―肇先生と五人の教え子たち―
長編です。最後まで読んでいただけると嬉しいのですが、しかし途中欠伸が出るまたはイライラする場合は仕方がありません。私の執力不足です。これでも飽きさせずに読んでもらうため、結構カットしたんですが、どうなんでしょうか。
昭和の佇まいの中で起こるエモーション。時として相手を深く傷つけてしまうタイムラグ・・・
ご意見ご感想をいただければ幸いです。あーあ、アニメにしたい~
今回のイメージソング:布施明の「駅」 *竹内まりやの「駅」のカバー
第一話
―肇先生と五人の教え子たち―
雨は上がったのだろうか……。
肇は改札口を出た。バスが連なるロータリーを見渡した。すると、閉じたばかりの傘を手にするサラリーマン達が、広げた扇子の要に位置する彼のところへ押し寄せて来た。それを避けるかのように遠ざかって行く。進む方向へ緩慢に伸びていく影法師。それを踏みつけながら歩いて行った。
やがて、影法師は何処かへ消えていき、現れた二人目の影法師は、視界から外れたところに隠れてはいるが、迷子にならないようぴたりと従いて来ていた。傘は持っていない。もう一雨来そうだなと思ったけれど気にはならなかった。
待ち合わせ場所はとても分かり易い。この通りを暫く行った所にある地下の店だ。車が贅沢に通れる一通の道路。人が行き交うことの出来る歩道付きだ。その表面がゴツゴツとしている石畳へ、街路灯がストレートに光線を投げつけている。見つめていたら、石畳はキャッチかバウンドかで迷っていた。終いには、ながらく降っていた雨との相乗効果で、黒ダイヤの輝きを手に入れたようだ。
風はどのくらい吹いているのだろう。冷えた頬では感じ取れない。況してや、スカスカの街路樹ではは判断ができない。おまけに従いてきた影法師さえ振らつくことはなかった。
一体、誰と誰なんだ、肇は気になって仕方がなかった。電車の中でも、そのことで頭の中がいっぱいだった。今日、声を掛け合い集まってくれている五人の教え子たち。その内のふたり……。彼は、自分の予想が外れて欲しいと思っていた。
連絡してくるのはいつも文子だ。彼女は彼女で、個人的に相談したいことがあるという。どうやら、同棲している彼氏のことで悩んでいるらしかった。
性格なのだろう。肇は、整理のしやすい問題から眺めていく癖がある。整理のしやすい?
いや、すべて手に余る難問かもしれない。いずれ容赦なくやってくるタイムリミット。見極めの難しさと、後に待ち構えている憂い……。彼は、行われる試験会場の門まで来ていた。
見ると、串揚が自慢なのか、ハロゲンランプでネタがこんがりと揚がっている見事なディスプレイが掲げてある。肇はその試験会場へと、狭くて急な階段を降りて行った。
気づいたのか、千本格子戸を半分開けたところで、「いらっしゃいませえー」店に響き渡る女性店員の声。奥から男性店員、「らっしゃいまっせーっ」が追いかける。
肇は、教え子が集まっている仕切られた部屋へ案内された。部屋の襖をそうっと開ける。
「……久しぶりだね、みんな、元気にしてたか?」
話し込んでいた教え子たちの視線を浴びた。懐かしさのあまり目を細める。この五人組とは、彼らが大学に入学した後も連絡を取り合っていた。肇は、彼らの〝事の始まり〟と〝大詰め〟、つまり人生の転機には必ず呼び出されるのだった。
「ああ、先生っ、お久しぶりでーす。この前会った時よりずっと元気そう、若く見えますよお、服のせいかな?」
小気味のいいあの頃の懐かしい声が聞こえてきた。あどけなさが残る和彩美だった。
肇の登場に女子は、六つの風車がグルグル回っているかのように手を振ってくれ、男子は拍手で迎えてくれた。その歓迎のお陰で、さっきまで抱えていた気掛かりがいっぺんに吹き飛んだ。とてもいい気分、率直にそう感じた。
「あまりの元気に年齢が後退りしちゃってね。ハハ、どっかにいかないように紐で縛っといたよ」
辺りに軽い笑いが弾ける。のっけから親しみのある会話が成立する。
六畳ほどの和室の真ん中に掘り炬燵。掛け軸などはないシンプルな部屋だが、内装を一新したばかりで幕開けから皆の気分を心地よくしてくれていた。和風の照明の下で、京壁に襖と障子で囲まれれば、そこに登場する店員は、はんなりした身なりと顔つきでなければならない。どうやら、この店は合格のようだ。
