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【砂利道を歩く野良犬たち】      作者: トントン03
第五章 出来上がった厨房内の確執と家族の絆
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―整合性のせめぎ合い―(郷原と善幸の尻の青さ)

第四十五話



 ―整合性のせめぎ合い―


それから、何事もなく一年目が過ぎた。郷原が店に居てくれるのはあと一年。善幸は、焦りと居た堪れない感情を押し殺しながら仕事をしていた。


 さよりは最後まで夜型だった。前日だけ睡眠をたっぷりと取って受験に臨んだらしい。結果、晴れて和泉くんと同じ高校に入学することができた。その後も、同じ塾に通い互いの家を行き来していた。


 善幸の休みの日には、一緒に家で勉強している二人の姿を見かける時もあった。そんな時は、和泉君と一緒に夕飯を食べることにしている。

 和泉くんは「おじさん、とても美味しかったです。また作ってくださいね。お邪魔しましたー」と挨拶して帰って行った。小学生だった頃は「お邪魔しました……」と一言だけだった。

 善幸は、身体と共に成長していく和泉くんのコミュニケーション能力を微笑ましく感じていたのだった。


 さよりが生まれてからは、瞬く間に時間が過ぎていった。善幸はもう四十三才になっていた。 

 忙しさも疲労も増えることはあっても減ることはなかった。どうやらその原因の一つに、厨房内の給気と排気のバランスの悪さがあるように思われた。以前働いていた親方の店でもそうだったが、排気量に対し、明らかに給気量が少なかった。勝手口の扉が排気が強すぎるため開けようとすると鍵が掛かっているかのようだった。だから、冬の間も開けっ放し状態で仕事をしていた。勿論、忙しい時間帯などは寒さは感じなかった。



 昨日まで降り続いていた雨――。梅雨でも中休みがあるらしい。そこへ、崔の図体並みの声が厨房内に響いた。

「皆っ、聞いてくれ。夏休みの休暇の予定表を出してくれるか。なるべく八月の行事や宴会が入っているときは避けるように。九月に入ってからでも構わない。夏の間と言っても八月だけだが、極力大口の宴会は入れないようにしようと思っている。というのは、以前居た范料理長の頃より、夏季休暇を一日多くしたからだ。売り上げも多少上向き状態になって来たからそれが可能になったというわけだ。皆が頑張ってくれたお蔭だと思ってる」

 崔は間を取り、皆の反応を見ていた。職人たちの顔が一瞬ほころんだ。

「うちの店も、夏休みぐらいは人並みに取らないとな。それでもまだ少ない。来年は、週休も隔週にはなるが、二日取れるように組もうと考えている。それと、見習いじゃなくて、料理人をあと二人増やす予定でいるんだ」

 職人たちがうんうんと嬉しそうに頷いている。

 想定通りの反応を確認した上で、崔は話を進めていった。

「問題なのが、この人数で夏休暇の予定を組むと、休みがどうしてもダブってしまうということだ。だが、その間、他の者が頑張ってやるしかない。それでどうだろう?」

 崔の立てる計画は、いつも実行可能な説得力が伴っていた。


 そこへ、郷原が、普段から口にしている不満を言い出した。

「料理長、去年の夏季休暇は俺と倉持だけ一日少なかったですよね。だから、今年は他の人より一日増やしてくれませんか?」

 郷原は職人たちの視線を浴びた。

 毎年、夏季休暇は、何故か自分たちだけ四日間で他の職人は五日間だった。そのことは、当然他の職人たちも分かっていた。善幸の推測では、本国に帰省する職人のことを考慮して崔が決めているのだと思っていた。


「どうしてだ?」崔が不機嫌そうに訊き返した。

「どうしてって、訊き返される意味が分かりませんよ。休みって、上下の立場は関係なく平等に与えられるものじゃないですか。まさか、今年も皆より一日少なくするつもりじゃないですよね?」

「その通り、平等であり公平にしないとダメだよな。それじゃあ、おまえたちの夏季休暇は、一日ではなく、二日減らすことにしよう」


 コイツは、一体何を言っているんだ! と激昂してしまった所為なのか、郷原は声を詰まらせてしまった。怒りを発する言葉が見つけられないでいる。

 俺の出番だ! とばかりに善幸が言った。

「平等かどうかを言っているんですよっ、二日減らすってどういうことですか? もっと不公平になるじゃないですか。それとも、俺たちに対する嫌がらせですか!」と喰って掛かった。

