ー感情の浮き沈みはリスクを伴う(一)
第三話
―感情の浮き沈みはリスクを伴う(一)―
美乃里に対しての態度が極端に変わったのは、善幸が18年間勤めていた四川料理の店を辞めた時期と重なる。独立するために辞めたわけではなかった。職場での人間関係の縺れから起こしてしまった傷害事件で辞めざるを得なくなったのだ。暫くの間、美乃里には辞めたことを話さないでいた。その事件を起こしたのは、さよりが高校二年生の一学期の頃だった。
善幸は、店を辞めた次の日から、毎朝いつもの時間に家を出る。夜になると、まるで仕事で疲れたような顔をして帰宅する。しかしながら、その間、何もせずただ街をぶらついていたわけではなかった。不動産屋を回り、開業するための店舗物件を探し回っていたのだ。仕事をしていた時のように夜が遅くなるのは、下見物件の周辺の生活環境、特に昼夜の人通りと客層を知っておく必要があったからだった。
遅く帰るので店を辞める前と同じく、善幸は一人で夕食をとる。偶に午後九時頃帰宅するような時は、三人で夕食をとる時もあった。遅かれ早かれ、美乃里に店を辞めたことを話さなければならなかった。先ず、店を辞めざるを得なかった理由、それが切っ掛けで自分の店を出すこと以外生きていく道はないと判断したこと、これらのことをどれだけ筋道を立てて、場合によっては誤魔化しながら美乃里に話すことができるか、しかしどう考えてみても口下手な善幸からすれば不可能であることは考えるまでもないことだった。
たとえすべての事実を正直に話したとしても、一番の引っ掛かりどころの度肝を抜く事実だけに関しては、右から左へ聞き流してもらいたいのだが……。善幸は諦めきれず、その辺りの煙に巻くような話し方ができないかと思いあぐねていた。
善幸が美乃里に訊きたいことは一つだけだった。今出せる金は、掻き集めてどのくらいあるのか、ということ。一か八かのこの話、切り出すタイミングが掴めないでいたのだ。店を辞めてから、もう二週間が経ってしまっていた。
日に日に苛立たしさが増していった。それが原因だったのだ。これまで、善幸は、美乃里の作る料理に対し、一切文句を付けたことなどなかった。それは、所詮、素人が作る料理と諦めていたからなのか、やさしさからなのか、自分でも分からなかった。
だが、そんなある日、遂に言ってしまった。
「こんな生ぬるい味噌汁、飲めると思うか? 混んでる昼飯時の食堂で食ってるわけじゃないんだぞっ!」
「どうしたの? お父さんっ」とさよりが愕いている。
善幸はお構いなくつづけた。
「おーい、なんだこの飯っ、朝炊いたのを温めたのか? 通常、夕飯に炊き立てを出すものだろう、違うか? 残り飯を出すのなら、夕飯の残りを朝出せっ、おまえのやってることは真逆だ! そんなことぐらい分からないのか!」
その三分後、言い足らないのか、今度は炒めものを見つめ言った。
「おーい、おいおいおい、あんまり言わせるなあ~、なーんだこの炒め方はっ、クッタクタじゃねーか、モヤシが可哀想すぎて泣けてくぞ。うん? 椎茸……?、おまえ、まさか、干し椎茸使ったわけじゃないだろうな? 炒め物に干し椎茸か? 干し椎茸の方が味に深さがあるってか? 馬鹿野郎がっ」
尚も箸で豚肉を摘むと、善幸は徐にその腕を天井へ伸ばした。苛立ちがマックスになった。もう一発何かを言おうとしたら、さよりがこっちを睨んでいる。なぜか不思議と苛立ちが収まっていった。
やっちまった感からのため息を吐いた後、善幸は大袈裟にやり過ぎたことを反省した。
当然のことながら、今から作り直しなんて出来やしない。美乃里は下を向いていた……。
善幸は何気に「旨いか、さより?」と小声で訊いてみた。さよりは、返事もせず黙って食べていた。
夕食時に、幕間のスパンこそ違え、最低三つのアドバイスなのか文句なのか、相手の気持ちなどお構いなく悪しざまに投げ付ける。いつもと違うお父さん……。さよりには、そう映っていたようだ。父親に仕事上の悩み事があるのかな、と訝しんでいるようにも思えてしまった。
さよりの誕生日――毎年、その週の休みの日に、善幸が夕食を作ることにしている。高級食材が手に入った時は二人とも大喜びだ。台所には、美乃里では使い熟せない調味料が並ぶ。スープだけは仕事場からちょっくら拝借してくる。食卓に並ぶ品数とその量は、二~三日分はあるだろう。勿論残ったものは冷凍。それで美乃里も数日間は楽ができるはずだ。
その夕食後、さよりの目の前に、黒色の長財布からヒラヒラ~と取り出した一万円札。善幸が裸のままさよりに手渡す。誕生日のプレゼントだ。それだけが味気なかった。このように、クリスマスと正月、それと今でもこどもの日には、ヒラヒラ~とさよりの手許にそれが飛んで来るのだった。
美乃里の誕生日――三人で都心のお店へ。寿司屋かフランス料理かイタ飯かで美乃里はいつも迷っていた。
