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【砂利道を歩く野良犬たち】      作者: トントン03
第四章 范 悠 との出会い
29/87

―ミニチュアジャングルでの食事― (伊勢海老のXO醤炒め 熱いうちに召し上がれ)

この先に待ち構えている数多な出来事。翻弄される二人に新たなる命が――。

第二十九話



 ―ミニチュアジャングルでの食事―

 (伊勢海老のXO醤炒め 熱いうちに召し上がれ) 


「料理長っていう立場は、味のジャッジであり番頭さんなんだ。絶えず安定した味をお客さんに提供しなければならない。〝いつ訪れても変わらぬ味〟これを維持していくこと、これもまた難しいことなんだよ」

「善くん、理解できる? まだ半年も経ってないんだから無理だよ」

「そうだよな、確かに。俺って、親方からしてみれば、まだまな板の上で繁殖している雑菌のようなもので、落とすのに手間がかかる存在だからね。でも、思いっきり背伸びすればわかるような気もするんだ」

「ほぉ~」と料理長は感心している。

「で、料理長、もし〝常連客が注文したくなるメニュー作り〟ができて〝いつ訪れても変わらぬ味〟が維持できるのであれば、集客力は常連客の口コミで増える一方ってことになりますよね? 万々歳ってことじゃないですか」

「もしそうできるのなら、確かにお客さんは増えていくだろうね。俺がこの店に来て三年になるけど、その頃は赤字ギリギリの線だったんだ。それが、来た初日でわかったよ、これじゃお客さんは来てくれないってね。一応、俺は料理長として来たわけだから、赤字では許されない。安定した黒字にしないとこの店に来た意味がないんだよ。その期間も決められていた。そんな制約の中で結果を出さないと責任を取らされるって訳だ。そこで、一か八か思い切って店を改装することにした。そうなると、もう新たな店作りと一緒。でもね、そう判断したのはいいけど、オーナーを一人一人説得するのは大変だったんだよ。それをクリアーしたとしても、次の難儀な問題が生じてきてしまった。これが一番の悩みの種だったな。実は今でも引きずっているんだよ。でも、こんな話、飯食いながら聞きたくないだろ?」 

「そんなことないよね、善くんっ」美乃里が即答した。

「えっ? まあ……」善幸は、料理長と出会った初日から、こんな話を聞いてしまっていいのだろうかと心配になった。まだ店は営業中なのに。

 美乃里は、聞いておいた方がいい、こんな話を聞ける機会はない、そう思ったに違いない。なぜなら、俺に将来店をもってほしいと願っているからだった。

「美乃里にどうしてもって頼まれちゃあ、話さないわけにはいかないなあ」

 善幸は、話の勢いから、来年にでも店を出すぞ! そんな勘違いをしてしまいそうになった。料理長としては、こうして二人と話をしているのが愉しいだけなのに……。

 そこへ、

「見習いだったら、何でも聞いておいた方がいいですよね、料理長」と美乃里が拍車をかけてしまった。

「その通り! どんな人の話でもね。人ってさ、失敗談を話す時って、おちゃらけた言い方はしないものなんだよ。相手に自分の醜態痴態を晒すんだから。言葉のカモフラージュは逆に恥ずかしくて出来ないよな。ところで、善幸、やっちまったことで今だに悩んでいることってないか?」

