降って沸いた幸運
「あらま、怖い顔しちゃって。やーね、30にもなって喧嘩っ早い男なんて」
「あ、あの………」
「ん?ふふ、大丈夫よ。シェリルちゃんに嫌なことした奴らをお仕置きに行っただけ」
そういって、赤い口紅が引かれた唇をにっこりと笑みの形に引き上げたクレアは、細身のメガネと相まってとても妖艶に見える。
しかし、なぜか底冷えのする寒気を覚えたシェリルは、引き攣った笑みを浮かべる他なかった。
そんなシェリルの頭をくしゃりと一撫でしたクレアが立ち上がり、腰まで伸びたたっぷりとした髪を無造作に束ね上げる。
少しだけ癖のある髪を器用に髪飾りで留めてこちらを振り返った彼女は、救護隊長としての責務を負った凛々しい顔つきに変わっていた。
「まずは脚の具合を見せてもらえる?」
そう言ってシェリルが被っていた毛布を捲り、包帯でぐるぐる巻きになっている両脚を晒す。
自分の体温で温まっていた空気が一気に霧散したことにきゅっと力が入ったが、慎重に包帯を外して様子を見る指先が優しかったので、知らず知らずのうちに詰めていた息をひっそりと吐き出した。
あちこち検分された後、元通りに包帯を巻き直されると、今度は右頬に貼られていたガーゼを取り払われる。
こちらは特に問題がなかったのか、手をかざされて白い光に包まれたかと思うと、そのまま手が離れていき、治療は終わったようだった。
それまで部屋の隅で沈黙を守っていた侍女らしき人が、無言で濡れたタオルをクレアに渡す。
軽く手を拭いて、先ほど剥がしたガーゼと共に手渡すと、一礼した女性はそのまま背を向けて部屋を出ていった。
「さて、と。これから、あなたの怪我が治るまでは私が治療を担当します。とは言っても、残念ながら今のあなたの身体の状態では、そのまま治癒魔法で治してあげることはできないの。あなた、今いくつ?」
「え…えっと、24歳です」
「その歳にしては、あなたは身体が小さすぎるの。成長期に、あまりちゃんとした食事を摂っていなかったんじゃない?」
クレアの言う通り、シェリルは元々の体力が著しく低い。
13歳で家を追い出されてからというもの、なんとか食いつないではきたものの、お腹いっぱいのごはんやゆったり眠れる場所とは無縁の世界で生きてきた。
食べ物にありつければ良い方で、どうしてもお金がない時には森に行き、食べられる木の実を延々と探し、それもなければ川の水を飲んで無理やり空腹を誤魔化していたのだ。
シェリルは、24歳という年齢ではありえない程やせ細り、身長も150cmに満たないほどしかなかった。
これまで遠征するような仕事を受けてこなかったから、なんとか生きてこれただけだったのかもしれない。
心当たりがありすぎて黙り込んでしまったシェリルに、クレアは小さくため息を吐いた。
「ヒーラーとしてこれまで仕事をしてきたのなら知っていると思うけれど、治癒魔法は基本的に、本人の体力回復を促して、強制的に傷を癒す速度を早めているだけなの。だから、元々の体力がないあなたに、大掛かりな治癒魔法は使えない」
「………っ」
「だから、あなたをここに連れてくるときにかけた魔法は、身体を麻痺させて痛みをなくすものと、あなたの体力でも回復できそうな小さな傷を癒すようなものだけだった。ここからのあなたの仕事は、まず基礎体力をつけること」
「基礎体力を…つける………」
「そう。具体的にいうと、『しっかり食べて、しっかり眠る』。これがあなたにできる、一番重要な仕事になるわ」
「!!そ、そんな、困ります!私、こんな立派なところでお世話になる訳には……!」
クレアの言葉に、シェリルが慌てる。
こんな立派な屋敷の、こんな大きな部屋で眠るなんて、これまでの人生で一度も経験のなかったことを、怪我が完治するまでやれと言われたのだ。
慌てるなと言う方が無理な話だ。
「そうは言っても、あなたこの足の状態じゃ歩けもしないわよ?」
「っ、それはそうですが……せ、せめてどこか…馬小屋の隅とかでも構いません!それなら…」
「悪いけど、それは許可できないわ。言ったでしょう?今のあなたは健康状態が悪すぎるの。きちんと身体を休められる場所でないと」
「………でも、こんなに良くしてもらう理由なんて…」
呆れたように言い含めてくるクレアの言葉が正しいのはわかっている。
それでもシェリルは、簡単に頷けはしなかった。
自分は、こんなに良い生活をさせてもらえるような価値のある人間ではない。
貴族でもなければ、弟のような特別な魔力があるわけでもない。
調合の腕も十人並みで、この人たちになんの見返りも返せない。
ウロウロと視線を彷徨わせるシェリルの目の前で、唐突にバチン!と音が鳴る。
驚いて視線をあげると、そこには眉を下げて困ったように笑う、クレアの姿があった。
「落ち着いて頂戴。何も、あなたを困らせたくてこんな話をしている訳じゃないわ」
「す、すみません………」
「それに、これは私の独断っていう訳じゃなくて、ウィルの意思でもあるの」
「…辺境伯様の?」
「そう。彼、あんな怖い顔してるけど、弱ってる人は放っておけないタチだから。このままあなたが治療を拒否したら、私がウィルに怒られちゃう」
そう言ってわざとらしく肩を竦める様子は、最初にこの部屋にやってきたときと同じ、優しい空気を纏っていて。
(………まあいいや、お礼は後でゆっくり考えよう)
「……ありがとう、ございます。お世話になります」
突然降って沸いたようなこの幸運に、シェリルは身を委ねることにしたのだった。
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