 それを鼻で笑い、

「嫌がらせ? 俺がいつお前らに嫌がらせをしたと言うんだ? それは言い掛かりじゃないか?」あくまでも、崔は冷静に対応しようとしていた。

 郷原はズバッと言い返した。

「それじゃ、言い掛かりじゃない理由を説明してください! 俺たちは、これまでずっと週替わりのランチメニューを考え続け、朝からその下準備に追われ定食を作り続けてきたんです。他の職人は手伝おうとしない。手伝ってる振りをしているだけじゃないですか、見てりゃわかりますよ! 昼の売上げのほとんどは、俺たち二人の働きに因るものですよね? そこんところ、どう説明するんですかっ」

 郷原と善幸は段々冷静さを失っていった。


 ところが……。

「二人共、落ち着いて聞いてくれ」

 崔は、あくまで冷静だった。

「どんな言い訳でも聞きますよっ、言ったらどうですか!」

 郷原はこの段階で上司に対する言葉遣いを頭から外したようだ。

「あのな、郷原、『週替わりのランチを続けさせてください』そう言い出したのは誰なんだ? おまえたちだよな? 俺は言ったはずだぞ『やっても良いが、責任を持ってやれ』……とな。自分たちが続けさせてくれ、そう言ったのだから責任を持ってやるのは当然のことだ。他の者が手伝ってくれないだって? ふざけるのもいい加減にしろ!」崔の語尾が強まった。

 善幸が反論した。「そのお蔭で売り上げが上がっているわけですよね、それで皆の給料とボーナスが払えてるんじゃないんですか? そのあたりはどうなんですか!」

「ほおー、随分と偉そうなこと言うな、倉持。おまえ、何様だ?」

 すると郷原が、

「俺たちは事実を言ってるだけだ、崔さんっ」郷原は負けていなかった。料理長を名前で呼んだ郷原。“おまえをこの店の料理長とは認めない!”そう言っているのだ。

 飼い主のいない二匹の猟犬がヒグマに吠えかかっていた。


 廊下より三倍以上はある幅広な厨房。それを縦に分断している調理台が〝ライン〟代わりになっていた。蒸し器と揚げ物の機器側には、ずらりと並んでいる〝崔ライン〟一方レンジと茹で麺器側には郷原と善幸しか居ない。范が居た頃の猪之良と鈴木を加えた〝連帯ライン〟の勢力はとっくに衰退してしまっていた。


「おまえたちだけで、そんなに利益を出していると思っているのか?」

「出していないと言うのなら、損益の計算書を俺たちに見せたらどうなんだ? 口なんかじゃ騙されないぞ!」詰め寄る郷原。

「郷原、落ち着けって言ってるだろ。あのな、売上げと利益は別物なんだよ。おまえたちの考案したランチメニューの原価率を知らないようだな。商売の難しさをおまえたちはまだ分かってない。商売として成立させるためには、お客さんとオーナー側との狭間に立って考えないといけないということだ。つまり、多くのお客さんが食べに来てくれるようなメニュー作り、同時に店の利益を考えなくてはいけないってことだな。それだけじゃなく、料理長という立場は、職人の労働環境のことも考えないといけない訳だ。お客さんを喜ばすだけなら簡単なことなんだよ」

 崔は、(何か言ってみろよ)と言わんばかりに、郷原と善幸が反論して来るのを待っている。余裕を見せつけているようにも窺えた。

 郷原と善幸は、腹が立ってはいるが何も言えないでいた――。


 崔が話を続けた。

「勘違いしないためにもう一度言っておくが、俺から、郷原と倉持にランチタイムの運営を任したのではない。おまえたちが責任を持つからやらせてくれと頼んで来たことなんだぞ。結局、自分の首を自分で絞めておいて『苦しい、誰か助けてくれ!』ってか? 所詮、おまえらじゃ無理だったんだ。降参するなら、もっと早い方がよかったんじゃないのか? こんな恥を晒さずに済んだと思うけどなあ~」崔が苦笑している。


 多分、聞いている他の職人には、善幸たちの興奮度合と逆行する崔の冷静な態度が際立って見えているに違いなかった。

 しかし、善幸はデカい声で言ってやりたいことがあった。それは「おーい、崔料理長っ、利益が出ないのは、あんたが金を業者から抜いているからだろうがっ!」と。しかし、この場でそれを言ってしまったら、もうこの店には居られない。