「やっちまったことって……」

 善幸が考えていると、

「善くん! 酔っ払って帰って来たお父さんを、お兄さんと、」

「阿保かっ、その話は忘れろ!」構ってる余裕はなかった。

 善幸は、とんでもないところへ話を結びつけようとする彼女に呆れ果てた。

「おお、何の話だい? 面白そうな話だね、それ」料理長が身を乗り出してきた。

「もう勘弁してくださいよぉ、料理長。俺んちの詰まらない親子喧嘩の話ですよ。俺が大袈裟に話をしたものだから、こいつ、真に受けちゃっただけです」

「ハッハ、二人共、これでわかったろ?」

「何がですか?」

 善幸は不可解な点があれば即訊く癖が付いていた。

「俺が最初に言ったことだよ。君たちとは初対面じゃないってこと。じゃなければ、前略さえ外したこんな会話ができると思うか?」

「ほんとにそうですよね。あたしたちは初対面なのに、どうしてなんだろう……」

 美乃里も、昔世話になった人と久々に会っているような気分のようだ。

「俺、この店の二階のどっかに親方が居て、覗かれているような気がしてきました」

 吹き抜けを強調するように、ぐるっと一周している二階席のどこかに親方が居てもおかしくないと感じた。

「昨日、親方からの電話で、善幸と美乃里がおまえのところに行くから宜しくな、って言われた時、どうやら俺に願を懸けたようだね」

「どんな願いですか?」善幸が訊いた。

「今は内緒にしておいたほうがいいかもな……」

 料理長は、真面目な顔つきになった。

「じゃあ、気になるので、今度話してくださいね」美乃里は、それって一体なんだろうと考えている。

「普段、俺は仕事の話しかしないんだよ。だから、今日こうして君たちと話しているのがとても愉しいんだ。この店の規模からすると、俺は零細企業の社長みたいなものでさ、しかし見合った報酬は頂けない。その上、孤独なんだよな。そんな毎日を送っているもんだからね……」料理長が空笑いをしている。

「料理長って、大変なんですね」気の毒そうに善幸が言った。

 この話の流れの舵取り役も料理長が担っていた。

「君たち二人の会話って、方向とかゴールの定めはないだろ? だからさ、こうして一緒に話していると、俺も大海原で船外機の付いてない小舟に乗っているような気分にさせてくれるんだよ」

「料理長、善くんとの会話っていつもそんな感じですよ」

「いいねえ。女の子としてみれば、何処へ連れて行ってくれるのか、どんな話をしてくれるんだろう、と期待に胸が膨らむ。その期待に応えようと男は思案する。ところで、お二人さん、今日はどんなデートだったの?」

「善くんとじゃなく、料理長とデートすればよかったかなあ」

「そうかあ……デートの企画力だけは善幸に負けないぞっ」

 料理長は、善幸の顔を見てニヤッとした。

 背後で、店員が運んでいく料理の匂いが善幸の鼻先をかすめた。途端に空腹感が襲ってきた。すっかり冷めてしまった彼女が食べ残したあんかけ豆腐を一気に平らげた


 料理長が二人をお客様扱いしている。善幸にビールを注ぎ、空になったその瓶を持ち上げると店員がやって来て、料理長は追加の指示を出し、平らげた皿を下げさせた。

 ミニチュアジャングルの周囲をせわしく歩き回っている三人の店員。お客さんの帰る気配はまだ感じられなかった。

「今、スタッフが獲物を捕りに行ってるから、もう少し待ってな」そう言うと、料理長は何某かを釣り上げるポーズをとった。美乃里の食べっぷりを見て『あたし、お腹がまだ満たされていないから他の料理を早く持ってきてください』料理長はそう感じ取ったようだ。考えてみれば、料理の出て来るタイミングが少し遅いような気もした。注文が重なってしまったせいだろうか。

 

 椅子に深々と座り、交互に二人を見つめている料理長。その眼差しに温か味を感じた。

 時間の経過と共に、料理長の役柄が変化していく。注いでくれたビールを善幸は飲み干した。

「ビールはすぐ来るからな、善幸」

 料理長の隣に座っている美乃里は、背もたれに身体を預け、すっかり寛いでいた。その姿勢で善幸も気になっていたことを尋ねた。

「料理長、もう仕事は終わりなんですか?」

 スラックスにカーディガン姿で座っているのだから、誰しもがそう思うはずだった。

「勝手に閉められたら困るよ。まだ閉店の時間じゃない。お客さんは平等に扱わないといけないって、さっき言ったよね」

「料理長って、親方の喋り方の現代版って感じがしますね」と善幸が感じたままを言ってみた。

 美乃里が頷いたところをみると的を射ているということか。

「そうかい? 親方とどんなところが似てるって?」

「今の話でも、店を閉めるところから、お客さんを平等に扱わなきゃいけないってところが、頭の中でスーッと繋がらないんですよ。親方のような威圧感は感じませんけど、話に追いついて行けない時があるんですよね」そう善幸は答えた。

「そうかあ、説明不足だったってことだね。俺も親方の弟子だから、その癖がついちゃったのかもな。親方にも言っておかないとだめだな。しかしね、分からないことは何でも訊いたほうがいい。技術的なことなら、体得しなきゃいけないことなんだけどさ」