肇は上座に座らされた。彼の目の前に伏せてあるグラスを返し差し出す文子。彼はそれを受け取った。しかし、文子はビールを注ごうとはしない。すると、対面で座っていた優史がビール瓶を片手にこっちへやって来る。それを見て、すかさず笑みをつくった純子……。
和泉と和彩美が、泡の盛り上がったグラスを持つと、同じ高さに揃えた。見せ掛けの恋仲を演じているようだ。
優史が何も言わずビールを注ぎはじめた。〝一体、付き合っているのは、誰と誰なんだ?〟もう、その推測をする必要はなくなった。
乾杯をした後、肇は、予備校の講師を昨年に辞めた自分が今何をやっているのか、皆から二つずつ質問を受けた。それは、とても愉快な気分にさせてくれた。
この教え子たちは、傍から見ると難なく志望大学に合格したかのように見える。なぜなら、おおかたの受験生は、追い詰められた心境の中で集中しなければならない受験勉強を強いられているからだ。しかし、彼らは違った。真剣ながらも、仲間内で勉強同好会を作ってスクラムを組むと、そのままトライしようとしたのだ。やらなければならない苦手な必須科目は、それを得意とする者が興味をひく謎かけ問題へと変えてしまう。そのことが、スタート地点をグッとゴールに近づける効果を生んだようだ。
なんでもそうだ、興味をひくことだったら自ら進んで、それも友達をも巻き込んでやろうとする。そのためスピードが加速し、その勢いは受験に不要なのもを削ぎ落としていく。と、スピードに乗ってきたメンバーの一人が次の仲間にバトンタッチ。なんと、リレーをはじめてしまったのだ。それが互いにいい刺激を与え合い好循環が生まれたようだ。
受験勉強は、本来、独りでするものと思い込んでいる。気乗りのしないことを自らの意志でやろうとするのだから、本人にしてみればチと厄介だ。机に座り勉強をはじめようとする直前に、何かを挟もうとする。それは、準備体操のつもりなのだろうが、じわっと汗をかいてくると、不思議に止め時がわからなくなる。なぜなら、勉強より楽しいことだから。この年齢特有の悪戯な甘え言葉〝もうちょっと〟これがいけないのだ。読んでる漫画の続きや、「今、何してる?」的な意味のない友だちへのメールスタート。それに一番厄介なのは、ヘッドホンを被り、最近ハマってる曲をちょい聞きするつもりが、なんと想いを寄せている異性の陽炎が出没してきて頭が急激に冴えてきてしまうことだ。これを活用して、「さあ、勉強するぞ!」と意気込む者がいたとしたら感服してしまう。古典落語の演目の一つに、隣の鰻屋から団扇でパタパタと鰻を焼いている時の匂いで、勢い飯をかき込むという小噺があるが、一度体験させてやりたいものだ。
この時期は、勉強にあてる時間を少しでも作り出し、各教科を仕上げていかなくてはならない。受験勉強とは、本来、やる気さえあれば前に進むことはできる。しかし、問題はあくまでも効率的なやり方なのだ。目的地まで、出来るだけ最短のレールを引くことが出来るか、そのレール上で、脱線することなくスピードを保ちながら走り続けられるかが難しい。なんとか興味が持てるレベルまで我慢してやり続けられれば、あとは緩い坂道を下るような気分で進んでいける。受験を有利に進めていくためには、早い段階で〝興味が持てるレベル〟まで如何に到達できるか、これがキーポイントとなる。
出発時間まで、合格列車は扉を開けて待っていてくれる。また、運が悪く乗れなかったとしても、別な列車はあるし、来年もまたその合格列車は運行しているのだ。チャンスは一度ではない。まあ、率直に云うと、塾などいらないということになる。所詮、自分で何とかしなければならないこと、あえて云うなら、塾などは所詮、最短レールを敷設してあげ、スタート時の背中を目一杯押してあげることぐらいしか出来ない。教える側、受講する者、それは共にわかっているはずだ。しかし、時に浮かない気持ちが頭を擡げる……。
それでも、あの頃の肇は必死こいて教えていた。受講生等と共に、向こう側にある夢か幻影か、それさえも定まらぬ目標に向かってなりふり構わず突き進んでいたのだろう。彼らが、その先、何度も思い倦ねるであろうそれらに向かって――。
彼ら五人は同じ高校だった。とても仲がいい。成し遂げた現役合格。でも、その頃は六人だった。一人、篩に落とされた者がいる。いや、落とされたのではない。篩に掛かろうとはしなかったのだ。彼女も現役合格していれば、この場にいたはずだ。
倉持さより……印象深い受講生だった。 (つづく)