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【砂利道を歩く野良犬たち】      作者: トントン03
第三章 【山下公園】と【港の見える丘公園】
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―山下公園と氷川丸の相性  右サイドには横浜マリンタワーが聳え立つ ― (すべてを話してしまっていいのだろうか……。美乃里は思いあぐねていた)

第二十二話



 ―山下公園と氷川丸の相性  右サイドには横浜マリンタワーが聳え立つ ―

 (すべてを話してしまっていいのだろうか……。美乃里は思いあぐねていた)

 

 

 二人は、関内駅から歩いて『港の見える丘公園』へ行こうとしている。東京駅六番線ホームから京浜東北に乗った。

「おまえ、ヨコハマって行ったことあるよね?」と訊くと「善くんは詳しいんでしょ?」そう訊き返してきた。ここから始まった二人の会話からでは、横浜と言えば、家族で中華街へ食べに行く序に散歩した山下公園とか、「ブルーライトヨコハマ」に「よこはま・たそがれ」が遠くから聞こえてくる程度の印象でしかなかった。


 横浜で乗り換えて関内駅に着くと、そそくさと美乃里が駅員室に近寄っていった。『港の見える丘公園』へ行く道順は善幸も分からないと思ったのだろう。

「寄り道せずに行けば、歩いて三十分はかからないと思いますよ」と駅員が教えてくれた。その駅員は、壁際に沿って並べられているラックを示し、周辺の見どころが簡単に記されている地図が付いた飲食店のパンフレットを持って行った方がいいと助言してくれた。見ると、そのラックには観光地だけあって十種類以上のパンフが並べられてあった。彼女は、その内の二つを選び取った。   

 善幸は空を見上げた。一様な薄い雲から判断すると、予報通り横浜でも雨は降らなさそうだった。ゆるい向かい風に逆らいながら、閑散としている横浜スタジアムの弧線上の歩道に沿って二人は歩いていく。

「ありがとね、善くん」

「何が?」

「バッグだよ」

「それ、ブランド物じゃないから、お礼を言われると逆に肩身が狭く感じるよ」

 二人は不愉快な思いをした“ブランドショップ”を出た後、地下街の雑貨店にぶら下がっていたバックを手に取り、美乃里はこれがいいと言った。遠くからでもしっかりと判るように値札が付けられていたそのバックは五千円もしないものだった。

「善くん、いいんだよ、あたしが気に入るかどうかが一番大事なことなんだから。ブランド品だってそのうち気に入らなくなれば使わなくなるし。これは気に入ったんだよ。だから、あたし、ずうっと使い続けると思う」

「そう言ってもらえると、うれしいけど……」

「貧乏性なのかな、あたし」そう言うと、仮初にも彼女は腕を組もうとしたのだろうか。不意に善幸の左肘に手を掛けてきた。が、すぐに離してしまった。

「山下公園ってこの先なんだね」彼女が、飲食店のパンフレットに載っている道案内を見ながら言った。

「駅から歩いて行ける距離なのは知ってたけど。そうだな、せっかく来たんだから行ってみよっか。今日のデートは公園めぐりだ!」

 善幸は、彼女の肩をポーンと叩いた。


 二人は、通行量のある通りを渡り、公園の中へ入っていった。平日だと人出はこんなものなのだろうか。ベンチが湾に向いて一直線に並んでいる。ここから見通すと、切りがわからないほどのベンチが設置されていた。恋人同士が座って将来のことについて語るロケーションとしては最高だろう。けれど、空いているベンチが目立っていた。


 矢庭に、後ろから二人を追い越して行くランナー。フードを被っているので、性別は分かったが年齢はわからない。地面を蹴り上げ、走って行くその後ろ姿に夕陽が当たっていたとすれば、まさに青春ドラマを見ているかのようだ。公園って、やっぱり晴れの日がお似合いなのは間違いなさそうだ。

