産者だけでいいですから」善幸は食い下がった。
「倉持さんが、そこへ行かれるんですか?」
「行くかもしれません」
行くに決まっているが、そこは濁した。
「産地は北海道です。箱に書いてありませんでしたか?」
「確認したんですが、段ボール箱には何も書かれてなかった。私が仕入れ先の単なる手違いとは考え難いと思ったのはそこなんですよ。入れ替えたんじゃないですかね? 質の悪いものだけを選り分けて別な段ボール箱に詰めた、それをうちの店へ。そうとしか思えられないんですよ」
「それは私にはわかりません。しかし……、やっぱり教えるわけにはいきません」
「百合根の仕入れ業者だけでも教えてもらえませんか?」
善幸は、縋るような気持ちでお願いしてみた。
「申し訳ありません……」
この一言で、話を打ち切られてしまった。単に口が堅いというより、山下の杓子定規な仕事ぶりが垣間みれたような気がした。
ならば、虱潰しに探してやる、善幸はそんな気持ちになった。しかし、親方の店に居るとき、一度築地の“やっちゃ場”に行ったことがあるが、そこは仕入れ先の店舗を特定するには断念せざるを得ないくらいの広い市場だった。 (つづく)




