―銀ラメのストッキングは、パーツモデルの必須アイテム―
第十二話
―銀ラメのストッキングは、パーツモデルの必須アイテム―
(接近して行く二人が向かう先とは)
毎朝、美乃里は専門学校へ行く前に店に立ち寄り店先を掃除する。それを終えると、テーブルの上の〝備え〟の準備にかかる。テーブルを拭き〝備え〟をセットするまでの仕事を、小一時間でやり終えてから学校へ向かう。その後、入れ替わるように、酒井のおばちゃんが、旦那さんと三十過ぎの一人息子を送り出してから店に来ることになっていた。
板前が辞めてから、酒井のおばちゃんと美乃里は、そんな段取りで行こうと、親方には相談もせずに決めたらし。
美乃里は、そのお決まりの仕事を終えると「行ってきまぁーす」といつものように親方と善幸に声を掛ける。すると、「居眠りしちゃだめだぞっ」と、親方の声が付け出しのように出てくる。その後、善幸が「気を付けてな」と言うと、その声を背中で聞きながら店を出ようとするのだが、あの“衝立て事件”以来、なぜか決まって一旦振り向き目線を向けるようになった。その様子からだと、本当は「善くん、行ってくるね!」と声を掛けたいのではないのか。それが出来ない理由は、きっと、今まで声を掛けたことなどないのに、突然やりはじめたら、親方が変な誤解をしやしないかと気にしているからに違いなかった。
そんなことは余所に、善幸は魚を捌きたくて仕方なかった。かといって、やらねばならない仕事をすべてマスターしたわけではない。でも、早く魚を捌きたくてやきもきしていた。
今、親方が包丁の背で細魚の皮を引いている。シャー、シャーと手早くジッパーを開け閉めするような音を立てていた。細魚は、蛇がトグロを巻くように身を縮こませる。それを見ていたら、シャーされた後の背中がヒリヒリしてキューッと悲鳴を上げているように感じてしまった。自分もこのような魚の皮を引く音が出せるようになれれば、一端の板前になったという証しになりはしないだろうか、とふと思った。だが、余計なことを考えている暇はない。善幸は、先日教わった胡瓜とタコとワカメの酢の物の下拵えをやらなければならなかった。
客足が途絶える午後二時過ぎになった。善幸は、親方より先に、酒井のおばちゃんが用意してくれた賄いを食べようと、美乃里がいつも着替えている小上がりの席に座った。
何気に食べはじめたところへ、親方がやって来て話し出した。
「冬季から春先までの限定メニュー『悠の膳』の魚は、細魚でいくぞ。三月になれば、初鰹が出てくる。細魚は四月頃までだから、平行して出すつもりだ。しかし、お客さんの選択肢をもう一つ……お客さんも同じネタばかりだと飽きてしまうからよ。そうだなあ、一月には寒ブリの刺し身と、定番のブリ大根か照り焼きで大盤振る舞いといくか。でも二千四百円じゃちょっとキツイな。良い寒鯖が手に入れば塩で〆て、という妙技もあるかぁ……」
「寒鯖ですか、脂が乗ってそうですね」
「その時になったら、おまえにも喰わしてやろう。それぞれの魚の味の違いを知っとかないといけないからな。ほら、細魚も旨いから食ってみな」
善幸は、賄いとして出してくれた細魚の刺し身に目をやった。その時、数日前、酒井のおばちゃんが耳元で話してくれたことが頭に浮かんできた。それは、「鮮魚を扱っているどんなお店でも、賄いで刺し身が出てくることなんてないんだよ」
善幸は、細魚の切り身を口の中へ入れた。
「うん、美味しい」と言いながらも、随分と癖のない上品な魚だなと感じた。やっぱり細魚って食するものじゃなくて観賞魚なんじゃないだろうか。
細魚……。今朝、見慣れぬ薄い発泡スチロールの箱が一つだけ一番上に置いてあった。いつも仕入れ業者が、早朝、預けてある鍵で店に入り注文した魚を築地から運んでくれていた。当初、見たことのない細っこい魚で愕き、「この魚、食べるところ、あるんですか?」と親方に名前を訊きながらそう訊いたことがある。それは、文字通り秋刀魚の半分くらいの細さで、長さは三十センチぐらいの魚だった。それを親方が器用に三枚に下ろしていた。
里芋の六方剥きをしている善幸の手が止まった。(鰹のような太った魚でも、細魚のようにほとんど身がない魚でも、三枚に下ろすのかあ~、何と手間のかかる魚なんだろう)そう思いながら親方の包丁捌きに見入っていた。