「善くんさ、どこまでも走って行けそうだね、あの人……」

「走っている姿見てると、後について走りたくなるな」


「そうだね、でも……」 彼女の歩く速度が遅くなった。


「でもって?」

「……あたし、走るのはダメなんだあ」

「おまえ、何かスポーツやってた? やってそうな身体してねーもんな。見た目、運動神経が悪そうだし」

 美乃里は、邪魔な善幸の顔を避けて、湾に浮かぶ無数の海鳥を見ている。潮風が陸に上がり込んで来ているようだ。彼女の髪が歩くスピードに合わせ靡いていた。

 途切れてしまった会話に、善幸は違和感を覚えた。

 前方にいる風采の上がらない中年の男が、一人ベンチに座っていた。その男は、毛糸の帽子を取り膝の上に置くと、頭の後ろに両手をもっていき大きな深呼吸をはじめた。目は開けたままだ。男の目線の方向には、なかなか進もうとしない貨物船が浮かんでいる。

 二人は男の前を通り過ぎた。

「見た? 今の赤ちゃん、髪の毛がフサフサだったね」

 善幸は、それを見過ごしていた。確認しようと振り向いたら、肩より高く持ち上げている食いかけのハンバーガーが見える。カラフルなベビーカーを片手で押しながら、ハンバーガーを食べている母親とすれ違ったのだ。園内はだだっ広い。辺りを見回したが、店など見当たらなかった。どこで買ってきたのかは知らないが、温かいうちに喰えよ、急いでないならせめてベンチに座って喰えっ、と言いたくなった。

「フサフサだったとすると、将来、男の子なら禿げないよ」

「えっ、そうなの?」

「そうだと思う。でも、どうなんだろう」

「医学的裏付けとかってないの?」

 美乃里がクスっと笑った。

「いい加減なことは言ってないよ。最後に『どうなんだろう』ってちゃんと付け加えただろ」

「今の善くんの話って変だよ。不確かなことを確認しただけってことでしょ?」

「話が成立しているかどうかは第三者が絡んだ場合にのみ問題視されること。二人だけの話なら、たとえ成立した会話になってなくてもいいんだよ。互いに何とかして近寄ろうとする気持ちが大切で、そんな関係になるためには、思い遣りってやつが必須だと思うんだけどな」

「まともなこと言ってるんだかなんだか、怪しい……」

「もういいよ、おまえとの話は不成立ということで俺は構わない」

 善幸は、憮然として溜息をついた。

 どうでもいい話なのに、逐一互いに反応しムキになってしまう二人。でも、善幸が不満そうな顔を向けると、美乃里はニコッと微笑む。彼女はそれを楽しんでいるかのようにも思えた。

 この先に、ベンチを挟んで置いてあるドラム缶ぐらいのゴミ箱があった。

「そんなことよりさ、それ、邪魔だろ。捨てちゃえよ」

 善幸は持ってきた方のバッグを指さした。そのバックは、先ほど彼女が店員にそのままでいいと言って受け取ったトートバッグと一緒に右手で握られていた。歩いていると、バサッ、バサッと足にぶつかり歩き難そうだったのだ。しかし、自分が持ってあげればいいだけのことだった。

「それはあたしが決めることなの。二つの内、邪魔な方を捨てるとしたら、善くんに買ってもらったバッグを捨てる!」

「ええっ、何だか知らないけどさ、それって、そんなに大切なものなの?」

 彼女は、桟橋に縛り付けられている氷川丸に目をやった。

「このバッグね、中二のときにお母さんに買ってもらったものなんだあ……」

 この時、彼女のお母さんが居なくなった理由が、幾つか頭の中に浮かんできた。

 両親が離婚し、彼女は父親に引き取られた、それとも死別? でも死別は違う。死別ならば隠す必要はないのだ。まさか……失踪か? この時、居なくなった理由をはっきり聞き出したいと思った。だが、このタイミングってどうなんだろう。ぶらぶらと散歩しながら聞く話ではなさそうだし、俺たちって何でも話せるほど深まった関係になっているのだろうか。それを考えると言い出すことができなくなってしまった。何も返せず、善幸は無言のまま歩いている。

 すると、美乃里が、

「話すことがいっぱいあり過ぎて、善くんに何を? 何から? 話せばいいんだろう……」

 この一言で、グッと心が彼女に引き寄せられた。

 美乃里は、これから、溜まっている悩み事を打ち明けようとしている。仕事場で弾けるような彼女の笑顔をみたことがないのもこれが関係しているのではないか? 話を聞いて行けばそれも分かってくるはずだ。

