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【砂利道を歩く野良犬たち】      作者: トントン03
第五章 出来上がった厨房内の確執と家族の絆
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―オーナーたちの経営哲学とは―(善幸の決意が揺らいだ)

バッティングセンターで4回ホームランを打っている。ヨット部だったけど。。

頼む、俺をバッターボックスに立たせてくれ。

第四十九話



 ―オーナーたちの経営哲学とは―(それが善幸の決心を揺らした)


 その二日後の午後四時。三ケ日オーナー宅へ出来立ての鯵の南蛮漬けを届けるため、善幸は自転車を走らせた。


 オーナー宅のマンションに設置されている監視カメラは、セキュリティー対策の万全さを感じさせた。西洋の城を思い起こさせる石壁……。そんなことには全く無関心だった善幸が、品定めをするかのように眺めている。いつもと違い、今日は緊張しているた。


「あの、倉持ですが……」

「ご苦労様です。少々お待ちくださいね」ご婦人の当たりの良い声が返って来ると、エントランスのドアが開いた。

 最上階には一世帯しかなかった。エレベーターのドアが開き、善幸は玄関扉に近づいていく。インターホンを探している間にドアが開いた。どこかに監視カメラがあるのだろう。何度も来ていながら何も気づかないでいたことに無関心の怖さを感じた。 


 奥さんに、作ったばかりなので氷水で余熱を取るように伝え、善幸は帰ろうとした。

「特別な急ぎの用事がないのなら、上がって休んでいきません?」と引き留められた。

 オーナーと一対一で話すことなど何もないけどなあ……。

「遠慮せずに、どうぞ。主人が倉持さんとお話がしたいって言ってますので」

 悪い気はしなかった。

「それじぁ、ちょっとだけお邪魔します」既に、緊張している面持ちは奥さんに伝わっているはずだ。


 奥さんは、スリッパを揃えてくれた。温かみのあるその笑顔は、世話好きな人柄に思えた。

 通された部屋は、三十畳はありそうなリビングだった。パノラマ写真のような腰窓の幅は五メーター以上はあるだろうか。その嵌め殺しガラスからの眺望は、このリビングでなければ似合わない光景だった。


 

 善幸は革張りのソファーに座らされた。オーナーは奥の部屋から出てきて、にこやかに応じてくれた。

「ご苦労様。いつも申し訳ないね、届けてもらって。本当は取りに行かなければいけないのにね」

「オーナーのところへ来る度に、范料理長を想い出してしまいます。あの頃、一緒に届けに来てましたから」

「そうだったね。ところで、范さんは、いつ自分の店をオープンさせるんだったっけ?」

「先日、電話があって、オープンは、来年の十一月になるそうです」

「香港の義理のお父さんも料理人だそうじゃないか」

「そうなんです。奥さんも駆り出されるみたいです」

「料理長には息子さんが一人居たね。後を継がせるつもりなんだろう。そうすると、店は少なくとも親子三代で引き継がれることになる。家族で苦楽を共にしながら手に入れた成功。こんな幸せは他にないよ。その幸せがまた引き継がれていくわけだ。最高だね。羨ましい……」オーナーが深々とソファーに座っている姿は自然体そのものだった。

「後、一年ちょっとですね、愉しみです。料理長のことですから、オープンまでの準備は用意周到のはずですし、電話でも今のところ大した問題はないと言ってました」

「范さんがやろうとすることは何でも安心して見ていられる。オープンしたら、大田原さんと月影さんと三人でお祝いに行こうと思ってるんだ」

「どなたですか?」

「ああ、二人とも店のオーナーだよ。三人いるのは倉持君も知ってるだろ? 大柄なお爺さんが大田原オーナーで、ひょろっとした方が月影オーナーだ。分からないかな?」

「店で、お会いしたことはないと思います」

「あー、でもね、二人は倉持君のことを知ってるんだ。ほら、君が店に来た早々、派手に結婚披露宴をやったよね、そのとき三人で覗きに行ったんだよ。范料理長から、活きが良い職人が入ったって聞いたからさ。しかし、あの披露宴の演出は良かったねえ。范さんは、演出家にもなれるよ」