「結果として〝俺らじゃ、無理でした。ごめんなさい〟ということで、いいな?」崔は、これで締め括くろうとしている。

 崔は、問題が起こったら決着が付くまであやふやには終わらせない主義だった。

「いいな、とは?」郷原が一旦跳ね返した。

 善幸も、何か裏があるような崔の言い方を怪しんだ。

 崔が、仕方がないとでも言いたげな顔をして「今まで、ボーナスだけを減らしてきたが、給料も減らすことにする。二人共な……」

「へー、俺たちだけ減らすわけだ? 当然納得のいく理由があるはずだよな、あるなら言ってみろよっ」

(もう、どうにでもなれ!)郷原がそんな気持ちを抱いているのはありありだった。

「平等で且つ公平にしろ、とおまえたちは言ってる。ここまではいいか?」

 崔のこの言い方にも引っ掛かった。

「おい、はっきり言えよ!」郷原が詰め寄った。

「そこまで言うなら教えてあげよう。郷原、おまえの給料はな、楊主任より高いんだ。これってどう思う?」

 善幸は、無意識に楊の顔を見てしまった。楊は目を剥いている。同じ主任という役職ではあったが、楊の方が郷原より一年先輩だったのだ。

 郷原が黙っていると、

「おまえたちの言う平等公平って何だ? 俺は不公平を無くそうと思って、おまえたちのボーナスを下げたんた。其々の職務と経験に合わせたものでなければならないとの思いからだった。役職のある者というのは、これまでの能力や実績が評価された結果で、それらは給料に反映されている。それじゃあ、ボーナスってなんだ? 半年という直近の利益に対して、各々がどう貢献したかで本来評価されるべきものじゃないのか? 立場上、俺は主観を入れずに評価しようとした。范が料理長だった頃の不公平を少しでも無くそうとしたんだ。今この場で話すことではないのかもしれない。しかし、この際だから、はっきりさせておいた方がいいだろう。ここに居る皆に、平等公平とはどういうものかを理解してもらうためにもな……」


 目を落とし黙って聞いていた職人たちの眼差しが、一斉に崔へ向けられた。抜群の間の取り方を、彼は心得ているようだ。


「俺は、料理長としての立場から不公平さを無くすなら、本来おまえたちの給料も下げなければならなかった。しかし、俺はボーナスを下げても給料は下げなかったんだぞ。いくらなんでもボーナスと給料の両方をいきなり下げるわけにはいかないだろ? 逆恨みをされるだけだからな。だから、給料は范がいた頃のままにしている。俺は、不公平を無くしていこうと、他の職人の給料を毎年僅かずつ上げていった。しかし、おまえたち二人の給料はまだ高いんだよ。その調整をしようと、おまえたちの夏季休暇を一日だけ削ったんだ。それもたったの一日だけだ。このようなことをしなければならなかったのは、范がおまえたち二人だけを優遇し、年々給料とボーナスを急ピッチで上げていったからだ。范が店を辞めた後、俺が再び料理長になった。その責任ある立場から、これまで范が評価してきた皆の給料や賞与のそれまでの経緯を調べさせてもらった。そしたら、オーナーから手渡された各職人の評価表を見たら思い掛けないものだった。これはいくらなんでも無いだろう……そう思ったんだよ」


 郷原の知りえないこと、勿論、善幸だってそんなことは聞いていない。初めて聞かされた事実に愕き、善幸は一歩退いた。

 ところが、郷原は反論した。

「俺は、范料理長に給料を上げてくれとか、ボーナスを増やしてくれなんて一言も言ったことはない。前の料理長が評価してくれたことだ!」

 郷原の主張していることは間違ってはいなかった。

「そう、おまえたちが悪いわけではない。だが、今話していることは、不公平があったかどうかを話しているんだ。猪之良と鈴木が辞めた後、雑用をやるものが居なくなった。楊主任はおまえたち以上に雑用をやってないか? 目立たなかっただけで俺の目にはそう映った。おまえたちはランチタイムのことしか頭にないようだが、閉店した後、片付けが終わり、店内の最終確認をして最後に帰るのはいつも楊主任だ。彼は、雑用を含め主任以上の仕事をしていると俺は思った。結果的に、それは店全体の利益を生んでいるということなんだよ。俺は、料理長の立場から、それを評価してあげなければならなかった。しかし、楊の給料もボーナスも心許りを上げてきただけで、おまえたちよりまだ少ないんだよ。相対的に見て、現時点でもおまえたちの方が随分と優遇されていることになっている。これって、明らかに不公平なことだよな、そうは思わないか?」

 この問い掛けは、抗弁への誘い水のつもりなのだろうか。二人は崔のペースに呑まれていきそうだった。


 よくよく考えてみれば、楊は朴訥な人柄で、作業工程の流れに合わせ、段取りよく仕事をこなしていく好感の持てる料理人だった。彼の損なところは、職場で探すのが大変なくらい存在が薄いところだ。しかしながら、体はいつも忙しなく動かしている。郷原と善幸は、そのことに関しては認めざるを得なかった。


「だから、おまえたちが不公平だと不満がるのはお門違いなんだ。この事実関係を考えれば、一目瞭然。不満を抱くのはおまえらじゃなく、他の職人たちだろうが! これだけ説明して、まだ不満があると言うのなら、おまえたちの主張する平等公平とやらがどういうものなのかを、皆の前で説明してくれないか?」