 お父さんは出張でほとんど家に居ないのだから、彼女は日常的に家に帰れば独りきり。悩みを打ち明ける相手は誰もいなかった。 


 歩いている左前方から氷川丸が迫り来る。善幸は、小学生の頃、家族と一緒に山下公園を散歩したとき、兄貴が氷川丸の船内を見たいと親にせがみ見学したことを想い出した。

「氷川丸の中に入ったことある?」と訊いてみた。

 その様子からないようだ。

「船内を見学できるんだよ。でも、今の時間からじゃ無理かな、今度にしよう」

「この船、厩舎で繋がれている馬みたいね。あたし、見学したいとは思わない……」

 彼女は氷川丸から目を逸らせてしまった。

 善幸はどういう意味かと思い船を眺めている。どうやら、船首と船尾を四、五本の鎖で雁字搦めに繋ぎ止められているのを見て言ったのだろう。彼女は馬との良い思い出でもあるのだろうか。そんな話もそのうち聞けたらいいなと思った。

「確かに、あれじゃ身動きできないね。引退した競走馬だったら、即、殺されて動物園の肉食獣の餌だろうな。氷川丸はさ、廃船になったわけじゃないんだ。それに生き物じゃないし、繋がられてても苦しさは感じないよ。船内を見学するとわかるけど、著名人が結構乗ってたみたいだね。誰だか忘れちゃったけどさ。なにしろ氷川丸って、あっちゃこっちゃへ引きずり回されてたみたい。豪華客船だったり、戦中は病院船で使用されたかと思ったら戦後は引き揚げ船だったりさ。氷川丸の航跡を辿ると見方が変わるかもよ。船内を見学した人は、自分の人生行路と重ねて想いを馳せる? 繋がられてても氷川丸って凄いやつなんだよ。今だって暴れたら、あんな鎖なんかぶっちぎっちゃうと思うな。大人しくしているだけさ」

「善くん、さっきの話なんだけど……」話を遮るように彼女が言った。

「さっきの話って?」

「あたし、走るのはダメって言ったよね」

 それは、さっきフードを被って二人を追い越していくランナーを眺めながら話したことだった。 

「走るのがダメな奴は運動神経が悪いって言ったのを気にしてんの? 気にしなくていいって。夕陽を浴びながら、どっかの海岸の波打ち際をおまえと一緒にジョギングする予定はないからさ」

「そうじゃなくって、あたしね、百メートルも走れないの、心臓が悪いんだあ……」

 おっと、穏やかな話じゃなかった。言った矢先、彼女の顔色が乗り物酔いでもしたかのように変化した。

 善幸は、突然聞かされた〝心臓が悪い〟という言葉に、〝もう元には戻れない、先に進むしかないんだ〟そんな致命的な印象を受けてしまった。身内や友だちから「肩が凝ってしょうがない」とか「俺って、頭が悪くてよお、顔も……」とはよく聞くけれど、〝心臓が悪い〟って、どういうことなんだろう。

 善幸は、何故か、曇り空の向こうで陽が沈んでいくのが見えた。動揺が顕になった。

「なになに、どうしたの?」彼女の顔を覗き込んだ。

「ごめんね、こんな話なんか聞きたくないよね。楽しい話にしよっか……」

 そう言われても、パスありのクイズをやっているわけではないのだ。

「楽しい話なんかどうでもいいよ、治そうぜ! 治るんだろ?」

 善幸は希望をねじ込んでみた。

「心配しなくていいから。ふつうの生活する分には大丈夫なんだよ。激しい運動さえしなければいいだけ」

 歩いてきた延長線上の並べられているベンチをみると、知らぬ間にカップルで埋まりはじめていた。カチッとスイッチを入れた灯りが合図だったかのよう。園内を累々と塗り重ねている希薄な墨汁が風景を暈していく――。