「善くん、あたしなんかね、親方の言っていることが理解できない時は、生返事で誤魔化しちゃうよ」

「おまえはそれで済むかもしれないけど、俺は嫌なの! おまえとは違うんだよ」 

「おいおい、善幸、美乃里の顔を引っ掻くなって」

「料理長、今日、善くんと丸一日一緒にいたら、嫌味な言い方の免疫力が付いたみたいで、気にならなくなったみたいです」

 その証拠に、彼女はすわりの良い笑みを浮かべている。

「理解するって、そういうことなんだよ、善幸。おまえは美乃里と比べて、まだお子ちゃまだなあ」

〝お子ちゃま〟も気になるところだけれど、“そういうこと”が理解できない。またもや、善幸はもどかしさを感じた。

「善くんは、その場にじっとしててくれればいいよ。あたしが近づいていってあげるから。その代り、逃げたら……あたしは追わない」

「安心しな、美乃里。善幸は逃げたりなんかしないさ」

 だろ? と料理長が善幸に無言の同意を求めてきた。かと言って、気恥ずかしさから素直に頷けなかった。善幸は、定まらぬ首をクルッと回し、ミニチュアジャングルに目をやった。そこは、食事をしながらだと一瞬箸が止まってしまう光景だった。

 料理長が、善幸に話し掛けた。 

「うちの店に食べに来る他店のオーナーから『随分とカッコつけた店作りをしたねえ』ってよく言われるんだ。店内装飾も見ればわかるよね。ところがね、同じ規模の店と客単価は変わらないんだよ。いや、寧ろ低いんじゃないかな。お昼のメニューは巷のラーメン屋さんと同じようなものを出してる。半チャンラーメンや餃子定食にニラレバ定食と、同程度の単価で提供しているんだ。この辺りには気軽に食べられるところが少ないから、サラリーマンのお客さんにも気軽に食事ができるようにと思ってメニューを考えたんだよ。午後二時三十分までは二階も使う。昼の時間帯の客の入りは一階も二階も三回転以上はするよ、凄いだろ? 何処からこんなに人がやって来るのかと不思議に思う時があるよ。この一帯は、オフィスビルと住居系のマンションが混在している。前の通りを下って行けば、殆どが住居系マンションなんだ。この立地条件で店をやるのは、方向性が定まらないから難しい場所だったんだよ」そう言いながらも、料理長は悠々としていた。

 善幸が言った。「店の中央に観葉植物帯がありますよね、あれ、スペース取り過ぎじゃないかって、二人で話してたんですけど」

「そうだね、確かに。見てごらん、あそこに電柱を細くしたような柱があるよね。それが店内に全部で七本立っている。あの七本で二階の床を支えているんだよ。二階の客席数は一階の六割。一部厨房の上も客席として使っているからね。改装する前は一階だけだから、中央に吹き抜けを設けて遊びのスペースを取ったとしても、それ以上に客席数は確保されているんだ。夜は昼の時間帯ほどお客さんはこない。しかし、客単価は上がる。だから二階はクローズしても経営上は全く問題ない。でも、週末の夜は二階も使う場合があるんだよ。常連さんが増えてきたからね。それに、宴会として使えるように仕切ることもできるようになっているんだ。つまり予約も想定しているってわけだ」

 善幸は改めて店内を見回している。

「ここまでやるには、かなりの工事費がかかったんじゃないですか?」見習いの立場を忘れて聞いてみた。

「俺がこの店に来てから、改装の資金を出してもらおうと、説得力のある条件を携えてオーナー達のところを廻ったんだけどさ、ダメだった。利益を出していない店なんだから当然だよな。オーナー全員の顔に書いてあったよ、『黒字にしてから言って来いや!』ってね」料理長が苦笑いをした。

「それじゃ、改装費ってどっから捻出したんですか?」美乃里も話に加わって来た。

「美乃里も興味持っちゃった?」 

「是非、聞かせてください」彼女は真剣な顔つきになった。

 料理長は、ただこの話をツマミの一品のつもりで話しただけだと思う。ところが、飲み喰いしていた美乃里までもが興味を抱いてしまった。

 二人は、料理長がそこをどう乗り切ったのかを聞かずにはいられなくなった。しかし、どういう訳か、口を閉ざしてしまった料理長……。腕を組むと、斜め上に掛けてあるタイトル『自由』と謳われた油絵を見つめている。それは、とても『自由』を表現したとは思えない暗澹たる色彩の抽象画だった。