親方は、板前がいなくなってから自主的に動いてくれる酒井のおばちゃんや美乃里に、感謝の気持ちとして金銭面では不可能なので、せめて賄いでその気持ちを示したいと思ったのではないだろうか。その日のお勧めで出すような魚を、賄い分として前もって撥ねておくことがあった。また、見習いである善幸に対しては、食材を問わず鮮度を生かした料理というものを早く舌で感じとれるようになってもらいたい、そういう焦りの気持ちもあったのかもしれない。面接に来た時から、親方は何故か実の息子のように接してくれていた。
賄いの時間は、客の出足が悪くなる午後二時半以降でその時間は十五分もなかった。決められているわけではないけれど、食べ終わった後、少しだけ食休みすると、善幸は直ぐ厨房に立った。それは、親方にも早く食事をしてもらいたいという思いからだった。
美乃里は、学校が休みの時は早朝から手伝いに来てくれていた。賄いの時は、善幸と向い合って食べていた。その時の話題は、彼女の学校での話が主で、善幸は聞き役に回っていた。
おばちゃんと言えば、絶えず店のことを気遣い、辞めていった板前たちが担当していた仕事のうちで、自分がやれることはないかと考えながら動いてくれていた。それは、親方の一番の理解者だからやれることだった。善幸は、最近になっておばちゃんのその熱い想いを窺い知ることができた。
先ほど学校から帰ってきた美乃里は、着物に着替えるとレジ台に置いてある暖簾を軒先に掛けにいった。
親方は、百インチ大型TVくらいはある通り沿いに設けられているハメ殺しの窓から、向かいの電気屋の看板【家電業界のお人好し 中村電器の馬鹿野郎!】をぼんやりと眺めていた。
客足が止まった時など、親方が善幸に独り言のように話し掛けてくることがある。その独り言とは、「中村電器の看板をどう思うよ、善幸……。最安値では家電量販店にかなわないんじゃないか? そんなに安くは出来ないだろう。先代がいた頃とは違うからな。今はよ、朝早くから店頭に出す客寄せ乾電池の売上げと、メーカーからの家電の修理依頼とエアコンの取付けぐらいだ。それを息子と二人でやりながら生計を立てているようだが、息子のサトシは出て行ったきり帰って来やしない。もう、一月半経つかなあ……。何を考えていやがるんだか、あの馬鹿野郎がっ」
親方は、暫く眺めていた看板から目を落とすと、今度は中村電器の店内の様子を窺っている。天井からぶら下がっている何処にも行く当てのない無数の照明器具は、店内を煌々と照していた。そこには、一人……椅子に座り、机の上に肘をつき、一点を睨みつけている旦那がいた。その姿を、親方は小上がりの窓から見つめている。
善幸は推察してみる。
(中村電器の旦那は、毎日一人息子のサトシが帰って来るのを只管待っている。その様子は、殴ってしまった反省をしているかのようにも見えた。もし、突然サトシが帰ってきたら、何も言わずきっと「あっ、そうだ、そうだ、サトシぃ~、明日エアコンの取付があるからさ、父さんと一緒に行くか?」とか言って、何事もなかったかのように声を掛けるんだろうな。サトシもきっと「どうしよっかなあ~、まあ、暇だし手伝ってやるかあ~」なんて言いながら、一緒に軽トラへ乗り込むのだろう……)
善幸には、そんな会話が成り立ってしまいそうな親子関係が羨ましく思えてならなかった。一方、親方の瞳には、狼狽える様子のない旦那の姿が映っているように感じ取れてしまった。
陽は暮れ、街灯の明かりが付くと同時に、スポットライトが〝看板〟を照らし出した。
「いらっしゃいませえー」
美乃里が扉の開く音に反応した。履物をパタパタさせて格子戸へ近づいていく。親方と善幸は厨房へ戻った。
今日は金曜日。入って来たのは、週に二、三回のペースで来てくれる三人組の常連客だった。天下りを多く抱える近くの外郭団体の職員で、これといった楽しみも大分減ってきた五十代半ばの、旬をとっくに過ぎた大衆魚といった男たちだ。
彼らは、小上がりのいつもの席に胡座をかいた。
「取り敢えずビール。今日、何かある?」
白髪頭にまだ黒いサシがしっかり残っている一人が言った。
「今週から細魚が入荷していますけど」
「細魚? この店で出すのはじめてじゃない? じゃあ、それと他に三、四点を盛り合わせてくれる?」
美乃里は、「わかりました」と元気よく返事をした。