「それは知りませんでした。個人的な祝い事を店でやってしまって、申し訳ありません」

「そんなことはいいんだ。そうやって、仲間意識を高めていってくれれば我々も嬉しい。大田原さんが感心して見てたよ。大田原さんってね、全農の役員で、高齢なのに世界中を飛び回っているんだ。全農って農協の連合会だから、国内だけでコソコソやっているようなイメージを持ってしまうけど違うようだね。これからは、世界へ目を向けて行かなくてはいけないと言ってたな。とてもパワフルで勉強家なんだよ。東京に帰って来ると、よく月影さんも交えて店で食事をしてる。大田原さんは、范料理長の創作料理をとても評価していたんだ。范さんが居なくなって残念がってたな……。大田原さんはね、倉持君を范さんの愛弟子だと思っているから、君に熱い視線を送っているんだ。気づかなかったかい?」

「私は、三ケ日オーナーしか知りませんので……」

「ああ、そうだったね」

 善幸は、経営者って店に顔も出さず儲けのことだけしか考えていないと思っていた。

「もしかしたら、オーナーさんの顔も名前も知らない従業員がほとんどじゃないかと思いますけど」

 それを聞いて、三ケ日オーナーが笑った。

「倉持君、従業員は経営者の顔なんか知らなくてもいいんだよ。大切なことはね、従業員其々が、自分の店だ、自分は経営に携わっているんだ、そんな僅かでもいいから自覚を持って仕事をしてくれているかなんだよ。経営ってね、存続していくことが大事。一時の儲けばかりを追い続けていたらそのうち潰れてしまう。存続するための必要な投資が疎かになってしまうからね。そこんところは、我々三人共考えは一緒なんだ。ああ、そうだ、教えておくよ。月影さんはね、この辺りの地主。私もそうだけどさ」

 どうでもいいことだったが、序でに善幸は訊いてしまった。

「三ケ日オーナーは、月影オーナーとは地主同士だから知り合いなのは分かりますけど、大田原オーナーとはどんなご関係なんですか?」


 汗を拭くようにと、奥さんがタオルを渡してくれた。善幸は顔の汗をぬぐい、出されたアイスコーヒーを一口飲んだ。


「知りたいのなら話そうか、隠すことでもないし。えーとね、私と月影さんと二人で香港へ旅行に行ったことがあってね、目的はマカオの……。そこで大田原さんと知り合ったんだ。三人共バカラが好きでねえ、意気投合しちゃってさ。ろくすっぽ寝ないで一週間やってたんだ。そしたら、三人共、こてんこてんにやられてしまった。賭け事ってさ、勝ってるうちはやめない。資金が底をついたらやめざるを得なくなる。そんなもんなんだな」

「若い頃、競馬ならやったことはありますけど」

「その程度でやめておいた方がいいよ。カジノなんかに手を出しちゃいかん!」

「手を出したら、娘を育てられなくなります。うちの奥さんに離婚されてしまいますね」

「うん、子供がいるかいないかで、人生は大きく変わるもんだよ」

 三ケ日オーナーには子供はいないようだ。

「まあ、そんなこんなで最終日、しょぼくれた顔して三人で食事をしてたんだよ。カジノの負けをどうやって取り戻そうかと冗談交じりに話しながらね。その時、喰ってた四川料理が美味くてね、そしたら、大田原さんが、『おっ、東京に四川料理の店でもオープンさせるか?』と言ったんだ。この一言で決まったんだよ。私は、自分の所有している店舗物件を提供し、大田原さんと月影さんは一億円ずつ出資した。旅行から帰って来ると、すぐに三人集まって大まかな出店計画を練った。依頼した施工業者もフットワークが軽くてさ、工事だけじゃなく料理人の手配までやってくれたよ。彼らは、店舗開業の〝なんでも屋〟だったんだな。但し、金にならないと判断すればさり気なく断ってきた。上手くやられたような気もするが、ま、彼らのお蔭で、我々三人は数回現場に行き確認した程度で済んだ。私は歩いても行ける現場だったしね。ただ、経理だけは知らない者には任せられないと言うことで、月影さんが引き受けてくれたんだ。とんとん拍子だったよ」