「お待たせしました」

 店員が料理をテーブルの上に置いた。

「ああ、これはね、『伊勢海老のXO醤炒め』だよ。二人とも冷めないうちに食べてみて。和食では味わえないソースだから」

 白い湯気が立ち上っている。中華料理って、湯気が立つものなんだと認識させられてしまった。

 善幸は厨房へ目を向けた。〝目隠し〟を透かして見る――たった今、コックが強火で煽っている鍋から皿へザァーッと移した。待ち構えていた店員がトレイにのせてサッサと運んで行く。この一連の動線を見通すことができた。


「これ、唐辛子ですか?」美乃里が訊いた。

「そうだよ、大きいだろう。びっくりした? そんなに辛くないから大丈夫だよ」

 初めて見る大きさの唐辛子。干した赤いピーマンのようだ。その存在感が気を引く。そんなに辛くはないと言われても、その姿がなんとも恐ろしく思えた。

 美乃里は、早速、取りづらそうな箸使いで皿に分け、善幸に渡した。

 善幸はエビの塊を箸で掴むと、皿にドロリと広がっているソースをからめて半分喰い千切った。見た目の予想を覆す味覚への唐突さって、愉しみの首を絞めつけ全身を硬直させるほどの衝撃があった。

「どうだい、味は? この伊勢海老は冷凍じゃないよ」

 すぐに訊かれても答えられない。口の中がいっぱいだった。吐く息で熱さを逃がしながら塊を噛み潰していく――。

「美乃里も、善幸の感想を待ってないで食べてみたら」

 彼女は一口サイズの塊を頬張った。しかし、失敗。おちょぼ口のくせに強引に中へ押し込んでしまったのだ。奥歯で噛み潰すためにはその塊は大きすぎた。噛み潰せないから口から出そうとしているようで、手で口を塞いでいる。

 難なく飲み込んだ善幸が、美乃里に言った。

「熱いだろ、大丈夫か?」

 美乃里は口をモグモグしだした。

「美乃里、もしかして前歯か?」

 料理長の観察眼は善幸より勝った。彼女が前歯を使って半分にしたと判断したようだ。

 美乃里は咀嚼しながら余裕の笑みを見せた。ゴックン、「セーフ!」と言って箸を持った手を横にシャーッと野球の塁審が下す真似をしてみせた。口から出さなくて済んだというこの意思表示には、流石に料理長も引いてしまった。

 これまで見せたことのない幼気なその姿……。店で働いている美乃里とは別人のようだった。弾んだ声とストレートな笑顔での会話。彼女は、おきゃんな娘のように振る舞っていた。

 その様子を見て、善幸はひとり悦に入る。同時にこの思い掛けない彼女の一面と、『港の見える丘公園』で終始気遣わしげな顔をしていた彼女とを無理矢理重ね合わせようとした。

「とても美味しいです。これ、何炒めでしたっけ?」美乃里が料理長に訊いている。

「おまえ、聞いてなかったの? XO醤炒めだよ」善幸はしっかりと聞いていた。

「確かに和食にはない味ですねえ、味に深みがあってご飯と合うと思います」美乃里が感想を述べた。

「ご飯と合う? なんでそこに行っちゃうの? これ、高級食材だぜ。テーブルに漬物と味噌汁がのってるか? 食レポ下手過ぎ。ご近所まで味と香りをお届けするような言い方っておまえには無理そうだな」

「うるさいよっ!」

 美乃里が怒った。彼女は、料理長に話し掛けていたのだ。

 善幸は口を閉ざすことにした。  

「美乃里が、口の中を火傷したんじゃないかと思って心配したよ。善幸とキスが出来なくなったら責任を感じちゃうからな。ハハッ、でもよかった」

 料理長に救われたようだ。〝障害物〟を跳ね除けながら会話をしてくれている。そんな優しさも料理長は持っていたのだ。

 前を通り過ぎようとする店員を料理長が呼び止めた。

「フカヒレの下処理、やってあるよね? 副料理長に確認してくれないか」早く持ってくるようにと指示をしていた。料理長は料理の出す順番を気にしているようだった。


「同じものを食べ続けるのは、単純作業をやり続けてるのと一緒。味気ないものだよね。特に強い香辛料で調理した料理の〝重ね喰い〟は意味がない。いいかい、二人とも、一口目を愉しむんだ」

「はい!」二人の返事が揃った。                  

                                    (つづく)


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