それを聞いていた厨房にいる親方と善幸、それに酒井のおばちゃんが一寸遅れて動き出した。
酒井のおばちゃんが棚から盛皿を取り出してまな板に寄せると、すかさず親方はその上へ善幸が毎日桂剥きで作っている大根の敷づまを散らした。
善幸は、まだ刺し身には触れられないし、何をしようかと戸惑うも身体が動かないでいる。真横で、ただ親方の動きを見ていた。
親方は、三枚に下ろしておいた心許ない細魚を冷蔵ケースから一掴み取り出した。柳刃包丁の切っ先にそれをひょいと引っ掛けると、宙で反転させた。まな板上と、目先の宙で細魚を自在に操っている。ほとんど切り身を手に触れること無く切っ先を菜箸のように扱っていた。そして、盛皿の上に、食材の善し悪しを知り尽くした職人が手間を積み重ねていく――。
親方の手は漂白でもしたかのように白く見えた。一定のリズムが刻み込まれた職人の動きには、無駄を挟む余地がないように思われた。
所々、先ほどの糸状の白い砂浜が設置された碧い盛皿には、人数分の細魚たちが“脚のパーツモデル”でもあるかのように、銀ラメのストッキングを穿いたまま惜しげも無く晒していた。しかし、その脚を組んでいるポージングとそれを盛り付けた親方とのマッチングが、どうもピンと来なかった。
暫くの間、何もせずに見ていた善幸だったが、親方に「なに突っ立ってんだ、手を動かせ!」とは言われなかった。不思議と、今まで一度も言われたことがない。
親方は、一時間前に捌いたヒラメの柵をそぎ切りにした。それの盛皿の置きどころを定めると、隣の細魚に触れては失礼かと気を使い、三枚の青葉を敷き込んだ。そこへそぎ切りにした半透明のヒラメを束ね合わせた。その姿は真っ白な山茶花に見えた。
善幸は思った。(親方は山茶花に見立てたのだろうか)この時期、白い花と言えば、実家の庭に毎年咲いていた山茶花しか思い浮かばなかったのだ。
花形一つで、一人前はゆうにあった。それが三つ大皿に落とされた。しかし、この二品だけでは大皿は埋め尽くせない。次に出てきたのが、親方が早朝から下拵えしていた鮗の昆布〆だった。それを見て、善幸は「おっと、気持ち悪っ、こんなの勘弁してくれよお」心の中でそう叫んでしまった。今日帰るときに、「日本酒に合うから、喰ってみろ」と言って渡されるのだろうか。鮗の昆布〆なんか、冷蔵庫の中に入れっぱなしになりそうだ。でも、きっと親方は訊いてくる。「善幸、どうだった、鮗の昆布〆は?」だから、一切れだけでも味見はしとかないといけない。けれど、忌み嫌うのは味ではなかった。
鮗の背には、不気味に光る濃淡の黒い斑紋模様があった。それが盛皿の上で、(どうだあ?)と云わんばかりの姿を見せ付けている。とりわけ、半身を長角に切り井桁に編み込んだ絵面を見たら、善幸が高校生の頃に偶々見たテレビ番組のある衝撃的なシーンを思い起こしてしまったのだ。
それは、アマゾン川上流の前人未到の地へ赴き、調査隊が未知なる生物を探索するというドキュメンタリー番組だった。
―蛇の共食い(必ずしもデカい方が飲み込むとは限らない)―
テレビの前で、善幸はCMが終わるのを待っていた――。
冒頭で、ナレーションがテロップ付きで流れてきた。早速、何かが起こりそうな予感……。のっけからスリルを感じさせた。
調査隊の白人三人と現地案内役の二人で、中型のボートから船外機付きのカヌーに乗り換え、川幅の狭い上流へと進んで行く。おっと、もう一人、忘れてはならない同行者がいた。カメラマンだ。彼は、後方から今回の探検ドキュメンタリー番組を息を呑むような、それでいてストーリー性のある映像に仕上げなければならないという任務を負っていた。
映像がいきなり切り替わった。赤黒い曇天が、画面いっぱいに広がっている。まるで、ここからがスタートだと言わんばかりの映像の切り替わりに驚かされた。
カメラマンは、アマゾンには晴天など似つかわしくないと考えているようだ。はじめから反日常的空間を感じさせた。そこから、レンズの目線は音を立てないようにゆっくりと下りていく――。
すると、空へ向かって競うように伸びている高木の先端が顔を出してきた。(善幸は、自分がカメラマンになったつもりでファインダーを覗いている)