 この後、オーナーは、開店までの良い思い出話を語ってくれた。


「そんな遊び感覚で、こんな事業がはじまってしまうものなんですね。とても信じられません」善幸は、生きてる世界が違いすぎると感じた。

「イケるんじゃないか、そんな勘が三人とも働いたんだね。その時の破竹の勢いも手伝ったと思うけど。思い付きでやったように思われるかもしれないけど、我々三人は事業家だから。直感的な先見で判断してしまう場合もあるんだ。言い出しっぺが大田原さんだったこともあったな。大田原さんは目先が利く人、月影さんもそう思ったらしい。倉持君ね、こういうことってさ、迷ってばかりいたら先へは進めないものなんだよ。途中で頓挫してしまうんじゃないかな。私が重視することは、事業を一緒にやろうとするメンバーの相性の良さと信頼だ。悪ガキが三人揃ったところで『やっちゃおうぜ、ゴーッ!』ってね、そこに恐怖を乗り越えるだけのパワーと愉しさがある。上手くいった時は、平等な御褒美である“煌めき”を手にすることができる。煌めき以上の得難いものとも出会える可能性もあるんだよ。他にも色々とね……」


 いっぱいあるらしいが、善幸には〝得難いもの〟が何だか気になった。しかし「得難いものって何ですか?」とも訊けなかった。挙句に、善幸は頓珍漢なことを言ってしまった。

「まるで誰かをやっつけちゃったみたいなニュアンスを感じましたけど」

「それもあるのかなあ。悪ガキが三人集まっちゃったわけだから、構わず何でもアリってか? まあ、ビジネスの世界って、本来、契約書も裁判所もいらないもんなんじゃないの? なぜなら、投資額がデカくなってくると最悪の事態に陥った場合には、そんなもん何の役にも立たなくなるからね。過去に大怪我を三人とも経験済みだったんだ。事業ってね、やってしまった以上は、裏切られたとしても相手を恨んじゃだめなんだよ。自分が勝負に負けたんだ、見る目がなかったと諦めるしかない。先へ進むため、新しい息吹きを吹き込まないといけない。そもそも“煌めき”を求めてやったことなんだからさ、そこは仕方がないよな」

 オーナーは、ちらっと奥さんの顔を窺った。すると、奥さんは首を横に振って、もう止めてくださいよ! と言わんばかりの素振りを見せた。


 奥さんが、善幸に話し掛けた。

「仕事の合間に、関係の無い話ばかり聞かせてしまってごめんなさいね。主人は、料理人の方と話す機会がないものですから話したくて仕方がないんです。以前、范料理長とはよくお話していましたけど」     

「それはあるかもしれないな。我々は、所詮素人だからね。それに、あまり口出ししないようにしているんだ。でもなあ……」

「あなた、話が長くなるからこの辺にしておいたら。倉持さんは仕事の合間に来て下さっているのよ」

「分かってるよ。ただ、今日、どうしても倉持君に話しておきたいことがあるんだ。それを話さないで帰らせるわけにはいかない。今日はその為に来てもらったんだからね」


 善幸としては、ただ鯵の南蛮漬けを届けに来たつもりなのだが、思いも寄らない話の展開に戸惑っている。今日、話しておきたいことって一体なんだろう。自分に何か問題でもあるのだろうか。もしかしたら、崔が――。

「僕に関してのことでしょうか?」

「そうだよ」

 辞めさせられるにしても、もう二、三年の間、この店で働かせてもらいたい、そう心の中で願った。

「……実はね、あ、その前に、崔料理長は、夏季休暇を取っていて今居ないはずだが?」

「はい、遅い夏季休暇を取っています。来週の月曜日から店に出てきますが」

 崔のことなのか……。

「そうだよね、直接本人からその連絡は受けてる。ところで、これから話す内容は、崔料理長が休暇中じゃないと話せない内容なんだ。夜の営業時間に入ったのに倉持がオーナー宅へ行ったっきり帰って来ない、何を話しているのかと、彼に思われてしまうからね」