善幸たちが住んでる木造アパートの前は、都下の幹線道路だった。朝七時半を過ぎると車がぎっしりと詰まっていた。狭い歩道をサラリーマンと小中学生が鬱陶しそうに行き交う。この都心に向かう幹線道路は、上り方向十メートル先にある環状線とクロスしていた。その交差点で、善幸は、定期的に事故現場と遭遇する。美乃里に尋ねると、事故が多発している時間帯は、視界が薄ぼんやりとしてくる早朝の四、五時だと言っていた。
――深夜勤務を終え、営業所へ帰るタクシーが空いている道路を飛ばしている。自転車の前カゴに高く積み上げた新聞のバランスを取りながら、道路を斜めに横断する青年。その時、〝ガシャーン、ザアーッ〟容赦なく新聞の束を踏みつけながら、自転車ごとタクシーが引き摺って行った。
――早朝、道路が混み合う前に、現場へと急ぐ二トントラックが向こうからやって来る。そのトラックが、夜遊びでアルコールがまだ抜けきれぬ二人乗りのバイクを跳ね飛ばした。救急隊は、身動き一つしていない一人を置き去りにし、まだ意識のありそうな青年を運んでいった。
この時間帯、東雲の空に建物の稜線が掛かっている見通しでは、連なる信号機の色味は微睡んで見えた。先の信号が黄色から赤に変わる時、なおざりな視界が青の残像を消さぬよう引き摺っていく。従って、緩んだ焦りがアクセルを噴かし〝赤〟を轢いてしまうようだ。
二十九歳で美乃里と結婚し、このアパートに引っ越してから、善幸は、ガードレールの支柱に立て掛けてある花束を幾度となく目撃している。ここは、救急車とパトカーの事故現場への通り路でもあった。そう言えば、早朝に救急車のサイレンがドップラー効果付きで枕元にまで届いていたなあ、とそんな日常を振り返ってしまった。
さよりが生まれて、幼稚園に通うようになった。まだ、母親の手から離れない。小学校低学年、近くの公園で友だちと遊ぶようになり、多少母親の手から離れた。高学年になると、電車に乗って男の子たちと遊園地やプールへ行くようにもなった。
善幸は、さよりの成長過程を具に美乃里から聞いていた。ここに住んでいる限り、事故の怖さを忘れたことはなかった。さよりが高校生になっても、家の前の幹線道路を渡るときは、さよりの手を固く握る。さよりと言えば、手を引っ張られると、態と体を仰け反るようにして歩いている。その姿は愉しんでいるかのようにも見えた。
さよりはこの歳になっても、父親に手を握られながら歩くことを恥ずかしいとは感じないようだ。
普段、家では比較的無口な善幸ではあるが、さよりは、何事にも率直な気持ちを示そうとする父親が大好きなようだ。
それは、善幸が仕事を辞めたということを、美乃里には話したが、まださよりには話してはいない頃のことだった。高二の一学期が終わろうとしていた。
善幸は、美乃里からこんな話を聞かされた。さよりの不満らしい。
「さよりがね、最近のお父さんは変だって言うのよ。文句ばっかり言ってるって。お母さんはプロの料理人じゃないのに言い過ぎだって」
「そんなに言ったかなあ、ふーん。さよりも俺に直接言えばいいのに……」
善幸が仕事を辞め、〝リスクの高い勝負事〟にチャレンジすると決めたことに賛成できず、悩み続けている美乃里。
「それで、さよりに言っておいたから、『それはね、文句なんかじゃないの。お父さんは、お母さんに料理を教えようとしているの。お母さんもこれから一生懸命覚えなきゃ、料理が上手くなるように』ってね」
その時、さよりは「何を今更! お父さんがお母さんに料理を教えたいなら結婚した当初から教えてあげればよかったじゃない!」と癇癪を起こしたらしい。
善幸はこれを聞いて、心から賛成はできなくとも、もう夫に付いて行くしかないんだ、美乃里はそう思い込もうとしているように感じられた。
この頃、塾の肇先生との面談の際に、さよりは父親から「独立して店を出す」と聞かされた時、(ああ、そういうことだったんだ)と安堵するとともに、漸くその一連の疑問が解消されたようだ。
善幸は、この面談で肇先生から最後にこう言われたことを思い出していた。
「お父さんもこれから準備で大変でしょうけど、頑張ってください。是非、繁盛させて下さいね!」
先生の心からの応援に対し、善幸は「ありがとうございます、先生。開店したら食べに来て下さい。私のオリジナルのメニューを、是非ご賞味して頂きたい!」と返した。
この面接の数日前、善幸は大きな障害物(融資の件)を乗り超えていた。それ故、何もかもがスムーズな滑り出しで、何の問題も無いように思えていた。それだけではない、意気込みと絶対的な料理人としての自信があったのだ。
隣で黙って聞いていた美乃里は、心為しか笑みを浮かべていた。その隣で、さよりが背筋をピーンと伸ばして座っていた。その様子から、(あたしも、お父さんの店を手伝ってあげなきゃ!)そう決意したに違いなかった。 (つづく)