可笑しい……まだ音が聞こえてこない。現場が非日常であるという効果を過度に醸し出そうとして、編集で音声をカットしてしまったのだろうか……と思ったら、突然、森閑を破り、キィーッと悲鳴なのか威嚇声なのか、何某かの動物の鳴き声が響き渡った。善幸は猿だと思った。その姿は見慣れたニホンザルなどではない。きっと筋骨隆々の毛が逆立っている猿だと推測した。
この頃、善幸は、高校の文化祭で各クラス毎に発表することになっている放映時間二十分の映画の編集を担当していた。実行委員のメンバーが決めた今年のテーマは【日常生活の中で遭遇した驚き】だった。善幸は、その〝驚き〟をどのように表現していいのか、タイトルだけは決めたものの、その先へ進むことが出来ないでいた。なので、今、偶々見ているドキュメンタリー番組の映像を追っている目は、一般視聴者のそれとは異なっていた。
夜の七時だというのに、家にはまだ誰も帰ってきてはいなかった。両親は共稼ぎで、腹が減ったら適当に冷蔵庫の中の物を喰ってろ、と母親から言われていた。しかし、空腹より、この映像の行方が気になって仕方がない。予想だにしない映像に善幸は引き込まれていった。
周囲を見回しながら、音もたてず漕いで行く現地人二人……。
濃いコーヒーにミルクをちょろっと垂らした色の川面なので、頗る透明度が悪そうだ。画面を見ていたら、テロップで「スクリューに水草が絡まないよう船外機は止めている」と流れた。ちょっと待てよ、そのテロップの後に「極力音を立てないために……」、これを忘れてやしないか? その方が、探検隊と密林とのやり取りの状況を視聴者へ的確に伝えられるはずだ、などとプロの編集者になった気分で独り言をいってしまった。善幸は、ドンッと両足をガラステーブルの上にのっけた。
川面の流れは止まっているように思われた。けれど、様子がどうも変だ。川底では新種の大鯰が縄張り争いをしているかのように思えてならない。そのエネルギーは、アングル的には外連味のない流動で、ドラム式洗濯機のような縦方向の渦をあちらこちらで発生させていたからだった。今にも飛び跳ね、その姿を現すのではないかと、ただならぬ様相を呈していた。
またテロップが流れた。
【南米アマゾンの熱帯雨林では、まだその存在を知られていない驚くべき生物が三日に一回の割合で発見されている】
目の前の枯れ木が交差し、行く手を遮っていた。これ以上カヌーでも上流へは進めない。そう判断した調査隊の三人は、仕方なくカヌーから降りて密林の奥地へ進もうとしている。
先ず、案内人の一人が泥濘の中へ身を投じた。ズボッと膝上まで潜ってしまいバランスを崩すも枝を手繰りながら進んで行く。それに続く調査隊の姿をカメラが追った。“玄関”の前で、ズボンにべっとりと付いた泥を手でしごくように拭うと、一行は未開の地へと足を踏み入れて行った。
腐葉土のクッションの所為で、小枝の折れる音が聞こえてきた……。
調査隊たちは気付かないのだろうか。善幸には、密林の主たちが突然やってきた余所者たちを、身を隠しながら覗き見しているように感じられるのだ。でも、音を消すような足取りでは陽が暮れてしまう。もたもたしてはいられないのだろう。遠くの方からしか聞こえてこない鳥獣の鳴き声が不気味に響き渡っていた。
木洩れ陽も許さない枝葉の折り重なる下で、案内人の一人が、数メートル先にゴロンと横たわる苔の生えた太い倒木の辺りを見ていた。薄暗い茂みの中を、ヘルメットに付いているライトの光が交差する。その周辺で、調査隊の一人が案内人に先立ち、鈍く光っているものを発見した。そこへ近寄っていく――。
遠目からだと爬虫類のように見えた。ただ、蛇にしては姿態が歪だった。カメラマンがライトを当てるが、その光は散らかり過ぎてはっきりとは分からなかった。
その物体にもう一人の案内人が近づいて行った。そして、「来てみろ!」と皆に手招きをした。枯葉で胴体は半分埋もれているので分かりづらいが、倒木に胴体を擦り寄せるように全長三~四メートルの蛇が画面に映し出された。先ほど、案内人の一人がそれを太めの枯れ枝と見間違えたようだった。
カメラマンは、即座に探査隊の一人にカメラを向けた。その表情をとらえるためだ。徐々に映像が後退りしていく。その後、画面が切り替わり、カメラはまたその“被写体”に向けられた。
なんと、愕くことに蛇は二匹だったのだ。蟻の通り道を避けてのお食事中? ゆっくりとカメラマンはその様子をズームアップしていく。