「何か、問題でも?」 

 もしかしたら、崔の積み重なった不正がオーナー側に見抜かれてしまったのではないのかと、善幸は推測した。

「倉持君は、この店に来て何年になる?」

「十五年になります」

「そうかあ……。年齢は?」

「今年で、四十二になりますが」

「いい年齢だね。倉持君は范料理長のお父さんの店で働いてたって聞いたけど?」

「はい、四年ほど働いていました。日本料理の店でした。弟子は私一人だけ、そんな職場環境だったので、付きっ切りで親方に料理の基礎を叩き込まれたんです。親方は、私を実の息子のように可愛がってくれました。ですから、范料理長は兄ということになりますね。親方の体の具合が悪化してしまった時に、范料理長が、『うちの店に来ないか?』って、声を掛けてくれたんです。范料理長からは、この店で四川料理を超えたところの、食の大切さと作る歓びを教えてもらいました」

「料理職人って寡黙で話し下手だけど、倉持君は話し方が流暢と言うか、自然体で話してくれるから好感が持てるよね」

「親方の店では不愛想でした。親方も不愛想な方だったし」

「范さんのお蔭かな。確かに倉持君は范さんに可愛がられていたようだね。南蛮漬けを持ってうちに来るときも一緒だったもんなあ」


 他の職人からも、そう思われていたのは間違いなかった。范料理長とは、昼飯も郷原と山下と四人で食べることがよくあったし、仕事が終わって帰るときも一緒に店を出ることも度々あった。今考えてみれば、常に范料理長の目の届くところに居たのは確かだった。


「当時、うちの店は、四川料理ということもあって中国出身の料理人が多かった。しかしだね、それだと料理がパターン化されてしまって詰まらない。当時、我々三人が集まった時にそんな話が出たんだ。それで、相談し合った結果、四川料理だけじゃなく、他の料理も出来る経験を積んだ料理人、それも責任者というポストを任せられる人物に来てもらうことにしよう、という結論に達したんだよ。で、早速そういう料理人を探すことにしたのさ」

「その責任者というのが――」

「そうだ、范さんだ。范さんの前は、崔さんが料理長だったわけだが、彼の頃は、赤字は出さないまでも利益はほとんど出ていなかった。だがね、この状態が続いて当時の不景気が長引けば、間違いなくこの店は採算ラインを割り込んでいく。それは、大田原さんが一番心配していることだった。そうなる前に何とかしようと、私の知り合いに、良い料理人がいたら紹介してくれるよう頼んでおいたんだよ。待っていたら、『適任の料理人を見つけたぞ!』との連絡を受けて、一月後に現れたのが范さんだった。三人とも気に入っちゃってね、料理長を崔さんから范さんへ交代させたんだが、降格させられた崔さんは面白くないよな。不満を露わにするのかと思っていたら、そんな素振りは一切見せなかった。そのことに関して、我々は不気味さを感じたよ」

「崔料理長って、何を考えているのか分からない時がよくあります」

「そうだね。性格的なもんだから仕方がないんだろうけど……」

 この一言が気に掛かった。オーナー達と崔とは表面的な仕事上の関係でしかないんじゃないか、善幸はそう感じた。

「私が言うのもなんですが、崔料理長は、范料理長とは性格が正反対だと思います」

「そのようだね。料理長になったばかりなのに、いやあ~、范さんは凄いよ。責任感を丸出しにしてだな、我々を押し退けるようにして次々と改革していった。おいおい、范料理長、大丈夫なのか? と声を掛けたくらいだから」

「想像がつきます。その判断力と行動力は、見ているだけでハラハラしてきますね」

 三ケ日オーナーが笑っている。

「一年後、二年後、この店はどうなっているんだろうか、と心配性の月影さんさえ、その後の経過を愉しみにしていたくらいだ。范さんに任せてから三年後、なんとまあ、売り上げが倍以上になった。我々の判断が正しかったことが証明されたってわけだな。悪ガキ三人組は肩を叩き合って喜んだ。大田原さんがお礼を言いたいというから、密かに范さんをここへ呼んで、四人で一晩飲み明かしたこともある。その後も、機会を設けては一緒に飲んだりもしてたんだ。范さんには経営センスがある。大田原さんと月影さんも同じことを言ってたよ」


 オーナーの生の声には真に迫るものがあった。なぜ、この俺にこのような話をするのだろう。話したいことの核心に何か関係があるのだろうか。未だに何も見えてこない。時間は六時を超えていた。