 善幸は、心配そうに彼女の横顔をチラチラと見ながら歩いていた。


 氷川丸を眺めるためだけに作られたのだろうか。湾の方に出っ張った半円型の手摺りが設けられていた。そのスペースへ二人は入っていった。

 澄ますと、打ち寄せる微かな波の音が聞こえてきた。二人は手摺りに寄りかかり、氷川丸の船首を見上げた。

「いつから悪くなったの?」善幸は本題に入るよう促した。

「高一のときにわかったの。風邪を引いて近くの病院で診てもらったら、先生が心臓の音が変だって。大学病院を紹介するから診てもらえって言われたんだあ……。お父さんも心配しちゃってさ。自分でも大層な病気に罹ったんじゃないかって不安になったよ。その日は怖くて眠れなかった。なんで今までわからなかったのかって、不思議に思ったよ」

 高一ということは、お母さんは中二の時に出ていったのだから、既に家には居ない。娘の心臓が悪いってことを知らないまま出ていったのだ。もし知っていたら、お母さんは家に居たんだ! 彼女はそう思っているに違いなかった。

 善幸は、彼女が心の底から笑えない原因って、これだったんじゃないかと推察した。

「病院に行けば、必ず聴診器で心臓の音を聞くわけだから、医者が何度も聞き逃したってことだよなっ、いい加減な医者だっ!」

「でもね、早期にわかったとしても、手術する以外治す方法はないんだって。あたしの病気は弁膜症なの。先天的なものだって言われた。心臓の弁膜ってわかる?」

「血液を押し出したら逆流しないように堪えてくれてるやつじゃないの?」

「その弁がね、狭くなってるの」

 美乃里は、大動脈弁膜狭窄症とはどういう病気なのか、どのような手術をしなければならないのかを分かり易く説明してくれた。

「じゃあさ、手術すれば治るってことじゃん、違う?」

「先生がね、手術するにしても、心機能がある基準以下にならない限り、待ったほうがいいっていうの」

「なんで?」

「十年も経てば、医学だって進歩するだろうし、人工弁の耐久性や信頼性も確認できるからって。それに全く違った人工弁が開発されることだって考えられるでしょ。今より人工弁の選択肢が増えて、患者さんの体により合ったものを選ぶことができるようになるんだよっ」

 美乃里の口調は、善幸に何かを訴えかけているような勢いがあった。

「手術するにしても、時間を掛けた方がいいってことか……」善幸は、氷川丸に語りかけるように言った。

「この先、手術するにしても、それまでの時間が十分あれば、手術代だって自分で貯められる。誰にも迷惑をかけないで済むんだよ。あたしね、親方のところで働くようになってから、少しずつだけど貯金してるの。高度な先進医療だと保険適用外ということも考えられるじゃない。どのくらい貯められるかわからないけど、あたし、いっぱい貯めるんだあ。もしかしたら、善くんより長生きできるかもしれないよ、良いこと尽くめでしょ?」 

「なに言ってんだよ! 今から死ぬことを考えてどうするんだよっ」

「自分のことだもん、自分で何とかするしかないんだよ。人って、いつかは死ぬんだ……。善くん、知ってた?」

 善幸は、彼女の面魂を垣間見たような気がした。

「当たり前だろ!」

 そうは言ったが〝死〟に関して此の方考えたことなどなかった。彼女は、ある日、医者から告げられた病名を聞き、俄に〝死〟が頭を過ったのだ。高校卒業後の自分のような自堕落な日々を送ってきたわけではなかった。

「分かってるならいいんだよ……」

 美乃里は、大人びた面持ちで言葉を返した。

「行こう、まだ行くところがあるんだから」

 そう言って、善幸は彼女が両手で握っている二つのバッグを奪い取り、先に歩き出した。

 美乃里は、善幸の背中に話し掛ける。

「善くん、あれマリンタワーだよね?」

 善幸は振り返り、

「そうだよ。今度来たときは、あそこから眺めてみような。満月で星がキラキラと輝いている夜景を二人で見てみたいからさ」目先の小さな約束を提案してみた。そしたら、

「そんな欲張りな条件を要求したら、運に見放されて叶えられなくなるよ」

「こんなのが欲張りなの?」

「欲張りだよ……」

「時間を掛ければ叶えられるんだろ? さっきそう言ったじゃん! こんなことが欲張りなわけ無いだろっ、十年後? それとも二十年後? その日が来るのをじっと待ってればいいだけさ。必ず叶えられるから……。大丈夫だって!」


 二人は立ち止まって、右側に高く聳え立つマリンタワーを見上げていた。   (つづく)


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