頭から飲み込んでる方の蛇は、餌食となった蛇の胴体を三分の一まで飲み込んでいた。善幸は目を疑った。なんという光景なんだろう! 生唾を飲み込むと、手を喉元に当てた。
食されている方の蛇が苦し紛れにやっていることとは――。相手の首にマフラーでもするかのように、胴体をクルクルッと三、四周巻きつけている光景だった。決して懇な関係などではない。しかし、締め上げれば、食されている蛇も、相手の口から出てこれなくなるのではないか。この体勢って、どっちが苦しいのだろうと一瞬考えたが、当然ながら頭から飲み込まれてしまった蛇の方が苦しいに決まっていた。
飲み込んでいる方の蛇は無表情だった。というか、トカゲのように瞼がないから、戦いに勝って満足しているのか、久々の食事にありつけてホッとしているのかは分からない。多分、勝負がついた現時点においては、戦いで結構な体力を消耗しているはずで、その疲れを癒しながらゆっくりと飲み込んでいるのではないだろうか。いやいや、相手がまだ動いている以上気が抜けぬと、全て飲み込むまで必死なのかもしれない。などと、頭の中で考えている……。少しづつではあるが、確実に頭を左右に振りながら、ゆっくりと奥へ送り込んでいた。
暫くすると、その姿態は段々一体感が出てきた。が、感情的には(何とかして相手の口から抜け出ろ、早くっ!)と声援を送りたくなった。巻き付いている方の蛇が観念し、その姿態が真っ直ぐになったとしたら、寂光の中で油が滲み出ている備長炭のよう……。しかし、まだ躍動感があった。尚も相手の胴体に巻き付こうとしていた。そんな様子を、カメラマンはじわじわとトラックバックさせていった。
なるほどねえ……。善幸は、この時、二色刷りから多色刷りの愕きへと変化させる映像テクニックを学んだ。それは、ズームアップされた映像から適当な間を取った後に素早くトラックバックさせ、二つの被写体が一体となる映像のインパクトだった。
映像は編集で早送りされていた。ズルズル~と一本の饂飩を啜り切るように、完全に飲み込んでしまった蛇を見て思った。太さは兎も角、もし飲み込んでいる蛇より飲み込まれている蛇の方が体長が長かったとしたら? 最後まで飲み込めず口から尻尾が出たままになりはしないかと……。消化されるまで、擬する黒光りしたぶっとい舌先が、口から出っぱなし状態になるはずだ。いつまでその尻尾は動いているのだろう。
味わうこともなく貪欲に飲み込んでしまった蛇は、秀でた臭覚と俊敏な動作で仕留めたことを誇示しているかのようだった。
肉食獣のような血まみれの戦いの痕跡は感じられなかった。骨を砕くような音も聞こえず、現存する獲物を魔法を使って静かにこの世から消え去ってしまったかのように思える。
丸飲みという食事作法は、肉食獣のように噛みちぎるわけではないから多量の血で辺りを汚したりはしない。コバエも集らないし腐臭もないのだ。食した後は骨どころか全てが消え去ってしまう。食事作法としては、もっとも麗しいスタイルではないだろうか。
蛇の共喰い……。なるほどぉ、考えてみれば、お互い一番飲み込みやすい獲物同士だった。そう考えたら、暫くの間、身震いが止まらなくなってしまった。
捕食し終え、倍に膨らんだ蛇の表皮を改めて見てみると、銀色の鱗が背中全体をテカらせていた。黒い無数の斑紋は何の役割を果たしているのだろう、擬態? 考えても分かるはずもなかった。腹側は黄色っぽく見えた。魚でいえば脂のノリの良さを感じさせる。
これらは、人工では決して作れない自然界の神秘的な色彩であることは間違いない。生きとし生けるもの、それらが生きるための適応能力の超人的な進化の謎というものは、現在のテクノロジーを駆使しても解明することは不可能。このことは、そこに携わっていない者でも直感的に推測できてしまうことではないのか。
我ながら、良い感じで結論付けられたことに対し、自己満足を得ることができた。
衝撃的でグロテスクではあったが、この映像は知らない世界を教えてくれた。この後も見続ければ、きっと息を呑むような映像が出てくるのだろう。しかし、善幸はテレビの電源を切った。
これが、善幸が鮗を口にすることが出来ない理由だった。だから、皮付きで食す鮗を飲み込むことなど出来るはずがない。 (つづく)