 善幸がそわそわし出すと、奥さんが「倉持さん、心配しなくても大丈夫ですよ。お店には、少し遅くなりますと伝えておきましたから」

「ありがとうございます。長居してしまって」

「私が、倉持君に長居させているんだよ。大丈夫だ、誰かに何か言われたら、私に言って来てくれ」

 善幸は、笑顔を作り頷いた。

「范料理長と一緒に仕事をしていたのが、つい此間のように感じます。丁寧に下処理をし、じっくりと時間を掛けてとったスープを居なくなってしまった今、飲んでいるような気分です」

 オーナーの笑い声がはじけた。

「そうかい、そうかい。でもね、当時我々が懸念していたのは、范さんがうちの店に来て十数年で香港へ帰ってしまったということ。その後のことが心配だったんだ」

「臨時だったんですか? 范料理長は」

「臨時? 我々はそんなつもりはなかった。出来ることなら、ずうっと居てほしいと思ってたんだよ。いずれ香港へ帰らなければならないのは分かっていたけどね。でも、それを引き止めることが出来るんじゃないかと、当時はそんな甘い考えをしていたのかもしれない……」


 范料理長が香港へ帰ろうと思っていたタイミングというのは、親方の最期を看取り、善幸にとって働き易い環境作りが出来た時、そう考えていたようだ。


「実はね、倉持君に話したかったこととはここからなんだよ。前置きが長かったかな?」

「そんなことありません。私の知らない世界、興味を惹かれるお話ばかりでした」

「なら良かった。でね、月に一、二回しか店に食べに行かなかった月影さんが、范料理長が香港へ帰ってしまうのを知ると、名残惜しいのか、時間さえあれば昼夜を問わず店へ行き食事をするようになったんだ。范さんは、一人で食事をしている月影さんの様子が変だと思ったんだな、ふらふらっとテーブルへ来て隣に座ると世間話をはじめたそうだ。范さんも我々のことを気に掛けてくれていたんだね。その時、月影さんが范さんから聞いたことってね……」

「なんですか?」


 オーナーは、善幸の顔をじっと見ている――。

 それから、大きな嵌め殺しの窓から、見晴らしを確認するかのように一旦目線を遠くへ移して言った。「范さんはね、こう言ったらしい。店に来て三年しか経っていない倉持を、後二年で、幹部の役職に就けるレベルまで引き上げてみせる。つまりだね、倉持には、料理長になる素質があるから自分が居なくなった後、出来ることなら彼に料理長を引き継がせたい、そう言ったそうだ」


 善幸は、料理長のマンションに泊った時に言っていたことを思い返していた。〝善幸、おまえの将来の選択肢は二つある。一つは、生涯この店で料理人としてやっていくこと。ただ、早く店を切り盛りできる立場にならなければ意味がないぞ。もう一つは、自分の店を持つことだ〟と。

 善幸は、既に一つ目のことは諦めていた。崔にとことんやっつけられてしまったからだった。もう、息をすることしか許されない立場まで追い込まれてしまったのだ。残るは、自分の店を持つこと。

 ところが、何ということだろう。一つ目の可能性が急浮上してきたのだ。この俺が、この店の料理長だって? それは想定外のことだった。

 

 オーナーは、驚きを隠せないでいる善幸を宥めるかのように、

「当時ね、月影さんの要望で、我々三人が揃った時に、それについて話し合おうってことになったんだ。最終的な結論は『倉持に店を任せるのはまだ無理だ』で一致した。ネックは若さだったんだ」

「私も無理だったと思います。多分断っていたでしょう……」

「あれから、我々は、もどかしい思いで時が過ぎるのを待っていた。先日、大田原さんが、シカゴから帰って来たんだよ。約束してたんだよ、帰って来たら三人で君のことを話し合おうってね。その時期が来たんじゃないかって」


 三ケ日オーナーが何かを思い付いたかのように立ち上がり、別な部屋へ入っていった。すぐに出て来ると、一通の封筒を手にしていた。


「これはね、先々月、范さんから届いた手紙だ。本人に断りなく見せるのは抵抗があったんだけど、まあいいだろう。倉持君、読んでみたら……」オーナーはそれを渡した。


 善幸は、手渡された封筒から手紙を取り出し読み始めた。 (つづく)


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