 崔の言っていることは辻褄が合っていた。その言動には一分の隙も見えない。善幸は、何を言い返してもいい負かされてしまうと思った。

 郷原は黙ったまま崔を睨みつけていた……。


「今は、俺が料理長だ。査定を任されている立場。俺が決めてはいけないのか?」

 大詰めに差し掛かろうとしていた。

「いいか、郷原。おまえは主任だ。現在、その役職以上の給料を貰っている。おまえがそれだけ店の利益に貢献しているのなら何も言わない。しかしな、今のおまえたちは、肝心な利益は上げていないんだよ。労力を使っているというだけでは片手落ちなんだ」


 これは、要所だけを掻い摘んだ巧みなダメ押しなのではないかと勘繰った。今回の揉め事を、崔は二人の給料を減らす良いチャンスだと考えたのだ。

 結局、二人が最初に主張した平等が仇となってしまったようだ。


「料理長……」郷原が言った。

 それは、薄気味悪ささえ感じる声だった。もしかして、「辞めさせてもらう!」とでも言い出すのだろうか。

「言いたいことがあるなら、この際だから遠慮なく言ってくれ。俺も隠さずに何でも話すから」

 すると、郷原が意外なことを言い出した。

「料理長が公平だと思うところまで、俺の給料とボーナスは下げてもらって結構です。しかし、倉持に対しては下げないでやってもらえませんか? 俺は独身だけど、倉持は家庭を持っている。急に下げられたら困るじゃないですか。ランチメニューに関しては、利益が出せるように考えます」

 この郷原の想いが善幸の胸に刺さった……。


「皆、聞いたかっ、後輩を思い遣るってこういうことなんだよ。自己の損得を超えたところにあるものなんだ」

(こいつ、何を言ってやがる!)呆れてものが言えなかった。人前では穢れの無い姿しか晒さない崔が、誇り顔で取りまとめ役を演じていた。

 崔は、職人たちに人柄の良さと理解力の高さを見せつけ、皆の心を惹きつけようとまでしていたのだ。

「郷原さん、俺のことは気にしないでください。二人でランチメニューを考え直して、利益を出せるようにしましょう」

 郷原が短絡的な辞め方をしてしまうという最悪のパターンは無くなった。善幸は安堵した。ところが、なんと、今度は二人を引き裂くようなことを崔が言いはじめたのだ。


「公平という観点から判断すると、独身かどうかは関係ない話だ。因ってだな、郷原と倉持の給料は来月から減給しなければならない。これについては、説明した通りで文句は無いはずだ。それと、倉持、おまえに言っておかなくてはならないことがある」

「な、なんですか?」

 善幸は、何を言い出すのだろうと耳をそば立てた。

「実はな、おまえの給料を十五パーセント減らさなければならないんだ」

「なぜですか!」とんでもないことを言い出した崔に、善幸は激怒した。

 崔は、善幸ではなく、郷原の顔を見ている――。


 ボーナスだけじゃなく給料を十五パーセントも減らされたら、これから自分の店を立ち上げるための資金が貯められなくなる。それどころか、高校に入学し、先々月から和泉くんと一緒に通いはじめた進学塾の授業料さえ払えなくなるかもしれない。その高額な授業料も善幸の頭を悩ませていた。


 崔は、尤もらしい言い分と言い訳に終始した。    

「俺が、誰か一人を目に掛けていると思われても困るし、さっき隠さずに話すと言ってしまった以上話さないわけにはいかなくなった。これから話すことは、すべて范料理長が居た頃から引き摺ってきたことなんだが……」

 崔は、今度は郷原から善幸へ視線を向けた。

「倉持、おまえの給料のことだが、今でも、郷原より十パーセント高いんだよ。勿論、ボーナスもな」

 (嘘だっ、また得意のご都合主義で話を運んでやがる!)そう思いながらも、善幸は郷原の顔を見られないでいた。

 郷原の眼差しも善幸へ向くことはなかった。このことは、それだけ二人にとって衝撃的なことだったからだ。

 そして、沈黙が流れた――。


 善幸は動揺を隠せなかった。罪を犯したような気持ちに苛まれていた。

「このことは、はっきりさせておいた方がいいんじゃないか? 郷原」

 郷原は、視線を崔に向けたまま動かない。

「倉持、先月のおまえの給料と前回のボーナスを教えてやれ。その方が俺も助かる。適当なことを言っていない証拠にもなるからな」


 言えるはずもなかった……。何年越しの計略なのか。なんて恐ろしい奴なんだっ、この日のために崔がすべて仕組んだものだったと考えても不思議ではなかった。   (つづく)


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